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法然と親鸞展 研究員おすすめのみどころ その3(彫刻)

「あ、このお像は素晴らしいな」と心に響く仏像とそうでない像があります。
どちらも歴史的な遺品として大切であることは変わりませんが、彫刻作品として考えると、どうしても優劣ができてしまいます。
その差が生じる理由の一つは作家の技量です。優秀な作家がお金と時間をかければ素敵な作品ができるでしょう。
でもそれだけではないようです。
特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」(~2011年12月4日(日))に出品されている彫像2点を見て、そんなことを考えました。
浄土宗所蔵の阿弥陀如来立像。
この像を拝すると、心のわだかまりが消えて、すーっと澄み切った気分になります(個人差があります)。


重文 阿弥陀如来立像 鎌倉時代・建暦2年(1222) (浄土宗)
 
無量光如来という別名にふさわしい輝きを感じます。
きりっとした顔立ち、体の引き締まった肉付きとリズミカルに刻まれた衣の襞。
像の高さ1mほどの阿弥陀如来立像は繰り返し造られてきたものなのに、この1体はとてもいきいきしていて、新鮮です。
これは仏師の意気込みが違うのだと思います。
“たくさん注文があるなかの一体”、ではなく“特別な一体”だったのではないか。
法然上人の一周忌法要の本尊にするため、弟子の源智が造らせた像、とひとことで言えばそうですが、
源智の並みならぬ思いに仏師が心打たれた、あるいは仏師が法然をとても尊敬していたなど、さまざまな可能性が考えられます。
しかし仏師の名前も知られないのでそれをたどることはできません。


次はこちらのお像です。

 
性信坐像 鎌倉時代(13~14世紀) (群馬・宝福寺)

群馬・宝福寺の性信坐像。この像の体、着ている服はペタンとしていて、写実的ではありません。
衣を見ても布という感じがしませんね。からだについて言えば素朴な味わいの像です。

しかし、顔に力があります。大きく見開いた目、眉間に深く皺を刻み、厳しさが感じられる。
鼻筋が通り、くっきりと広がる小鼻、鼻の両脇から口端にかけての皺も深く二重に彫っています。
下唇が上唇より前に出る受け口。両頬にも縦に2つ皺を刻みます。非常に個性的な顔ですが、強い魂が宿っていると思います。

この像を造った仏師大進は、率直に言って高い技量を持っているとは言えません。
この性信像の体と頭部では冴えが全く違います。ではどうしてこんな顔を造れたか?
大進は性信を知っていた、そしてとても強い印象を持っていた。そう考えることもできるでしょう。
あるいは性信の生前に写したか?ところが、茨城の報恩寺にこの像より洗練された性信像があって、顔は似ていません。
とすると大進の心に残っていた性信の面影を再現したものと考えるべきかもしれません。
以上、お像を前にして勝手に空想したことです。

カテゴリ:研究員のイチオシ2011年度の特別展

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posted by 浅見龍介(東洋室長) at 2011年11月24日 (木)