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1089ブログ

ベトナムのやきものと岡野繁蔵

こんにちは、平常展調整室の三笠です。

今年も「博物館でアジアの旅」の季節がやってまいりました。
台風に負けず、たくさんのお客様にご覧いただきたいと願っております。

私がお話するのは、今回の企画に合わせて開催中の特集「岡野繁蔵コレクション―インドネシア由来の染織と陶磁器」に出品されているベトナムのやきものと、岡野繁蔵(1894~1975)についてです。

突然の告白ですが、私は絵を鑑賞するのがとっても苦手です。
楽しげに絵解きをしている同僚の話を聴くたびに目から、そして耳からも(!)ウロコ。
私の脳みそには絵を観る機能が欠落しているのだと諦めております。

というわけで、日々癒してくれるのはやっぱり「やきもの」。
叩く。挽く。圧す。時には陶工が掴んだ指の跡がそのまま残っていたり。
数百年の時を超えて、力強い造形の作業を想像しながらたどるのが大好きです。

そんな私が今回オススメする一番の作品は、ベトナムの「五彩水牛図大皿」。
まるでピカソのデッサンをみるような、デフォルメされた水牛の姿。
そばにいる水牛を画工が見たままに描きつけたのでしょうか。素朴ながら丁寧な筆遣いで、水牛の優しげな眼と長い睫毛が印象的です。
そして皿を彩る下絵付けの青、赤と緑の上絵具。絵付けはこのわずか三色にもかかわらず、とても明朗で陰影豊かでしょう。
ややこしや…と身構えることなく、「ずっとみていたい。絵って素敵だな」と思わせてくれる作品なのです。


五彩水牛文大皿 ベトナム・16世紀 岡野繁蔵旧蔵 [2018年12月25日まで東洋館12室にて展示]


ベトナムの製陶は、中国に大きな影響を受けて開花しました。
それは器形や文様構成をみれば一目瞭然。
 
青花牡丹唐草文壺 中国 景徳鎮窯 元時代・14世紀 ※展示していません


青花牡丹唐草文壺 ベトナム 15~16世紀 [2018年12月25日まで東洋館12室にて展示]

しかし底をみると、夾雑物(きょうざつぶつ)の混じった灰茶色の胎(たい)であることがわかります。厚くて重さもずっしりとしており、真っ白で薄づくりの中国磁器とはだいぶ異なった粗い素地です。
また、高台内に鉄を塗るのもベトナムのやきものの特徴です。これを俗に「チョコレート・ボトム」と呼んでいます。
むしろこうした作行き(さくゆき)が見どころであり、とくにさまざまな地域のやきものに親しんできた私たち日本人の眼をも惹きつける魅力ではないでしょうか。


五彩水牛文大皿の底


青花牡丹唐草文壺の底


ところで皆さま、これらの作品をはじめとするトーハクの東南アジア陶磁コレクションの多くは、かつて岡野繁蔵という人がインドネシアで蒐集したものであることをご存じでしたでしょうか?


岡野繁蔵 (藤枝市郷土博物館・文学館提供)


岡野は、陶磁器研究の世界では重要なコレクターの一人として名が通っていますが、一般的にはほとんど知られていないかもしれません。

岡野繁蔵は、明治27年(1894)に現在の静岡県藤枝市で生まれました。苦学の後、大正4年(1915)にインドネシアのスマトラへ渡ります。その後、独立して「大信洋行」という貿易会社を興し、大きな成功を手にしました。


岡野がスラバヤに開いた百貨店「トコ・千代田」 (藤枝市郷土博物館・文学館提供)

昭和17年、戦況の悪化を前に岡野は日本へ戻りました。それに先立ち昭和15年6月、岡野は東京美術倶楽部にて、インドネシアで蒐集したコレクションの売立てを行ないます。
この時発行された『岡野繁蔵氏所蒐 蘭領東印度諸島遺存陶磁工芸品図譜』によると、売立てに出たコレクションはおよそ600点にのぼり、下記のように分けられていました。

1)中国明時代にインドネシアへ輸出された陶磁器
2)ベトナムやタイからインドネシアへ輸出された陶磁器
3)インドネシアの日用土器
4)日本から輸出された伊万里焼、九谷焼
5)ジャワ島にて蒐集した染織
6)ジャワ島にて蒐集した家具
7)ジャワ島にて蒐集した銅鑼
8)ジャワ島にて蒐集した木工品

インドネシアの人々から深い信頼を得ていた岡野のもとには、美術品を持ち込む地元の人々の訪問が絶えなかったと伝わっています。インドネシアにまつわるこれだけ豊かなコレクションを築いたのは、岡野の他にあり得ないでしょう。

現在、東京国立博物館には岡野旧蔵の陶磁器(寄託品含む)およそ90件、染織120件が収蔵されています。今回東洋館12室では、これまでまとまって紹介されることがなかった中国南方の輸出陶磁も展示されています。
中継貿易地として古くよりヒトとモノの往来が続いてきたインドネシアならではの、大変貴重で見どころに富んだ作品ばかりです。

この機会にぜひご堪能ください。


東洋館12室 特集展示の様子
特集「岡野繁蔵コレクション―インドネシア由来の染織と陶磁器」
東洋館 12室 2018年9月4日(火)~12月25日(火)

中国の陶磁
東洋館 5室 2018年9月4日(火)~12月25日(火)

茶の美術
本館 4室 2018年9月11日(火)~12月9日(日)

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開博物館でアジアの旅

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posted by 三笠景子(平常展調整室主任研究員) at 2018年09月07日 (金)

 

ワヤン・クリ 幻影の哀(あい)戦士たち



特集「ワヤン―インドネシアの人形芝居―」が東洋館12室で開催中です(12月25日(火)まで)。「博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン」と連動した本特集ではそのタイトルの通り、インドネシアの人形芝居ワヤン・クリを紹介しています。

インドネシアの伝統的な影絵人形劇であるワヤン・クリの面白さは、ストーリーや世界観にあり、また影絵や音楽が作り出すムードにあります。
なので、異国の古典芸能の芸術性を鑑賞するというような堅苦しいものでなく、現代人が映画やアニメやミュージカル、あるいはマンガやRPGゲームなんかを興じる感じで大いに楽しめます。
その内容は非常に面白く、波長が合えば、きっとハマります。


ワヤン・クリの上演風景(ジョグジャカルタ・ソノブドヨ博物館)
ワヤン・クリは影絵人形劇なので、白布を張ったスクリーンの向こう側で人形の操作や音楽の演奏が行なわれます。そのため人形の黒い影を観ることになりますが、影は真っ黒ではなく、ほんのりと彩色が映ります。精緻な透し彫りもきちんとシルエットになって表われます。人形は操作棒によって手の関節が動きます。人形自体は上下左右に移動するばかりでなく、前後にも移動するので、影が膨らんだり縮んだり、焦点が合ったりぼやけたりします。


ダランとガムラン
人形を操るのはダランという操者。彼は一人で全ての人形を操り、声色を変えてセリフを語り、手足で拍子をとります。ダランの背後にはガムランという楽団がならびます。打楽器が中心ですが、管弦楽器もあり、歌や手拍子も入ります。ガムランの柔らかい金属音の響きが鳴りわたると、一気にムードが高まり、現実は消え去って、ファンタジーゾーンが形成されます。



ダランの語り
ダランの語りが中心となり、人形がほとんど操作されない場面もあります。ダランの腰にはクリスという短剣があります。ガムラン奏者たちは出番のないときは、食事をしたり、タバコを吸ったり、スマホを触ったり、ひそひそ話をしたり、居眠りなんかもしてますが、出番になるとサッと演奏を再開します。



ワヤン・クリの代表作には、『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』の2つがあり、いずれももとはインドでヒンドゥー教の叙事詩として成立したのですが、インドネシアに伝わると、熱帯雨林のなかで演じられるエンターテイメントの台本として翻案されました。
『ラーマーヤナ』は、魔王ラウォノが黄金の鹿を囮にして誘拐したシント姫を、恋人のロム王子が聖鳥ジャタユや白毛の聖猿アヌマンたちの協力を得ながら救い出す冒険譚です。ときどき『ロミオとジュリエット』に譬(たと)えられますが、これはぜんぜん当たっていません。


シント姫の誘拐(『ラーマーヤナ』より)
ロモ王子とシント姫の前に黄金の鹿が現われ、王子は姫のために鹿を捕まえに行きます。そのすきに魔王ラウォノが姫をさらいます。聖鳥ジャタユが現われて奮戦しますが、かなわず、姫はさらわれます。



アノマンの戦闘シーン(『ラーマーヤナ』より)
戦闘シーンは本物の殴り合いのように激しく、一体の人形が片手で一人を首締めにして、もう片方の手でもう一人を殴りつけるような喧嘩上手な場面もあります。表と裏から見た様子を比べてみました。



宙(そら)を舞うアノマン(『ラーマーヤナ』より)
人形を投げ上げるスーパープレイ。聖猿アノマンが空中戦をしかけた瞬間です。「白い猿が勝つわ」という予言者の言葉が聞こえてきそうです。



『ラーマーヤナ』は人気のある演目で、これはこれで面白いのですが、私は断然『マハーバーラタ』派です。
『マハーバーラタ』は、アスティノ国の王位をめぐってパンダワ軍(善玉)とコラワ軍(悪玉)が対立するなかで、多くの英雄たちや貴婦人たちの運命が翻弄され、いくつもの愛憎劇が複雑にからまり、それらの伏線が最後には大戦争バラタユダのなかでことごとく回収されてゆく英雄譚です。
守るべき女のために死にゆく男たち、愛する男のために死にゆく女たち。しかも、そこで繰り広げられる全ての悲哀は、天界に暮らす神々が退屈しのぎに仕組んだシナリオに沿って進んでいるのです。


アルジュノ(『マハーバーラタ』より)
主人公アルジュノは、パンダワ五王子の三男。ウィスヌ(インドでのヴィシュヌ神にあたる)の化身です。弓術をはじめとする武芸に長けており、苦難をいとわず、挑まれた戦いには必ず勝つ勇者です。


ウルクドロ(『マハーバーラタ』より)
ウルクドロは、パンダワ
王子の次男で、別名をビモといいます。風神バユの加護を受けています。バユと同様に、額にこぶがあり、長い爪をもち、市松模様の衣装を着ます。無双の戦士であり、敵の総大将ドゥルユドノを斃(たお)します。


ドゥルユドノ(『マハーバーラタ』より)
敵の総大将ドゥルユドノは、コラワ百王子の長男。謀略をめぐらし、アスティノ国の王位継承の資格をもつパンダワ五王子たちから財産や土地を巻き上げて追放し、みずからが王であると僭称(せんしょう)します。



バヌワティ(『マハーバーラタ』より)
気高き美女バヌワティは、やや不機嫌なときの表情が一層美しいとされます。アルジュノを慕いながら、彼の宿敵ドゥルユドノの妻となっています。大戦争のさなか、ついにアルジュノと結ばれますが、その直後の敵襲によって命を散らします。



ワヤン・クリの人形には精緻な透かし彫りや鮮やかな彩色が施され、それ自体の造形が素晴らしいですが、機会があれば、影法師となった彼らが死力を尽くして活躍するところもぜひ御覧いただきたく思います。


ブトロ・グル(『マハーバーラタ』より)
天界の最高神ブトロ・グルは、インドでいうところのシヴァ神です。4本の腕をもち、三叉の鉾(ほこ)を備え、聖牛の背に乗っています。大戦争バラタユダの悲劇を仕組んだ張本人であり、登場人物たちは予言書に記された運命を演じさせられているにすぎません。



ワヤン・クリの人形製作風景


ワヤン・クリの人形製作 製作工程(左)と完成(右)
ワヤン・クリの人形は、水牛の革をなめしたものを切り取り、精緻な透かし彫りを施し、極彩色を施し、水牛の骨で関節を留めて、水牛の角でできた操作棒を取り付けたものです。


さいごに。
トーハクでは9月12日(水)と14日(金)に、このインドネシアの伝統芸能ワヤン・クリを表慶館で上演します。東洋館の特集展示とあわせ、ぜひ影絵芝居もお楽しみください。

特集「ワヤン―インドネシアの人形芝居―」
東洋館 12室 2018年9月4日(火)~12月25日(火)

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

インドネシアの伝統芸能「ジャワの影絵芝居ワヤン・クリ」
2018年9月12日(水) 13:00~13:40、15:00~15:40
2018年9月14日(金) 11:00~11:40、13:00~13:40
場所:表慶館 (開場は各回30分前)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開博物館でアジアの旅

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posted by 猪熊兼樹(特別展室主任研究員) at 2018年09月04日 (火)

 

名品の名品たる所以―伝趙昌筆「竹虫図」の場合―

東洋館8室では、2018年8月28日(火)から2018年10月21日(日)まで、特集「中国書画精華-名品の魅力-」を開催しています。
毎年秋恒例の中国書画の名品展ですが、今年のテーマは名品の名品たる所以をわかりやすく紹介、ということですので、本ブログでは、伝趙昌筆「竹虫図」について、その魅力をお話してみようと思います。


重要文化財 竹虫図 伝趙昌筆 南宋時代・13世紀 (9月24日まで展示)


名品たる所以 その1 ―圧倒的な描写力―

この「竹虫図」は、今からおよそ800年前、13世紀に描かれたと考えられている作品です。大きく回転しながら竹が伸び、瓜、鶏頭が添えられ、間に、チョウやトンボ、イナゴ、スズムシ、クツワムシなどが遊びます。

日本では、10~11世紀に活躍したという有名な花鳥画家、趙昌筆として伝えられてきましたが、実際の作者の名前はわかっていません。
しかし、当時でも指折りの名人であったことは確実でしょう。

複雑に重なり交差しあう竹の細枝を見事に描ききり・・・、


「竹虫図」(部分:竹枝)

トンボの頭部の立体感、翅の文様まで細かに再現しています。


「竹虫図」(部分:トンボ) ※絹糸の織目が見えるくらいまで拡大しました。

鶏頭の花の色と質感を、様々な色の点描を重ねることで表し・・・、


「竹虫図」(部分:鶏頭)

瓜の葉の、深緑から黄緑に変わっていくグラデーションを丁寧に伝えます。


「竹虫図」(部分:瓜)


注目すべきは、金泥をごく限定的かつ効果的に使用する、洗練された感覚です。
これは12~13世紀の中国絵画特有のもので、本図では、チョウの翅の文様の一部、カゲロウの目、瓜の葉の上の小虫などに金が用いられ、控えめな輝きを放っています


「竹虫図」(部分:チョウ)


「竹虫図」(部分:カゲロウ)


「竹虫図」(部分:小虫)


名品たる所以 その2 ―他に現存例のない希少性―

草花の間に昆虫を散りばめる作品は、中国絵画史では「草虫」というジャンルに区分されます。
草虫図は10世紀ころから人気の画題となってきたようで、絵画の歴史書にも草虫図を得意にしたという画家の記述が出てきます。
ただ、このころの作品はほとんど残っておらず、比較的画面の大きい掛軸形式のものとしては、本図が現存最古の作例といえるでしょう。

14世紀以降、掛軸形式の草虫図の構図は形式化して、重要文化財「草虫図」のように、左右対称性を重視した静的なものがほとんどになっていきます。
一方、本図はモチーフを片側に寄せ、より動きのある画面を作っており、定型化する前の草虫図の表現がどのようなものであったかを私たちに教えてくれるのです。


重要文化財 草虫図(右幅) 元時代・14世紀 (9月24日まで展示)

また、白居易(772-846)が「竹の性は直」というように(「養竹記」)、基本的に竹はまっすぐであるべきだと考えられ、そのように描かれてきました。
しかし、ご覧のように、本図の竹は大きく曲がっています。これは他にあまり例がありません。


「竹虫図」(部分:竹幹)

歴史書には、10~11世紀にかけて活躍した劉夢松という花鳥画家が、曲がり竹をよく作っていたとあるので(『宣和画譜』「墨竹門」)、中国には、竹を曲げて描く伝統もあったようです。
しかし、そのような作品はほとんど残っておらず、曲がり竹の持つ意味も忘れられてしまいました。

竹の中には、実際に曲がって生える種類もあるようです。
書物には、仙人が杖を植えたところ、その場所の竹が曲がるようになり、僧侶たちがこれを杖にした、という記録(潛説友『咸淳臨安志』「安隠院」)や、「羅漢杖竹」(李衎『竹譜詳録』巻五)という種が紹介されています。


李衎『竹譜詳録』巻五「羅漢杖竹」

仙人や羅漢の杖と関連付けられることからも、曲がり竹には吉祥の意味があったと推定されます。
草虫図は基本的に、おめでたいモチーフから構成される画題であるので、本図もやはりそのような意味で曲がり竹を表したのでしょう。
竹を曲げて描く伝統を考える上で、本図は重要な手掛かりの一つとなりそうです。


名品たる所以 その3 ―大切にされてきた歴史―

本図の左上には、「雑華室印」という、室町幕府第6代将軍・足利義教(1394~1441)の所蔵印が捺されています。


「竹虫図」(部分:「雑華室印」白文方印)

その後も、足利将軍家ゆかりの宝物として大切に伝えられ、江戸時代には広島の大名・浅野家のコレクションにあったことが知られています。


「竹虫図」箱


「竹虫図」箱金具

この箱は浅野家であつらえられたものでしょうか。絵にあわせて、曲がり竹に様々な虫を配した、非常に手の込んだ作りの金具がつけられています。
真ん中のクツワムシがへこむようになっていて、ここを押さないと蓋が開けられないという凝りようです。

本図には、江戸幕府の御用絵師・狩野尚信(1607~1650)の鑑定書きが付属しています。狩野派の画家たちも熱心にこの絵の重要性を理解し、一生懸命勉強したのでしょう。
当館には、18~19世紀の狩野派の画家・笹山伊成(?~1814)の模写も残っています。


「竹虫図」狩野尚信鑑定書き


趙昌曲竹辟虫図 笹山伊成筆 江戸時代・18-19世紀 (本展では展示されません)

ここまで、伝趙昌筆「竹虫図」について、その1-圧倒的な描写力、その2-他に現存例のない希少性、その3-大切にされてきた歴史、という3つの観点から、名品の名品たる所以をご説明してきました。

特集「中国書画精華-名品の魅力-」には他にも、トーハクの誇る中国書画の名品がずらっと並んでいます。
ぜひ東洋館8室まで足を運んでいただき、それぞれの名品たる所以を考えていただければ幸いです。


本館8室 特集展示の様子

特集「中国書画精華-名品の魅力-」
東洋館 8室 2018年8月28日(火)~10月21日(日)
前期:8月28日(火)~9月24日(月)
後期:9月26日(水)~10月21日(日)
作品リストはこちらから

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室研究員) at 2018年08月29日 (水)

 

海の道をジャランジャラン

スラマッパギ(おはようございます)。調査研究課の今井です。
恒例となった「博物館でアジアの旅」、5回目の今年のテーマはインドネシア、「海の道 ジャランジャラン」(9月4日~30日)です。
ジャランジャランはインドネシア語で散歩といった意味です。


バティックのインドネシア地図

突然ですが、皆さんは東洋館地下の展示室に足を運んだことはございますか?


東洋館13室の展示風景

自分と向き合うにはうってつけのスペースです。
静かです。
とにかく静かです。
・・・まったく静か過ぎます。

かつて、東洋館地下には特別展用の会場がありました。
平成25年(2013)1月に東洋館をリニューアルオープンするにあたり、地下の展示室も東洋館の展示体系に組み込むことになりました。

東洋館は1階の吹き抜けに中国の大型の石像彫刻、2階からはガンダーラ、西アジアからいわゆるシルクロードに沿って、西から順に東に向かう構成となっています。
しかしながら、アジアにおいて文化が行き交った道は陸路のシルクロードばかりではありません。
そう、もう一つ「海の道」があるのです。
そこで、東南アジア地域の美術、工芸、考古を地下に展示することになりました。

インドネシアは東南アジア海域の中核に位置します。赤道にまたがる13,000以上の島々からなり、東西5,000キロ以上、人口は2億6,000万人以上、300もの民族からなります。
世界最大のムスリム人口を擁する国ですが、そのほかプロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教なども信仰されています。
そのため、「多様性の中の統一」が国是となっています。

この海域では、古来、人とモノの活発な往来があり、各地に起源をもつ文化と土着の文化とが融合して、活力に満ちた独自の文化を形作ってきました。文化の坩堝(るつぼ)というより、「大鍋」といったイメージかもしれません。
世界遺産に登録されている中部ジャワのボロブドゥルは仏教遺跡、プランバナンはヒンドゥー教の遺跡です。
また、クリス(短剣)、ワヤン人形劇、バティック(ろうけつ染め)は、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

今年は1958年に日本との国交を樹立してから60周年を迎えます。
近年経済的な結びつきがとみに強まっている両国ですが、文化の面での理解と友好をいっそう深めるために、インドネシアで生み出されたさまざまな文化財のほか、この海域を行き交った交易品としての中国陶磁、ベトナム陶磁などをご紹介します。
この機会に、東洋館地下の展示室にもどうぞご注目ください。

それでは、サンパイジュンパラギ(またお会いしましょう)。

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 今井敦(調査研究課長) at 2018年08月27日 (月)

 

【縄文】遺跡へゴー! ~遺跡で楽しむ縄文~その2

遺跡へゴー! ~遺跡で楽しむ縄文~その1」に引き続き、特別展「縄文―1万年の美の鼓動」展示作品が出土した遺跡を、いくつかご紹介します。

井戸尻(いどじり)遺跡群
長野県と山梨県の県境にほど近い富士見町には、縄文時代の遺跡が数多く眠っています。
特に中期の遺跡がたくさんあり、井戸尻遺跡群とも呼ばれる遺跡密集地帯からは、造形的に優れた作品が多く発見されています。
本展覧会でも中期を代表する特色ある作品が出品されています。

深鉢形土器
No.33 深鉢形土器 長野県富士見町 藤内遺跡出土 

重要文化財 深鉢形土器
No.162 重要文化財 深鉢形土器 長野県富士見町 藤内遺跡出土

深鉢形土器
No.163 深鉢形土器 長野県富士見町 曽利遺跡出土

いずれも縄文時代(中期)・前3000~前2000年/長野・井戸尻考古館蔵

富士見町内から出土した作品の多くは、井戸尻考古館に収蔵されています。
博物館は井戸尻遺跡に隣接しており、復元された竪穴住居など、史跡が整備されています。
周囲は井戸尻の名の由来となったともいわれるように、豊富な湧水に恵まれ、日当たりがよく見晴らしの良い風景は、縄文人がこの地を好んで利用していたことが頷けます。
さらに、遺跡の目の前に連なる山々の間から、富士山の8合目付近から山頂付近がはっきりと見えます。
はっきり見えるのは空気が澄んだ秋から春にかけてですが、私が行った6月でも、残雪が残る山頂を見ることができました。
一際存在感ある富士山を見つめながら縄文人も暮らしていたのでしょうね。

井戸尻遺跡からみた富士山
井戸尻遺跡からみた富士山(2018年6月)


北沢石棒
最後にご紹介するのは長野県佐久市月夜平遺跡出土の石棒です。
この作品は昭和8年に道路改修工事の際に偶然土中から発見されました。
その後近くに鎮座する大宮諏訪神社へ奉納され、以来、ご神宝として通常は社殿に納められています。
何度か神社へうかがいましたが、いずれも氏子代表の皆さんが立ち会ってくださり、神社でご神宝が大切に守られていると感じました。
月夜平遺跡は、昭和初期の文献に写真入りで紹介されるなど、佐久地方では有名な遺跡です。現在もその頃と大きく変わらない景観で、遺跡が眠っています。
今回の展覧会では特別にご許可を得て、作品をケースに入れず、石棒が直立した状態で展示しています。これまでの発掘事例によれば、一般的に石棒は寝かせられた状態や、人為的に破壊された状態で出土することが多いといえます。ただし、住居跡や土坑から頭部の破片が直立した状態で発見されることもあり、本来石棒は立たせて儀礼などに使われたとする考え方もあります。また、月夜平遺跡周辺では石棒がたくさん発見されていますが、月夜平遺跡からそれほど遠くない佐久穂町北沢には、高さ2メートルを超える大きな石棒が現在も田んぼの畔に直立した状態でたたずんでいます。この石棒はもともと地表からわずかに立った状態で現在の場所に置かれていたものが、昭和40年代に掘り起こされ、補強されて現在のように立っているそうです。重厚感がありながらも端正な姿形が周囲の風景にごく自然に溶け込んでいるのがとても印象的です。農作物の収穫を終えた晩秋から春先に訪れてはいかがでしょうか。北沢の石棒は、月夜平遺跡出土の石棒の展示を考えるうえでとても参考になりました。

中央で直立する石棒 
中央で直立する石棒(作品№146) 

社殿の石棒撮影のようす 
社殿の石棒撮影のようす(カメラを構えているのは当館の藤瀬カメラマンです)(2018年4月筆者撮影)

佐久穂町北沢の石棒 
佐久穂町北沢の石棒(2018年4月筆者撮影)

【さあ、遺跡へゴー!】
本展覧会に関する取材を受けるとき、私がよくお話しすることがあります。それは、もし本展覧会で展示されている作品をご覧になったら、今度はぜひ、その作品が発見された場所(遺跡)にお出かけくださいとお話しています。なぜならば、作品が発見された遺跡は、その作品が生み出され(あるいは持ち込まれ)、使われ、役目を終えて長い年月眠っていた場所です。いわば作品の故郷のような場所。その故郷に実際に出かけ、その場に立ってみることをお勧めしたいですね。たとえ景観が少し変わっていたとしても、当時の風景や当時暮らしていた縄文人の気分に近づくことができるんじゃないかな、と考えています。
遺跡で縄文人の気分を味わうことができたら、次に、普段その作品が所蔵・展示されている博物館を見学してみませんか。地域の博物館には、その作品と同じ遺跡から発見された出土品や、近くの遺跡から発見された出土品など、その地域ならではの作品がたくさん展示されています。その中には、美しいもの、かっこいいもの、きれいなもの、かわいいものなど、皆さんの心をつかむ、お気に入りの作品が見つかると思います。もしかしたら未来のスーパースターとなる作品と出会えるかもしれませんね。

私が学生時代、先輩から考古学は「歩けオロジーだ!」とよく言われました。考古学の英訳であるArchaeology(アーケオロジー)をおもしろおかしく語呂を合わせて「歩けオロジー」などといつの頃からか言われるようになったものだと思います。おそらく「考古学は現場(現地)が大切で、足で稼いで(実際に遺跡を訪れたり、出土品の調査に各地の所蔵先を訪ねて)学問をするものだ」という意味合いなのではないかと私は理解しています。

この夏、トーハクで縄文展をご覧になられたら、各地の縄文の美を求めて、皆さんも「歩けオロジー」してみませんか?新しい出会いがきっとあるはずです。ぜひ遺跡や博物館での出会いを楽しみつつ、縄文時代や縄文文化をさらに身近に感じてみてください。

国宝土偶縄文のビーナスが発見された棚畑遺跡にて 
国宝「土偶縄文のビーナス」」が発見された棚畑遺跡にて(2018年7月筆者)
※翌日の国宝土偶縄文のビーナス拝借を前に、遺跡に「ご挨拶」

カテゴリ:研究員のイチオシ考古2018年度の特別展

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posted by 井出浩正(特別展室主任研究員) at 2018年08月24日 (金)