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明恵上人の弥勒信仰が体現された小宇宙

連日たくさんのお客様にご観覧いただいている、特別展「鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-」。
大幅な展示替えを経て、19日(火)からは、新たなラインナップが展開しています。
ここでは、後期展示の一作品をご紹介します。
重要文化財 阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子(鏡弥勒像)(あじらでんまきえがちりんがたずし(かがみのみろくぞう))です。

  
重要文化財 阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子(鏡弥勒像)鎌倉時代・貞応3年(1224) 京都・高山寺蔵 
※展示期間:~6月7日(日)
(左)図1 厨子の表面(扉を閉じたところ)、(右)図2 厨子の背面


総体を木でつくり、全体に黒漆を塗った、小型の厨子(仏像を安置するキャビネット)です。
表面には、金蒔絵や夜光貝(やこうがい)の螺鈿(らでん)で文様を表しています。
両開きの扉の表には、螺鈿で字の片身ずつをあしらい、扉を閉めたときに、梵字(ぼんじ)の「ア」となる仕組み。
厨子が円形(月輪形)で、その中に蓮華座上の「ア」字を納める意匠が、密教の重要な観想法である「阿字月輪観」(あじがちりんかん)に通じることから、この名称があります。
また厨子の背面側は、朱漆や螺鈿、水晶などを使って「五輪塔」(ごりんとう)を表しています。(図1・2)


図3 厨子の内面と扉絵

高さ12.5センチ、奥行3.9センチの小さな規格に、これだけ細かい装飾技法が駆使されていることに、すでに驚かされますが、扉を開けると、中央には輝くばかりの仏像が(図3)。
像は木造彩色で、五体の仏像を表した宝冠をかぶり、腹前で手のひらを上に向け重ねた「定印」(じょういん)を結んでおり、手の上には蓮華座が乗っています。
今は失われていますが、手のひらの蓮華座上には、小さな五輪塔(おそらく水晶製だったのでは?)が乗っていたのでしょう、その図像から、弥勒菩薩(みろくぼさつ)と判断されます。
扉の内側に描かれた不動明王(ふどうみょうおう・向かって右)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう・向かって左)は、重要文化財 弥勒曼荼羅(みろくまんだら)(図4)にも描かれるもので、このことも本像が弥勒尊であることを裏付けます。
美しく整った像容、理知的な顔立ちは、会場でも展示されている白光神立像(びゃっこうしんりゅうぞう)(図5)などにも通じ、白光神像や善妙像など高山寺の諸像を手がけたといわれる、仏師湛慶(ぶっしたんけい)の作との見方もあります。


図4 重要文化財 弥勒曼荼羅 鎌倉時代・13世紀 東京・霊雲寺蔵 ※展示期間:~6月7日(日)


図5 重要文化財 白光神立像 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵 ※全期間展示

その弥勒像は像高わずか6.5センチ(図6)。しかし細部の造作はあくまで徹底して間然しません。
眉間の「白毫(びゃくごう)」を水晶で表すのは、当時の通例としても、その極小ぶり!
そして手のひらの蓮華座は、なんと金属製(銅製鍍金)です。
衣服にはこれまた微細な、截金(きりかね)の文様装飾が(図7・8・9)。銅製鍍金の透かし彫りの光背も入念で、金色を放つ弥勒像と、銀板を貼った内部空間の白く冴えた輝きの対比も見事。
大きさ、形状、意匠、そして卓抜な細工の妙という点から、仏像を納める厨子としては、同時期に類を見ない、相当に特異な存在といわざるをえません。


図6 阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子内の弥勒像。像高わずか6.5センチ!

 
(左)図7 白毫は極小の水晶粒!(右)図8 小さな蓮台は金銅製!もとは上に五輪塔があったは


図9 そして着衣には、細やかな截金の文様装飾が!

造形美に加え、この小品には明恵上人や、明恵をとりまく人々の信仰思想、営為動向が、濃密に絡んでいます。
そのためでしょう、これまでにもたびたび、論考の対象として取り上げられてきました。
注目すべきその一つが、現在は見ることのできない、厨子内部や像背面の梵字と銘文についての言及です。
銘文の記述から、高野山の玄朝(げんちょう)(1184?~?)が、貞応3年(1224)亡き母を弔うために制作せしめたものであることがわかり、また本作品の図像の背景には、密教の、さらには密教と華厳の融合「厳密融合」の教理にもとづく弥勒尊の捉えかた、いわば「弥勒観」があるということが指摘されています。
後にこの厨子は明恵上人のもとに渡り、念持仏となったようです。
臨終のさい明恵上人が弟子に与えた品々を記した目録の中にある「鏡弥勒像一躰」が、本作品に該当するとされ、その後いったん高山寺を離れ、江戸時代に再び高山寺に寄付されました。
像の背面に銀色の「鏡板」(かがみいた)を有することから、「鏡・・」と呼んだものと思われます。

銘文の記述内容からすれば、もともとこの「鏡弥勒像」は、明恵上人その人ではなく、高野山玄朝のもとで制作されたものということになります。
しかしその弥勒観や思想背景、人物相関は、明恵自身と深く通じるものでもあるのです。
本作品の制作に明恵が少なからず関与していた、もはやそう言ってよいのではないでしょうか。
高野山の玄朝は明恵とも親交があった人物でした。
また明恵自身が、同様の図像の弥勒像に強い関心をよせていたことが知られています。

本展覧会に関わる中で、高山寺には、一種独特ともいうべき明恵上人の思想動向と、それを反映した造形物や資料類が、それもきわめて高い質的価値を有するものが、豊かに伝えられているということを、強く感じています。
本作品は、そうした在り方を、最も端的に表しているように思います。
明恵上人の弥勒信仰が最も凝縮し体現された小宇宙(コスモス)は、今まばゆい光を放ち、宇宙の彼方へと私たちをいざなうようです。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 伊藤信二(広報室長) at 2015年05月23日 (土)

 

国際博物館の日記念ツアー「上野の山でゾウめぐり」

5月17日(日)、上野動物園、国立科学博物館、東京国立博物館を1つのテーマでめぐるイベントを開催しました。




今年のテーマは「ゾウ」。
小学校5年生~高校生を対象に、それぞれの専門家3人が力を合わせたツアー形式のセミナーです。

まずは上野動物園からスタート。
動物解説委員の小泉祐里さんと一緒に「生きたゾウの観察」です。




歩く姿や、食べる様子だけでなく、足の裏や口の動き、耳の様子もじっくりと観察します。



しなやかに動く鼻、ゆったりとした足の動き…ゾウの姿に見入りつつ、その動きの秘密を知るために、次は科学博物館へ。
動物研究部の川田伸一郎さんに「ゾウの骨格」をテーマにお話を伺いました。
陸上で最大の体をもつゾウは、もちろん骨格も巨大です。



大きな耳、長い鼻の役割や、巨大な体を支える足のつくりの秘密を、骨格や標本を実際に触りながら確認していきます。



ゾウの動きの特徴、骨格の秘密を教わったあとは、最後のトーハクへ。
親と子のギャラリー「美術のくにの象めぐり」展示室(5月17日(日)で展示終了)で、ゾウは人々によってどのように表現されてきたのかを、教育講座室の神辺知加さんが紹介しました。

仏さまを乗せたゾウや、力強さ大きさの象徴としてのゾウ、日用品のモチーフとしてのゾウなど、ゾウはさまざまな姿で登場します。


なかでもインドの細密画に表わされたゾウの歩く姿は、動物園で見たゾウにそっくり。インドの人々にとってゾウがいかに身近な動物であったかが分かります。



作品の説明だけでなく小泉さんと川田さんも交えて作品の中のゾウも観察し、作品の見方がまた広がりました。

開催10回目を迎える来年はどんな動物をテーマにするか、鋭意計画中です。
どうぞ、お楽しみに。

 

カテゴリ:news教育普及催し物

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posted by 長谷川暢子(教育講座室) at 2015年05月22日 (金)

 

国宝 和歌体十種の魅力

現在、本館2室(国宝室)で、「和歌体十種」と「和歌体十種断簡」を展示(6/7まで)しています。
その「和歌体十種」の魅力について、先日はギャラリートークをさせていただきました。
ここでも、魅力について紹介させていただきます。



国宝 和歌体十種(部分) 平安時代・11世紀 ※~6/7まで展示

「和歌体十種」は、壬生忠岑(860?~920?)の著作とされる歌学書で、和歌を十体に分類して説明し、例歌を5首ずつあげたものです。序文や十体の説明は漢字で、例歌は仮名で書写され、漢字と仮名の美しい調和が見られます。


筆者はわからないですが、藤原行成(ふじわらのこうぜい、972~1027)の筆跡に通じるものがあります。


(左) 和歌体十種の「種」
(右) 行成の「重」 国宝「白氏詩巻」(平安時代・寛仁2年(1018) )より


この「重」のかたち、よく似ていると思いませんか?
藤原行成は、平安時代中期を代表する能書(のうしょ)・「三跡」(さんせき)の一人。行成の書風は、流行していたと記録されています。本作も、行成の書風をよく学んでいて、平安時代・11世紀の作です。


そして、料紙には、大きな藍と紫の繊維を漉き込んだ飛雲(とびくも)の装飾がほどこされています。大きな飛雲は、「歌仙歌合」(国宝、和泉市久保惣美術館蔵)にも見られますが、ほかにはあまり残っていないため、珍しいものです。小さい飛雲は、当館所蔵の「元暦校本万葉集」(国宝)や「筋切」などにあります。


国宝 元暦校本万葉集 巻第一 平安時代・11世紀 (展示はしておりません)

昭和のはじめころ、安田家でこの「和歌体十種」(巻子本)が発見され、それまでは欠脱部分もあった壬生忠岑の「和歌十体」の全貌が、初めて明らかになりました。

でも、実はそのとき、この巻子本から十体目の「両方体」の辺りが切断されていて、行方不明でした。
その行方不明だった断簡が、約20年前に発見されたのです!発見された断簡は、平成6年(1994)6月に、追加で国宝となりました。それが、今回一緒に展示している「和歌体十種断簡」です。

 
国宝
 和歌体十種断簡 平安時代・11世紀 ※~6/7まで展示

巻子本よりも、料紙が濃い色になっていて、汚れているように見えます。掛幅になったこの断簡は、茶の湯の席などで披露されてきたのでしょうか。

それにしても、断簡を発見した人の喜びを想像すると、私もうれしくなってきます。このような発見が、まだまだどこかにあるのかもしれません。


平安時代の優美な書で、内容も文学的に貴重な作品です。
これを発見した人の興奮を考えながら、ぜひ国宝室でゆっくりとご覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(百五十年史編纂室) at 2015年05月21日 (木)

 

平成26年度新収品の公開

文化財の収集は博物館の重要な使命のひとつです。
平成26年度、新しくトーハクに収蔵された作品を紹介する特集「平成26年度新収品」が5月19日(火)より本館特別2室にて始まりました。
※トーハクにおける作品収集の方法については、過去の記事「トーハクの作品収集」(2013年7月)をご参照ください。


今回は、日本をはじめ、中国、韓国、インドネシア、イラン、エジプトまでのアジアのさまざまな地域からの文化財40件を展示します。
そのなかから、ここでは4件を紹介いたします。

良忍上人によって始められた融通念仏の功徳を描く「融通念仏縁起絵」の断簡。本図は、融通念仏の教えが畜類にも広まったという場面です。同縁起絵の古様を示すものとして貴重です。

重要美術品  融通念仏縁起絵断簡
重要美術品  融通念仏縁起絵断簡 橋本辰二郎旧蔵 南北朝時代・14世紀


しだれ桜の下、豪華な装いの若い娘と侍女。生彩な目、精緻な髪の生え際、眉、着物の文様の入念な描写が秀逸なこの作品は、円山応挙門下の奇才、長澤芦雪が描いた希少な日本美人画です。


桜下美人図 長澤芦雪筆 江戸時代・18世紀



愛知県の関戸家に伝わった「古今和歌集」古写本の一部。染紙を色変わりで配し、珍しいカタカナを交えた平安時代の優美な書です。

古今和歌集巻第一断簡(関戸本) 伝藤原行成筆 平安時代・11世紀
古今和歌集巻第一断簡(関戸本) 伝藤原行成筆 平安時代・11世紀

こちらの作品については、月例講演会「書の楽しみ―特集「新収品」の関戸本古今和歌集を中心に」(5月23日(土)  13:30~より平成館大講堂)にてご紹介いたします。


ササン朝ペルシア帝国で盛行したガラス器です。東大寺正倉院宝物の白瑠璃碗のように、このような器はシルクロードを経て東西の遠隔地にも伝えられました。

円形切子碗 イラン ササン朝時代・6世紀 百瀬治氏・富美子氏寄贈
円形切子碗 イラン ササン朝時代・6世紀 百瀬治氏・富美子氏寄贈



このほか、平安・鎌倉時代の銅鏡や中国の帯鉤など、一括でご寄贈いただいた作品もご覧いただけます。
会期は5月31日(日)までと短いので、ぜひお見逃しなく!
 

カテゴリ:news特集・特別公開

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2015年05月19日 (火)

 

まばゆいばかりのヒマラヤの白

今回の特別展「鳥獣戯画―京都 高山寺の至宝―」は、鳥獣戯画甲巻だけではなく、すべての展示作品が目玉といってよいでしょう。
まさに全身目玉だらけの、モンスターのような展覧会です。
彫刻作品でも、愛らしい子犬や鹿の夫婦といった動物彫刻たちは、製作背景などの知識なしでも、みていて本当に心がなごみます。



重要文化財 子犬 (こいぬ) 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵 ※通期展示


重要文化財 神鹿 (しんろく) 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵 ※通期展示

そんななかで彫刻担当者のイチオシは白光神立像(びゃっこうしんりゅうぞう)です。



重要文化財 白光神立像 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵 ※通期展示

精密な彫りがほどこされているので、写真だと大きくみえるかもしれませんが、実はわずか40センチほどの像です。全体が台座を含めて真っ白に塗られていますが、衣の部分をよくみると雲母(きら)が塗られ、また、白い下地のうえにさらに白い線で模様が描かれています。真っ白な絹織物の衣を意識したのでしょうか。
この真っ白な神様、まさに名前のとおりですが、これが何をあらわしているかというと、なんとインドの北方にそびえたつヒマラヤの峰々に輝く白い雪なのです。白光神はインドの聖山を神格化したものだったのです。といっても、世界中探しても白光神の彫像は、おそらくこの一体しかないでしょう。
この像をつくらせた高山寺の明恵上人は、若い頃からインドにあこがれていました。奈良・春日明神のお告げによって断念することになるのですが、実際にインドに行こうとして、そのスケジュールまで綿密に練っていたほどでした。
現代のわれわれは、インドといえば灼熱の国を思い浮かべますが、明恵上人にとってのインドは、このような真っ白な世界だったのかもしれません。この像と同様に全身真っ白にあらわされた仏眼仏母像(ぶつげんぶつもぞう)は、幼くして両親をなくした明恵上人が、母として慕ったものです。


国宝 仏眼仏母像 平安~鎌倉時代・12~13世紀 京都・高山寺蔵 ※前期(~5/17まで)展示

もしかしたら白という色は、明恵上人にとっては母のイメージがあったのかもしれません。

さて、ヒマラヤといえば、先ごろ大きな地震があり、大勢の人々が犠牲になりました。東日本大震災を経験したわれわれ日本人にとっても、他人事ではありません。明恵上人のあこがれた地の一日でも早い復興を、この白光神とともに願っていただけましたらと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 淺湫毅(教育講座室長) at 2015年05月16日 (土)