このページの本文へ移動

1089ブログ

清時代の書―碑学派― 日本と中国の交流@朝倉彫塑館

「清時代の書-碑学派-」のブログも、いよいよ最終回となりました。
初回のブログ「清時代の書-碑学派- 勃興期@トーハク」でもお伝えした通り、このたびの連携企画では、10月29日にリニューアルオープンした台東区立朝倉彫塑館を加え、3館で碑学派の書人の代表作を紹介しています。
今回のブログでは、朝倉彫塑館で展示されている作品についてお話ししようと思います。その前に、朝倉彫塑館についてちょっと一言。
朝倉彫塑館は、彫刻家・朝倉文夫(1883~1964)が自ら設計してつくった自宅兼アトリエを、美術館として公開している施設です。朝倉がかつて生活していた空間で、朝倉自身の作品や、朝倉が収集した書画を楽しめるという、本当に贅沢なひとときを味わえる場所で、まさに都会のオアシス!!トーハクのK課長も、学生の頃によく朝倉彫塑館を訪れては、畳の部屋で瞑想にふけっていたとか…。

さて、そんな素敵な朝倉彫塑館では、碑学派の掉尾を飾る呉昌碩(ごしょうせき、1844~1927)の作品が部屋のあちこちに展示されています。なぜ、ここに呉昌碩の作品があるのでしょう?それは、朝倉文夫が呉昌碩の像を制作したことに由来します。
朝倉は、生涯において400点ほどの肖像彫刻を制作しています。若い頃から名声を博していた朝倉は、大隈重信、犬養毅、渋沢栄一、市川団十郎、尾上菊五郎など、日本の著名な政治家や実業家、役者など、著名人の像を数多く制作していますが、その中で2点だけ中国人の像があります。呉昌碩と、京劇の大スター梅蘭芳(メイランファン)です。2人の像は大正10 年(1921)に制作され、東京の上野竹の台陳列館にて開かれた東台彫塑会第1回展に出品されました。

東台彫塑会 第1回展(右から3番目が呉昌碩像)
東台彫塑会 第1回展(右から3番目が呉昌碩像)

朝倉が呉昌碩の像をつくることになったきっかけは、ある日本人の仲介により、呉昌碩と朝倉文夫との間で作品交換の話が持ち上がったことからでした。これには呉昌碩も大いに乗り気になって、まず呉昌碩から「老松図(ろうしょうず)」(図1)と「臨石鼓文(りんせっこぶん)」(図2)を朝倉に贈ります。2点とも呉昌碩77歳の近作で、特に画に関しては多数の作品から選んだ自信作だったようです。

老松図軸 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国13年(1924) 台東区立朝倉彫塑館蔵
図1 老松図軸 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国13年(1924) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(
展示期間終了)

臨石鼓文額 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国9年(1920) 台東区立朝倉彫塑館蔵
図2 臨石鼓文額 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国9年(1920) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(展示期間:10月29日(火)~12月26日(木)、
台東区立朝倉彫塑館にて展示

さて今度は、朝倉が呉昌碩に作品を贈る番です。朝倉は肖像彫刻を制作する際、対象となる人物に直接会うことを心掛けていますが、海のむこうにいる呉昌碩との対面は叶いませんでした。

そこで朝倉は、先方に写真を送ってもらうことにします。写真の依頼を受けた呉昌碩は、前・後・左・右から撮影した4枚の写真を朝倉に送りました。朝倉は、その写真を見て呉昌碩の姿かたちを可能な限り再現し、また書画作品から感じた呉昌碩の印象なども加味しつつ、像を仕上げていったと想像できます。
完成した呉昌碩像は、展覧会の出品後、船便で本人のもとに届けられました。像を受け取った呉昌碩の感激ぶりは、めりはりのきいた流麗な行草体で自身の思いを綿々と綴った書簡からも十分に伝わってきますね(図3)。

朝倉文夫宛書簡 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国10年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
図3 朝倉文夫宛書簡 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国10年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(展示期間:10月29日(火)~12月26日(木)、台東区立朝倉彫塑館にて展示

書簡の最後には、作品2点を一緒に送ったことが書かれています。その書画が、朝倉への為書きがある「竹石図(ちくせきず)」(図4)と「篆書神在箇中(てんしょしんざいこちゅう)」(図5)です。

落款の年号を見ると、像を受け取るや否や、すぐさま返礼の意を込めてこの2作を制作したことがわかります。

竹石図軸 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国10年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
図4 竹石図軸 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国10年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(展示期間終了)

篆書神在箇中額 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国10年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
図5 篆書神在箇中額 呉昌碩筆 中国 中華民国時代・民国10年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(展示期間:10月29日(火)~12月26日(木)台東区立朝倉彫塑館にて展示

呉昌碩は、初代社長をつとめた篆刻の研究機関である杭州の西泠印社(せいれいいんしゃ)に朝倉制作の像を置きました。弟子たちとともに西泠印社を散策するとき、呉昌碩はこの像の鋳造技術の高さを称え、弟子たちにも習練を積むことの大切さを諭していたそうです。
しかしその後、1966年に始まった文化大革命で、この像は惜しくも亡佚してしまいます。朝倉のもとには石膏原型がありましたが、これも関東大震災で壊れ、現在はその破損部分が収蔵されています(図6)。

呉昌碩像原型(破損像残部) 朝倉文夫作 日本 大正10 年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
図6 呉昌碩像原型(破損像残部) 朝倉文夫作 日本 大正10 年(1921) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(展示期間:10月29日(火)~12月26日(木)台東区立朝倉彫塑館にて展示

朝倉は、呉昌碩像の制作のやりとりで呉昌碩の書画を4点手に入れていますが、これを機にファンになり、以後自ら呉昌碩作品を収集しています。また朝倉は、呉昌碩の流れを汲むものとして、王一亭(おういってい、1867~1938)の作品(図7)や、孫松(そんしょう、1882~1962)の作品(図8)なども収集し、中国書画コレクションのより一層の充実化を図っています。

書画扇面額 王一亭筆 中国 中華民国時代
図7 書画扇面額 王一亭筆 中国 中華民国時代 
画は民国17年(1928)、書は民国18年(1929) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(展示期間:11月19日(火)~12月8日(日)台東区立朝倉彫塑館にて展示

墨梅図 孫松筆 中国 中華民国時代・民国15年(1926) 台東区立朝倉彫塑館蔵
図8 墨梅図 孫松筆 中国 中華民国時代・民国15年(1926) 台東区立朝倉彫塑館蔵
(展示期間:12月10日(火)~12月26日(木)台東区立朝倉彫塑館にて展示


朝倉の自宅の各部屋には、呉昌碩の作品がいくつも飾られていました。呉昌碩が朝倉制作の像を見せ、弟子たちを励ましていたように、朝倉もまた呉昌碩の書画を生活のなかに溶け込ませることで、自らの創作意欲を刺激しようとしていたのかもしれません。とまれ、呉昌碩書画に対する傾倒が、朝倉の彫刻家としての営為に少なからぬ影響を与えていたことだけは間違いなさそうです。
 

特集陳列「清時代の書 ―碑学派―」 (2013年10月8日(火)~12月1日(日)、平成館企画展示室)
特別展「清時代の書― 碑学派 ― 鄧石如生誕270年記念」 (2013年10月8日(火)~12月1日(日)、台東区立書道博物館)
リニューアルオープン記念展示「第Ⅰ期:朝倉文夫 交流の書画」 (2013年10月29日(火)~12月26日(木)、台東区立朝倉彫塑館)

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

| 記事URL |

posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館主任研究員) at 2013年11月28日 (木)