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1089ブログ

「一遍聖絵」にみる一遍と律宗の関係

こんにちは、保存修復室の瀬谷愛です。

特集「一遍と歩く 一遍聖絵にみる聖地と信仰」(~12月13日(日)、本館特別1・2室)は会期後半になり、一ヶ所だけ絵巻の巻き替えを行ないました。

安心してください、国宝聖絵はそのままですよ!


「一遍聖絵」(模本)巻第12
巻き替えたのは、「一遍聖絵」(模本)巻第12。一遍往生の場面になりました。涅槃図を意識した構成が印象的です。


会期前半は、11月7日(土)月例講演会で神奈川県立歴史博物館の薄井館長が肖像彫刻のお話をされたこともあり、巻末の一遍像の場面を出していました。

巻末の一遍像の場面

薄井館長によれば、この場面に描かれるお像は、一遍終焉の地である兵庫の観音堂(現・真光寺)にかつてあったお像ではないか、とのことです。真光寺のお像は昭和20年(1945)3月の神戸大空襲で焼失してしまい、今はモノクロ写真が1枚残るのみ。文化財にとって、火事は本当に恐ろしいものです。

平成25(2013)年8月には、一遍生誕の地とされる松山・道後温泉の宝厳寺のお像も、焼失してしまいました。文明7年(1475)銘のある貴重な基準作だったのです。
(詳しくは、「国宝 一遍聖絵」展覧会図録209ページに薄井館長のコラムが掲載されています。)

宝厳寺
いま、宝厳寺は新しいお堂の建設真っ最中。

おきあがりこぼし
地元の方たちが、宝厳寺の再建資金を募る「もういっぺんプロジェクト」を立ち上げています。一遍をイメージした起き上がりこぼしがかわいらしいですね。会津の起き上がりこぼしに似ています。

愛媛は一遍のふるさとですから、聖絵に登場する重要な聖地もあります。

菅生岩屋
例えば、山岳霊場である菅生岩屋(四国八十八ヶ所第45番霊場)。

菅生岩屋
右に見える岩屋へ通じるはしご。簡単そうに見えて、かなりの難関です。恐怖心を抑えて昇りきると、自分の殻が一枚脱げたような気になるのですから不思議なものです。一遍も同じような気持ちになったでしょうか。

大山祇神社
また、芸予諸島・大三島にある大山祇神社は、一遍の出自である伊予の豪族河野氏の氏社です。聖絵では、壇ノ浦の戦いで活躍した一遍の祖父河野通信が厚く信仰したことが語られています。

宝篋印塔
境内には、一遍が寄進したと伝えられる石造の宝篋印塔が3基あります。
この塔は文保2年(1318)に念心という人が寄進したことが銘文からわかるので、実際には一遍没後に制作されたものなのですが、この念心という人は西大寺系律宗に関連する石工だったことが指摘されています。



聖絵によれば、一遍は大三島で神官と地頭に「殺生禁戒」を誓わせたといいます。
一遍の布教スタイルといえば、(1)遊行、(2)踊り念仏、(3)賦算(念仏札配り)ですが、法然が唱えたような専修念仏からは少し離れ、仏教の戒律も重視していたようです。そう思ってみると聖絵には全編にわたり戒律や釈迦(舎利)を重んじる場面が見出せます。


熊野
最も重要な熊野の場面。一遍をインスパイアしたのは、戒律を重視する律僧でした。


他にも例を挙げればきりがありません。こういったところから聖絵の制作には、実は律宗への意識が大きく働いていると私は考えています。一遍や聖戒は律宗と深いつながりがあり、そこから聖絵制作のパトロンとなった上流貴族たちへとつながっていったのではないでしょうか。

この説については、去る11月15日(日)に遊行寺宝物館・神奈川県立歴史博物館・神奈川県立金沢文庫主催(会場:東京国立博物館平成館大講堂)で行なわれた記念シンポジウム「一遍聖絵の全貌」で研究報告をしました。
五味文彦先生(放送大学/東京大学)他、歴史、美術史、芸能史、建築史など様々な分野の先生方のご講演、研究報告をまとめたシンポジウムの成果は、来年度、高志書院より書籍化される予定です。

11月19日(木)から始まった神奈川県立金沢文庫での「国宝 一遍聖絵」展覧会図録に掲載されている大塚紀弘先生(法政大学専任講師)のコラム「一遍聖絵に描かれた律僧」によれば、往生が近い一遍と観音堂(現・真光寺)で最後の法談を行なった「光明福寺住持」も律僧であろうとのことです。
一遍の悟りを引き出し、またその最後をみとったのも律僧であるというのは、聖絵の制作環境を考える上でとても示唆的です。

 

 関連事業
ギャラリートーク「一遍とみる聖地と信仰」 2015年12月1日(火) 14:00~14:30  本館 特別2室

 4館共同一遍聖絵スタンプラリー「一遍と歩こう」(神奈川県立歴史博物館のウェブサイトへリンクします)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 瀬谷愛(保存修復室主任研究員) at 2015年11月27日 (金)

 

特集「東洋の白磁―白をもとめ、白を生かす」企画のきっかけについて

前回のブログでは、中国の白磁の起源とも呼ぶべき、6世紀の鉛釉陶と白磁について紹介いたしました。今回は、この特集のきっかけとなった作品についてお話したいと思います。

中国文学者 竹内実の文章のなかに、清水安三著『支那の心』を引いて
「(中国人の思想には)持続への依拠と尊重が根底にある」
とあります(『中国の思想』、1967年)。
この「持続」という言葉を思い出すたび、単純ながら、私は昨年の特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」において出品された「永楽年製」銘のある白磁雲龍文高足杯を思い浮かべます。


白磁雲龍文高足杯
白磁雲龍文高足杯 明・永楽年間(1403~1424) 景徳鎮窯 台北國立故宮博物院蔵

平成館の展示室に設けられた壁付きのケースは、基本的に書画を見せるためのもので、ガラスの大きさやケースの奥行は残念ながら工芸作品の展示には適していません。果たしてケースのなかでこれほど小さな酒杯は映えるだろうか、展示するまでとても心配でした。

しかし、白磁雲龍文高足杯はケースの大きさを忘れるほど、キラキラと光輝いていました。展示にあたった台北故宮 器物処の余佩瑾副処長も満足そう、そして一緒に展覧会を作ったスタッフも「宝石みたい」とため息をついたほどです。

この作品は、脱胎、つまり胎土があるかどうかわからないほど薄く、口縁はまるで紙のようです。それでありながら、白玉のような柔らかさがあります。このような白磁は「甜白」と評されました。さらに、その薄い素地に雲龍文を刻むとはまさに「神業」。

中国史上、もっとも栄えた時代といわれる15世紀初頭、明の永楽帝のころに至って、景徳鎮窯の白磁は玉にも優る究極の美しさを手に入れました。そしてこの時期の白磁をひとつの見本として、その後の皇帝たちは国を挙げて写しを作らせるようになり、頂点を極めた技術はさらに「持続」していくのです。

白磁雲龍文高足杯を見たとき、中国の陶工たちはこのうつわを目指して数千年もの長いあいだひたすらにやきものを作り続けてきたのだということに私は深く感動しました。残念ながら当館の中国陶磁コレクションには永楽の白磁はありませんが、この白磁雲龍文高足杯が今回の特集を企画するきっかけの一つとなりました。


今回の展示では中国において白いやきものがどのように発生し、展開したのか、そしてベトナム、朝鮮、日本の周辺地域において白磁生産はそれぞれどのような違いを見せているのか、というところにもふれています。

そのなかでもう一つ、私がお伝えしたかったことは、日本陶磁の面白さです。

昨秋、本館特別5室にて開催された日中韓国立博物館合同企画特別展「東アジアの華 陶磁名品展」では、小規模ながら中国・韓国・日本の陶磁器の名品が国別に時代を追って展示されました。

中国や朝鮮半島における陶磁器の歴史は、大きく言えば、硬質磁器の白磁を目指して展開してきたものです。それぞれの歩んだ道には違いがありますが、行き着くところは皇帝、権力者の愛した真っ白な磁器でした。作品を時代順に展示していくと、胎土や釉が次第に精製されていく様子をそれぞれにみることができました。悠久の時間を感じながら、発展の流れを追うのは、通史的展示の醍醐味です。

しかし、日本の陶磁史の面白さは16世紀から17世紀にかけて、さまざまな特徴をそなえたやきものの生産が一気に開花したところにあるのではないでしょうか。「陶磁名品展」でも、真っ黒なうつわであったり、ごつごつした土の肌を残していたり、釉を幾何学的に掛け分けたり、上絵付けで専門絵師の手かと思わせる精緻な図を配したり・・・と、とにかくバラエティに富んだ作品がならびました。

ここで注目したいのは、白い素地に下絵付けをして、白濁した長石釉を掛けて焼きあげた志野のうつわ。日本でいち早く本格的に下絵付けで装飾を行なった志野には、白い素地を活かしてさまざまな装飾技法が生まれました。

鼠志野秋草図額皿
鼠志野秋草図額皿 美濃 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 個人蔵
「陶磁名品展」では文化庁より重要文化財の鼠志野草花図鉢をお借りしました。現在、東洋館5室でも鼠志野の優品を展示しています。素地に鬼板とよばれる鉄を含んだ土を掛け、草花文を掻き落としてあらわし、釉を掛けて焼きあげたもので、文様を反転させたこの技法も、白い素地を持つ志野ならではのものです


このような名品は権力者や、その近くにあった茶人が手にしたものですが、当時、美濃や信楽、伊賀、備前、唐津などの各地で作られた賑やかなうつわが、京・大坂・堺をはじめとする都市を中心に大量に流通したのです。その背景には、茶の湯が町衆のあいだにも広く浸透したことが挙げられますが、中国や朝鮮半島との違いは、町衆と呼ばれる人々が力をつけて、経済や文化を大きく動かすというこの時代の日本社会独特の構造にあると言えるかもしれません。

日本には日常を豊かに彩るやきものがたくさんあります。それぞれ個性的で、見ても使ってもとても楽しいものです。東京国立博物館の陶磁器コレクションを通して、やきものの魅力にふれていただきたいと思います。


  特集「東洋の白磁―白をもとめ、白を生かす」(東洋館5室、2015年12月23日(水・祝)まで)
 
 

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posted by 三笠景子(東洋室研究員) at 2015年11月24日 (火)

 

考古展示室、見どころガイド(飛鳥~江戸時代)

ほほーい! ぼくトーハクくん!
今日は、リニューアルした考古展示室の、飛鳥時代から江戸時代までの見どころを教えてもらえるって聞いたんだほ。
よく来たね、トーハクくん。
あ、井出さん!
飛鳥時代から江戸時代の展示は、ぼくが担当しているんだよ。
江戸時代も考古学・・・? ぼくのイメージとちがうんだほ。
考古学っていうと、縄文時代とか古墳時代のイメージが強いかもしれないけど、そもとも、モノによって過去の人類の活動を研究する学問が考古学なんだ。だから、時代の古い・新しいは関係ないんだよ。
ほー!
ほら、ぼくが担当した展示、見ていってよ!


今回のリニューアルで、実は飛鳥時代から江戸時代の展示(下図の黄色・ピンクの部分)が一番大きく変わったんだ。


どこがどう変わったんだほ?
広報大使なのにわからないの? 残念だなぁ(ため息)。
・・・!?
今までは陶磁が展示の中心だったんだけど、実はトーハクは仏教考古の作品も充実しているんだ。
リニューアルを機に、せっかくだから館のコレクションをいかした展示にしよう! ということで、展示作品や展示方法を見直したんだよ。
ほー。
ちっともわかっていないでしょ。たとえば、瓦の展示を見てごらん。



あれ? なんだか屋根っぽい?
そうそう! 瓦の葺き方がイメージできるように展示を工夫したんだ。
しかも、この瓦みたいに平成館考古展示室で初めて展示される作品もあるよ。

蓮華文方形軒丸瓦
滋賀・南滋賀廃寺跡出土 飛鳥時代・7世紀



(左)緑釉唐草文軒平瓦 (右)緑釉単弁蓮華文軒丸瓦
京都・平安宮跡出土 平安時代・8~12世紀


初公開! それは大注目だほ!!
でしょう? 
あとは・・・平安時代の「祈りのかたち―山岳信仰と末法思想―」は、リニューアルを機に新しく設けた展示なんだ。


奈良と日光の作品がいっぱいだほ。
トーハクくんの言うとおり! この展示は、奈良県の大峯山頂遺跡出土資料と栃木県の日光男体山頂遺跡出土資料で構成されているんだよ。
どちらも、日本独自に生み出された山岳信仰の一端を示す、貴重な資料だね。
あ、このかわいい像は次世代アイドル候補! ぼくのライバルだほ。

重要美術品 押出蔵王権現像
奈良県・大峯山頂遺跡出土 平安時代・10~12世紀


いいでしょー、この宙を浮いているみたいな展示。
なんだか誇らしげだほ。
この展示方法もこだわったポイントだからね。展示台に寝かせて展示するよりも、お客様の目を引くと思うんだ。
押出蔵王権現像は愛されているんだほ。
それはもちろん、せっかくのリニューアルだし、どの作品もその良さがわかるように展示したいと思っているからね。
こっちの「中世のあの世とこの世」で展示している板碑もそうだよ。
 

これが井出さんイチオシとうわさの板碑の展示なんだほ。
そう、まさにイチオシだよ!
板碑は、こうやって垂直に立てた状態で使われたものなのに、今までは展示レイアウトの都合で、立てた状態での展示ができなかったんだ。
それにね、こんなに充実した板碑のコレクションがあるのに、お客様に見ていただけないのがもったいなくて。
これでようやく、たくさんの人に見てもらえるんだほ!

おっと、「見てもらえる」で思い出した。江戸時代の展示コーナーの後ろ側にも注目だよ。


「江戸から掘り出されたモノ」の展示コーナーの・・・


向かって左側の「慶長大判」の角を曲がると・・・


実はまだ展示があります!


徳利
東京国立博物館構内出土 江戸時代・18~19世紀


こ、こんなところにも展示があったほ?!
そうだよ。ここに展示される作品は、なんとトーハク出土品なんだ。これからもトーハクゆかりの作品を展示していく予定だよ。ぜひお見逃しなく!

どこも工夫がいっぱいで楽しかったほ。井出さん、今日はありがほーございました。
旧石器時代~弥生時代編古墳時代編(1)古墳時代編(2)とあわせて、これで旧石器時代から江戸時代まで展示室の見どころを紹介したからね、トーハクくんは広報大使としてますます励むように!
ほー!


展示担当者のさまざまなこだわりを知り、広報大使として気持ちを引き締めたトーハクくんなのでした

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posted by トーハクくん at 2015年11月19日 (木)

 

考古展示室、見どころガイド(古墳時代2)

考古展示室がリニューアルして、1ヵ月ほどたちました。
その間に多くのお客様に新しい展示室をご覧いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、前回に引き続き、私も古墳時代の展示を紹介していきます。
古墳時代の展示エリア(下図の青の部分)にも、壁付のケースのほかに、個々に独立したケースが配置されています。

これらケースは、個別テーマをとりあげたテーマ展示です。
今回はこのテーマ展示についてご紹介します。



まずは、古墳時代のスタートすぐのところに8つの覗きケースが皆様をお待ちしています。
これらケースは、1ケースで1テーマとなっています。
オープニングでは「紀年銘鏡と伝世鏡」・「舶載鏡と倭鏡」・「玉生産の展開」・「さまざまな宝器」・「古墳時代の農工具」・「武装の変革」・「古墳時代の祭祀」・「古墳時代の葬送儀礼」の8つのテーマを設けました。


なかでもおススメなのは、「玉生産の展開」にある和泉黄金塚古墳の玉(ぎょく)です。
展示している碧玉勾玉・碧玉異形管玉・水晶切子玉は日本列島最大級! の大きさで、たいへん見ごたえがあります。
このほか「紀年銘鏡と伝世鏡」もおススメです。
日本列島の古墳出土品には、中国の元号をもつ紀年銘鏡が青龍三年(235)から赤烏七年(244)の10年間に12面あります。
そのうちの5面がなんとこのケースに入っているのです!

 
(左)「玉生産の展開」の展示風景
(右)重要文化財 水晶切子玉 大阪府・和泉黄金塚古墳出土 古墳時代・4~5世紀

 
「紀年銘鏡と伝世鏡」に展示されている紀年銘鏡の一部
(左)重要文化財 画文帯同向式神獣鏡 
大阪府・和泉黄金塚古墳出土 古墳時代・4世紀〔景初三年(239)在銘〕 
(
)重要文化財 三角縁同向式神獣鏡 群馬県・蟹沢古墳出土 古墳時代・4世紀〔正始元年(240)在銘〕  五十嵐勘衛氏・根岸森三郎氏寄贈


これらテーマ展示ですが、半年ごとの展示替でケースまるごと、もしくは部分的に作品を入れ替えしています。
例えば、「武装の変革」ですと現在は鉄矛(ほこ)や鉄戟(げき)を展示して、4世紀から6世紀にかけての攻撃用武器の変遷をご覧いただけます。
来年度以降、このケースは馬具や剣など武装にかかわるテーマで展示替をおこなう予定ですので、新鮮な気持ちでご観覧いただけると思います。
 
(左)「武装の変革」の展示風景
(右)鉄戟 奈良県宇陀市榛原上井足出土 古墳時代・5世紀



次にご覧いただきたいのは、新沢千塚126号墳」の一括品を集めました展示ケースです。
金・銀製品や各種の玉は、朝鮮半島の新羅王陵との出土品と同様の高い水準で作られており、ガラス製品は西アジア起源です。
これら国際色豊かな作品は、細かなつくりをしているものが多いのが特徴です。
今回、すべてのケースでリニューアル前よりも照明を工夫し、ケースには低反射の加工をしました。
そのため新沢千塚126号墳の作品のように細かなつくりのものであっても、細部までよく観察することができるようになりました。

 
新沢千塚126号墳出土品の展示

 
(左)重要文化財 金製螺旋状耳飾(展示は右側のみ) 古墳時代・5世紀
(右)重要文化財 ガラス碗 古墳時代・5世紀



ところで、新沢千塚126号墳の作品がリニューアル前に入っていたのは、展示室奥を大きく2つに仕切る細長い弯曲したケースでした。
今回のリニューアルではこのケースを江戸時代の展示に再利用することで取り除き、展示室奥の古墳時代は大きなひとつの空間となりました。
そして、この開放的な空間にパワーアップした埴輪の展示台を新しくつくり、およそ4~5世紀の埴輪の展示台(「埴輪と古墳祭祀」)と6世紀の埴輪の展示台(「形象埴輪の展開」)とが、1ヵ所に連なることでリニューアル前よりダイナミックな展示になりました。
これまでの埴輪の展示台は、ある一定の角度からしか埴輪をご覧いただけませんでしたが、今回は360°どの角度からでも埴輪を観察することができます。

これらの埴輪も定期的に一部展示替をしています。
ある日気づいたら、埴輪がかわっていた! ということもありますので何度もお越しいただき、お気に入りの埴輪をみつけてください。
ちなみに、私が気に入っている埴輪は、愛らしい笑顔につつまれた「鍬(くわ)を担ぐ男子」です。
ギャラリートークでは解説を通じて、リニューアルした埴輪展示の魅力をご紹介する予定です。

  
リニューアルによりパワーアップした埴輪の展示

 
埴輪 鍬を担ぐ男子 群馬県伊勢崎市下触出土 古墳時代・6世紀
チャームポイントは笑顔です!



さて、今回リニューアル前と大きくかわった点として、わずか2件の作品のために特別室をあつらえたことが挙げられます。
その作品とは、熊本県・江田船山古墳出土の国宝「銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)」と福岡県・岩戸山古墳出土の重要文化財「石人(せきじん)」です。

銀象嵌銘大刀とは、文字が普及していない古墳時代当時としてはめずらしい長文の銘文をもち、その内容が5世紀の政治・社会や世界観をつたえるもので日本古代史上の第一級資料といえます。
そして、よくご覧いただくとこの大刀には水鳥や魚・馬も描かれていますので、ぜひ展示室で確かめてみてください。


国宝 銀象嵌銘大刀の銘文(部分)

 
大刀に象嵌された魚・水鳥・馬

また、石人は「リニューアル前と後とでずいぶんと変わった!」 、「良くなった!」と、とくに好評をいただいています。
今まではオモテ面しかご覧いただけませんでしたが、展示方法を工夫することで、360°どの角度からでもご覧いただけるようになりました。
実はオモテ面だけみると男の武人のようですが、ウラ面は靫(ゆき)という矢をいれる武具を表現しています。
つまり武具に男の顔と刀をつけているのです! ぜひお越しの際にはウラ面にもまわってご覧ください。

 
重要文化財 石人のオモテ面(左)とウラ面(右)


今回リニューアルして、前よりも見やすく、そしてさまざまな角度から展示をご覧いただけるようになりました。
そして定期的に展示替をおこなっていますので、何回訪れても飽きることなく、その都度新たな発見が待っています。
皆様のご来館をお待ちしています。

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posted by 河野正訓(考古室研究員) at 2015年11月12日 (木)

 

考古展示室、見どころガイド(古墳時代1)

10月14日(水)にリニューアルした考古展示室
今回は、前回ご紹介した旧石器時代~弥生時代の次の時代、古墳時代の展示をご案内します。


1999年に開館した平成館1階の考古展示室は、1978年から考古資料の展示館として使用されてきた表慶館から移転してきました。
表慶館では民族資料の部屋を除く8室の展示室で、旧石器時代から中世までの考古資料が展示され、このうち4室で古墳時代の展示が行われていました。

古墳時代は農耕社会が成立した弥生時代(~3世紀頃)と律令国家が成立した奈良時代(8世紀)との間に挟まれた時代で、日本列島における古代国家の形成期に当たります。
近畿・瀬戸内地方で成立した前方後円墳を中心とする古墳文化が本州・四国・九州に拡がり、はじめて日本列島に政治的な中心地が生まれた時代です。

年代的には平安時代よりやや長い約400年間余りですが、およそ100年ごとに時代が変わったともいえるほど、急激な変化が起きたいわば激動の時代です。
ちょうど、急速に海外の影響を受けて時代が揺れ動いた明治維新後や第2次大戦後の高度経済成長期とよく似ています。


その様子は、5つの通史展示と13のテーマ展示でご覧いただきます(下図の青の部分)。



テーマ展示については、次回の1089ブログで詳しく取り挙げますので、今回は通史展示についてご紹介します。

さて、通史展示は展示室外周の一部を除いた壁部分全面に設置された、いわゆる「壁付ケース」で構成しています。
本展示室の最大の特徴でもある長大な壁付ケースは、一番長いところで43mもあります。
考古資料の展示室としては国内最大(ということは・・・日本考古展示としては世界一!?)です。

43mもある壁付ケース

この特徴を最大限に活かすために、リニューアル前と同様、引き続き通史展示で構成することになりました。
ただ、リニューアル前は途中に独立ケース群をまとめた、弯曲した特別な仕切り壁型ケースがありました。
これはこれで、大変エレガントな展示ケースでしたが、今回は江戸時代の展示エリアへ移動し、古墳時代の展示エリアは全体を見渡せるように改修しました。

しかし、彫刻や絵巻物・屏風のように大型の展示品は少ない考古資料の展示ですので、ただ展示品を並べただけでは単調な印象になりかねません。
先ほどご紹介しました「激動の時代」である時代性と、この長大な空間の特徴を活かす構成はできないか。
それには遷りゆく時間の流れを感じていただく工夫が必要でした。
そこで、全体が「絵巻物」のように起伏に富んだ構成が相応しいと考え、いくつかのキーワードを設けています。


一つ目は、もっともわかりやすい「形の変化」です。
古墳時代の文物も他のすべての時代と同様、さまざまな要素の組合せが少しずつ入れ替わり、グラデーションのように変化しています(一戸建てからマンションに変わっても畳の部屋は必需品?ですね)。

もちろん、これを“真面目に”展示すると、ゆっくりとした変化の正確な組合せはご覧いただけますが、メリハリのない展示になってしまいます。
そこで通史の各コーナーでは、時代の変化を象徴する「顔(形)」を中心に据えて展示を構成することにしました。
また、各通史の冒頭には、テーマパネルの解説と一緒に、時代を象徴する「逸品」をまず見ていただく基本構成をとっており、展示室全体を通した統一的な起伏のリズムを基調としています。


 

古墳時代の通史展示の最初、「4.政治的社会の成熟」(上の写真左)では、弥生土器から変化した土師器のツルッとした土器や日本列島でしか出土しない三角縁神獣鏡のフォルム、「5.ヤマト(倭)王権の成立」(上の写真右)では日本列島でしか出土しない三角縁神獣鏡や大型鏡を中心とした国産鏡と各種の碧玉製品の円形と貝形のフォルムで、時代の変化を表現しようと考えました。
次の「6. 巨大古墳の時代」(下の写真左)では、日本列島独自の帯金式甲冑を中心とした人形を感じさせる鉄製武具のフォルム、「7. 地方豪族の台頭」(下の写真中)では馬具と金属製装身具を中心とした馬形と大陸伝来の華やかな各種の意匠、最後のいわゆる飛鳥時代に当たる「8. 終末期の古墳」(下の写真右)では、大陸から伝わった寺院建築などの仏教文化から採り入れた各種文物のフォルムなど、といった具合です。

もちろん、すでにお気づきのように、これらの背景にはテクノロジーの発達や思想・社会の変化・交流が反映されていることはいうまでもありません。
   


二つ目は、見た目に印象的な「色彩の変化」です。
すでに説明した各コーナーの「形の変化」は、実は材質の転換・変化を伴っていて、それぞれは独特な色合いをもっています。
もちろん、長い年月を地中で過ごした考古資料は多くが劣化していますので、必ずしも完成した当時の色彩そのものではありません。それでも、印象深い色彩の変化があり、それをやや強調することにしました。

最初の茶色を基調とした土師器から始まり、3~4世紀は緑色の銅鏡(下の写真左)や碧玉製品、5世紀は錆びた焦げ茶色の鉄製品です。かわって、6世紀になると金銀色の各種馬具や金属製装身具(下の写真右)、7世紀は中国起源の鉛ガラスの透明感のある緑色などなどです。
これらは当時の人々にも目新しい印象を与えたに違いなく、新時代の到来を感じさせたことでしょう。
 


以上のふたつのキーワードとは別に、日本の古墳文化の大きな特徴として、銅鏡の重視があります。
現在、日本列島では4000面以上の出土例が知られています。
これは“本家”の中国を上回るほどの出土量で、如何に当時の人々が新来の古代中国の世界観を映し出している銅鏡に魅了されていたかがわかります。

いつの時代でも、時代の変化を感じさせるものは、新しく出現した“新来”の文物です。
そこで、通史展示各コーナーの冒頭には、必ずその時代の特徴を表わす銅鏡を併せて展示しています。
  
左から「4.政治的社会の成熟」、「6. 巨大古墳の時代」、「7. 地方豪族の台頭」の、それぞれ冒頭に展示された作品
(左)土師器 壺 大阪府・庄内遺跡出土 橋本宗太郎氏寄贈
重要文化財 斜縁二神二獣鏡 奈良県・佐味田宝塚古墳出土 
(中)眉庇付冑 山梨県・大塚古墳出土 ※11月23日(月・祝)まで
画文帯同向式神獣鏡 静岡県・奥ノ原古墳出土
(右)金銅装f字形鏡板付轡 群馬県高崎市剣崎大塚出土 高崎市臨時水道部寄贈
七鈴鏡 奈良県大和高田市西三倉堂町三倉堂古池出土


すべてのコーナーに解説も付けていますので、すでにご紹介してきた形・色の変化と、組み合わされた各種文物の象徴として(“通奏低音”のような?)各種の銅鏡も併せて、当時の人々の想いと好みの遷り変わりを感じ取っていただければ幸いです。


ところで、このような構成を展示室内でよりわかりやすく、印象的に演出することは、展示にとってもっとも大切なことの一つです。
そこで、忘れてならないのは、その実現にはパネル・展示台・展示具や照明などのトータルな空間全体のデザインが欠かせないということです。
それには各種の展示台・展示具の形状・色彩や時代毎に色分けされた天井まで届くテーマパネルなどのデザイン、メリハリの効いた照明が効果的なことを感じていただけるのではないでしょうか。



(上下ともに)古墳時代の通史展示

これらは準備段階で、当館デザイン室の研究員と議論を重ね、さまざまなアイディアが提出された結果生み出されたもので、多くの関係者の尽力で実現することができたものです。
このような点にも、是非、注目してご覧いただきたい見どころの一つです。

本展示室で、日本列島に展開した先人達が辿ってきた足跡の「物語」を、絵巻物を見るようにご覧いただければまさに本望です。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古展示環境・たてもの

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2015年11月10日 (火)