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特集陳列「動物埴輪の世界」の見方3─鳥形埴輪・水鳥編

今回の特集陳列「動物埴輪の世界」(平成館考古展示室、2012年7月3日(火)~10月28日(日))では、鶏形埴輪に続き、水鳥形埴輪が“群れ”るように展示されています。
水鳥は鶏などと違って特定の種を指す言葉ではなく、ガン・カモ類やサギ・ツル類など多くの種類を含んでいます。
主に海で生活する海鳥に対して、河川や湖沼といった内陸の水辺で活動する鳥の総称で、多くはいわゆる渡り鳥です。

埴輪の鳥は、数種類の水鳥が造り分けられていますが、その意味はどのようなものでしょうか?
それにはまず、水鳥形埴輪に写された鳥の種類を知る必要がありますが、どこで見分けることが出来るのでしょうか?

水鳥形埴輪全景
水鳥形埴輪全景

鳥の姿や体型は、ひとえに鳥たちの生活ぶり(生態)に深く関わっています。
さまざまな姿は、(すべての動物がそうですが)主に動物たちの“死活問題”である餌の獲得(捕食)に強く結びついています。

とくに、嘴(クチバシ)とその活動を支える脚は、捕食の対象(食性)によってそれぞれに有利な形態に進化を遂げ、種類毎に特有な特徴をもっています。
これらは遠目に見ても、鳥を見分けるもっとも特徴的な要素で、種類を見極める最大のポイントです。
このような水鳥の生態に適応した体型や嘴・脚などの特徴と水鳥形埴輪の特徴を比較することで、いくつかの種(モデル)が想定されています。


鳥類の嘴と脚 [現代新百科事典4「足とくちばし」:学習研究社1966年より]

まず、嘴と脚から見てゆきましょう。
いずれも平たい嘴をもち、なかには鼻腔が表現されているものも少なくありません。
眼は、竹管や棒状の工具でシンプルに表現されています。
また、脚先を確認できる例では、水掻きの表現をもつことが判ります。

体型はおしなべてふっくらとした胴体をもち、それに長い頸と上を向いた短い尾羽が表現されています。
平たい嘴と水掻きをもつ脚や短い尻尾など、身近な動物ではマガモを家禽に品種改良したアヒル(家鴨)にそっくりです。
とくに、前列中心に置かれた大型の鳥形埴輪は、(胴体付け根部分から頭部までしかありませんが)大ぶりのしっかりとした膨らみをもつ頭や眼の表現、しなやかにゆったりと延びる頸部や細やかな羽部の線刻文様など出色の造形で、鳥形埴輪としても最大級の逸品です。


鳥形埴輪の嘴(1~4・7)と脚(5・6)
1~3・5:埴輪 水鳥 大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土 古墳時代・5世紀
4・6:埴輪 水鳥  埼玉県行田市埼玉出土  古墳時代・6世紀 (個人蔵)
7:埴輪 鶏 栃木県真岡市京泉塚原 鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀 (橋本庄三郎氏他3名寄贈)

やはり、これらの水鳥形埴輪は水面を泳ぎながらの活動に適したガン・カモ類の水鳥の特徴をよく捉えた造形といえそうです。
そういえば、アヒルをモデルにしたキャラクターの人気者、ディズニーのドナルド・ダックを想い起こさせますね。

一方、この中に“一羽”、一風変わったポーズの水鳥形埴輪に眼が止まります。
頸部から上を欠いています(判りにくくて恐縮です)が・・・よく見ると、頸部はかなり太めで、しかもまっすぐに斜め上を向いています。脚にはやはり水掻きが表現され、止まり木に掴まっていることが眼を惹きます。
決定的なのは、頸部にはどうやら蝶結び(!)の紐が表現されているようで、野生の鳥ではないことは云うまでもありません。

鵜形埴輪
鵜形埴輪 古墳時代・5世紀 大阪府茨木市太田茶臼山古墳出土 宮内庁蔵
(左:側面、中:背面、右:止まり木と水掻きのある脚)


実は、1990年代になってこのような水鳥形埴輪は、鵜飼いの鵜の姿を象った埴輪であることが明らかとなりました。
群馬県高崎市保渡田八幡塚古墳では、高く挙げた嘴に(ナント)魚を咥(くわ)えている例が見つかり、まさに「ウ飲み」する一瞬の姿を写した鵜形埴輪であったことが判りました。
しかも、頸部には鈴をあしらった紐が巻かれ、鵜飼の場面を表現した儀礼的な造形であるらしいことも注目されました。
鵜飼いはまさに人間社会の中に組み込まれた動物ですから、他の野生の水鳥を象った埴輪とはまったく異なった役割を果たしていたことでしょう。(詳しくは次回のテーマ:狩猟の埴輪で解説する予定です)


鵜形埴輪実測図(群馬県保渡田八幡塚古墳出土)
[若狭徹論文 2002『動物考古学』19、動物考古学研究会より]


すると、水面を浮かびながら泳ぎ回る自然の姿を彷彿とさせるガン・カモ類を象った水鳥形埴輪は、どのような意味をもっていたのでしょうか?

8世紀に成立した『記紀』『風土記』には、次のような不思議な物語が残されています。

    『日本書紀』垂仁天皇二十三年九~十月条
「[前略] 誉津別王(ホムチワケノミコ)は、是(コレ)生年(ウマレノトシ)既に三十、[中略] 猶(ナホ)泣つること兒(ワカゴ=幼児)の如し。常に言(マコトト)はざること、何由(ユヘ)ぞ。 [後略]
誉津別皇子侍り。時に鳴鵠(クグヒ)有りて、大虚(オホゾラ)に度(トビワタ)る。皇子仰ぎて鵠(クグヒ)を観(ミ)て曰(ノタマ)はく、「是何物ぞ」とのたまふ。天皇(スメラミコト)、皇子の鵠を見て言(アギトフ)ふこと得たりと知(シロ)しめして喜びたまふ。[後略]」

鵠(クグヒ)は白鳥の古名です。
特別な存在の貴種として期待されて育てられたホムチワケノミコの伝承は、言葉を話せなかったホムチワケが、空高く飛ぶ白鳥の姿を見て魂を揺さぶられ、言葉を取り戻すという物語です。
ほかに、あのヤマトタケルが伊吹山の神との戦いに破れ、命を落とした時、白鳥となって飛び去ったという『記紀』にみえるよく知られた物語を思い出された方も多いと思います。
古代においては、鳥は人間の魂と深く関係していたと考えられていたようです。

一方、このような存在を「見る」ということについては、もう一つ興味深い記録があります。

    『万葉集』巻1、第36番歌
「(持統天皇が)吉野の宮に幸しし時、柿本朝臣人麿の作る歌
やすみしし わが大王(おほきみ)の 聞(キコシ)めす 天(アメ)の下に [中略]
水激(ミナタギ)つ 滝の都は 見れど飽(ア)かぬかも」

7世紀の古代国家成立前夜、壬申の乱(672年)を勝ち抜いた夫・天武天皇の後を継いで即位した持統天皇は、短い在位(687~696年)中に31回も吉野を訪れています。
これは当時、神仙世界とも考えられ、後に修験道の聖地ともなる深山の激流を「見る」ことによって魂が揺さぶられ、底知れない自然の力を身に着けるためであったという説が有力です(一見涼しそうですが・・・、イヤ暑い“夏場”ばかりではないのですから真剣です)。

亡き夫・天武の意志を継いだ女帝持統の並々ならぬ覚悟が伝わってくるようです。
古代の人々は白鳥や激流といった生命力の根源のような存在から、普段身近に存在しないパワーを取り入れる手段として、「見る」という呪術的行為にあくなき情熱を燃やしていたようです。

今回の展示では残念ながら欠いているのですが、弥生時代の銅鐸にも登場する細長い嘴と長い頸や脚をもつ、ツル・サギ類を象ったと考えられる水鳥形埴輪は、古墳時代後期の6世紀にならないと出現しません。
これらの埴輪が現れた頃には、同じ墳丘に多数の人物・動物形埴輪が賑やかにたて並べられた時期で、おそらくこれまでご紹介したガン・カモやウ形のような鳥形埴輪とは、まったく違った物語(性格)を背景にもった造形にちがいありません。

ツル・サギ類の絵画(銅鐸)、鵜と魚の絵画(銀象嵌大刀)
左:ツル・サギ類の絵画(国宝 袈裟襷文銅鐸 伝香川県出土 弥生時代(中期) 前2~前1世紀)
右:鵜と魚の絵画(国宝  銀象嵌銘大刀 熊本県玉名郡和水町 江田船山古墳出土 古墳時代・5~6世紀)



いずれにしても、水鳥形埴輪は当時の人々の“想い”を反映した造形であったようです。
季節毎に現れる渡り鳥が大空を高く飛ぶその姿は、いつの時代でも人々の憧れや想像力を掻き立てたことでしょう。
野生であれ、家禽であれ、これらの鳥たちは人間の(勝手な想像に違いありませんが・・・)世界観や社会の一部を“体現”してきた動物で、いわば当時の人々の心象風景であったのかもしれません。

埴輪の鳥たちと向かい合う(「見る」)ことによって、(ほんの一瞬でも・・・心を開放して)当時の人々の想いに少しでも近づいて「パワー」を受け留めて頂ければ幸いです。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2012年09月01日 (土)

 

特集陳列「動物埴輪の世界」の見方2─鳥形埴輪・鶏編

夏休みを挟んで開催される今回の特集陳列「動物埴輪の世界」(平成館考古展示室、2012年7月3日(火)~10月28日(日))は、大人から子供まで多くの皆さんに是非、ご覧頂きたいと思っています。
前回のブログで説明しましたように、展示は主に鳥形埴輪 →猪・犬形埴輪 → 馬形埴輪の順に構成されていますが、今回はこのうち、最初に“群れ”をなすように展示されている鳥形埴輪についてご紹介します。

猪・犬や馬はいわゆる4つ足の哺乳動物ですが、爬虫類から進化したと考えられる鳥類は四肢のうち、前肢を大きく変化させて、地上から空に活動の場を拡げた動物の代表です。
その活動は空中はもちろん水中や地上にと、(マサに・・・)“飛躍的”に拡がったため、多様な環境に適応した実にさまざまな姿を獲得した動物でもあります。

埴輪の鳥は、このうちいくつかの種類が表現され、明確に造り分けられています。
その訳(理由)はおいおい触れるとして、まずは鳥形埴輪の種類を見ておきましょう。

「動物埴輪の世界」展示風景
鳥形埴輪展示部分(左から:鶏形・水鳥形埴輪)

埴輪の鳥には、主に地上で暮らす鶏と、水上を主な生活の舞台にする水鳥を象ったものがあります。
このうち、鶏形埴輪は古墳時代前期(3世紀後半~4世紀後半)には出現し、実はすべての形象埴輪のうち、家形埴輪と並んでもっとも早く出現します。水鳥形埴輪は古墳時代中期(4世紀末~5世紀末頃)からしか認められません。他に、6世紀以降には猛禽類の鷹形の埴輪も造られました。

一方、鶏形埴輪は埋葬施設が設けられた古墳の墳頂部から出土するのに対し、水鳥形埴輪はしばしば古墳の周濠に築かれた中島などから出土します。
一口に鳥形埴輪といっても、埴輪としての意味と役割は複雑で、その性格は大きく異なっていたことが窺えます。また、いずれも人物埴輪や他の動物埴輪よりいち早く出現することも注目されます。

それでは、最初は鶏形埴輪から見てゆきましょう。
展示ケースの一番はじめに、スッと伸びる円筒部上に美しい姿を見せているのは、栃木県鶏塚古墳の鶏形埴輪です。この埴輪が出土したことで、古墳の名前が付けられたほどの優品です。

頭部には目立つ鶏冠(とさか)と嘴(くちばし)下の肉髥(にくぜん)が付けられ、大ぶりの尾部などからも、一見して立派な雄鶏(おんどり)を象っていることが判ります。
この古墳には別の鶏形埴輪もたてられていたようで、頭部の特徴からさらに雄鶏と雌鶏が認められ、併せて4羽の鶏形埴輪が出土しています。

鶏形埴輪
埴輪 鶏(写真左・雄鶏)、(写真・左:雄鶏、右:雌鶏) 栃木県真岡市京泉塚原 鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀(橋本庄三郎氏他3名寄贈)

一方、鶏形埴輪のもう一つの大きな特徴は、多くが止まり木を掴んだ脚の表現を伴うことです。前3本、後ろに1本の脚指で止まり木をしっかりと掴み、なかに蹴爪(けづめ)まで表現されたリアルな例もあります。
昼間は地上で活動し、夜間は危険を避けるために高い木に止まる鶏の習性を見事に捕らえた造形と考えられます。
このように見れば、鶏形埴輪は餌を探しついばむ「昼間」の姿ではなく、「夜間」の生態を写した造形といえそうです。

鶏形埴輪実測図(奈良県纏向坂田遺跡出土・4世紀)
鶏形埴輪実測図(奈良県纏向坂田遺跡出土・4世紀)
[清水真一論文1996『奈良県立橿原考古学研究所論集』11より]


これらの特徴から、鶏形埴輪は奈良時代の『記紀』に登場する「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)」の性格と大変よく似ているという説が有力です。

『日本書紀』神代上第七段本文
「[前略] (天照(アマテラス)大神が)発愠(イカリ)まして、乃(スナハ)ち天石洞(アマイハヤ)に入り
まして、磐戸(イハト)を閉(サ)して幽(コモ)り居(マ)しぬ。故、六合(クニ)の内常闇(トコヤミ)に
して、昼夜の相代(アヒカハルワキ)も知らず。[中略] 時に、八十万神(ヤオロズノカミタチ)、天
安河邊に会ひて、[中略] 遂に常世の長鳴鳥を聚(アツ)めて、互いに長鳴きせしむ。[後略] 」

天照大神が弟神の須佐之男(スサノヲ)命の暴虐ぶりに機嫌を損ね、天岩屋戸に隠れてしまってこの世が闇夜となった有名な一節で、困り切った八百万神が集まり知恵を絞って常世長鳴鳥を集めたり、さまざまな祭祀を行った結果、高天原(タカマガハラ=天)と葦原中国(アシハラナカツクニ=地上)に光と秩序が戻った、という日本神話のハイライトシーンの一つです。

ここに太陽を出現させる存在として、常世長鳴鳥(鶏)が登場しています。もちろん神話的な表現ですが、当時の人々にとって太陽の復活と信じられた朝日は、鶏が鳴いて初めて登ると考えられていたことが窺えます。

おそらく、人々は夜明け前に鳴く雄鶏の不思議な能力に畏敬の念を抱き、鶏は太陽神(日神)信仰を支えた時告(ときつげ)鳥として重要視されたことでしょう。
一方、「時の管理」はいつの世でも人々を支配する者の特権です。飛鳥時代の朝廷でも、660(斉明6)年に都城の建設に先駆けて漏刻(ろうこく=時計)が製作され、平安時代に至るまで朝廷が人々に時を知らせたと記録されています。
鶏形埴輪は首長の祭祀権と支配権の象徴として、いち早く形象埴輪群の中心として製作されたようです。

鶏形埴輪
埴輪 鶏(左・雄鶏) 群馬県伊勢崎市赤堀今井町毒島995 赤堀茶臼山古墳出土 古墳時代・5世紀
鶏形埴輪展示全景(右

キジ科の鶏は、紀元前5000頃にはすでに中近東やエジプトで飼われ、紀元前2000年以降にはインド、中国でも前漢代(BC.3~AD.1)には家禽として相当普及していたことが知られています。
日本列島では、鳥形土製品・木製品や骨格資料などによって弥生時代から確認できますが、食肉・採卵用の実用種は江戸時代以降の輸入種で、名古屋コーチンなどのいわゆる地鶏は、明治~大正年間に輸入された中国原産種と日本古来の在来種の品種改良によってつくられた品種です。

動物学の分類では、在来種はすべて鑑賞用などの非実用種に限られるといいますので、日本列島では永らく人間社会に深く関わる動物として位置づけられてきたようです。
今年も猛暑が続き夏も真っ盛りですが・・・、ビールのお供に焼き鳥(♪~)という「定番」はごく最近に成立した風景で、現代人の“常識”だけでは古代の鶏の姿はなかなか見えてこないようです。
是非“先入観”を振り払って、これらの鶏たちを虚心に見つめて頂ければ、我々の祖先の視線に一歩でも近づいて頂くことができるのではないかと思います。

次回は、水鳥形埴輪についてご紹介します。


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カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2012年08月20日 (月)

 

特集陳列「動物埴輪の世界」の見方1

平成館1階の考古展示室で2012年7月3日(火)から「特集陳列 動物埴輪の世界」がオープンしました。

   特集陳列 動物埴輪の世界 展示の様子  特集陳列 動物埴輪の世界 展示の様子

埴輪は当館の代表的な展示品の一つですが、とくに人物・動物埴輪は大変人気があり、多くの来館者の方にご覧頂いています。今回は、なかなか一度に展示する機会がない動物埴輪を一同に展示して、ご紹介致します。

本展示は、おおきく3つのテーマで構成されています。最初は鳥形埴輪、次に犬・猪形埴輪と馬形埴輪、最後に参考として動物装飾が付いた須恵器を展示しています。
古墳時代の人々の動物に対する考え方はどのようなものだったか。埴輪や装飾付須恵器などの造形から、古墳時代の人々の心に近づいてみたいと思います。


ところで、1997年に公開された映画「もののけ姫」をご覧になった方も多いと思います。森を侵す人間たちと森を守る神々との対立を軸に物語は展開して、人間と自然との共生について考えるというのが映画のテーマになっています。

この映画を神秘的なものにしているのは、森を守る神々が巨大な猪や山犬(狼)などの「もののけ」で表現されていることです。彼らは齢(ヨワイ)数百歳で、神と化した動物たちです。

「もののけ姫」は日本では興行収入が193億円を突破する大ヒットとなりましたが、外国では日本ほどの評判とはならなかったようです。
動物が神であることや神が絶対的な存在ではないという世界観が、なかなか受け入れられなかったのではないかと考えられます。逆に言えば、日本人の心の中には、森や野に生きる様々な動物たちを神として認めることができる感性があるといえるのではないでしょうか。

「もののけ姫」の世界にすんなりと入っていける現代日本人の感性と、動物埴輪に託された古墳時代の人々の思考。今回の展示を通じて、1500年という時間を隔てて共通する何かを感じて頂けたら幸いです。


少し堅苦しい話になってしまいましたが、動物埴輪の面白さや興味深い点は本ブログや列品解説でも、順次ご紹介してゆきたいと思います。
素直な眼で見れば動物の埴輪はじつに可愛いので、まずは楽しんでご覧くだされば十分です。


関連事業のお知らせ
列品解説 「動物埴輪の世界」
講師:山田俊輔(考古室研究員)
2012年7月31日(火)  14:00 ~ 14:30  平成館考古展示室
 

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posted by 山田俊輔(考古室研究員) at 2012年07月17日 (火)

 

公式フィギュアプロジェクト トーハク×海洋堂 『考古学ミニチュア カプセルフィギュア』第1集の販売

がちゃ!

春の扉が開く音が聞こえてきそうですね。トーハクでは、3月20日(火・祝)から4月15日(日)「博物館でお花見を」を今年も開催します!トーハクの春の風物詩として定着したこのお花見企画、今年も多彩な展示とイベントでお客様をお待ちしております。

でも、その日、「がちゃ」っと聞こえてくるのは春の扉だけではないんです。この日、3月20日(火・祝)から、トーハクは140周年を記念して東京国立博物館公式『考古学ミニチュア カプセルフィギュア』第1集を館内で限定発売することになりました。

ガチャガチャ販売機         ガチャガチャカプセル
販売用マシンとカプセル(イメージ)

よりトーハクに親しみをもっていただき、文化財をより身近なものとして感じていただきたいという願いをこめてプロジェクトが開始され、今回はその第1弾となります。
このミニチュアフィギュアは、ガレージキットや食玩などで世界的に有名な株式会社海洋堂製です。教科書でもお馴染みの、古代日本を知るためのトーハク所蔵の考古遺物-土偶、埴輪、銅鐸、土器をもとに6種類制作しました。いずれのフィギュアも当館考古の研究員の細部に渡る学術上の見解、そして「こだわり」をもとに精密に再現されています。
例えば、銅鐸フィギュアに描かれている絵画。ここから弥生人の生活が読み取れる貴重な史料となっております。その中に描かれている人物の頭の形は、男性はまるく、女性は三角で表現されています。今回のフィギュアはそこまでをも忠実に再現され、まさに研究員の細部に渡る見解、「こだわり」が表現されています。ぜひ、「ホンモノ」と見比べてみてください。

販売は館内設置のがちゃがちゃマシンから「カプセルトイ」が出てくる形式で、中身は硬貨を入れてレバーを回してからのお楽しみとなります。

フィギュア
「考古学ミニチュア カプセルフィギュア」第1集
左から、
人面付壺形土器
遮光器土偶
埴輪 踊る人々(小)
埴輪 踊る人々(大)
袈裟襷文銅鐸
埴輪 犬
高さ:約4cm~7cm

ご来館の際には、是非、お目当てのミニチュアフィギュアを狙って、ドキドキワクワクでレバーを回してみてください。

設置場所:本館 地下1階ミュージアムショップ
              平成館2階 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」会場ショップ
              平成館1階 考古展示室入口

※2012年秋には、『考古学ミニチュアフィギュア』第2集と絵画立体化フィギュアプロジェクトの開始を予定しています。こうご期待!

カテゴリ:トーハク140周年考古

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posted by 内誠(総務課) at 2012年03月16日 (金)

 

「古墳時代の神マツリ」のミカタ(見方・味方…) 4

特集陳列「古墳時代の神マツリ」(~2012年3月11日(日))も、あと残すところ半月足らずとなりました。

これまで、祭祀遺跡の移り変わりから「当時の人々の神々に対する観念が次第に豊かになっていった過程」がうかがえることをお話しました。
なかでも、三輪山西麓の山ノ神祭祀遺跡(4~5世紀)出土の土製模造品を採り上げ、有名な奈良県三輪山神の性格が酒造りと深く関係しているとみられることをご紹介しました。
また前回は、自然に対する当時の人々の姿勢(意識)を映し出していると考えられる奈良時代の“証言”(伝承)から、その背景に意識の変化が垣間見えることもご紹介しました。

一方、祭祀遺物と古墳の副葬品の間に、著しい共通性が認められることは大きな“謎”でした。
この問題のヒントを探るには、やはり出土した当時の人々が使用した祭祀遺物そのものを見つめるほかはなさそうです。


最初に、ほかにも本特集陳列にかかわりが深い常設展示品をご紹介します(第2図C・D)。
 
考古展示室配置図(第2図) (右)左画像の赤枠で囲った部分の拡大部分

一つ目は、岡山県楯築遺跡(2~3世紀)にあった旧楯築神社の御神体・旋帯文石(模造品:D)です。単独で配置され、ひときわ存在感を放つオリジナルの低いケースに展示されています。
 
模造 旋帯文石(左:左側面、右:正面) 原品=岡山県倉敷市 楯築神社 伝世、弥生時代(後期)・2~3世紀 (通年展示) 

楯築遺跡は全長80mを越える弥生時代終末頃の最大の墳丘墓で、同じ頃、九州から関東地方の各地でも、大規模な墳丘をもったさまざまな形の墳丘墓が発達します。これらは古墳時代の前方後円墳の源流と考えられています。
楯築遺跡の発掘調査によって、大変よく似た文様を施した小形旋帯文石が出土したことから、この旋帯文石も楯築遺跡にあったと考えられています。

扁平な略直方体の一方にぼんやりと顔のような表現があり、その他は規則的で立体的な複雑な帯状の文様で埋め尽くされ、ずいぶんと窮屈な印象を与えています。
あたかも内側の存在を封じ込めるような造形で、内に秘めた大変なパワーを感じさせます。人間からみた超自然的な存在を表現したものとも考えられていて、“得体の知れない”存在を縛りつけているかのようです。
あの奈良時代の伝承に語られていたような、人々が逃げ惑い畏怖の対象としていた「荒ぶる神」の姿を想い起させますが、如何でしょうか?。


二つ目は、「宝器と玉生産の展開」(テーマ展示C)の群馬県上細井稲荷山古墳(5世紀)から出土した滑石製機織具です。

滑石製機織具 前橋市上細井町字南新田1146-1 群馬県上細井稲荷山古墳出土 古墳時代・5世紀 (通年展示)

機織技術は弥生時代に大陸から伝来し、この滑石製機織具は織り手と一体となった地機を写した造形とみられます。
実は、本特集陳列の解説パネルでご紹介している福岡県沖ノ島祭祀遺跡群(4~7世紀)でも、多くの模造の機織具が出土していて注目されています。                       


沖ノ島は記紀にも登場し、宗像大社の沖津宮(オキツミヤ)として、大島の中津宮(ナカツミヤ)と辺津宮(ヘツミヤ)の宗像大社と併せて、市杵嶋姫(イチキシマヒメ)神・田心姫(タゴリヒメ)神・湍津姫(タギツヒメ)神の三女神を祀っています。
出土した祭祀遺物は、これらの女神の性格を表していると考えられています。
    『日本書紀』神代上第6段一書二
    「すでにして天照大神、[中略]吹き出つる気噴(イブ)きの中に化生(ナ)る神を、市杵嶋姫神と号(ナ)づく。
      是(コ)は遠宮(沖津宮)に居します神なり。
      [中略]田心姫神と号(ナ)づく。是(コ)は中宮(中津宮)に居します神なり。
      [中略]湍津姫神と号(ナ)づく。是(コ)は海濱(辺津宮)に居します神なり。」

また、誰もがご存知の三重県伊勢神宮も女神の天照(アマテラス)大神を祀っており、記紀神話で語られる(暴れん坊の)弟神のスサノオとのトラブルが高天原の斎服(イミハタ=忌機)殿で起こった事件であることは有名です。
平安時代の記録では、伊勢神宮の御神宝には鏡・武具・楽器などと並んで、多くの機織具が用いられています。

沖ノ島祭祀遺跡や伊勢神宮の機織具の祭祀具が姫神である女神の性格を反映しているという見解は、多くの研究者が指摘するところです。
三輪山の山ノ神祭祀遺跡では酒造具、沖ノ島祭祀遺跡では機織具と、祀られる神さまの性格によって、5世紀頃からはやはり(神さまの性格に合わせて・・・)神マツリの道具の“使い分け”が始まっていたようです。


最後に注目して頂きたいのは、今回の特集陳列の中央部分と、「宝器と玉生産の展開」(テーマ展示C)で展示している古墳時代中期(5世紀)の履物形の滑石製模造品です。


滑石製下駄 京都市西京区大原野 鏡山古墳出土 古墳時代・5世紀 (通年展示)
鼻緒の孔も開けられ、ちゃんと左右共に専用に造られた精巧なつくりです。東京都野毛大塚古墳と京都府鏡山古墳出土品は、共に下駄形模造品を含む滑石製模造品の代表的なものです。

いずれも下面に下駄の歯の突起が付けられていて、近年、古墳時代に遡る木製下駄の発掘が相次いでいます。
出土遺跡は水を濾過する沈殿槽のような装置と祭祀遺物を伴い、何らかの儀礼の場で使用されたとみられる例が多いことが特徴です。まだ解釈には諸説(せっかく得られた清水を汚さない為?など)がありますが、水を使った儀礼の場で使用された履物である可能性が高いようです。

(あくまでも憶測の一つですが・・・)木製下駄は水を用いた儀礼の場において中心的な人物が使用した道具と考えられますので、機織具や酒造具も儀礼を行った人間の道具であった可能性が高いと言えそうです。
こう考えれば、これらの石製模造品は使用者側の道具を写したものということになり、古墳の副葬品が生前の被葬者の性格を表しているという通説とも整合的ですね。

そういえば、伊勢神宮の天照大神も、元の名前(本名・・・)は大日靈貴(オオヒルメノムチ)と呼ばれていて、太陽神を祀った巫女(日女:ヒルメ)が神格化されていった過程が反映しているという説が有力です。
    『日本書紀』神代上第4段一書十
    「[前略]是(ココ)に、日の神を生みまつります。大日靈貴と号(マウ)す。一書に云はく、天照大神といふ。」

ギリシャ神話のディオニッソス(ローマ神話ではバッカス)もそうですが、やはり神さまは酒造りを司る(のと召し上がる?)のが“専門”ですので、自分で造って自分で賞味し(飲んだくれ?)ているのは、人間だけかもしれません・・・。


これまで見てきましたように、古墳時代の祭祀遺物には、我々祖先の神に対する畏怖の気持ちや自然に立ち向かっていった汗と努力の痕が遺されているように思えます。
その道筋には、4~5世紀頃に大陸伝来の“ハイテク”技術を身に付けて「先史文化」を急速に “近代化”させていった古代国家成立前夜に、次第に神マツリを変貌させていった我々の祖先の姿が浮かび上がります。

展示全景(左から:古墳時代前期・中期・後期の祭祀遺物)

しかし、前回ご紹介した奈良時代の伝承の中で、(あろうことか…)ついには神さまを追い払うという“暴挙”に出た壬生連(ムラジ)麿の「言挙(コトアゲ)」は、少々行き過ぎであったようです。
それは、1300年以上後の現代に暮らす我々自身が、決して自然を克服できていないことからも明らかです。
第2次世界大戦後の日本の高度経済成長期にも、どこか通ずるものを感じますが如何でしょうか。

今回の展示を通して、遠い過去に生きた我々の祖先が大自然の中に神の姿を見つめた視線に想いを馳せて頂くと、(現在のエコを考える上でも・・・)一味違った「見方」でもう一度自然を見つめ直すことができるのではないでしょうか。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2012年03月02日 (金)