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「空海と密教美術」展の楽しみ方  シリーズ(2)-2 絵画

「空海と密教美術」展の魅力を知り尽くした、展覧会の担当研究員に直撃インタビュー。題して、「空海と密教美術」展の楽しみ方。 シリーズ(2) 絵画の前半インタビューにつづく、後半をご覧ください。

 

『唐での表現 日本での表現』

広報(以下K):展示の中で、沖松さんが「ここは面白いから注目してほしい」という部分がありましたら教えてください。 

沖松(以下O):肖像画という観点から展覧会を見てみると、少し違った面白さが浮かび上がってきます。当時の肖像画とはどういうものだったのか、画家たちは人物をどのようにとらえたのか、そういうトピックは研究員としてはとても興味深いものです。特に前期に展示される僧侶像は、古い時代の良い作品が一気に見られます。

国宝「弘法大師像」(作品No.2 展示期間:展示中~8月28日(日))、
国宝「勤操僧正像(ごんぞうそうじょうぞう)」(作品No.13 展示期間:展示中~8月21日(日))、
国宝「真言七祖像」(作品No.14 展示期間:龍智・金剛智・不空 展示中~9月4日(日)、一行・恵果 9月6日(火)~9月25日(日))

私が注目するのは、国宝「勤操僧正像」の袈裟の表現。
国宝 勤操僧正像
ドレープが流れるように描かれており、質感・量感豊かで、まだ形式化されていない自由な表現を読み取ることが出来ます。

K:お顔も、熱心になにかを語りかけられているようで、親しみやすさがありますね。

O:そうですね。表情だけでなく手つきからも熱弁ぶりがうかがえます。勤操僧正は、空海の先輩にあたる僧侶です。最澄や空海のもたらした新しい仏教にも理解を示したと伝えられています。生命力あふれる勤操僧正のキャラクターがよく表れていますね。

国宝「真言七祖像」は、その名の通り真言密教の基盤をつくった7人の僧の肖像です。そのうちの2枚、龍猛(展示期間終了)と龍智の像だけが日本で作られています。一般的に、唐でつくられた5作品に比べて平板な表現になったとも言われますが、それが日本人の画家の技術の問題なのか嗜好の問題なのか難しい問題です。画家も日本人ではなく中国大陸や朝鮮半島からの渡来人かも知れませんし、そうなると事はなおさら複雑になります。


今回は、唐の作品とそれを元に描いた日本の作品とを同時に比較できるよう、隣り合わせに展示しました。一幅ずつだったら分からないことが見えてくるはずです。こんな貴重な体験、滅多に出来ないんですよ!!唐の作品のどこを引き継いで、どこが変わったのか、その目で確かめてみてください。

K:唐でつくられた作品との違いと共通点をよむ、そういう楽しみ方があったのですね。なるほど!

O:展示室のキャプションにも書いてあるんですけどね。

K:えっ…!(汗) すみません、そこまで読み取れず。

O:いえいえ、かなりマニアックな目線ですから。
たとえば密教の経典を最初に唐に伝えたという不空の描写は、とても写実的で人物をよく写しています。耳毛なんかもリアルですよ。

K:本当ですね!ここまで描くか!という細かさですね。

O:ちなみに空海は不空の亡くなった年に生まれたので、不空の生まれ変わりとも言われています。

もうひとつの比較ポイントは、第一章から三章までと、第四章との違いです。
第三章までは、密教の原点(インド)のものを求めていくという、空海の明確な意識が見てとれます。空海が収集したと考えられる図像によってもその方向性が分かるでしょう。いわば源流志向といえるものです。
しかし空海以後、その源流志向が正確に受け継がれるというわけではありません。貴族階級など、当時の日本人の好みに合った表現も取り入れられていくわけです。
そういう違いを見るのも面白いかもしれませんね。

K:ポイントがそんなにたくさん散りばめられている展覧会だったとは!「空海と密教美術」展を、そういう視点でもう一度見直してみようと思います。なんだかだんだん密教美術にはまってきました。いえ、かなりはまりつつあります!
沖松さん、どうも有難うございました!
 

沖松研究員

専門:絵画 所属部署:学芸企画部特別展室
東博でも希少なパティシエ系研究員
「得意なお菓子はシュークリームです。最近は忙しくてつくれていないですけど。」


次回のテーマはいよいよ「彫刻」です。どうぞお楽しみに。

カテゴリ:研究員のイチオシnews2011年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2011年08月15日 (月)