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国宝「源氏物語絵巻 夕霧」にみる人間模様

 「やまと絵」という言葉は、平安時代のなかばから使われており、古くは一条天皇の後宮に藤原彰子(ふじわらのしょうし)が入内(じゅだい)する際にやまと絵の屛風を用意したという記録があります。彰子は、藤原道長(みちなが)の娘であり、紫式部(むらさきしきぶ)が仕えた女主人として知られています。

重要文化財 紫式部日記絵巻断簡(むらさきしきぶにっきえまきだんかん)(部分)
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
藤原彰子が一条天皇の皇子(のちの後一条天皇)を出産して、その誕生五十日目を祝う場面。画面の右方で、背中を向けている女性が彰子。画面の下方の男性は、彰子の父である藤原道長。画面の左方には、道長の妻で、彰子の母である源倫子(みなもとのりんし)が皇子を抱いています。
 
紫式部が執筆した『源氏物語』は、彼女特有の深い洞察力と豊かな美意識によって、平安時代の貴族たちの上質な生活感がみごとに描写されており、登場人物たちは欠点すらも優雅すぎて感情移入しにくいところもあります。
これは時代の違いとばかりも言いきれず、平安時代の文学少女として知られる『更級日記(さらしなにっき)』の筆者は、子どものころ「大きくなったら、光源氏(ひかるげんじ)に愛された夕顔(ゆうがお)や、薫(かおる)に愛された浮舟(うきふね)のようになるんだ」と信じていたようですが(あとから思い返して恥ずかしがるのが良い)、これは現実感がないくらいハイスペックな紫の上や明石の君たちに比べると、自分自身を投影しやすくて魅力的なキャラクターだったのでしょう。
 
『源氏物語』には理想的な人物ばかりでなく、ちょいちょいと息抜きのように現実的な人々が登場します。いつの時代にもいそうで親しみをおぼえるのは夕霧(ゆうぎり)と雲居の雁(くもいのかり)のカップルです。
光源氏の息子である夕霧は、幼なじみの雲居の雁と結ばれるために、はやく一人前として認められるように努力を重ねました。念願がかなって雲居の雁と結ばれ、たくさんの子供に恵まれたところで、親友の柏木(かしわぎ)が亡くなり、あとに残された落葉の宮(おちばのみや)のもとに通ううちに、しだいに宮に心を奪われてゆきます。なかなか落葉の宮に心を許してもらえないうちに、2人の関係を誤解した宮の母君から夕霧にあてて、娘を粗略に扱うことをなじる手紙が届きます。夕霧がその手紙を読もうとしたところ、雲居の雁がこれを落葉の宮からの手紙であると勘違いして、夕霧の背後から忍び寄って手紙を奪い取ります。その後、とうとう雲居の雁は子供を連れて実家に戻ってしまいますが、いつの間にか仲直りしたらしく、のちには夫婦で息子の縁談について気をもむような場面がでてきます。

国宝「源氏物語絵巻 夕霧」の展示風景

国宝「源氏物語絵巻 夕霧」の展示風景
 
国宝 源氏物語絵巻 夕霧(げんじものがたりえまき ゆうぎり)
平安時代・12世紀 東京・五島美術館蔵
展示期間:11月21日(火)~12月3日(日)
落葉の宮の母君から届いた手紙を読もうとする夕霧の背後から、妻である雲居の雁が手紙を奪おうと近づく緊迫の瞬間。恋する男、嫉妬する女、不安に見守る端女(はしため)たち。みな同じような引目鉤鼻(ひきめかぎはな)の顔立ちですが、見る者の想像力によって、各人の表情が見えてきます。
 
『源氏物語』の本質は「もののあはれ」だという、分かるような分からないような評言があります。その意味するところはさておき、『源氏物語』にはさまざまな人生や感情が描かれており、人間というのは昔も今も変わらないことを思わされます。きっと未来も変わらないでしょう。
 
国宝「源氏物語絵巻 夕霧」や重要文化財「紫式部日記絵巻断簡」をご覧いただける、特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」は12月3日(日)まで。
ぜひ、足をお運びください。
 
特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」の会場入口

カテゴリ:研究員のイチオシ「やまと絵」

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posted by 猪熊兼樹(保存修復室長) at 2023年11月24日 (金)