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ユリノキちゃんが行く!「クレオパトラとエジプトの王妃展」

みなさん、こんにちは。今日は展覧会の担当研究員、品川さんと一緒に「クレオパトラとエジプトの王妃展」を見に行きます。「美女作品揃いの展覧会だから、かわいいユリノキちゃんを案内するよ」ですって!
…かわいい、なんて言ったかなぁ?
あ、品川さん! こんにちは。…今、何か言いましたか?
まあ、細かいことはいいか。
じゃあユリノキちゃん、今日はよろしくね。早速、会場に行こうか。
はい!


今回は、品川研究員とユリノキちゃんの初コンビで、展覧会の見どころをご案内します


展覧会のトップを飾るのがこの作品。「クレオパトラとエジプトの王妃展」だからね、まずはクレオパトラで始めないと。


クレオパトラ
ダニエル・デュコマン・ドゥ・ロクレ作
1852~1853年
マルセイユ美術館蔵


わあ、キレイ。さすが絶世の美女!!
と、思うでしょ? だけどこの像は、クレオパトラの時代から1900年近くも後に作られたんだよ。
そんなに時代が離れているんですか? だとしたら、本当にこの像のような美女だったのかしら。
実は、歴史書には「クレオパトラが美女」ということは書かれていないんだ。
じゃあ、なぜ「絶世の美女」と言われているんですか?
それは、彼女の人生がドラマチックだったからじゃないかな。
共同統治者で弟でもあるプトレマイオス13世によって国を追い出されてしまったこと。ローマの英雄カエサル、そしてカエサルの死後はアントニウスと関係を結び、2人の後ろ盾を得て女王として君臨したこと。政敵オクタウィアヌスとの戦いに敗れて、最後は自ら命を絶ってしまったこと。彼女の死とともに古代エジプト王国は終焉を迎えること…。
とってもドラマチックだわ。
だからこそ後世の人たちも魅了されて、さまざまな脚色を加えながらクレオパトラの人生が語り継がれていったんじゃないかと思うよ。
そうやって、絶世の美女というクレオパトラのイメージが作られていったんですね。

この作品も物語上のクレオパトラがモチーフになっているんだよ。ほら、後ろから像を見てごらん。



あ、かごから蛇が顔を出しているわ。
オクタウィアヌスとの戦いに敗れた後、クレオパトラが自殺をしてしまうんじゃないかと、周りの人が警戒していたらしいんだ。だから彼女は、果物の入ったかごに毒蛇を隠して、こっそりと持ち込んだ…
と、いう物語に基づいた像なんですね。
そうそう。実際はクレオパトラが自殺したということしかわかっていないんだけど、果物かごにしのばせた毒蛇に我が身を噛ませて命を絶つ、なんて、悲劇のヒロインにふさわしい最期だよね。
展覧会には、クレオパトラと同時代の像も展示しているから、歴史上のクレオパトラと物語上のクレオパトラ、その違いを、ぜひ比べてみて欲しいな。
それが見どころのひとつなんですね。クレオパトラゆかりの作品が楽しみ!


さあ、いよいよ第1章が始まるよ。第1章「王(ファラオ)をとりまく女性たち」では、王妃がどうやって権力を獲得していったかを紹介しているんだ。
女性たちでも権力をもつことができたんですか?
そうなんだ。古代エジプトでは女性の地位は総じて高く、王妃も同様で、王妃に与えられる称号がいくつもあったんだよ。
称号???
いちばん古くに登場する称号が「王の母」。王妃は次代のファラオを産むことを期待され、「王の母」になることで権力を得たんだろうね。
そして、時代がくだるにつれて「偉大なる王の妻」など称号の種類が増えていく。それだけ王妃の役割が増えていった、と考えられているんだ。
展覧会では「王の母」の代表として、王妃ヘテプヘレスを紹介しているよ。


展示室では王妃ヘテプヘレスの寝室を再現しています
王妃ヘテプヘレスの天蓋と収納箱、肘掛椅子、寝台、枕、輿(全て複製)
肘掛椅子はボストン美術館蔵、それ以外はグリマルディ・フォーラム蔵(原品:カイロ・エジプト博物館蔵)


ヘテプヘレス…初めて聞きました。
ギザにある大ピラミッドは知っているでしょ? ヘテプヘレスはそのピラミッドを建てたクフ王のお母さんだよ。
息子がファラオになったことで、ヘテプヘレスは「王の母」の称号を得たんですね。
輿(写真右)にはヒエログリフ(聖刻文字)で「支配者の指導者」と刻んであるんだよ。
つまり、ヘテプヘレスは支配者であるクフ王の指導者だったということですか?
そうなるね。きっと、息子をビシビシ教育した強いお母さんだったんだろうなぁ。
そういわれてみると、調度品のシンプルで重厚なデザインはヘテプヘレスのイメージにぴったり!
トーハクくんを厳しく指導しているユリノキちゃんにも称号が必要だね。「偉大なるトーハクくんの姉」とか?
そ、そんなに厳しくしていないわ!!

まあまあ、そんなに怒らないで、ほら、第2章を見てみようか。
第2章は「華やかな王宮の日々」ですね。
そう。調度品や装飾品、そして王宮に仕えた人々を通して、きらびやかな王宮の様子を紹介しているよ。

 
腕輪
テーベ出土か
新王国・第18王朝時代(前1550~前1292年頃)
ヒルデスハイム博物館蔵


きれいな腕輪!
金の板をよーく見てごらん。
あ、何か彫ってあるわ。



これはメスのカバで、タウレト女神という安産の神様なんだ。女性の装身具によく登場するんだよ。
お守りみたいね。華やかでステキ。
金のほかに紅玉髄やガーネット、ラピスラズリを使っているんだよ。
・・・ええと、ユ、ユリノキちゃんに似合うと思うなぁ。
うれしい!! 棒読みなのが気になったけど・・・。


よし、ユリノキちゃんの機嫌が直ったところで、第3章「美しき王妃と女神」に移動するよ。この章では、王妃が果たした宗教的な役割を紹介しているんだ。


ハトホル女神をかたどった柱頭
バステト神殿出土
第3中間期・第22王朝時代 オソルコン1世~オソルコン2世治世(前925~前837年頃)
大英博物館蔵


わ、大きい!
神殿の柱の一部なんだけど、残っている部分だけで高さ2mはあるからね。実際は、相当大きくて立派な柱だったんだろうな。
この顔がハトホル女神なんですか?
そのとおり。ほらここを見て。これはある動物の耳なんだけど…わかるかな?



ええと、ええと…あ、ウシじゃないかしら?
正解! ハトホル女神はウシの耳や角、そして独特の髪型で表されるだけど、同じ表現が王妃の像に見られることがあるんだ。
人間なのに神さまの表現がされるんですか?
そうだよ。例えばこの「王妃の頭部」はハトホル女神と同じ髪型をしているでしょ。

 
(左)王妃の頭部
中王国・第12王朝時代(前1976~前1794年頃)
ブリュッセル、王立美術歴史博物館蔵
独特の巻き髪はハトホル女神の典型的な表現方のひとつです。ユリノキちゃんの髪型とも似ている…?


古代エジプトの王妃の像は、額に聖蛇ウラエウスをつけているけど、これも元々は神様の表現の一部なんだ。もう一度ハトホル女神を見てごらん、ちゃんと蛇がついているよ。

 
王妃のレリーフ
末期王朝時代(前664~前332年)
MIHO MUSEUM蔵



「ハトホル女神をかたどった柱頭」に表された蛇

王妃と神さまはほぼ同一視されていたんですね。
そういうことになるかな。神様の神性を借りて、王妃は人を超えた存在として権威を高めていったんだね。


第4章は「権力を持った王妃たち」。ついに王妃が権力を手にしたんですね!
古代エジプトのなかでも、第18王朝は特に王妃が活躍した時代なんだ。本来ファラオには男性しかなれないのに、女性のファラオが登場したのもこの時代だよ。
女性がファラオに?
ハトシェプスト女王だよ。展覧会で注目の王妃として、これまでにも紹介したでしょ?
あ、男装の女王!
さすが、ユリノキちゃん。ハトシェプストは息子トトメス3世の共同統治者として国を治め、後に自らファラオを称したんだ。でも、本来ファラオには男性しかなれない。だから、男装、つまり本来の正しいファラオの姿をとることで、自分の権威を高めようとしたんだね。


ハトシェプスト女王
ハトシェプスト女王葬祭殿出土
新王国・第18王朝時代 ハトシェプスト女王治世(前1473~前1458年頃)
ブリュッセル、ベルギー王立美術歴史博物館蔵


そこまでしないといけないほど、異例のことだったのね。
だけど、やっぱり女性のファラオは認められなかった。彼女の死後、女王の像は息子トトメス3世によって徹底的に破壊され、王名表からも名前が削除されてしまう。
まあ…。
女王になる前の像は残されているから、女王としてのハトシェプストをなかったことにしたかったんだ。


「ハトシェプト女王」も大きく破損しています

こんなに否定されちゃうなんて、ハトシェプストが女王だった頃もきっと大変だったんじゃないかしら。
確かに、男性のファラオと同じようにはできなかったと思うよ。たとえば、戦争で男性のように勇ましく戦うことはできなかった。だから彼女は戦争以外の方法を選択したんだ。
戦争以外の方法?
交易を進めたんだ。女王だからこその政策だね。他にも王都テーベの都市レイアウトを完成させるなど、第18王朝繁栄の基礎を築いたと評価されているよ。
やり手の女王だったのね。かっこいい!!


そして、展覧会の締めくくりが第5章「最後の女王クレオパトラ」。タイトルのとおり「クレオパトラとは?」を紹介する章だよ。
この章の見どころは何ですか?
それはやっぱり、さまざまなクレオパトラの像でしょう。冒頭のクレオパトラは物語のヒロインとしての姿だったけど
この章には歴史上の人物としてのクレオパトラの像も展示されているよ。

  

クレオパトラ
左:プトレマイオス朝時代(前1世紀中頃) トリノ古代博物館蔵
中央:プトレマイオス朝時代 クレオパトラ7世治世(前51~前30年) ヴァチカン美術館蔵
右:プトレマイオス朝時代(前200~前30年頃) メトロポリタン美術館蔵


あら? 今まで見てきた彫像とは感じが違うわ。まるでギリシア彫刻みたい。
鋭いね、ユリノキちゃん。ギリシア彫刻みたいで当然なんだ。なぜなら、彼女が生きたプトレマイオス朝という王朝は実はギリシア系の王朝だからだよ。彼女自身も、ギリシア系の顔立ちの女性だったはずだよ。
この像だけでも、だいぶイメージが変わったわ。
そうそう、そういう発見をしてもらえるとうれしいな。
冒頭でも言ったとおり、ぼくたちが抱いているクレオパトラのイメージは、後世に作られた物語のなかのクレオパトラなんだ。そのイメージだけでなく、彼女の生きたプトレマイオス朝時代の作品を通して、新しいクレオパトラを見つけてください。

今日はたくさんの美女に出会えて楽しかったです。ありがとうございました。
美女たちのパワーをもらって、今日1日でさらにキレイになった気がするわ。
…………じゃあ、ぼくはこれで。
ちょっと、品川さんっ!?
強い王妃をもったファラオもこんな気持ちだったのかなぁ。


女性(ユリノキちゃん)は強し。ファラオに思わず同情してしまう品川研究員なのでした

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by ユリノキちゃん at 2015年07月30日 (木)