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1089ブログ

金碧の障壁画空間―女御御所の襖絵―

大覚寺展チーフの金井です。

このところ暖かい日が続き、春の訪れを感じる今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
創建1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(3月16日(日)まで)は連日たくさんのお客様にお越しいただき、誠にありがとうございます。
早いもので会期もあと2日となりました。
今回のブログでは、これまでに多くの方からご質問やご感想をいただいた、最後の障壁画の展示室のコンセプトについてお伝えしたいと思います。
 
第4章 女御御所の襖絵-正寝殿と宸殿 展示風景
 
▼空間を演出する―「障壁画」とは
大覚寺の宸殿(しんでん)と正寝殿(しょうしんでん)の2つの建物には、重要文化財に指定されている240面もの障壁画が伝わりますが、今回はこのうち、近年の14か年におよぶ本格修理を終えたものを中心に、前期100面、後期103面を見どころのひとつとしてご紹介しています。
 
ところで、本展でたびたび登場する「障壁画」という言葉は、あまり聞きなれないものではないでしょうか。皆様からのご感想のなかでも、屛風と障壁画の違いがよくわからない、といったお声も聞こえました。
 
障壁画は、襖や壁、杉戸や障子などに貼り付けたり直接描いたりしている絵画のことです。屛風はパネルに貼り付けられた折り畳み式の絵画ですが、障壁画は建物に付属するもので、原則入れ替えができません。そのため、それぞれの部屋の格式や使用目的に沿って画題が決められます。
 
たとえば、ご自宅の居間や応接間、書斎や寝室などをご想像ください。居間や応接間はお客様をおもてなしするための少し華やかな空間、寝室や書斎は休んだり集中したりするための落ち着いた空間です。その目的に応じて、壁紙の色やインテリアのテイストを決めると思いますが、その考え方は安土桃山~江戸時代も同様です。大覚寺宸殿の最も大きな「牡丹の間」は、公的な儀礼を行なう場として金地の色鮮やかな花鳥図が、そして正寝殿で最も重要な門跡の居室「御冠の間」には、画題のなかでも格式の高い水墨の山水図が収められています。障壁画は、空間にふさわしい空気感を演出する力を持っているのです。
 
宸殿「牡丹の間」

正寝殿「御冠の間」

▼障壁画の展示の仕方
今回の展覧会の展示で私たちが目指したのは、この空気感を体感していただくことでした。そのための展示方法は、大きく2つあります。ひとつは、現在収蔵されている部屋通りに並べて場を再現すること、もう一つは、障壁画に描かれた絵の姿がわかるように当初の順に並べかえて平たく展示することです。大覚寺展では後者を選択しました。
 
その理由は、大覚寺の障壁画群が当初は別の建物、おそらく内裏のいずれかの御殿のために描かれたもので、現在の配置とは異なっていた可能性が高いからです。寺伝では後水尾天皇(ごみずのおてんのう)に入内(じゅだい)した徳川和子(とくがわまさこ)の女御御所の一部を移築したと伝えますが、女御御所のどの建物だったのか、どの部屋であったのは明確ではありません。また移築の際に、かなり改変が加えられたようで、襖の配置を入れ替えたり引手の位置を移したりといった跡が見られます。そのため、現在の大覚寺と同じ配置で展示するのではなく、なるべく制作当初に近い姿がみえるように、一つの絵の姿がクリアにわかるように広げて展示をしています。
 
重要文化財 牡丹図 狩野山楽筆
江戸時代・17世紀 京都・大覚寺蔵  展示風景

襖絵の引手位置を改変した跡

 
実際に展示室に足を運んでいただくと、大きな大広間で、四方を金地の花鳥図で囲まれたような空間を体感することができます。展示はまもなく終了しますが、障壁画が空間を演出する力を、ぜひ実感いただければと思います。
 
また展覧会を御覧になった後、もっと作品や大覚寺について知りたい!という方のために、参考文献リストを資料館ウェブサイトで公開しています。
文献の多くは資料館閲覧室にて無料でご覧いただくことができますので、こちらにもぜひ足をお運びください。
(平日のみ開館です。詳細は資料館利用案内をご確認ください)
 
 

カテゴリ:「大覚寺」

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posted by 金井裕子(教育講座室長) at 2025年03月14日 (金)

 

1200年前から変わらない空気感、冬の大覚寺へ

 開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(~3月16日(日))の閉幕まで、残りわずかとなりました。

 
すでに展覧会をご覧いただいた方の中には、本展をきっかけに「大覚寺を訪れてみたい」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで今回は、大覚寺についてご紹介します。
 
京都府の北西、右京区嵯峨にある大覚寺は、平安時代のはじめに、嵯峨天皇が離宮・嵯峨院をつくったことにはじまります。
その後、嵯峨天皇の皇女・正子内親王(まさこないしんのう)が父や夫の淳和天皇(じゅんなてんのう)を供養するためお寺にしたいと願い、大覚寺が開創されました。
 
 
渡月橋は嵯峨天皇の行幸の際に架けられたという説も
 
JR京都駅から嵯峨嵐山駅まで、嵯峨野線に乗車して約16分。
年間を通して観光客でにぎわう嵐山エリアですが、大覚寺へは駅の北口から、閑静な住宅街を通って向かいます。
 
 
 
 
 
 
駅からゆっくり歩いて20分ほどで表門に到着。この日は時折雪が降り、しんとした静けさを肌で感じつつ、参拝口へ。
 
 
表門
 
大覚寺は、歴代天皇や皇族の方が門跡(住職)を務められたことから、門跡寺院として高い格式を誇ります。
 
 
いけばな発祥の地であり、嵯峨御流の総司所(家元)としても知られています。
 
また、大覚寺の周辺環境は見渡す限り電柱などの遮蔽物がなく、昔ながらの景色が今も変わらず楽しめることから、時代劇をはじめドラマや映画のロケ地としても親しまれてきました。
 
 
式台玄関と臥龍(がりょう)の松
 
それでは、さっそく境内へ入っていきます。
大覚寺の特徴として、建物のほとんどが移築されてきたものであることが挙げられます。
 
狩野山楽による襖絵「牡丹図」や「紅白梅図」のある宸殿(しんでん)は、江戸時代に後水尾天皇と結婚した和子(東福門院)の女御御所が移築されたものと伝わります。
 
 
宸殿(重要文化財)の外観(東側から)
 
 
宸殿「牡丹の間」(襖絵は復元模写)
 
大覚寺の建物に現在はめられている襖絵は、昭和中期に描かれた復元模写です。
 
今回の特別展では、大覚寺が霊宝館に保管する240面の障壁画(オリジナル)から、14か年計画で進んでいる修理作業のうち、修理を終えたものを中心に、前後期併せて123面が出品されています。
 
 
第4章の展示風景
 
障壁画をパノラマティックに展覧する本展の趣と異なり、大覚寺では、襖絵が当時の生活のなかでどのように使用されていたかを、間近に体感することができます。
 
 
宸殿「紅梅の間」(襖絵は復元模写)
 
 
蔀戸(しとみど:戸板を上下に開け閉めする建具)の蝉飾りは職人による手作りで、一匹一匹が異なる造形をしています。
 
宸殿の北西に位置する正寝殿も、重要文化財に指定されている建物です。
こちらは安土桃山時代の遺構と考えられており、本展で再現展示をしている「御冠の間」も正寝殿にあります。
大覚寺の中興の祖・後宇多法皇が院政を敷き、南北朝講和の舞台になったと伝えられます。
 
 
正寝殿「御冠の間」(襖絵は復元模写)
(特別な許可を得て撮影しています。(注)現在当館で展示中のため不完全な部分があります)
 
 
正寝殿「御冠の間」の再現展示
 
本展でもとりわけ愛らしさが際立つ「野兎図」は、正寝殿の腰障子に描かれています。
 
 
正寝殿「狭屋(さや)」に描かれた兎(野兎図は復元模写)
(特別な許可を得て撮影しています)
 
なお、今夏には通常非公開である正寝殿の特別公開が行われます(6月21日(土)~8月3日(日)まで)。
詳しくは大覚寺のウェブサイトをご確認ください。
 
宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は「村雨の廊下」と名付けられ、縦の木柱を雨に、折れ曲がった廊下を雷に見立てているとのこと。
 
 
防犯を兼ねて天井は低く、床は鴬張りになっています。
 
大正14年に建てられた心経殿には、嵯峨天皇をはじめ、天皇直筆の書(宸翰:しんかん)の般若心経が奉安されています。
ちなみに、心経殿を建てる際に資金集めをしたのが実業家の渋沢栄一。ここにも歴史の一端が垣間見えます。
 
 
勅封心経殿
 
 
心経前殿(御影堂)

心経殿を拝するための心経前殿は、大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を移築したもの。
移築の際に、大覚寺の本堂を移動させたため、もともと本堂のあった場所が石舞台となっています。
 
 
石舞台と勅使門(奥)
 
心経前殿を過ぎ奥へ進むと、明治の廃仏毀釈の際に京都東山から移築された、安井門跡蓮華光院の御影堂(安井堂)があります。
本展の見どころのひとつ、重要文化財の刀剣「薄緑<膝丸>」は、安井堂が大覚寺に移築された際に共に納められたと伝わっています。
 
 
重要文化財 太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)(たち めい  ただ(めいぶつ うすみどり〈ひざまる〉))
鎌倉時代・13世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
安井堂に隣接するのは、現在の大覚寺の本堂にあたる五大堂。本堂には、大覚寺の本尊である不動明王を中心とした五大明王が祀られています。
大覚寺には平安時代後期、室町~江戸時代、近代の3組の五大明王があり、そのうちの2組の五大明王が、本展に出品されています。
 
 
 
 
五大堂では写経体験も。己を見つめなおす時間を設けるのもおすすめです。
 
明円作の重要文化財「五大明王像」は普段は厨子に入っているため、ガラスケース越しにじっくりと見られる本展の貴重な機会をお見逃しなく。
 
 
重要文化財 五大明王像のうち不動明王
明円作 平安時代・安元3 年(1177) 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
五大堂から眺める大沢池は、1200年前から変わらない風景が心を打ちます。
周囲約1キロメートルの日本最古の人工池で、日本三大名月鑑賞地としても親しまれています。
 
 
五大堂から大沢池をのぞむ
 
池の周りは散策コースとして、15分ほどで一周できます。
鴨や鷺(さぎ)、鵜(う)や、カイツブリなど多くの野鳥をはじめ、梅林や竹林もあり、春は桜、秋は紅葉と、四季折々でさまざまな風景が楽しめます。
 
 
令和6年2月には開創1150年記念事業の一環として、新たに名古曽橋が開通しました。
 
歴史の厚みが感じられる独特の空気感は、現地に行ってこそ得られる特別な体験です。
今回ご紹介したのは一部ですが、大覚寺の静寂さや宮廷文化の華やかな雰囲気が伝われば幸いです。
 
 
 
本展は大覚寺の貴重な寺宝の中から、障壁画の原品や、貴重な密教美術の名品を一挙に見られるまたとない機会です。会期は3月16日(日)まで。
 
ぜひ、特別展「大覚寺」と京都の大覚寺、どちらにも足をお運びください!
 
 

カテゴリ:彫刻絵画刀剣「大覚寺」

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posted by 田中 未来(広報室) at 2025年03月10日 (月)

 

特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」10万人達成!

平成館特別展示室で開催中の、開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(3月16日(日)まで)は、来場者10万人を達成しました。

これを記念し、埼玉県からお越しの吉田さんに、当館館長藤原誠より記念品と図録を贈呈いたしました。
 
記念品贈呈の様子。吉田さん(左)と藤原館長(右)
 
大学生の吉田さんは京都がお好きで、授業でも訪れたことがあるとのことです。
今回は大覚寺の寺宝を間近に見られるということで、ご来館いただきました。
現在は空海に関するレポートにも取り組んでおり、ちょうどご縁があったようです。
 
京都・大覚寺に伝わる約100面の障壁画がずらりと展示ケースに並ぶ、豪華絢爛な展覧会。今週から後期展示もはじまりました。
さらに本日から週末の夜間開館も実施。金・土曜日と、2月23日(日・祝)の開館時間を20時(入館は19時30分)まで延長します。
貴重な寺宝の数々をじっくりご覧いただけるまたとないこの機会。どうぞお見逃しなく!
 

カテゴリ:「大覚寺」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2025年02月21日 (金)

 

調査速報! 像内納入品が判明 大覚寺軍荼利明王

現在開催中の開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(2025年3月16日(日)まで)には、連日多くのお客様にお越しいただいており、展覧会担当の一人として大変嬉しく思っております。
 
特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」第一会場 展示風景
 
大覚寺は、平安時代初めに営まれた嵯峨天皇の離宮・嵯峨院を前身とします。真言宗の開祖・空海と深い交流があった嵯峨天皇は、空海の勧めで嵯峨院に持仏堂を建てて五大明王像(現存せず)を安置したといいます。それを受け継ぐ現在の本尊の五大明王像も本展で公開されています。東京で5体そろって公開されるのは初めてのことです。
 
重要文化財 五大明王像 明円作 安元3年(1177) 京都・大覚寺蔵
左から:大威徳明王、軍荼利明王、不動明王、降三世明王、金剛夜叉明王
 
この五大明王像は、金剛夜叉明王(写真右端)と軍荼利明王(写真左から2番目)の台座に記された銘文により、安元2~3年(1176~77)にかけて仏師明円(?~1199頃)が作ったことが知られています。仏像の制作年や作者が分かる例は非常に少なく、その両方が分かる大覚寺の五大明王像は大変貴重です。
 
ところで、当館は文化財用のX線CTスキャン装置を所有しています。この装置で360度様々な角度から撮影した多数のX線画像データをコンピューター上で組み合わせて、3Dなどの立体的なデータとして見ることができます。それにより、文化財の構造や保存状態、内部に空洞があればその様子などを知ることができます。
 
軍荼利明王のX線断層(CT)調査風景
 
本展に際して、この五大明王像5体すべてにX線断層(CT)調査を行なったところ、軍荼利明王1体にのみ、像内に納入品があることが分かりました。 
ここでは調査速報として、簡単ではありますがその納入品について紹介していきます。
 
軍荼利明王 頭部 垂直側断面

同 納入品 3D画像

 
納入品というのがこの頭部内の画像に映る木柱(高さ約15cm)です。表面に何も塗ったりせずに素地のまま仕上げ、像の首の下あたりで木柱の根元を木釘で打ち付けて固定しています。
 
同 納入品 頂部 垂直側断面
 
木柱の頂部を蓮台および球状(最大径約1.4㎝、宝珠または月輪か)のかたちに作り、その中央部分を空洞にして蓋をしています。その空洞のなかに、紙と思われるものとともに、ひと際白く見える粒状のものが映るのがお分かりになりますでしょうか。これは舎利として信仰された鉱物と思われるものです。
 
舎利とは仏教を開いた釈迦の遺骨のこと。仏像の像内に納める例は、奈良時代にいくつか見られるものの12世紀前半までは少なく、12世紀後半以降に増えていきます。大覚寺軍荼利明王が作られたのはその12世紀後半に含まれる年代ですので、まさに舎利を仏像の像内に納めることへの関心や事例が高まる時期に作られ、かつ年代が明らかな重要な例です。しかも、木柱の頂部のなかに舎利を納める点や、木柱を打ち付けて固定する点など、入念な作りが特徴です。
 
なぜ舎利を納めたのか、なぜ軍荼利明王だけなのか、他の4体にはもともと納入品がなかったのか(過去の修理などで納入品が取り出されていないのか)、なぜ木柱の頂部に舎利を納めるという入念な作りにしたのか。今回の調査で像内納入品の存在が判明したことによって、新たな疑問も生まれてきました。引き続き、このような疑問や納入品の詳細、納入の目的について調べることで、大覚寺の五大明王像が作られた背景を解明する手掛かりになることが期待されます。
 
軍荼利明王 展示風景
 
文化財の調査研究において、このように最新の科学的手法を用いることで新たな情報が分かることもあります。ただし、調査にあたってはなによりも、所蔵者のご理解があってこそ実施できるものです。今回、五大明王像のX線断層(CT)調査の実施、および軍荼利明王の像内納入品の情報公開をお許しいただきました大覚寺の皆様に、この場をお借りしてあらためて御礼申し上げます。
 

カテゴリ:彫刻「大覚寺」

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posted by 増田政史(特別展室研究員) at 2025年02月17日 (月)

 

特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」開幕!

 開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」が1月21日(火)より開幕しました。

 
平成館エントランスのバナー
 
本展覧会は、2026年に大覚寺(だいかくじ)が開創1150年を迎えることに先駆けて企画され、伝来の寺宝を大々的に紹介するものです。
 
大覚寺内の中央に位置する宸殿(しんでん)
 
真言宗大覚寺派の大本山であり、今から約1200年前に嵯峨天皇の離宮としてはじまった大覚寺。歴代天皇や皇族、摂関家が代々住職をつとめる門跡寺院(もんぜきじいん)として、高い格式を誇ります。
 
本展は4つの章立てからなり、第1章から第3章までは時代ごとに大覚寺の歴史をたどり、平安時代、鎌倉時代、そして南北朝から江戸時代にかけて、各時代の象徴的な寺宝をご紹介します。第4章では、本展の中心的な作品となる華やかな障壁画100面が会場を彩ります。
 
第2会場の展示風景
 
それでは、さっそく会場内をご覧いただきましょう。
 
第1会場入り口
 
第1章では、大覚寺の前身となる離宮・嵯峨院や初期の大覚寺にまつわる寺宝をご紹介します。
 
五大明王像
左から大威徳明王(だいいとくみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、不動明王、ここまで重要文化財、院信(いんしん)作 室町時代 文亀元年(1501)
続いて降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)、いずれも江戸時代 17~18世紀
すべて京都・大覚寺蔵 通期展示
 
第1会場に入ってすぐ、皆さまをお迎えするのは室町~江戸時代に制作された「五大明王像」。2メートル前後の迫力あるお像で、平成の修理時に不動明王から像内銘文が発見されたことで、今後新たな研究成果が期待されています。
 
会場内を進んでいくと、大覚寺のご本尊でもあり、平安時代後期の仏像の最高傑作のひとつ、重要文化財「五大明王像」がお出まし。
 
重要文化財 五大明王像
明円作 平安時代・安元3 年(1177) 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
作者は円派(えんぱ)と呼ばれる京都を拠点とした流派の仏師・明円(みょうえん)。皇室や上流貴族の仏像を手がけた一流仏師で、現存する作例は本作のみ。この度、東京で初めて5体そろって公開されます。
 
続く第2章では、大覚寺中興の祖と称される後宇多法皇(ごうだほうおう)の事績を通して、大覚寺の中世の様子を紹介します。出家後に大阿闍梨(だいあじゃり:最も位の高い僧侶)となった後宇多法皇は、新たに大覚寺法流を築き、弟子を育てるなど真言密教に篤い信仰心を持っていました。
 
重要文化財 後宇多天皇像
鎌倉時代・14 世紀 京都・大覚寺蔵 前期展示(1月21日~2月16日)
 
本章で公開される2点の国宝は必見。
 
 
国宝 後宇多天皇宸翰 弘法大師伝(ごうだてんのうしんかん こうぼうだいしでん)
後宇多天皇筆 鎌倉時代・正和4 年(1315) 京都・大覚寺蔵 前期展示(1月21日~2月16日)
 
空海の伝記を自ら記した本作品からは、空海を慕う思いの強さが、力強い書体からも感じられます。
 
 
国宝 後宇多天皇宸翰 御手印遺告(ごうだてんのうしんかん おていんゆいごう)(部分)
後宇多天皇筆 鎌倉時代・14 世紀 京都・大覚寺蔵 後期展示(2月18日~3月16日)
 
こちらは後期展示の作品となりますが、崩御前に大覚寺の興隆を願って記した21か条の定めで、冒頭と各条のはじめに朱で手形が押されています。阿闍梨として大覚寺はどうあるべきかを綴った、後宇多法皇の思い入れを体感してください。
 
度重なる火災や応仁の乱によって苦難の時代が訪れた大覚寺。第3章では、南北朝時代以降の大覚寺を支えた歴代天皇や門跡の功績と、それによりもたらされた宮廷文化をご紹介します。
 
源氏物語(大覚寺本)
室町時代・16 世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
清和源氏に代々継承された兄弟刀と伝えられる重要文化財「薄緑<膝丸>」と、重要文化財「鬼切丸<髭切>」(北野天満宮蔵)の同一ケース内展示も見逃せません。
 
(左)重要文化財 太刀 銘 忠(名物 薄緑〈膝丸〉)(たち めい  ただ(めいぶつ うすみどり〈ひざまる〉))
鎌倉時代・13 世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
(右)重要文化財 太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸〈髭切〉)(たち めい やすつな(おにきりまる〈ひげきり〉))
平安~鎌倉時代・12~14世紀 京都・北野天満宮蔵 通期展示
 
第4章は、第1会場の終わりから第2会場全体をつかって、襖絵や障子絵などの障壁画群を一挙にご紹介します。大覚寺に伝わる約240面におよぶ障壁画は、安土桃山~江戸時代に制作されました。これらは一括して重要文化財に指定され、本展では前後期合わせて123面を展示します。
 
第1会場の障壁画展示風景
 
これら障壁画の多くを手がけたのは、狩野派を代表する絵師・狩野永徳の右腕として活躍した狩野山楽。空間を作り込む永徳の画風を引き継ぎつつ、写実性と装飾性のバランスに優れた山楽の才能は、「牡丹図」にも存分に発揮されています。
 
重要文化財 牡丹図
狩野山楽筆 江戸時代・17 世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
総長約22メートルにおよぶ圧巻のパノラマビューをご堪能ください。
 
 
重要文化財 紅白梅図(部分)
狩野山楽筆 江戸時代・17 世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
生命力あふれる優美な梅の姿を描いた「紅白梅図」は、山楽の最高傑作のひとつ。
 
重要文化財 松鷹図(部分)
狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代・16~17 世紀 京都・大覚寺蔵 前期展示(1月21日~2月16日)
 
松の巨木の力強さに永徳からの影響がうかがえる一方、より計算されて整った山楽らしい画面づくりも感じられます。
 
いずれの障壁画も子育てをしたり、番(つがい)で飛んでいたりする鳥や花々が描かれ、夫婦円満を願うおめでたい雰囲気が感じられます。迫力ある画面の中にも調和と華やかさがあり、この場を寿ぐような祝福された空間を会場で体感してください。
 
重要文化財 牡丹図(部分)
狩野山楽筆 江戸時代・17 世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
第2会場では通常非公開の正寝殿のうち、歴代門跡の執務室であった「御冠(おかんむり)の間」を再現。障壁画とこちらの再現展示は撮影可能なので、記念撮影もお忘れなく。
 
正寝殿「御冠の間」の再現展示
 
前期展示は2月16日(日)まで、後期展示は2月18日(火)~3月16日(日)です。
なお、本展の音声ガイドは、俳優の吉岡里帆さんがナビゲーターをつとめるほか、ゲーム「刀剣乱舞」で「膝丸」、「髭切」の声を担当する声優の岡本信彦さん、花江夏樹さんがゲストナレーターとして登場します。観覧とあわせてお楽しみください。
 
音声ガイドの案内パネル
 
東博史上最大規模となる障壁画が、一挙公開となるまたとない機会。
春の訪れとともに、ぜひ大覚寺展へ足をお運びくださいませ。

カテゴリ:「大覚寺」

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posted by 田中 未来(広報室) at 2025年01月24日 (金)