神護寺の本尊「薬師如来立像」は日本彫刻史の最高傑作といえるでしょう。
国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
本来は高雄山の中腹に建つ金堂に置かれた厨子の中にまつられます。
金堂
高雄山という霊地の空気が像の威厳を一層高めます。神護寺を真言密教の寺院として整備した空海は、薬師如来像の威厳のある姿をどのような思いで見つめたのでしょうか。
薬師如来像が寺を離れ、創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」に出品されるのは、節目の年とはいえ奇跡の出来事です。みなさまにも、奇跡の場に立ち会っていただきたいと思います。
ところで会期半ばに、薬師如来像の背後にある、仏から発せられる光を造形化した光背と、展示造作の幕を取り外しました。像の背中の美しさをご覧いただきたいという博物館担当者の思いと、見たいというお客様の声をご住職様に伝えてお許しをいただきました。このような機会を与えていただいたご住職様には心より感謝申し上げます。
第5章 会場風景
日本彫刻史では、仏像の衣の襞(ひだ)の表現を衣文(えもん)と呼んでいます。薬師如来像の正面には大腿部(だいたいぶ)を除いて、衣文が所狭しと表されます。
両腰から脚の間には、その形状から名付けられたY字形衣文とU字形衣文の美しい衣文線が見られます。大腿部に襞が無いのは、その盛り上がりの大きさを表現するためで、衣文を表さない衣文表現なのです。
薬師如来立像の大腿部
波打つ裾の縁は見どころの一つと思います。腹部には縄を思わせる衣文が刻まれますが、ややぎこちなさが感じられます。
薬師如来立像の腹部
左袖には膨らみのある襞と鋭い襞を交互に配する翻波式衣文(ほんぱしきえもん)が見られます。翻波式衣文は平安時代前期の彫刻の特徴の一つですが、これほど重厚で見事な表現は他にありません。
薬師如来立像の左袖部分
一方、背中には肘や腰、裾を除いて衣文がなく、腰の美しい曲面を見ることができます。背中に衣文がないのは拝するものからは見えないことが主な理由と考えられますが、製作者は、正面、左袖、背面とそれぞれ違った衣文表現を意識したはずです。
薬師如来立像の背中部分
日本彫刻史の最高傑作である神護寺の薬師如来像の背中や、左袖の翻波式衣文を見る機会は二度とありません。この機会を逃さないでください。
さて、背中を見ていただくには、幕と光背を取り外せば済むというわけではありません。これまでは幕や光背があったために、背中には照明が当てられていないのです。背中の美しさを見ていただく光が必要です。
照明を当て、光の具合を調整する作業をシューティングといいますが、この作業には、照明器具を調整する人、会場のデザインを考えたデザイナー、博物館の担当者が参加します。
第5章 会場風景
担当者が、ああしてほしい、こうしてほしいと作業をしている人に伝えても、照明器具の設置場所や仕様の制約などからすべて実現できるわけではありません。会場をデザインする過程で担当者から像のイメージを聞いていて、かつ照明器具のことも熟知しているデザイナーが担当者の意図を作業者に伝えます。
今回は、照明のために像が白く見えるという指摘があったので、まず、光の色を変える機能を調整して黄色味を増し、木の温かみを感じられるようにしました。
薬師如来像と日光菩薩像、月光菩薩像を照らすために、20個の照明器具が使用されますが、半数以上が薬師如来像に向いています。
第5章 中央のステージと照明
照明器具にもいくつか種類があり、すべての器具に光の色を調整する機能があるわけではありません。光の強さを調整する機能は多くの器具にそなわっていますが、広い範囲を明るく照らすもの、対象の形に合わせて光の範囲を調整できるもの、数センチの範囲にまで調整可能なものなどがあります。
薬師如来像も全体の輪郭や、頭髪部分、左袖の翻波式衣文など、その範囲に合わせた光が当てられています。それには微妙な調整の繰り返しが必要です。地震などで光がズレることもしばしばあります。
(中央)国宝 薬師如来立像
(右)重要文化財 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(左)重要文化財 月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)
どちらも平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
器具は、天井や天井付近に常設された配線ダクトや、展示に合わせて設置された臨時の配線ダクトに取り付けられます。薬師如来像の威厳のある表情を出すのに効果があったのは、その向かいの仮設の壁に付けられた比較的低い位置の器具でした。上方からの光だけでは顎に強い影が生じて、本来の表情が伝わりません。
威厳のある表情の薬師如来立像
注意しなくてはならないのは、像の背面を見ている人がまぶしくないように光の位置、向き、範囲を調整することです。今回は、まぶしさを完全に消せていない光が一部ありますがご容赦ください。
幕を取り除いたことで、薬師如来像と、それを護る十二神将像との一体感が増しました。本展覧会では十二神将像の壁に映った影が素敵だという声を多くいただいています。十二神将像の変化にとんだ身体の動きが、実際の像を見るよりも感じられるためではないでしょうか。
十二神将立像 (じゅうにしんしょうりゅうぞう)の展示風景
[酉神・亥神]室町時代・15~16 世紀[子神~申神・戌神]吉野右京・大橋作衛門等作 江戸時代・17 世紀 京都・神護寺蔵
十二神将像の主となる照明は上方からで、その強い影が壁の下方に映っています。この照明は像の上にも、像自身の強い影を生じさせるので、その影を弱めるために展示台に設けた器具から光を当てています。この光が、変化に富んだ影を壁に映しているのです。
十二神将立像の展示風景
この器具は光の強さを調整できないので、強すぎる場合は弱くするためのフィルターを1ないし2枚入れます。この器具の光は強いものではありませんが、下方から当てるので、いわゆるお化け顔になります。そこで上方から別の器具を使って顔に光を当てます。この照明に気付かれる方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。というのは、壁の影の状態を保つために顔からはみ出さないように狭い範囲に絞って光を当てているのです。
壁の影の面白さを保つことも意識しましたが、複数の光を当てると影が乱雑に映り、像を見る妨げになるのです。薬師如来像の背後に白い幕があったときには、像を引き立てるのに妨げになる影を薄くするための光も必要でした。
仏像の展示の光と影についてお話ししましたが、このようなところにも担当者の経験と展示への思いが反映します。
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posted by 丸山士郎(彫刻担当) at 2024年08月21日 (水)
早いもので本日(8月14日)から、創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」の後期展示が始まりました!
第2会場入り口
絵画と書跡はおおよそ展示替えを行いました。
後期の見どころをご紹介します。
こちらの神護寺展作品リストとともにご覧ください。
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posted by 古川 攝一 (教育普及室) at 2024年08月14日 (水)
創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」がいよいよ7月17日(水)より開幕しました。
平成館エントランスのバナー
本展は824年に正式に密教寺院となった神護寺(じんごじ)創建1200年と、空海生誕1250年を記念するものです。
神護寺の金堂
空海が密教を学ぶため唐へ留学して帰国したあと、当時の都である平安京で活動するために住んだお寺が、京都の高雄にある神護寺(当時は高雄山寺)でした。
神護寺は、空海が密教という新しい教えを披露したメジャーデビューの場所、つまり「はじまりの地」といえます。
では、さっそく会場の様子を見てみましょう!
会場入り口
入り口で皆さまをお迎えするのは、神護寺 谷内弘照(たにうちこうしょう)貫主が揮毫(きごう)した大きな看板。
制作の様子は神護寺展の公式Xでご覧ください。
入ってすぐの場所には、国宝「観楓図屛風」と秘仏である重要文化財「弘法大師像」が展示されています。
(右)国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ)
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう)
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
会場は、草創記の神護寺からはじまり、だんだんと時代が下っていく構成になっています。
第1章の第1節では空海や初期の神護寺にまつわる品々をご紹介しています。
国宝 金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(こんどうみっきょうほうぐ、こんごうばん・ごこれい・ごこしょ)
中国 唐時代・8~9世紀 京都・教王護国寺(東寺)蔵 通期展示
書の名手であり、この時代の三筆のひとりと称される空海直筆の作品も必見です。
国宝 灌頂暦名(かんじょうれきみょう)
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 京都・神護寺蔵 展示期間(7/17~8/25)
会場を進んで第1章の第2節「院政期の神護寺」では、有名な神護寺三像(右から国宝「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」)が登場。
(右から)国宝 伝源頼朝像(でんみもなもとのよりともぞう)、国宝 伝平重盛像(でんたいらのしげもりぞう)、国宝 伝藤原光能像(でんふじわらのみつよしぞう)
すべて鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
そして振り返ると…
4メートル四方の大きさの国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が掛けられています!
会場奥に国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が見えます
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)のうち胎蔵界(たいぞうかい)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)※金剛界は後期展示(8月14日~9月8日)
神護寺展ならではの贅沢な空間です。
空海が制作に関わったとされる、現存最古の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」。曼荼羅の世界に包まれてください。
第1会場の終わりには「映像で解説する高雄曼荼羅」のコーナーがあります。
金泥、銀泥で描かれた仏の姿を細部までご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください。
続いて第2章では、通称「神護寺経」と呼ばれる「大般若経(紺紙金字一切経)」と、お経を包む経帙(きょうちつ)をご覧いただきます。
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(だいはんにゃきょう まきだいいち、こんしきんじいっさいきょう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(手前)紺紙金字一切経経帙(こんしきんじいっさいきょうきょうちつ)
平安時代・12世紀 京都・細見美術館蔵 通期展示
美しい色糸で組まれた竹のすき間から雲母がきらめいています。ぜひ間近でご覧ください
第3章では中世神護寺の隆盛がうかがえる絵図や、密教空間を彩る作品をご紹介します。
重要文化財 十二天屛風(じゅうにてんびょうぶ)
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 ※場面替えがあります
第4章の「古典としての神護寺宝物」では、幕末に活躍した復古やまと絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)によるもうひとつの「伝源頼朝像」が展示されています。
伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
古画が大好きな為恭は絵画技術を学ぶため、神護寺宝物を模写しました。
ぜひ会場でふたりの頼朝を見比べてください。
そして最後の第5章では、1200年の歴史の各時代につくられた神護寺の彫刻が一堂に会しています!
国宝 五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(中央)国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(右)重要文化財 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(左)重要文化財 月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)
どちらも平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
会場ならではの横からの姿にもご注目ください!
十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
吉野右京、大橋作衛門等作 [酉神、亥神]室町時代 15~16世紀 [子神~申神、戌神]江戸時代 17世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
前期展示は8月12日(月・休)まで、後期展示は8月14日(水)~9月8日(日)です。
金曜・土曜日(8月30日・31日を除く)は19時まで(入館は18時30分まで)の夜間開館も実施しています。
神護寺三像など、前期のみの作品もありますのでお見逃しなく!
夏休みはぜひ神護寺展へお越しください。
二天王立像(にてんのうりゅうぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵
撮影スポットもあります。ぜひ記念の一枚を撮影してください!
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年07月19日 (金)
創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」(2024年7月17日~9月8日)の開幕まで、いよいよあと1か月。
正門前に設置された神護寺展の看板
前回のブログでは展覧会のみどころについてご覧いただきました。
今回は「神護寺」についてご紹介します。
京都市右京区の高雄にある神護寺は、紅葉の名所として古くから知られてきました。
京都市地図
国宝「観楓図屛風」には清滝(きよたき)川のほとりで紅葉狩りを楽しむ人々とともに、神護寺の伽藍(がらん)が描かれています。
国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ)
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
京都駅から西北へバスで約1時間、山道(やまみち)を進むと最寄りのバス停「高雄駅」へ到着します。
「高雄駅」バス停
今の時期は新緑がまぶしく、秋とはまた違った美しさがあります。
清滝川に架かる高雄橋を渡り...
参道の長い石段を登りきると...
ようやく神護寺の入り口、楼門(ろうもん)にたどり着きます。
楼門
広い境内を進むと、その先に金堂があります。
金堂
金堂には神護寺のご本尊である国宝「薬師如来立像」がいらっしゃいます。
国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
1200年以上の歴史を持つ神護寺は、和気清麻呂(わけのきよまろ)が建立した高雄山寺(たかおさんじ)を起源とします。
天長元年(824)には、高雄山寺と、同じく清麻呂が建立した神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり、正式に密教寺院として神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ、略して神護寺)が誕生します。
神護寺の前身寺院にまつられていた「薬師如来立像」を本尊として迎えたのが、高雄山寺を拠点として活動をしていた空海です。
重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう)
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
大師堂に本尊としてまつられている秘仏です
大師堂(だいしどう)
空海が住んだ納涼房(どうりょうぼう)に由来する建物
厳しく威厳のあるお顔、そして重量感あふれるご本尊。
日本彫刻史上の最高傑作です。
国宝 薬師如来立像(部分)
特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」は、お寺以外でご本尊の荘厳さにふれていただく初の機会となります。
まさに1200年越しの奇跡といえるでしょう。
さて、金堂の先に進むと、神護寺名物の厄除け祈願「かわらけ投げ」を体験できます。
遠くへ投げ、その先で割れると厄除けになるといわれています
かわらけとは素焼きの盃(さかずき)のこと
眼下には清滝川が見えます
ご紹介したのはほんの一部ですが、神護寺の神聖な雰囲気を感じていただけたでしょうか。
神護寺展では国宝「薬師如来立像」を初め、空海が唐から請来(しょうらい)した曼荼羅をもとに制作された4m四方の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」など、空海が生きた時代を感じさせる名品をご紹介します。
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示(8月14日~9月8日)、右の【胎蔵界】は前期展示(7月17日~8月12日)
調査により、紫根(しこん)という高価な染料が使われていたことが分かりました
また、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる国宝「釈迦如来像」、日本で最も有名な肖像画のひとつである国宝「伝源頼朝像」といった、神護寺に受け継がれる寺宝の数々を一堂に展示します。
国宝 釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日)
鮮やかな衣には細かく切った金箔がキラキラと輝いています
国宝 伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
前期には国宝「伝平重盛像」、国宝「伝藤原光能像」とともに三像揃って展示します
本展は半世紀ぶりに開催される神護寺展です。
現在前売り券を販売しています。シンガーソングライターのさだまさしさん、「ルパン三世」峰不二子役や、「HUNTER × HUNTER」クラピカ役などでおなじみの沢城みゆきさん(声優)が出演する音声ガイド付き前売り券も注目です!
この夏、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、貴重な文化財を上野でご覧ください。
そして、ぜひ神護寺にも足をお運びください!
五大堂と毘沙門堂
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年06月17日 (月)
極楽にいる仏、あるいは極楽から迎えに来てくれる仏…。
阿弥陀如来は苦しい現実に生きる人々を救う存在として、日本でも各地で信仰されました。
ただし、仏そのものに会えるとしたら奇跡や臨終の時と考えられていたため、そのかわりとなる仏像や仏画が造られてきました。
一方で、「仏作って魂入れず」ということばがありますが、仏像が仏そのものではなく木や金属でできたモノであることはわかっているため、入れ物である仏像に仏の魂を込めることで、仏として信仰してきたのです。
しかし、魂が入っていることは、あいにく仏像の外観からはわかりません(魂が入っている証拠としてさまざまな奇跡が語られることはありますが)。
そこで、魂を入れることとは別に、昔から仏像が特別な存在になるように工夫が凝らされてきました。
本館特別1室で開催中の特集「阿弥陀如来のすがた」(2024年7月7日まで)で各時代の阿弥陀如来像を展示していることにちなみ、今回は阿弥陀如来像に凝らされた工夫をご紹介したいと思います。
展示の冒頭で紹介するのは、阿弥陀如来と判明する、日本でもっとも古い仏像です。
重要文化財 阿弥陀如来倚像および両脇侍立像(あみだにょらいいぞうおよびりょうきょうじりゅうぞう)
飛鳥時代・7世紀
じつは、中央の仏だけでは阿弥陀如来かどうかはよくわかりませんが、両脇に立つ菩薩の冠をよく見ると、小さな仏と瓶があらわされています。
小さな仏をつけたのは観音菩薩、瓶をつけたのは勢至菩薩という、阿弥陀如来に従う両菩薩であるため、中央の仏も阿弥陀如来であることが知られるのです。
いつもは法隆寺宝物館に展示されていますが、特集「阿弥陀如来のすがた」にお出ましいただきました。
他にも法隆寺宝物館の第2室では多くの金銅仏と呼ばれる金属製の小さな仏像がご覧いただけますが、大陸から仏教が伝えられた際に、日本に持ち込まれたのはこうした金銅仏だったと考えられています。当時の人々にとって仏像の理想だったのでしょう。
悟りを開いた仏の体からは光が発せられると経典にあるため、本来は純金で仏像を造ることが理想とされましたが、それではあまりに高価なため、そのかわりに銅に鍍金(金メッキ)した仏像が多く求められました。
以下の写真をご覧ください。
阿弥陀如来倚像の像底
仏像の裏側が赤く塗られています。他の金銅仏にも数多く見られ、何らかの意味があったのでしょう。諸説ありますが、魔除けとして塗られた可能性があります。
もちろん外からはわかりませんが、造った人、造らせた人にとっては大事なことだったに違いありません。
時代は下り、平安時代になると仏像を木で造ることが多くなります。
とはいえ、木工のように木らしさを強調するのではなく(そういう仏像もあります)、多くは彩色されたり、金箔が貼られたりしました。
金箔が貼ってあると、木でできているかどうかもわからなかったと思います。
重要文化財 阿弥陀如来坐像(阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像のうち)(あみだにょらいざぞう あみだにょらいざぞうおよびりょうきょうじりゅうぞうのうち)
平安時代・安元2年(1176) 埼玉・西光院蔵
金箔を貼るのは、金銅仏と同じく、仏が本来は光を発することをあらわすためです。
表情は穏やかで、体や衣の彫りは浅く、暗い堂内で拝すると、光り輝く仏が浮かび上がるような印象があったのではないでしょうか。
平安時代の末から鎌倉時代に入ると、その後の仏像を大きくかえる技術が生まれます。
両眼にあたる部分を刳り抜いて、レンズのように薄く削った水晶の板を嵌める「玉眼(ぎょくがん)」です。
阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)
鎌倉時代・12~13世紀 静岡・願生寺蔵
玉眼になると、急に生々しさを感じますね。仏像を見ているはずが、逆に見られているような気がします。
見る角度によっては玉眼がキラリと光るので、ぜひ会場でご覧ください。
ちなみに、修理によって、表面の仕上げを取り除いてしまっていますが、もともとは金箔仕上げでした。
鎌倉時代以降、広く定着するのは三尺(1メートル程度)の大きさの阿弥陀の立像です。
もともと仏像の大きさにはさまざまな決まりがあり、理想とされたのは一丈六尺(4.8メートル程度)ですが、これはさすがに大きすぎてなかなか造ることができません。
この半分、何分の一、という大きさもあり、三尺の由来は諸説ありますが、一丈六尺の約五分の一のサイズです。
また、これまで阿弥陀如来像といえば、「極楽の主」という性格からか、坐像が多かったところ、この頃から「極楽から迎えに来る」という期待が大きくなり、立像が増えていきます。
阿弥陀の立像で注目したいのは、両足の裏に模様を描くものがある点です。
実際にはご覧いただけないため、会場ではパネルで展示しています。
一般的に、立像は足裏にあたる木を削らずに枘(ほぞ)という角材状で残し、これを台座に開けた穴に挿して固定します(枘の形はさまざまです)。
これらの像は、これとは逆に踵の後ろに穴を開けて、台座から枘をつけてこれに挿します(逆枘と言います)。
これは、ひとえに足裏に文様を描くためです。
経典によると、仏の手足にはおめでたい文様があらわれているといい、インド以来、仏像の手足に仏法を象徴する車輪(法輪)等の文様をあらわすことがありました。
法隆寺金堂壁画に描かれた阿弥陀如来にも、手足に文様があるのを確認できます。
また、足裏に文様のある阿弥陀如来立像のうち、こちらの像は頭髪にも特徴があります。
肉眼では見えにくいのですが、特集「阿弥陀如来のすがた」の事前調査で実施したX線CT撮影では、螺髪を呼ばれる髪の毛を銅線であらわし、一本ずつパンチパーマのように巻いて、木製の軸と一緒に植え付けていることがわかります。
足裏に文様を描くことと、髪の毛を銅線であらわすことはセットで行われることがあったようです。
また、このCT撮影では、後頭部に銅製の筒が2本埋め込まれていることも判明しました。
おそらく頭周辺の光背である頭光をつける際、支柱を使わずに固定する工夫だったのでしょう。
現在は木製の詰め物をして、表面からは気づかれないようになっていますが、他にも筒をそのまま残している仏像が複数確認されているため、かつては少なくなかったようです。
確かに、仏が発する光に「支柱」がついていたら、現実に引き戻されてしまうかもしれません。
また、中央の展示ケースに仮面を並べていますが、これは実際に人がつけて仏に仮装するための道具です。
阿弥陀如来が迎えに来る「来迎」をより実感したいという人々の願いから、菩薩の仮面をつけた人々が来迎の様子を再現する練供養(ねりくよう、迎講とも)が行われるようになりました。 毎年行われる奈良の當麻寺が有名ですが、都内では九品仏浄真寺でも四年ごとに行われています。
あるいは、仏像を山車に乗せてパレードを行う、行像(ぎょうぞう)というイベントは古くからアジア各地で行われていましたが、仏像が動く、あるいは人が仏像に仮装するというのは、仏をリアルに体感したいという願いのあらわれといえます。
特集「阿弥陀如来のすがた」(本館特別1室、2024年7月7日(日)まで)の展示室風景
いつか目の前に阿弥陀如来が現われる日を待ち望み、人々が向き合ってきた仏像。
ぜひ展示室で追体験していただければ幸いです。
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posted by 西木政統(登録室) at 2024年06月05日 (水)