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1089ブログ

長船長光の太刀

こんにちは。平常展調整室の酒井です。
ブログは初めてです。どうぞよろしくお願いします。

さて、今日は刀剣の魅力を少し書かせていただきたいと思います。
刀剣は刃物であるため焼刃がついています。その焼刃の模様のことを刃文(はもん)といいます。
今回は、この刃文について、本館13室で展示している長船長光(おさふねながみつ)の太刀から説明したいと思います。


以下画像全て 国宝 太刀 銘 長光 鎌倉時代・13世紀
(~2012年2月19日(日)展示)

この太刀は今から約750年前に長船長光という刀工によって作られたものです。
長船派は鎌倉時代中期に備前国(岡山県)で興った日本刀の流派で、以降中世末期に至るまで大きく栄えました。


さて、この太刀の刃文をみてみましょう。



中ほどをみると、チョウジの実をならべたような刃文がみえます。
この刃文を丁子乱(ちょうじみだれ)と呼びます。


丁子乱

刃の幅に高低差があって、何とも賑やかで華やかな印象を受けます。
さらに、先端の方を見てみると、今度は半円形の凹凸が連なっている刃文となっています。



こうした刃文を互の目(ぐのめ)といいます。


互の目

丁子乱に比べ高低差が少なく穏やかな印象を受けませんか。

下から上へと辿っていきますと、その刃文は複雑な変化をみせながらも、全体としてはよどみなくまとまっています。
こうしたリズミカルな刃文の統一感こそ、この太刀が名刀である理由のひとつといえます。

なお、刃文はこうした抑揚のあるものもありますが、直線的なもの(直刃(すぐは))、わずかにウエーブがついたもの(のたれ)もあります。
常時12口の様々な刃文をみせる刀剣を展示していますので、お好みの刃文をお探しになってみてはいかがでしょうか。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 酒井元樹(平常展調整室) at 2011年12月21日 (水)

 

「古墳時代の神マツリ」のミカタ(見方・味方…) 1

2011年11月1日(火)から、特集陳列「古墳時代の神マツリ」(~2012年3月11日(日))が始まりました。

特集陳列「古墳時代の神マツリ」

平成23年度文化庁考古資料相互活用促進事業として、今年度は長野県立歴史博物館館山市立博物館と相互に考古資料の交換展示を行っています。平成10年度に始まった本事業も、今年で14年目を迎えました。

この事業は国立博物館所蔵の各地出土考古資料を地元の地方博物館で公開すると共に、地方博物館所蔵の考古資料をいつもとは違った環境で公開する機会ともなっています。そこで、お借りする資料に相応しい当館収蔵資料を併せて、毎年さまざまなテーマで特集陳列を行っています。
普段なかなか展示でお目に掛けられない当館収蔵資料を地方博物館所蔵の逸品と一緒にご覧頂く、絶好の機会です。



今年度は両博物館から、古墳時代の祭祀遺跡から出土した資料をお借り出来ましたので、普段あまり馴染みがない(ややマイナーな?)祭祀遺跡をテーマにした特集陳列を企画しました。

日本古代史や東洋史では、一般に古事記・日本書紀や風土記以外は主に中国の史料(漢籍)を用いた海外交渉史・政治史や社会構成史の研究が盛んで、考古学で も文化史的な研究や古墳・官衙の政治史的な研究が中心です。飛鳥・奈良時代以降とは違って史料上の制約もあり、歴史学の大きな柱である社会思想史の視点で はあまり研究が進んでいませんでした。

しかし、祭祀遺跡の研究は、当時の信仰の対象やさまざまな神マツリに使用された道具(祭祀遺物)を分析するもので、当時の人々の思想や世界観を解明する上で重要な分野といえます。

長野県立歴史博物館 借用品展示風景
長野県立歴史博物館 借用品展示風景(古墳時代・4世紀 長野市石川条里遺跡出土品)

日本列島の古代国家成立期にあたる古墳時代は、3世紀後半に出現した古墳の分布拡大とともに、弥生時代の土器などにみられた地方色が急速に消滅し、7世紀の飛鳥時代を経て、8世紀に律令国家が完成するまでの激動の時代です。

他の時代と比べて長いとは言えませんが、カマドのような基本的な生活技術から当時のハイテクともいうべき製鉄やガラス・貴金属製品の生産技術など が、続々と渡来・定着した時代です。人物埴輪でおなじみのズボンとスカートに上着といった、よく知られた2ピースのスタイルも、4~5世紀頃におそらく騎馬文化の到来に伴って招来された服装と考えられています。

ちょうど、日本が明治維新や第2次世界大戦後に経験したような、食事や髪形・服装などの生活文化から電話などの通信技術や鉄道・自動車に至る社会的なインフラまで、何もかもすっかり変わってしまった急速な近代化によく似ています。
大陸のさまざまな分野の人と技術が次々に渡来し、縄文・弥生時代の生活技術を中心とした「先史文化」が急速に “近代化”していった時代なのです。


千葉・館山市立博物館 借用品展示風景(古墳時代・6世紀 千葉県館山市沼つとるば遺跡出土品)

我々の祖先はこのようなめまぐるしい変化の中で、自然の中に見出していた神威に何を感じ祈ってきたのでしょうか。
奈良時代の記紀・風土記には、交通の難所である峠や岬、離島などにすむ荒ぶる神が人々の往来を妨げ、恐れられていたことがみえています。神々を鎮(しずめ)るために、さまざまな奉献品を手向(たむ)けた場所が祭祀遺跡と考えられています。

ところが、手捏(てづくね)土器を基本とする祭祀遺跡の出土遺物は、時期ごとに大きく様変わりしてゆきます。古墳時代前期の4世紀には、実物の銅鏡・玉類や精巧な滑石製模造品が用いられますが、5世紀前半には滑石製模造品が小型・多量化するとともに須恵器や土製模造品が現れます。後期の6世紀には人形・馬 形土製模造品が加わり、実に多様化してゆくのです。

これらは時代の変化に伴って、当時の人々が神々に対する観念を変えていった過程を垣間見せています。その向こう側に見え隠れする神マツリの在り方は、平安時代の延喜式などの記録にみえる律令的な国家祭祀の神統譜に編制された神々の体系とは、ずいぶん異なった姿のようです。


当館所蔵品展示風景(古墳時代・6世紀 群馬県太田市世良田町米岡所在遺跡・群馬県前橋市三夜沢櫃石遺跡出土品 他)

祭祀遺跡から出土する祭祀遺物は、手捏土器と石や土などで造られた簡略な造形の模造品が多く、一見して粗雑で非常に地味なものばかりです。しかし、これらは古代国家成立期の原初的な神々の移り変わりを示すものとして重要です。

今回の展示ではその過程を、多様な祭祀遺跡の出土品で辿(たど)ります。
前置きが長くなってしまいましたので、今回の特集陳列の見どころは機会を改めてご紹介致します。

実は、本展示を理解する上で、是非、比較して頂きたい資料が同じ考古展示室にはたくさん展示されています。これらの展示品は、いわば本特集陳列の“第2部” ともいうべきものですので、これらも併せてご紹介してゆきたいと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2011年12月13日 (火)

 

予告!特集陳列「天翔ける龍」1

いつの間にか師走。
時の流れの速さに驚き、あわただしくお過ごしの方も多いのではないでしょうか。
私もそのひとりです。
まもなくやってくる辰年にちなんだ特集陳列「天翔ける龍」(2012年1月2日(月)~1月29日(日))の準備も
まさに佳境を迎えています。
今日から数回に分けて、この特集陳列の裏側と注目ポイントをお話します。
初回は企画全体のご案内です。


特集陳列「天翔ける龍」に展示されるのは時代やジャンルもまったく異なる作品。
これらをつなぐ鍵は、龍というモチーフだけ。
名品と呼ばれるものから、意外なものまで、
龍を表した選りすぐりの作品77点を一挙公開いたします。
解説を読んで通り過ぎるのではもったいない。ぜひ龍のかたちや意味にご注目下さい。

たとえば、
5本の爪を持つ龍は、中国皇帝の象徴。
宮廷以外では使用が認められませんでした。もちろん朝鮮や日本でも。
でも、見つけました。
あってはならない5本の爪の龍。展示室で探してください。
翼を持つ応龍は、戦で殺生をしたかどで天界に帰れない過去を持ちます。
応龍という龍の存在だけでなく、こうしたエピソードは
あまり知られていないのではないでしょうか。

龍文朱箱、色絵応龍文陶板
(左)何度見ても爪は5本。でもこれは中国ではなく朝鮮でつくられたもの・・・
重要文化財 龍文朱箱 朝鮮時代・17~18世紀
(右)龍には見えませんが龍の仲間。
色絵応龍文陶板 伊万里(柿右衛門様式) 江戸時代・17世紀


龍は虎や鳳凰とペアで表現されることが多いのはなぜでしょう。
雲や波と表されるのはどうして?
翼があっても、うろこがなくても龍なの?
龍のすがたから、そこにこめられた思いや意味をたどると、
龍の魅力の発見につながるのかもしれません。


展示だけではありません。展示を楽しむための関連企画も準備しました。
今回は「自在置物 龍」を展示します。
皆さんは「自在置物」という江戸時代の金工品をご存知でしょうか。
動物のかたちをした金属製の置物で、からだの節々が動きます。
太平の世になり甲冑の需要が減った江戸時代、
動きやすい甲冑を作る技術を応用して甲冑師たちが作ったとされています。
自由自在の自在置物。
江戸時代の技術の高さだけでなく、遊び心や粋を感じずにはいられません。

自在置物 龍
こんなにアクティブ!じつはずっしり重い。
自在置物 龍 明珍宗察作 江戸時代・正徳3年(1713)


でも展示室で動かすことはできません。
動く、という自在置物最大の魅力をお伝えできないことがいつも残念でした。
ホンモノを触っていただくことは叶いませんが、何かほかの方法があるのでは・・・
そこで、科学技術の力を借りた企画を行うことに。
自在置物が自在に動く様子を映像でご覧いただくとともに、
期間中の16日間(日程は「天翔ける龍」ページ参照)はデジタル展示の特性を活かし、
実際に自在置物に触れて動かせるような疑似体験ができます。
また、1月2日(月・休)・3日(火)限定で「東博龍めぐり&掛軸ふうカレンダー
1月28日(土)、29日(日)には自在置物に関連したファミリーワークショップを実施。
どちらも毎年人気の企画です。
今回の展示作品以外にも龍を表した作品は数多くあります。
これらを取り上げた図録を新年から、
龍のグッズ、絵はがきはすでにミュージアムショップで扱っています。
お楽しみに。

作品の見どころは次回のブログでご紹介します。


龍は何かを恐れたり、憧れたり、願ったりするひとの心が、
長い、長い時間をかけて創りあげてきた架空の生きもの。
展示室に並ぶのは何千年もの間、人びとがつむぎ続けた龍のイメージを
さまざまに表現した作品です。
どうぞゆっくり、じっくり、ご覧ください。
時の流れの速さを憂う気持ちが、すっと消えるような時間を
新年にぜひ、東博で。

カテゴリ:研究員のイチオシ催し物博物館に初もうで

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2011年12月09日 (金)

 

年末恒例「仮名手本忠臣蔵」

浮世絵(本館10室)の部屋では、12月に『仮名手本忠臣蔵』を題材とした浮世絵を陳列することがよくあります。本年も12月の浮世絵版画は『仮名手本忠臣蔵』に関する作品で構成しています。
「忠臣蔵」というと、元禄14年(1701)3月14日、江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、吉良上野介義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発し、翌元禄15年12月14日、家老大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士四十七人が本所吉良邸に討ち入って上野介の首級を挙げた仇討ちを思い出すでしょう。
元禄赤穂事件と呼ばれるこの事件は、現代では「忠臣蔵」と一般に言わていますが、「忠臣蔵」は、江戸時代以来、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目として人気を集めた『仮名手本忠臣蔵』のことです。同時代の武家社会の事件を上演することが禁じられた江戸時代、『仮名手本忠臣蔵』は、太平記の時代を舞台とし、登場人物の名前を変え、さまざまな脚色がなされて演じられました。
登場人物の名前も
浅野内匠頭は、赤穂藩の名産である「塩」にかけて、塩冶判官(えんや はんがん)。
吉良上野介は、高家肝煎であったことから、高師直(こうの もろのう)
大石内蔵助は、大星由良助(おおぼしゆらのすけ)。
その息子の・大石主税(おおいしちから)は、「ちから」を「力」として大星力弥(おおぼしりきや)。といった具合に史実を連想させる名付けがなされています。
他に、討ち入りに加わらず不忠臣とされた浅野家の家老大野九朗兵衛が、斧九太夫(おのくだゆう)、息子が斧定九朗(おのさだくろう)。絶世の美人浅野内匠頭の正室阿久利は、顔世御前(かおよごぜん)、由良助の武器調達を助けたとされる大坂の義商天野屋利兵衛は、天川屋儀平として登場しています。

今回は、歌川広重が芝神明前にあった版元有田屋から出版した全11段を12枚に描いた揃いを展示します。
冒頭の大序では、「鶴ヶ岡社前の場」が描かれています。右が高師直、刀を握って詰め寄っているのは、塩冶判官ではなくもう一人の饗応役である桃井若狭介。左に描かれたのが顔世御前。好色ジジイの師直が顔世に言い寄るのですが、若狭介が間に入って顔世を救う。邪魔された師直に悪口を言われた若狭介が刀を握って詰め寄る場面が描かれています。(以下画像は全て2011年12月11日(日)までの展示)

忠臣藏・大序
忠臣藏・大序 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


二段目は、若狭介の館。右が「桃井館上使の場」で、桃井家の家老加古川本蔵の義理の娘小波と許婚の大星力弥。奥の庭では、師直との一件を聞いた本蔵が、若狭介の前で松の枝を切り落とす「桃井館松切りの場」が描かれています。

忠臣藏・二段目
忠臣藏・二段目 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


仇討ちが、男女の恋を絡めながら展開するのですが、そこは、『仮名手本忠臣蔵』をお読みいただくとして、今回は「忠臣蔵」に題材をとった見立絵などを多く展示していますので、それについてご紹介します。
「忠臣蔵 七段目」は、「祇園一力の場」。紫の着物を着て目隠しをして鬼ごっこで芸子と遊ぶ由良助。そこに斧九太夫一行が由良助の様子を見にあらわれます。

忠臣藏・七段目
忠臣藏・七段目 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


この、「祇園一力の場」の見立てとなっているのが、鳥高斎栄昌が目隠し鬼を描いた「めんないちどり」

めんないちどり(見立由良之助一力遊興)
めんないちどり(見立由良之助一力遊興) 鳥高斎栄昌筆 江戸時代・18世紀


そして、『仮名手本忠臣蔵』の七段目では、由良助が顔世からの密書を読む場面が続きます。床下に隠れた斧九太夫が、これを盗み見るのですが、それが鳥文斎栄之の「見立忠臣蔵七段目」では、女性に置き換えられています。ここに描かれているのが寛政三美人の高島おひさと難波屋おきたというのも趣向です。

見立忠臣蔵七段目
見立忠臣蔵七段目 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀


そして、同じような図は磯田湖龍斎によっても描かれています。

炬燵で文を読む男女
炬燵で文を読む男女 磯田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀

歌川国芳筆の「木曾街道六十九次之内・大井」は、木曽街道ならぬ山城の「山崎街道の場」。
では、なぜ木曽街道のシリーズとして描かれているのかというと、……

木曾街道六十九次之内・大井
木曾街道六十九次之内・大井 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀


早野勘平が仇討ちに加わるために必要な金を用立てた与市兵衛が夜道を山崎に急ぐ。後ろから手を上げて「オオイ、オオイ、おやじ殿」と声をかけるのが落ちぶれた斧定九朗。この後与市兵衛から金を奪うという場面である。

他にも、歌麿が自身の姿を、酒で討ち取られる高師直に見立てて描いた「高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ」など、さまざまな忠臣蔵浮世絵が展示されています。

(左)忠臣藏・夜討(右)高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ
(左)忠臣藏・夜討 歌川広重筆 江戸時代・19世紀
(右)高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀>



芝居では、客が不入りの時でも忠臣蔵を出せば当たるといわれるほど庶民に人気のあった「忠臣蔵」。
さて、東博での入りはいかが相成るでしょうか。
 

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posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2011年12月03日 (土)

 

終了間近アジアギャラリー 表慶館の魅力

建築とは、人間の欲求からなる美・技術・環境・思想など、高度に調和、統合されたものです。 また、「時代を表す象徴」と言われ、建造物が生きてきた時代の政治や文化、思想や技術の影響が色濃く反映されます。現存する近代の建造物が「経済性」と「老朽化」などの理由によりスクラップ&ビルトされる今日において、表慶館は竣工から100年が過ぎ、重要文化財として残されている意義は大きく、この建造物をどのように使いどのように後世に渡すかは、現代の私たちに課せられた課題でもあります。

表慶館(1908年竣工、片山東熊設計)は、明治末期を代表する当時最高の技術が結集された西洋風建築です。 日本で最初に作られた美術館として知られ、関東大震災にも耐えた堅牢な建造物です。 創建当時は、現在の本館の位置に旧本館(J・コンドル設計)が鎮座し、現在とは全く違った様相をみせていたのではないかと思います。


(左)旧本館(J・コンドル設計)、(右)表慶館(片山東熊設計)

現存する図面やパースを見ると、現在のドーム形状に至るまで数案の検討がなされていたことがわかります。 どの案であっても採用されれば現在の印象とは違ったものになったことは、いうまでもありません。 帝室時代の宮廷建築として、上品であり端正な造形の外観は、イオニア式オーダー、2階外壁部分にピラスター(付柱)、欄間に彫刻装飾があり、 単純な十字形平面に対して立面は、変化に富んだ構成と美しいプロポーションが印象的です。 片山の「建築物は芸術作品でなければならない」という思想を感じさせます。







建築構造は石造のように見えますが、煉瓦造で躯体煉瓦の壁に花崗岩が張られています。 中央大ドーム(直径16.7m)と両翼左右のドームを支える構造は鉄骨造で、アメリカのカーネギー社により製造されたものです。 ドームやフィニアルをはじめとする多くの装飾は、木製の下地により形作られ、それを銅版で葺いたり覆ったりしています。


基礎工事


(左)中央ドームフィニアルの木製下地、(右)屋根部分の木下地

中央ホールは大理石が多く用いられ、床はモザイク張りで幾何学模様が美しく、空間全体は上品で重厚な印象を受けます。 中央部の大理石の柱は、1階が角柱、2階が円柱となっており、1階の重厚さと2階の軽快さのバランスが見事です。 過度に装飾を施さず、美術館のエントランスにふさわしい意匠は必見です。


右、左ともに中央ホール

東洋の彫刻・工芸・考古遺物を展示する表慶館(アジアギャラリー)は2011年12月25日(日)までで見納めです。(表慶館は一時休館。次回開館予定は未定です。)
東洋美術の作品を鑑賞された後に、100年前に造営され、細部にわたり意匠を凝らした建築空間を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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posted by 矢野賀一(デザイン室) at 2011年12月01日 (木)