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江戸時代が見た中国絵画(4) 鑑定の意味

「開運!なんでも鑑定団」というテレビ番組が大好きで、毎回欠かさず視ています。放送開始から、まもなく20年近くになるこの番組では「鑑定士」が、さまざまな品物を「鑑定」しています。絵画作品の場合、画廊を営む人や、古美術商といった方々が鑑定をなされているようです。放送開始の当初、横山大観の弟子という画家も鑑定士として出演されていました。
「鑑定」とは対象となる品物の価値評価の判断を下すことですが、江戸時代においては鑑定がどのようなものであったのか、この特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」によって、その一端を知ることができます。

展示風景
伝趙孟頫筆「竹図」の展示風景

狩野伊川院栄信(1775-1828)が、趙孟頫という中国元時代の画家が描いたと伝えられる「竹図」を鑑定しています。作品名「岩竹」と作者名「子昂」(趙孟頫の実名のほかの名、あだなの一種)とだけそっけなく記し、自らの印「伊川法眼」を捺して外題(げだい、題名、作品名などを記した題箋)として、この品物は趙孟頫の絵だと断定しています。


竹図と狩野伊川院栄信の外題
(左) 竹図 伝趙孟頫筆 中国 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵
(右) 狩野伊川院栄信の外題



伊川院栄信は、徳川将軍家の御用を担う画家のなかで最も格式の高い奥絵師を勤め、文字通り当時の日本で一番「偉い」画家です。伊川院栄信のもとへは大名諸侯から多くの名画が持ち込まれ、鑑定が依頼されました。

さらにこの趙孟頫の絵は、後年、伊川院栄信の孫、勝川院雅信(1823-1880)のもとへ持ち込まれています。

狩野勝川院雅信の添状
狩野勝川院雅信の添状 江戸時代・文久元年(1861)

勝川院雅信は、「伊川院外題之通」と添状(いわゆる鑑定書)を記して、祖父の判断をあらためて裏書しています。さらにこの作品は、明治時代になって勝川院雅信の弟子であった橋本雅邦、山名義海が極(きわめ、鑑定書)をつけています。

このように江戸時代には多くの画家たちが鑑定を行なっていました。現在、絵画の価値判断をするためには、その画家の基準的な作例をたくさん集めて、表現のスタイルや、画家の署名の書体、印章(判子)の形(絵に捺された印影で比較します)など、さまざま観点で比較検証して、作品の見極めを行います。もちろん、多くの研究者や専門家の意見もあわせて判断材料にします。古美術商なら、作品に関わる流通価格も判断するでしょう。いずれにしろ作品を目の前にして、一瞬で判断する「目利き」などいません。その判断ができるとすると、余りにクオリティーの低い作品であるときだけでしょう。

しかし、江戸時代の画家たちが行った鑑定においては、外題や添状などをみると、その根拠のようなものが一切ありません。なぜでしょうか。それは鑑定するのが、権威ある限られた画家で、将軍や高貴な人たちが秘蔵する名画を見る貴重な機会を得る特権的な画家だからで、そこに第三者の判断がありません。いいかえると、目の前にある作品を誰それの絵だと判断する材料が他の画家にはないのです。

では、鑑定を依頼する人は何のために作品を持ち込むのでしょうか。狩野家に持ち込むの多くは大名などの武家でした。江戸時代の武家社会は、とりわけて贈答文化が極まった社会でした。盆暮れの付け届け、つまりお中元、お歳暮だけでなくさまざまな機会に上司、上役、幕府の要職にとさまざまな贈答品を送ります。そのことで自らの地位の安泰をはかるのです。その贈答品として中国名画は効き目のあるものだったということでしょう。
ただ名画を贈るだけでなく、その品物に付属した外題、添状が重要です。将軍御用達の画家による鑑定が、何より値打ちがあったわけです。見方を変えれば、作品そのものより権威ある画家の「お墨付き」自体に価値があるといってもよいでしょう。江戸時代前半までは作品の評価額を記したものもあったようです。この添付書類から江戸時代の武家社会の様相をも見いだせるのです。また、画家たちは鑑定料としてかなりの額の報酬を得ていました。

伊川院栄信に「竹図」が持ち込まれたとき、子の晴川院養信(1796-1846)が作品を模写しています。

竹図(模写) 狩野晴川院養信模 江戸時代・文化7年(1810) 
竹図(模写) 狩野晴川院養信模 江戸時代・文化7年(1810) 東京国立博物館蔵

中国名画が奥絵師に持ち込まれたとき、その作品を直接目にして模写することで名画制作の作法を学ぶのです。狩野家の棟梁が作った模写作品は、後々、弟子たちの絵画制作のための手本となります。ここでも実際に名画そのものを目にしているのは、限定された絵師であることになります。名画そのものを目にすることこそが、この鑑定作業の肝ともいえるでしょう。

この特集陳列では、中国絵画という外国の文物に対する価値判断を詳しくみていくものです。そこでは、高然睴という存在しない画家を創り出したりもします。また室町時代から、牧谿という中国本土ではあまり評価されていない画家の作品が連綿と珍重されてきたのもわかります。現代の中国絵画の研究状況からみると、その判断に疑問が出るものが多いでしょう。江戸時代という流通が世界に開かれていない社会においてのみ成立した価値判断なのかものかもしれません。しかし、名画をとりまく人々が自らの判断で、「これはいいものだ」と明確に価値付けしていたことに清々しさを感じてしまいます。

現代では日本の視覚文化の価値判断を誰が行なっているのでしょうか。映画でアカデミー賞やカンヌ国際映画祭など、造形文化の世界ではヴェネツィア・ビエンナーレなど日本の外で日本文化の多くが判断されています。世界遺産登録への熱心な運動も同様かと思いますが、現代の日本では、日本の創り出したものに対する高い価値付けを海外の人に期待しているといっていいでしょう。この特集陳列をご覧になることで、日本が創り出す物事の「価値判断」について、さまざまな観点があらわれてくるのではないでしょうか?

ところで、当館では文化財の研究にあたり、さまざまな作品について歴史的な意義を見出し、価値判断を日夜行っていますが、持ち込まれた作品の「鑑定」を依頼されてもいたしません。鑑定書も出しません。何卒ご了承下さい。
 

特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」は、6月16日(日) まで、本館 特別1室・特別2室にて開催中です。  


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posted by 松嶋雅人(特別展室長) at 2013年06月07日 (金)