このページの本文へ移動

1089ブログ

年末恒例「仮名手本忠臣蔵」

浮世絵(本館10室)の部屋では、12月に『仮名手本忠臣蔵』を題材とした浮世絵を陳列することがよくあります。本年も12月の浮世絵版画は『仮名手本忠臣蔵』に関する作品で構成しています。
「忠臣蔵」というと、元禄14年(1701)3月14日、江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、吉良上野介義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発し、翌元禄15年12月14日、家老大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士四十七人が本所吉良邸に討ち入って上野介の首級を挙げた仇討ちを思い出すでしょう。
元禄赤穂事件と呼ばれるこの事件は、現代では「忠臣蔵」と一般に言わていますが、「忠臣蔵」は、江戸時代以来、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目として人気を集めた『仮名手本忠臣蔵』のことです。同時代の武家社会の事件を上演することが禁じられた江戸時代、『仮名手本忠臣蔵』は、太平記の時代を舞台とし、登場人物の名前を変え、さまざまな脚色がなされて演じられました。
登場人物の名前も
浅野内匠頭は、赤穂藩の名産である「塩」にかけて、塩冶判官(えんや はんがん)。
吉良上野介は、高家肝煎であったことから、高師直(こうの もろのう)
大石内蔵助は、大星由良助(おおぼしゆらのすけ)。
その息子の・大石主税(おおいしちから)は、「ちから」を「力」として大星力弥(おおぼしりきや)。といった具合に史実を連想させる名付けがなされています。
他に、討ち入りに加わらず不忠臣とされた浅野家の家老大野九朗兵衛が、斧九太夫(おのくだゆう)、息子が斧定九朗(おのさだくろう)。絶世の美人浅野内匠頭の正室阿久利は、顔世御前(かおよごぜん)、由良助の武器調達を助けたとされる大坂の義商天野屋利兵衛は、天川屋儀平として登場しています。

今回は、歌川広重が芝神明前にあった版元有田屋から出版した全11段を12枚に描いた揃いを展示します。
冒頭の大序では、「鶴ヶ岡社前の場」が描かれています。右が高師直、刀を握って詰め寄っているのは、塩冶判官ではなくもう一人の饗応役である桃井若狭介。左に描かれたのが顔世御前。好色ジジイの師直が顔世に言い寄るのですが、若狭介が間に入って顔世を救う。邪魔された師直に悪口を言われた若狭介が刀を握って詰め寄る場面が描かれています。(以下画像は全て2011年12月11日(日)までの展示)

忠臣藏・大序
忠臣藏・大序 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


二段目は、若狭介の館。右が「桃井館上使の場」で、桃井家の家老加古川本蔵の義理の娘小波と許婚の大星力弥。奥の庭では、師直との一件を聞いた本蔵が、若狭介の前で松の枝を切り落とす「桃井館松切りの場」が描かれています。

忠臣藏・二段目
忠臣藏・二段目 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


仇討ちが、男女の恋を絡めながら展開するのですが、そこは、『仮名手本忠臣蔵』をお読みいただくとして、今回は「忠臣蔵」に題材をとった見立絵などを多く展示していますので、それについてご紹介します。
「忠臣蔵 七段目」は、「祇園一力の場」。紫の着物を着て目隠しをして鬼ごっこで芸子と遊ぶ由良助。そこに斧九太夫一行が由良助の様子を見にあらわれます。

忠臣藏・七段目
忠臣藏・七段目 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


この、「祇園一力の場」の見立てとなっているのが、鳥高斎栄昌が目隠し鬼を描いた「めんないちどり」

めんないちどり(見立由良之助一力遊興)
めんないちどり(見立由良之助一力遊興) 鳥高斎栄昌筆 江戸時代・18世紀


そして、『仮名手本忠臣蔵』の七段目では、由良助が顔世からの密書を読む場面が続きます。床下に隠れた斧九太夫が、これを盗み見るのですが、それが鳥文斎栄之の「見立忠臣蔵七段目」では、女性に置き換えられています。ここに描かれているのが寛政三美人の高島おひさと難波屋おきたというのも趣向です。

見立忠臣蔵七段目
見立忠臣蔵七段目 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀


そして、同じような図は磯田湖龍斎によっても描かれています。

炬燵で文を読む男女
炬燵で文を読む男女 磯田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀

歌川国芳筆の「木曾街道六十九次之内・大井」は、木曽街道ならぬ山城の「山崎街道の場」。
では、なぜ木曽街道のシリーズとして描かれているのかというと、……

木曾街道六十九次之内・大井
木曾街道六十九次之内・大井 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀


早野勘平が仇討ちに加わるために必要な金を用立てた与市兵衛が夜道を山崎に急ぐ。後ろから手を上げて「オオイ、オオイ、おやじ殿」と声をかけるのが落ちぶれた斧定九朗。この後与市兵衛から金を奪うという場面である。

他にも、歌麿が自身の姿を、酒で討ち取られる高師直に見立てて描いた「高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ」など、さまざまな忠臣蔵浮世絵が展示されています。

(左)忠臣藏・夜討(右)高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ
(左)忠臣藏・夜討 歌川広重筆 江戸時代・19世紀
(右)高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀>



芝居では、客が不入りの時でも忠臣蔵を出せば当たるといわれるほど庶民に人気のあった「忠臣蔵」。
さて、東博での入りはいかが相成るでしょうか。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ

| 記事URL |

posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2011年12月03日 (土)