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1089ブログ

特別展「和様の書」を楽しむために─鑑賞編2 四大手鑑

特別展「和様の書」では、四大手鑑(よんだいてかがみ)が揃います。

手鑑とは、
手(筆跡のこと)のアルバムです。
その手鑑で国宝に指定されているのが、4つのみ。
それを四大手鑑と呼びます。

手鑑は、
台紙に、一枚から三枚ほどの古筆切(こひつぎれ)が貼り付けられています。
その台紙を50枚ほどつなげて、帖(じょう)に仕立ててあります。

手鑑を作ることは、江戸時代に流行しました。
それには、古筆の鑑定を家業とする古筆家(こひつけ)が関係しました。
手鑑には通常、古筆切の右上に伝称筆者(でんしょうひっしゃ)を示す極札(きわめふだ)が付いています。その極札を書くのが古筆家の仕事でした。

極札の例
極札の例

また、手鑑に貼る古筆切の配列(順序)はおおよそ決められていましたが、
古筆家は、その配列と伝称筆者を示す本を出版しています。


四大手鑑のうち、三つまで、古筆家が関わった手鑑です。

藻塩草
国宝 手鑑 藻塩草 奈良~室町時代・8~16世紀 京都国立博物館蔵
[展示期間:2013年7月13日(土)~8月12日(月)]


手鑑「藻塩草」(もしおぐさ、京都国立博物館蔵)は、
古筆本家に伝わった手鑑で、鑑定の手控帳と言われています。
極札はなく代わりに、古筆本家10代目の古筆了伴(りょうはん、1790~1853)が
書いた目録が附属しています。

この「藻塩草」と関連するのが、
手鑑「見努世友」(みぬよのとも、東京・出光美術館蔵)です。

見努世友
国宝 手鑑 見努世友 奈良~室町時代・8~16世紀 出光美術館蔵
[展示期間:2013年8月13日(火)~8月25日(日)]


表紙や金具などが「藻塩草」と同じで、
極札の代わりに、古筆了伴が筆者名を書いています。

そして、
古筆別家(こひつべっけ)の3代目・古筆了仲(りょうちゅう、1656~1736)が
持っていた手鑑が、手鑑「翰墨城」(かんぼくじょう、静岡・MOA美術館蔵)です。

翰墨城
国宝  手鑑 翰墨城 奈良~室町時代・8~16世紀 MOA美術館蔵
[展示期間:2013年7月13日(土)~8月12日(月)]


これらの、古筆家が持っていた3つの手鑑は、
手鑑の基本のかたちを示すものですし、
収められた古筆切も、充実しています。

さらに、その質や量も上回る手鑑を、
近衞家凞(このえいえひろ、1667~1736)が作りました。
「大手鑑」(おおてかがみ、京都・陽明文庫蔵)です。

大手鑑
国宝 大手鑑 奈良~室町時代・8~16世紀 陽明文庫蔵
[展示期間:2013年8月13日(火)~9月8日(日)] 頁替あり
右:右上の筆者名は近衞家凞の筆です。


五摂家(ごせっけ)の筆頭である近衞家には、
さまざまな文書や古筆、絵画、工芸品がたくさん伝わっています。
現在は、陽明文庫としてそれらを大切に保管されており、
特別展「和様の書」でも、陽明文庫の宝物をいろいろとご紹介します。

近衞家凞は、近衞家第21代目ですが、
書や絵画、工芸品にも造詣が深かったようです。
とくに書については、生涯にわたって貴重な古筆を模写・臨書しています。
その臨書の技量は、すばらしいものでした。

模写や臨書をすることは、
その書をじっくりと鑑賞することになり、
自分の手で書を感じることにもなります。
その作業によって培われた眼で、家凞は「大手鑑」を作ったのです。

通常より大きい台紙に、通常より大きい古筆切が、
ぞんぶんに収納されています。
まさに、「大」手鑑と呼ぶにふさわしいものです。


手鑑とは、
書を鑑賞するための、ひとつのかたちです。
でも、そこには、写真アルバムと同じように、手鑑を作った人々の愛情も込められています。
手鑑を御覧になるときに、作った人のことも少し思い出してみてください。

 

現在、当サイトにて、特別展「和様の書」美文字選手権 開催中!
道風、佐理、行成の三跡から、信長、秀吉、家康の天下人の自筆、そして、芭蕉や一茶まで、あなたも知っているあの人の書を大公開。
最も美しいと思う文字を選んで投票してください。
美文字ナンバー1の栄冠は果たして誰に!?

皆様のご参加をお待ちしています。
投票はこちらから

 

カテゴリ:2013年度の特別展

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2013年06月30日 (日)

 

特集陳列「平成24年度 新収品」より─葡萄図

6月25日(火)から始まる、特集陳列「平成24年度 新収品」(~7月7日(日)、本館特別1室・2室)は、昨年度、当館が購入した作品や、当館に寄贈された作品等を皆様にご披露する展示です。
その中に、葡萄図という作品があります。

葡萄図
重要美術品 葡萄図 没倫紹等筆 延徳3年(1491)

サラサラっと描かれた一房の葡萄という感じの絵です。
作者は、没倫紹等(もつりんじょうとう)という室町時代の禅僧です。彼は、とんちで有名な一休の弟子です。ペンネームとして墨斎や拾堕という号を用い、一休同様に、水墨画にも筆を振るいました。 

この絵の右下の部分を見ると、作者は筆をくるくると回転させ、蔓の形を表現しています。

葡萄図(部分)


3枚ほど描かれた葉は、枯れつつあるためか、その輪郭ははっきりしません。葡萄の実は、濃淡の異なる墨面を組み合わせて描かれていますが、
その墨のにじみぐあいを見ていると、とても味わいのある、いい絵に思えてきます。

葡萄図



上方には、没倫自らが書き記した文章(賛)があります。それによると、今年の秋は十日も風雨が続いたが、葡萄棚は傾くこともなく多くの実をつけたといいます。
彼はある日、その葡萄の一房を書斎に持ち込み、飾らぬ筆づかいで描いたあと、賛を書き添えて、親しい友人か、弟子にでも贈ったのでしょう。
生活と絵画、文学が密接に結び付いた当時の禅僧の暮らしぶりが、この作品から垣間見えてきます。
 
 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 救仁郷秀明(登録室・貸与特別観覧室長) at 2013年06月21日 (金)

 

名品と迫力の映像で魅せる特別展、今秋開催!

トーハクでは今秋、特別展「京都-洛中洛外図と障壁画の美」(2013年10月8日(火)~12月1日(日)、平成館)を開催します。
2013年6月13日(木)に報道発表会を行いました。

主催者より日本テレビ放送網株式会社 渡辺弘取締役常務執行役員、当館の島谷弘幸副館長よりご挨拶申し上げました。 

左:渡辺取締役常務執行役員 右:島谷副館長
左:渡辺取締役常務執行役員 :島谷副館長     

また、本展覧会担当の特別展室長・松嶋雅人より展覧会の構成と見どころを解説いたしました。


松嶋特別展室長

展覧会は2部構成となっており、その第1部は「都の姿-黄金の洛中洛外図」です。
洛中洛外図は室町時代から江戸時代にかけて数多く制作され、そのほとんどが屏風絵です。
現存する「洛中洛外図屏風」は100点ほどが知られていますが、本展では国の指定品である、国宝、重要文化財7件すべてが一堂に会します。

なかでもご注目いただきたいのは、展覧会でのメインビジュアルにも採用されている、当館所蔵の「重要文化財 洛中洛外図屏風 舟木本」。
会場では、その高精細画像を4×4メートルの大型スクリーン4基に投影して、緻密に描かれた街と人々の細部までご覧いただきます。

高精細画像を見た後に、本物をご覧いただけば舟木本の楽しさをより深く味わっていただけるはずです。

重要文化財 洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ) 舟木本 岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
重要文化財 洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ) 舟木本 岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

左隻2扇 祇園祭
左隻2扇 祇園祭
仮面をかぶっている人や母衣(ほろ)をしょった人など、にぎやかな様子が描かれています。

第2部は「都の空間装飾-障壁画の美」。
洛中洛外図でもしばしば描かれた京都を象徴する3つの場所をとりあげます。

その3つの場所とは、伝統と権威の象徴である京都御所、石庭で世界的にも知られる龍安寺、徳川将軍家の権力を誇る二条城です。これらの建物の室内を彩った障壁画を展示します。

左:重要文化財 賢聖障子絵(けんじょうのそうじえ) 江戸時代・慶長19年(1614) 京都・仁和寺蔵 右:群仙図襖(ぐんせんずふすま) 江戸時代・17世紀 京都・龍安寺蔵
左:重要文化財 賢聖障子絵(けんじょうのそうじえ) 江戸時代・慶長19年(1614) 京都・仁和寺蔵
京都御所の正殿である紫宸殿に飾られた障子。現在の紫宸殿内部には飾られていません。

右:群仙図襖(ぐんせんずふすま) 江戸時代・17世紀 京都・龍安寺蔵
明治28年に龍安寺を離れて115年ぶりに帰還した襖絵です。

二条城二の丸御殿 大広間 四の間障壁画(西側)「松鷹図」
二条城二の丸御殿 大広間 四の間障壁画(西側)「松鷹図」 
狩野探幽筆 江戸時代・寛永3年(1626) 京都市(元離宮二条城事務所)蔵

天井まで届くほどの太い幹枝の松に狗鷲(イヌワシ)がじっと左手をにらんでいます。

また、今回の目玉の一つ、1年かけてフルハイビジョンの4倍の解像度4Kで撮影した龍安寺石庭の四季。

龍安寺石庭の四季
四季の彩を感じられあたかも石庭にいるかのようです。 

貴重な名品を見ていただくとともに、先進の技術を駆使した映像によって日本美術・古美術にあまり関心がない方にも
日本絵画のおもしろさを知っていただきたい。もともと好きな方には、より奥深く鑑賞していただきたい。それが展覧会担当者の思いです。

これまでにない新たな視点で日本美術の楽しさを感じていただける展覧会、ぜひご期待ください。

このほかにも、魅力あふれる作品やイベント情報など、今後も1089ブログでご紹介していきます。

どうぞお楽しみに。

 

   
特別展「京都-洛中洛外図と障壁画の美」 ポスタービジュアル
4種類制作しました。どのデザインがお好みでしょうか?

カテゴリ:2013年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2013年06月16日 (日)

 

特別展「和様の書」を楽しむために─鑑賞編1 天下人の書

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人、いわゆる「天下人」はどんな字を書いていたのでしょうか。この三人の名前で出された文書は厖大に残っています。
たとえば信長発給の文書は奥野高広博士が編纂した『織田信長文書の研究』という3冊の書物にまとめられていますが、ページ数は全部で約2000ページ! しかしそのほとんどは祐筆(秘書)が書いた本文に信長がサインである「花押」を据えたか、「天下布武」のような印判を捺したものです。大量に作成される印判状に至っては、本人は見てもいないかもしれません。
天下一統の途上で不慮の死を遂げたという事情もあってか、信長本人が書いたと判断できる書状はほとんど現在に伝わりません。
今回の「和様の書」ではそのうち2通を展示しますが、尊大でそっけない文章と相まって、はっきりとした個性の認めづらい筆跡と言えるでしょう。

書状(夕庵宛) 織田信長筆 個人蔵
書状(夕庵宛) 織田信長筆 安土桃山時代・16世紀 個人蔵
〔展示期間:2013年8月13日(火)~9月8日(日)〕


これに対して秀吉自筆の書状はかなり伝わっています。秀吉は低い身分から出世した人物で、歳をとってから伝統的な教養を学びました。その書は達筆と言えるようなものではなく、誤字脱字や破格の書き方も見られますが、大変個性的です。特に家族や親しい人々に対しては、あけっぴろげに感情を表わした飾りのない文章で手紙を送りました。手紙を読む人には強い印象を与え、古くから大事にされてきたのでしょう。秀吉の正妻北政所が住んだ高台寺に伝わる自筆書状は、そのような秀吉の個性をよく示しています。

消息(おね宛) 豊臣秀吉筆 高台寺蔵
重要文化財 消息(おね宛) 豊臣秀吉筆 安土桃山時代・文禄2年(1593) 京都・高台寺蔵
〔展示期間:2013年7月13日(土)~8月12日(月)〕

家康は、沈着で慎重な性格と評価され、その書状も内容、筆跡ともにあまり感情をあらわにせず、端然と筆を運んでいることが多いのですが、例外もあります。家康の孫娘である千姫は豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大坂の陣で豊臣家は滅亡、千姫は大坂城から救出されました。天下の平定を自分の責務とは考えていたでしょうが、さすがに政争の具となった孫をかわいそうに思う気持ちは強かったにちがいありません。夏の陣後に千姫のもとに届けられた書状から祖父としての気遣いがうかがわれます。

消息(おね宛) 豊臣秀吉筆 高台寺蔵
重要美術品 消息(ちょほ宛) 徳川家康筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
〔展示期間:2013年7月13日(土)~8月4日(日)〕

カテゴリ:2013年度の特別展

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posted by 田良島哲(調査研究課長) at 2013年06月12日 (水)

 

江戸時代が見た中国絵画(4) 鑑定の意味

「開運!なんでも鑑定団」というテレビ番組が大好きで、毎回欠かさず視ています。放送開始から、まもなく20年近くになるこの番組では「鑑定士」が、さまざまな品物を「鑑定」しています。絵画作品の場合、画廊を営む人や、古美術商といった方々が鑑定をなされているようです。放送開始の当初、横山大観の弟子という画家も鑑定士として出演されていました。
「鑑定」とは対象となる品物の価値評価の判断を下すことですが、江戸時代においては鑑定がどのようなものであったのか、この特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」によって、その一端を知ることができます。

展示風景
伝趙孟頫筆「竹図」の展示風景

狩野伊川院栄信(1775-1828)が、趙孟頫という中国元時代の画家が描いたと伝えられる「竹図」を鑑定しています。作品名「岩竹」と作者名「子昂」(趙孟頫の実名のほかの名、あだなの一種)とだけそっけなく記し、自らの印「伊川法眼」を捺して外題(げだい、題名、作品名などを記した題箋)として、この品物は趙孟頫の絵だと断定しています。


竹図と狩野伊川院栄信の外題
(左) 竹図 伝趙孟頫筆 中国 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵
(右) 狩野伊川院栄信の外題



伊川院栄信は、徳川将軍家の御用を担う画家のなかで最も格式の高い奥絵師を勤め、文字通り当時の日本で一番「偉い」画家です。伊川院栄信のもとへは大名諸侯から多くの名画が持ち込まれ、鑑定が依頼されました。

さらにこの趙孟頫の絵は、後年、伊川院栄信の孫、勝川院雅信(1823-1880)のもとへ持ち込まれています。

狩野勝川院雅信の添状
狩野勝川院雅信の添状 江戸時代・文久元年(1861)

勝川院雅信は、「伊川院外題之通」と添状(いわゆる鑑定書)を記して、祖父の判断をあらためて裏書しています。さらにこの作品は、明治時代になって勝川院雅信の弟子であった橋本雅邦、山名義海が極(きわめ、鑑定書)をつけています。

このように江戸時代には多くの画家たちが鑑定を行なっていました。現在、絵画の価値判断をするためには、その画家の基準的な作例をたくさん集めて、表現のスタイルや、画家の署名の書体、印章(判子)の形(絵に捺された印影で比較します)など、さまざま観点で比較検証して、作品の見極めを行います。もちろん、多くの研究者や専門家の意見もあわせて判断材料にします。古美術商なら、作品に関わる流通価格も判断するでしょう。いずれにしろ作品を目の前にして、一瞬で判断する「目利き」などいません。その判断ができるとすると、余りにクオリティーの低い作品であるときだけでしょう。

しかし、江戸時代の画家たちが行った鑑定においては、外題や添状などをみると、その根拠のようなものが一切ありません。なぜでしょうか。それは鑑定するのが、権威ある限られた画家で、将軍や高貴な人たちが秘蔵する名画を見る貴重な機会を得る特権的な画家だからで、そこに第三者の判断がありません。いいかえると、目の前にある作品を誰それの絵だと判断する材料が他の画家にはないのです。

では、鑑定を依頼する人は何のために作品を持ち込むのでしょうか。狩野家に持ち込むの多くは大名などの武家でした。江戸時代の武家社会は、とりわけて贈答文化が極まった社会でした。盆暮れの付け届け、つまりお中元、お歳暮だけでなくさまざまな機会に上司、上役、幕府の要職にとさまざまな贈答品を送ります。そのことで自らの地位の安泰をはかるのです。その贈答品として中国名画は効き目のあるものだったということでしょう。
ただ名画を贈るだけでなく、その品物に付属した外題、添状が重要です。将軍御用達の画家による鑑定が、何より値打ちがあったわけです。見方を変えれば、作品そのものより権威ある画家の「お墨付き」自体に価値があるといってもよいでしょう。江戸時代前半までは作品の評価額を記したものもあったようです。この添付書類から江戸時代の武家社会の様相をも見いだせるのです。また、画家たちは鑑定料としてかなりの額の報酬を得ていました。

伊川院栄信に「竹図」が持ち込まれたとき、子の晴川院養信(1796-1846)が作品を模写しています。

竹図(模写) 狩野晴川院養信模 江戸時代・文化7年(1810) 
竹図(模写) 狩野晴川院養信模 江戸時代・文化7年(1810) 東京国立博物館蔵

中国名画が奥絵師に持ち込まれたとき、その作品を直接目にして模写することで名画制作の作法を学ぶのです。狩野家の棟梁が作った模写作品は、後々、弟子たちの絵画制作のための手本となります。ここでも実際に名画そのものを目にしているのは、限定された絵師であることになります。名画そのものを目にすることこそが、この鑑定作業の肝ともいえるでしょう。

この特集陳列では、中国絵画という外国の文物に対する価値判断を詳しくみていくものです。そこでは、高然睴という存在しない画家を創り出したりもします。また室町時代から、牧谿という中国本土ではあまり評価されていない画家の作品が連綿と珍重されてきたのもわかります。現代の中国絵画の研究状況からみると、その判断に疑問が出るものが多いでしょう。江戸時代という流通が世界に開かれていない社会においてのみ成立した価値判断なのかものかもしれません。しかし、名画をとりまく人々が自らの判断で、「これはいいものだ」と明確に価値付けしていたことに清々しさを感じてしまいます。

現代では日本の視覚文化の価値判断を誰が行なっているのでしょうか。映画でアカデミー賞やカンヌ国際映画祭など、造形文化の世界ではヴェネツィア・ビエンナーレなど日本の外で日本文化の多くが判断されています。世界遺産登録への熱心な運動も同様かと思いますが、現代の日本では、日本の創り出したものに対する高い価値付けを海外の人に期待しているといっていいでしょう。この特集陳列をご覧になることで、日本が創り出す物事の「価値判断」について、さまざまな観点があらわれてくるのではないでしょうか?

ところで、当館では文化財の研究にあたり、さまざまな作品について歴史的な意義を見出し、価値判断を日夜行っていますが、持ち込まれた作品の「鑑定」を依頼されてもいたしません。鑑定書も出しません。何卒ご了承下さい。
 

特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」は、6月16日(日) まで、本館 特別1室・特別2室にて開催中です。  


シリーズブログ
江戸時代が見た中国絵画(1) “国家”を超える名画・馬遠「寒江独釣図」
江戸時代が見た中国絵画(2) 東博所蔵の木挽町狩野家模本について
江戸時代が見た中国絵画(3) いくつもの「中国絵画史」へ―江戸の中国絵画研究―

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posted by 松嶋雅人(特別展室長) at 2013年06月07日 (金)