アフガニスタン展もいよいよ終盤ですね~。この特別展では企画担当グループ(ワーキング)として参加し、特に展示作業ではティリヤ・テペという遺跡から出土した黄金製品を担当しました。「ティリヤ・テペ」とはウズベク語で「黄金の丘」を意味します。その名の通り、この遺跡で発掘された6つのお墓からは、大量の黄金製品が出土しました。この特別展はその全貌を日本で初公開するものでもあります。
黄金だから価値がある!という考えで調査や研究をやっているわけでは決してないのですが、それにしてもやっぱり金ってすごいな~と、展示をしながら感動した次第です。まばゆく、そして柔らかくもある輝きと存在感!黄金の工芸品には展示空間を支配する「力」が備わっています。おかげさまで連日多くの皆様にお越しいただいており、本物がもたらす感動を持ち帰っていただけたら幸いです。
さて、今回はそんな担当者から、作業中に驚いたお話をしたいと思います。まずはこちらの金製品。ティリヤ・テペ1号墓から出土した「イルカをかつぐ人物文飾板」(作品№36)。
マフラーのように首にまいているのが「イルカ」なんです。ベトベトしそうですね・・・。さて、この作品のうら側ですが、ひっくり返すと形にあわせて凹んでいるのがわかります。
つまり型の上からうすい金板をあて、叩いて打ち出したということですね。法隆寺宝物館で展示している押出仏も同じ作り方をしています。
ところがこちら、「靴留金具」(作品№106 ティリヤ・テペ4号墓出土)は違うんです。
この作品、打ち出しているのではなく、黄金を鋳造しているんです。つまり金無垢!靴につけるにしてはずいぶん豪華な金具ですね~。面白いのは裏側に織物の痕跡がみえていること。それも後からくっついたものではなく、痕跡ごと鋳造されているんです。
どうしてこんなことになったのか?ちょっとイメージするのが難しいですが、次のような手順が想像できます。
1. 平らにのばした粘土の上に織物を敷く(これは型が粘土から外しやすいようにするため)。
2. 布のうえから型を押し当て、金具背面の鋳型を形作る。
3. 布をはがし、凹みに融けた蝋を流して、細かな造形を作る。
4. 上から粘土を被せて熱し、中の蝋を流してしまう。
5. 蝋が流れでた後の空間に金を流し込む。
こうすると、金具の背面に織物の痕が残りますよね?実際にどう作ったのかは分かりませんが、うら側を見ると作り方も想像できて楽しいです。
次に驚いたのが「戦士像留金具」(作品№79 ティリヤ・テペ3号墓出土)の精巧な出来栄えです。
今回展示している作品のなかで、最も細密な出来栄えと感じている作品です。鎧をまとい、槍と楯をもった戦士の姿で、その顔は側面から捉えられています。薄い打出しの作品なので、当然この顔も片面のみと思いきや!実は正面からはパッと見えない反対側の顔まで表現されているんです。
ちょっと見えにくいですが、みなさんも会場で覗き込んでみてください(特にこの作品は見えやすいように、ケース前面に展示しました)。本当にこんな素晴らしい作品に出会えて感動しました。
短いブログではまだまだ話しきれませんが、この特別展には古代アフガニスタンにおける工芸美術の素晴らしさが溢れています。会期終了まであと3週間あまり!残された黄金の機会をお見逃しなく!!
カテゴリ:研究員のイチオシ、2016年度の特別展
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posted by 三田覚之(教育普及室・工芸室研究員) at 2016年05月27日 (金)
こんにちは、保存修復室の瀬谷愛です。
5月17日(火)の公開以来、多くの皆様がマンショ君に会いに来てくださっています。ありがとうございます!
バナーがババーン!
本館7室は、いつもとちがう雰囲気です。
マンショ君。皆様のイメージどおりでしたでしょうか。
それとも、意外とイケメン? 平たい顔族じゃない? 画家のフィルターがかかっている?
色々なご意見があると思います。
歴史上の人物たちはどんな顔をしていたのか?
写真のない時代について、肖像画はその問いに答えてくれます。
ですが、肖像画を発注できる人は高位の人物だけ。
経済的な問題だけでなく、その肖像を残すだけの地位、価値、意味がないといけません。
伊東マンショも、もし使節としてヨーロッパに行かなければ、その姿が描かれることはなかったでしょう。
さらに、伊東マンショの肖像については、
5月18日(水)九段下のイタリア文化会館で開かれたシンポジウム「イタリアと日本、初めての出会い」で発表された、ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学セルジオ・マリネッリ教授のお話によれば、
「1577年、ヴェネツィア元老院の大部分が大火災によって焼失し、会議室を飾る絵画を補う必要があった。とくに、ヴェネツィア共和国の威容を誇示するような、海外使節団の絵画を。」
ということなのです。
感動しました・・・マリネッリ先生のお話が始まって、たった3分で。
例えば、ドゥカーレ宮殿に伝わる、ヴェロネーゼによる「ニュルンベルグからの使節団の絵」や、同じくヴェロネーゼ工房による「ペルシャ使節団の絵」などと同様に、多くの国との交流を表す、象徴的な絵画が必要だったというわけです。
そこへ、地球の裏側から、日本人がやって来る、ヤア、ヤア、ヤア!
描かないわけには参りませんよね。
伊東マンショの肖像
ドメニコ・ティントレット筆 1585年
ミラノ、トリヴルツィオ財団 Fondazione Trivulzio - Milano
では、この肖像は、肖像画制作のどの段階にあるものなのでしょうか?
その問いには、次のような結論でした。
「ドメニコ・ティントレットの肖像画の描き方というものがある。大きな肖像画を描く際、まず、個別に「下絵」を作り、集団肖像画に転写した。像主を前にしてほぼ下書き無しでサッと描かれて、フレッシュな印象になる。そして、大きな肖像画に転写するのは、工房の画家の仕事であるから、クオリティは低下する。伊東マンショの肖像は、大きな絵から切り取ったものではなく、ドメニコ自身による、この「下絵」の肖像画であろう。完成した絵であるとともに、より大きな絵の「下絵」ともいえるものだ」
感動しました・・・最初の感動から7分後。
まさに、これぞ、美術史講義の醍醐味です。
「ティントレットが描いた」と聞けば、美術好きの方はたいへん驚かれるでしょう。
そして、「息子のドメニコ」と聞くと、「なんだ、息子か」と。
しかし、いわゆるティントレットは、16世紀ヴェネツィアで非常に大きな工房を構えており、受注した絵画は工房で制作していました。先生によれば、「父の陰に隠れがちであるが、ドメニコは非常に優れた肖像画家だった」そうです。
伊東マンショが描かれた1585年、父ヤコポは69歳になっており、この頃には息子のドメニコ(25歳)が多くを製作していたと考えられています。
16歳のマンショと25歳のドメニコ。
東西の若者の結晶が、ここにあるのです。
最後に、立派な集団肖像画になるはずのものが、なぜ完成しなかったのか?
「1598年、ローマ教皇庁がフェラーラ公国を教皇領とし、ヴェネツィア共和国の自治も終わらせようとした。これにより教皇庁とヴェネツィア共和国の対立が深まり、1602年、イエズス会は以後40年間にわたってヴェネツィアから追放された。イエズス会の象徴でもあった天正遣欧少年使節の肖像画は、これにより注文が取り消されたのだろう」
ということでした。
こうして、ティントレット工房に残された伊東マンショの肖像は、17世紀初頭のファッションに描き変えられ、やがて売却された、というわけです。
このたいへん壮大なドラマを知った後でマンショ君を見ると、「苦労したね・・・」とまた嘆息がもれます。
一度ご覧になった方も、以上をふまえましてもう一度、ご覧いただけますと幸いです。
展示情報
特別公開「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」(2016年5月17日(火)~7月10日(日)、本館7室)
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posted by 瀬谷 愛(保存修復室主任研究員) at 2016年05月26日 (木)
トーハクくんがゆく!「 トーハクのお客様にいっぱい会ったほ!」
ほほーい!ぼくトーハクくん!
5月18日は「国際博物館の日」、その日はトーハクの総合文化展がタダで見れたんだほ、トーハクは太っ腹だほー。
いっぱいお客さまがくると思って、ぼくとユリノキちゃんはみんなに会いにいったんだほ。
この前の黒田清輝展10万人セレモニーに出たり京都にトラりんに会いにいったりはしてたんだけど、トーハクのお客さまとはちゃんとご挨拶できてなかったんだほ。ユリノキちゃんと2人でお客さまに会うのも初めてだったんだほ。
その日は天気もとってもよくて気持ちよかったほ。たくさんのお客さまからも可愛いって言われたし、写真もいっぱい撮ってもらったんだほ。やっぱり直接お客さまと触れ合うのは楽しいほー。
実は「ゆるキャラ(R)グランプリ2016」にユリノキちゃんと一緒にエントリーしたんだほ。18日はけっこうチヤホヤされたしちょっと調子にのってきたほ、みんなも応援よろしくだほ!
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posted by トーハクくん at 2016年05月21日 (土)
東洋館の8室では日頃から「中国文人の書斎」というテーマで明・清時代の文人の書斎をイメージした展示をしています。たとえば筆・筆筒・硯・石印などの文房具を、ただ単に展示ケースのなかに並べるのでなく、大型ケースのなかに机や椅子を置いて、その机の上に実際に使うような感じで文房具を配置するような試みです。いつもは机の上に置く作品について考えたり選んだりするのに努力するのですが、今年の春は、机や椅子についても立派なものを並べることができました。それは上海博物館が所蔵する中国家具です。
中国では、唐時代ころから背の高い机や椅子を使った生活をするようになり、明時代には世の中が豊かになって生活が充実したのと、貿易が活発になったこともあって、外材を用いた格調の高い家具が作られました。日本には古くから中国の美術品や工芸品がもたらされ、それらを唐物(からもの)などといって珍重していましたが、日本の伝統的な屋内の生活というのは履物を脱いで畳のうえで背の低い調度品を用いる生活なので、唐物といっても小さな道具が多く、大きな家具はあまり伝わりませんでした。そんなこともあって東京国立博物館では中国家具をほとんど所蔵していないのですが、このたびは上海博物館の名高い中国家具のコレクションをお借りして展示することができたのでした。
黄花梨平頭案 明時代・17世紀 上海博物館蔵
2016年8月28日(日)まで展示中
東京国立博物館にトーハクというニックネームがあるように、上海博物館(シャンハイポーウークヮン)にはシャンポーというニックネームがあり、お互いに「トーハク」とか「シャンポー」とか呼び合う長く親しい交流があり、その友情によって今年の4月から1年のあいだ、シャンポーが所蔵する陶磁器・染織品・青銅器・仏像・家具などの優品を代わる代わる展示させてもらう話が実現したのでした。中国家具とひとことに言っても、明時代のものは淡雅で平明であるとか、清時代のものは重厚で装飾的であるといった特徴があります。それで4月から8月までは明時代の家具を、そして9月から10月までは清時代の家具を展示して、代表的な中国家具を御覧いただくことを考えています。
紫檀唐花蝙蝠彫椅子 清時代・18世紀 中国 上海博物館蔵
2016年8月30日(火)から10月23日(日)まで展示予定
なお、トーハク秋の恒例行事となった「博物館でアジアの旅」の期間(2016年8月30日(火)~10月23日(日))には、「トーハク×シャンポー 夢のコラボ」と題して、このたびシャンポーからお借りする作品を重点的に展示する予定です。
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posted by 猪熊兼樹(出版企画室主任研究員) at 2016年05月20日 (金)
えーっ、これ、象牙でできてるの!?
すごーい!!
特別展「黄金のアフガニスタン―守りぬかれたシルクロードの秘宝―」の会場ではこんな声も多く聞かれます。
そーなんです。
「黄金のアフガニスタン」展ではありますが、本展で注目すべきは黄金製品だけではないのです。
今回はその象牙彫刻のすばらしさをご紹介しましょう。
第4章「ベグラム」の部屋に入ると、まず目に飛び込むのは、3体の妖艶なる女神像。それぞれ古代インド神話にも登場する怪魚マカラの上に乗り、その豊満な肉体を左右にくねらせています。
マカラの上に立つ女性像(左から順にNo.147、148、149)
1世紀
左の1体(No.147)は、体にまとわりつくような薄いギリシア風のチュニックをまとい、ブレスレットをつけ、左手にはブドウの房を持っています。
一方、他の2体(No.148・149)は上半身は裸で、インド風のドーティ(下衣)をまとい、髪飾、胸飾、ブレスレットにアンクレットを身につけています。
これらの像は象牙を丸彫りしたもので、その姿は極めて美しく官能的。思わず見惚れてしまいます。
これらは家具の一部だったようですが、その全体像ははっきりわかっていません。
残念!
次に進むと、まず、No.151の人物・マカラ像の象牙のレリーフがあります。
人物・マカラ像(No.151)
1世紀
中央の人物の両足を2匹のマカラが噛み付いているかのような表現。
この人物はギリシア神話に登場する海の神トリトーンを表現したものといわれています。
しかし、ポセイドンの息子トリトーンは通常、上半身が人間、下半身が蛇の姿で表現されるのですが…? この像は下半身も人間と同じです。
となると、これはトリトーンなのか!? という疑問が湧いてきます。どこかにこの回答のヒントになるものはないか。会場を探してみました。
それは次の部屋にありました! No.212のレオグリフ形腕木です。
レオグリフ形腕木(No.212)
1世紀
マカラの口からレオグリフが飛び出している、あるいはその後ろ足を噛み付こうとしているかのような造形。
そのレオグリフの背には女神が跨り手綱を引き、腹の下から男神がその女神を支えています。
この両神はインド古来の神、女神ヤクシー、男神ヤクシャと考えられています。この構図と比較してみるとNo.151の人物像はトリトーンではなく、ヤクシャではないか!?
これは珍説ですかね。しかし、会場でこんなことを考えてみるのも面白いと思いますよ。
さて、その次には脚台を飾ったと考えられる象牙の装飾板が並びます。
馬やレイヨウなどの動物と「樹下美人図」を思わせる女性像をレリーフで表現。
そして、その隣には象牙を丸彫りした象(No.152)、コブ牛そしてライオンが続きます。
特に象は頭に二つのコブをもつインド象の特徴を良く捉えています。
象形家具脚部(No.152)
1世紀
次の部屋に進みましょう。
先ほど紹介したNo.212のレオグリフ像の裏手にあるケースには二つの象牙の装飾板が並んでいます。
本生話の装飾板(上からNo.195、196)
1世紀
このNo.195・196はちょっと毛色が変わったレリーフ。本生話(ほんじょうわ)の装飾板と呼ばれているものです。
本生話とは仏教説話の中で、釈迦の前生における数々の物語。
No.195 は「ナリニカー姫本生」の一場面、No.196は「もみぬかを腹にもつシンドゥ産子馬前生物語」という本生の一場面を表現したものと推測されているようです。
しかし、このレリーフだけを見ていても、話の内容は良くわかりません。詳細は図録の解説に委ねることにしますが、そこには実に面白い物語が展開されています。ぜひお読みください。
解説でも指摘されているように、インド由来のこうした象牙製品に仏教的な題材が組み入れられているのは興味深いことですね。
さて、最後のケースにはこれまた見事な象牙のレリーフが並んでいます。
楽人と踊子の装飾板(No.194)
1世紀
後宮女性の装飾板(No.210)
1世紀
門下に立つ女性の装飾板(No.211)
1世紀
まず、樹の下で笛を奏でる女性とその曲にあわせて踊る女性が、実に繊細な線でいきいきと描かれている装飾板(No.194)。
次に後宮の女性たちや門下に立つ女性たちを繊細かつ妖艶に表現した装飾板(No.197~211)が続きます。
これらは玉座を飾ったものと推測されていますが、まさに、玉座を飾るにふさわしい象牙彫刻の技と美が融合した見事な工芸品といえるでしょう。
このように素晴らしい象牙彫刻の逸品が、本展では黄金製品の陰で密やかな美を誇っています。
みなさん、こうした作品もぜひお見逃しなく!
※画像はすべて(C)NMA/Thierry Ollivier
カテゴリ:研究員のイチオシ、2016年度の特別展
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posted by 井上洋一(学芸企画部長) at 2016年05月19日 (木)