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1089ブログ

円空仏 千光寺へ

1月12日に開幕しました、特別展「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-」は4月7日(日)無事に閉幕しました。
最終日は、千光寺の大下大圓ご住職をはじめ、当館副館長島谷弘幸、本展覧会の担当研究員、東洋室長浅見龍介、主催の読売新聞社、NHK、NHKプロモーションの担当者ほか展覧会に関わったスタッフ皆で最後のお客様を見送らせていただきました。
多くの方にお越しいただき関係者一同大変感謝しております。誠にありがとうございました。

この円空仏にずっと浸っていたいところですが、ご出品いただいた作品は終わりしだい高山にご返却しなければなりません。

返却日の朝は、トーハクを午前7時に出発し高速を乗り継ぎ約9時間、まずは千光寺以外のご所蔵者からお借りした円空仏を高山市の収蔵庫に収め、そこから30分ほどかけて千光寺に向かいました。
そして、円空仏を千光寺の「円空仏寺宝館」に搬入し翌日の準備をしたところでこの日は終わりとなりました。

翌日、明方降った雪が少し積もっていました。東京の暖かさが恋しくなるような冷え込みの中、作業開始です。


千光寺 岐阜県高山市(真言宗寺院)

円空仏寺宝館の外では男性陣が集まり作業をしています。この方たちは?


皆さん手際がよくあっという間に作業が進んでいきます。

千光寺の檀家の皆様で、朝早くから来てくださったとのこと。
円空展で使用した様々な造作物を円空仏寺宝館で再利用するために作業されています。
元々円空仏寺宝館の中は白い壁だったのですが、円空展の会場のような黒を基調とした色にしたいというご住職の思いから、トーハクでの展覧会開催中に色を塗り替えたとのことです。展示照明も一新され、ご住職の熱い想いを感じます。
さて、檀家の皆様が作っているものはどのようになるでしょうか。

円空仏寺宝館の中では、展覧会でも大変人気のあった「金剛力士(仁王)立像 吽形」から開梱開始です。
仁王像は226cmもありますので寝かせて運んできました。周りは木枠で囲ってあるので、まずは木枠ごと立たせるところからです。


仁王像を立たせるために大きな滑車を使います

日通の作業員さんが息を合わせてロープを少しずつ引きはじめるとだんだん仁王像が起き上がってきました。
木枠を入れた総重量は約150kg!慎重に動かしていきます。

 

無事起き上がり、やわらかい和紙で綿を包んだ梱包用の布団を取ると、仁王像のお顔がでてきました。


ん?ニヤっと笑っているように見えます。

作業を開始した頃より冷えてきました。外に出てみると、なんと大粒の雪が舞っていました。
頭の上にどんどん雪が積もってきます。
外の気温は2~3度、4月とは思えない冬の寒さです。
しかし、雪が降る中、円空仏寺宝館から見る飛騨の山々は大変美しいです。 しばし雪景色に心奪われ、円空仏寺宝館に戻ろうと入口の横を見ると!!

 
左:短い時間でしたが激しく雪が降りました。
右:白い壁にバナーがとても目立っています


円空展にお越しになった方は、特別5室に入る手前の上にバナーが下がっていたのを覚えていらっしゃますでしょうか?
そのバナーがこのように円空仏寺宝館に入る方をお出迎えします。
こちらは、先ほど外で檀家の皆様が作っていたものです。
まさか、ここでまたこのバナーと再会できるとは!とても嬉しくなります。

円空仏寺宝館では、仁王像の展示が無事終わりました。
展覧会前は、吽形は円空仏寺宝館入った正面でお客様をお出迎えしていましたが、
阿形(展覧会には保存状態からお出ましできませんでした)の隣に展示されました。
これで阿吽そろっての展示となりました。

 
金剛力士(仁王)立像 左:吽形 右:阿形 江戸時代・17世紀 千光寺蔵
「吽形おかえりなさい」、お留守番をしていた阿形が思っているかもしれません。

その他の円空仏も展示していきます。
ご住職の息子さんである副住職も一緒に行っています。
一つ一つ表情が皆違う三十三観音立像はこのように展示されました。


三十三観音立像 江戸時代・17世紀 千光寺蔵
向き合っているものもいます。かわらず可愛らしい表情です。
三十一体はぜひ円空仏寺宝館で!

展覧会のメイン作品でもありました「両面宿儺坐像」。これを見て「あっ!」と気づく方。そうです。
なんと、特別5室の造作物をそのまま使用しています。
木をイメージしたデザイン、展覧会をご覧いただいた方は印象に残っているのではないでしょうか。
こちらも檀家の皆様が展示ケースに入るよう切って入れました。


両面宿儺坐像 江戸時代・17世紀 千光寺蔵
ケースに入れるときは一苦労ありましたがぴったりです。さすがです。

さらにこちらも注目!

特別5室入ってすぐ右手に展示されていた「護法神立像」です。


護法神立像 江戸時代・17世紀 千光寺蔵

展覧会前まではケースに入れて展示していた「護法神立像」ですが、少し窮屈でした。
今回展覧会で使用していた森のイメージのスクリーンをはり、壁の前に立たせることにしました。
展覧会では、少し高めの台の上に展示していましたが、今回はより近くでお像を見ることができます。

この他にも見どころ満載です。
トーハクでの展覧会のデザインを取り入れ、そして、檀家の皆様との協力でできあがった円空仏寺宝館。
リニューアルといってもいいほどかわりました。

様々な特別展を開催する中で、お客様の心に何か残ることもあるかと思いますが、一方で会期終了後は、形としてはほとんど何も残りません。
展覧会が終わると、会場から様々なものがなくなり何も残らないことはしかたないことではありますが、展覧会担当者としては寂しい気持ちにもなります。

しかし今回は、円空仏寺宝館がトーハクでの円空展の記憶をよみがえさせるような雰囲気になり、大変嬉しく思いました。

その後、各所蔵先にも無事返却が終了しました。
円空展では普段なかなか見ることができないお像の背面や特別展ならではの照明で表情や造形のすばらしさを見ることができたかと思います。
しかし、お寺や神社などその土地の風土を感じながら見る円空仏には、また違った魅力を感じていただけるかと思います。

ぜひ、高山にお出かけしていただき、今度は円空をより近くに感じながらご覧いただければと思います。

現在、岐阜県高山市一之宮町にある天然記念物の臥龍桜は満開を迎えています。
円空展をご覧いただいた方も、ご覧いただけなかった方も、美しい自然を感じながら円空にかかわる寺社をめぐってみてはいかがでしょうか。

円空展ブログはこれにて終了です。
どうもありがとうございました。

カテゴリ:彫刻2013年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2013年04月20日 (土)

 

私の“イチホシ”!円空仏 「男神坐像」

私のイチオシは迷うことなく両面宿儺坐像です。ポスター、チラシ、看板に掲げ、そしてさまざまな雑誌やテレビに取り上げていただいて、多くの方々の目に触れたと思います。その造像をめぐる自分なりの考えは図録に書きましたし、造形のすばらしさについては実際にご覧いただけば私の推薦文など不要でしょう。そこで、「自分の手元に置きたい、一番ほしい像」と勝手にテーマを変えさせてもらいます。

円空展チラシ
円空展ポスター・チラシデザイン
両面宿儺坐像 円空作 江戸時代・17世紀 岐阜・千光寺蔵


どれかひとつならNo21 男神坐像です。千光寺近くの白山神社に伝来した像です。10㎝ほどの木端に顔と上半身を少し削っただけのものです。像の姿からは何を彫ったのかわかりませんが、神社にあったのだから神像なのでしょう。このプロポーションで立っているとは考えられないので坐像としましたが、手足がどうなっているかはわかりません。
この像をほしい理由を述べることは、自分の内面をお話しするようで少しためらわれますが、円空仏と人との付き合い方の一例になると思うので続けます。

男神坐像
男神坐像 円空作 江戸時代・17世紀 岐阜・千光寺蔵

家にずっと置くなら、立派な像より穏やかな像がいいです。置きっ放しではなく時々手に取りたい。「なかなか思うようにはならないね」などとつい呟いてしまうでしょう。日々の生活の中でたまった澱を少しずつ引き取ってくれるような気がします。仏像とか神像としてではなく、もっと身近で支えてくれる。鑿の痕を指でなぞれば、円空の温かさを感じることができる。未完成だから円空の気持ちが離れないで残っているような気もします。この像には300年以上の年月、その間対面した人々、造った円空が包含されているわけですから小さいけれど頼りがいはあるのです。そんなの独りよがりだとか迷信だとか言われても私とこの像の間のことですから勝手にそう思い続けます。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻2013年度の特別展

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posted by 浅見龍介(東洋室長) at 2013年03月29日 (金)

 

私のイチオシ!円空仏 山に登る円空 「十一面観音菩薩立像」

特別展「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-」(2013年1月12日(土)~4月7日(日)、本館特別5室)から、「私のイチオシ!円空仏」と題し、円空展担当者によるイチオシの円空仏をリレー形式でご紹介しています。

さて、3番バッターは、私 広報室長の小林です。
ご紹介するのは、この十一面観音菩薩立像。

十一面観音菩薩立像  江戸時代・元禄3年(1690)  岐阜・桂峯寺蔵
十一面観音菩薩立像  江戸時代・元禄3年(1690)  岐阜・桂峯寺蔵

展覧会場に並ぶ100体の円空仏のなかで、この仏像は私にとって特別な1体です。
分厚い唇と撫で肩ながら胸にかけてボリューム感のあるからだつき。 通常は衣の中に納まってあまり表されることのない腕が、すっと前に彫り表されていること。衣の裾からのぞく右足がほんの少しだけ前に出て見えること。
それらによるものでしょうか、朴訥な中に厳しさとたくましさを、なにか強い意志力を感じるお像です。

タイトルは十一面観音とされていますが、実はこのお像には六面しかありません。六面観音ともいうべきお姿です。
像の裏には円空の筆で文字が書きつけられています。

背面墨書
頂上六仏 元禄三年
乗鞍嶽(のりくらだけ) 保多迦嶽(ほだかだけ) 於御嶽(おおだけ) 
伊応嶽(いおうだけ) 錫杖嶽(しゃくじょうだけ) 四五六嶽(すごろくだけ) 以下略
(※一部難読箇所は、浅見龍介(当館東洋室長)の考察による)

頂上六仏とは、まさに頭の上にある六面と呼応します。円空は明確な意図があって、「六面観音」をつくったようです。元禄3年というのはこの像をつくった年でしょう。

2行目からは6つの山の名前が並びます。
今とは呼び方が違っているようなので、現在私たちが親しんでいる山名になおしてみましょう。
順番に

乗鞍岳(3026m) 穂高岳(3190m) 笠ヶ岳(2897m)
焼岳(2455m) 錫杖岳(2168m) 双六岳(2860m)

いずれも日本アルプスの名だたる山で、3000メートル峰が2つも含まれています。
この仏像にはどんな思いが込められているのでしょうか。
円空は滋賀県の伊吹山や奈良県の大峰で修験道の修行を積んだといわれています。
また、北海道や岐阜には円空がこもっていたという岩屋が残されており、円空が長期間山中の岩屋にこもって厳しい修行をしていたことがわかります。

円空像 大森旭亭筆 江戸時代・文化2年(1805)  岐阜・千光寺蔵
円空像 大森旭亭筆 江戸時代・文化2年(1805)  岐阜・千光寺蔵


現存唯一の円空さんの肖像。
岩屋にこもって修行する姿であらわされています。迫力のある相貌といかついからだつき。円空仏の柔和で微笑みかけるような姿とギャップを感じるのは私だけでしょうか。

山岳仏教の修験者にとって、山は力の源。山にこもり、山の霊力を身に着けることで、特別な力を得ることができると考えられてきました。円空も山で厳しい行を積むことによって、特別な力を得たものと思われます。円空ゆかりの村々の伝説は、円空の彫った仏像に雨を降らせたり、病を治したりする力があったと伝えています。

さて、話を十一面観音に戻しましょう。
背面に書かれた山のうち、笠ヶ岳や乗鞍岳に最初に登ったのは円空だという伝説があります。この6つの山を毘沙門、地蔵菩薩、如意輪観音、釈迦如来、不動明王、虚空蔵菩薩の六仏に見たてた六峰満行を行ったともいわれているそうです。だとすると、その厳しい修行の誓いなのか、あるいは達成したときに彫られたものなのか。いずれにしてもこの観音さまは、これらの聖なる山への祈りと山の霊力をこめた仏像であることは間違いなさそうです。

ところで、私事ですが、私の趣味は山登りです。それは、円空のような修行の山とは全く異なる行為ではありますが、円空が登った山のいくつかに実際に登ったこともあります。低い山も高い山も様々ですが、山に入ると、ときに神の領域につながる何かを見る(ような気がする)ことがあります。円空と同じものを見たなどというつもりは毛頭ありませんが、そんな感動を覚えることがあるのもまた事実です。
そこで、この十一面観音の墨書について、ごくごく素朴な疑問をもっていることを告白します。

はたして円空はほんとうにこの6つの頂きに登ったのだろうか。
それはいったいどんな山行だったのだろうか。

大峰山や伊吹山など、古来修験の山として多くの人々に歩かれた山に登るのと、これら未踏の山に登るのではまったく話が違うのではないか、と私は思うのです。山の厳しさ、気候の厳しさが、低山と3000メートル級の高山では全く異なるうえに、なんといってもそこには道がないのです。

北アルプスの登山地図を開いてみましょう。
乗鞍岳、焼岳、穂高岳、双六岳は岐阜・長野県境にそそりたつ尾根上に並ぶ峰であること、残る錫杖岳と笠ヶ岳は現在、新穂高温泉がある谷をはさんで西側の尾根に位置し、この2つの尾根は双六岳で合流することがわかります。つまり、6つの峰は新穂高温泉のある谷をぐるっと囲む尾根上に並んでいるのです。
十一面観音が安置されていた上宝村の金木戸の集落からはいずれも半径25キロ以内。
飛騨の円空にとって、この6つの山の選択、そこでの修行の計画は、決して荒唐無稽なものではなかったように思えます。

日本登山史の黎明期、明治時代に日本アルプスを開いた欧米の登山家たちの記録を見ると、多くの場合、土地土地で山に精通した案内人をたて何日もかけ、あるいは何回も挑戦を重ねてようやく登頂を果たしていることがわかります。
江戸時代、円空に続いて笠ヶ岳に登頂し、のちに槍ヶ岳の登山道も開いたとされる幡隆上人もまた、多くの山人たちの協力を得てその行を終えました。

円空は、はたして一人でこれらの山に登ったのでしょうか。
いや、そうではなく幡隆上人と同様、多くの村人の助けを得たと考えたほうが自然ではないでしょうか。それは、一人でふらりと山に入るというような類のことではなく、多くの人の経験と知恵と力を結集させなければかなわない大いなる挑戦だったのではないでしょうか。
それほどまでして山に入る、その思いはどこからきたのでしょうか。

カシミールという大変便利なソフトがありまして、それで作った展望図をご覧いただきます。

カシミールの図版
上宝村 桑崎山頂から北アルプスを望む

十一面観音、いや、六面観音の安置されていた金木戸の集落近くの桑崎山の上に視点を設定し、そこからの眺めを地図データから再現したものです。
どうです。すばらしいでしょう。
円空さんはこの景色をみて何を思ったのか。

私はどこかの峰に登りついたとき、いつもそのまた向こうに見える峰に登りたいと思います。空遠く、空高くそびえる向こうの山の峰にはなにか特別なものがあるような気がするのです。それが白く雪をいただく峰であればなおさら。
山の特別な力に魅入られていることにおいては、円空さんも同じではなかったかと。不遜ながら、そんな想像をしてしまいます。

皆様には、六面観音の背後にはこんな神々しい山々の姿があったことを知っていただければと思います。
そしてそれが、円空さんの力となって、ますます村人たちの信仰を集めていたことも。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻2013年度の特別展

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posted by 小林 牧(広報室長) at 2013年03月27日 (水)

 

私のイチオシ!円空仏 「愛染明王坐像」

円空仏の森へようこそ。
特別展「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-」にご来場いただき、
いっぽ本館特別5室の展示室に踏み入れると、そこは飛騨の森。
飛騨の木から姿をあらわした円空仏100体があなたをお待ちしています。

会場展示風景
特別5室の天井高は14mほど、本館吹き抜けの雰囲気ある展示室。
円空展チーフの浅見東洋室長は展示プランについて、検討をはじめたごく初期の段階から
「ここ
特別5室に円空仏の森を作りたい」という思いがありました。
会場デザイン:オフィスイオ 施工:乃村工藝社


この森を歩いているとふとした出会いがあるかもしれません。

たとえば「愛染明王坐像(あいぜんみょうおうざぞう)」

愛染明王坐像
愛染明王坐像 円空作 江戸時代・17世紀 岐阜・霊泉寺蔵

華瓶とおぼしきうずまき模様の上に咲いた蓮の花、
そのうえにどっかと坐る愛染明王の手は6本。
お腹の前に突き出した右手に金剛杵、左手には金剛鈴を握ります。
本来弓矢をもつはずですが、ここでは省略されています。
お顔をながめると、口の端をきゅっとあげているからか
不敵な笑みを浮かべているようです。

うずまきと手
(左)うずまき模様
(右)ひとつの手はぐー?


(左)会場だと影になりよく見えませんが、金剛鈴には舌(ぜつ)も彫られています 
(右)憤怒相…ではありませんね。目と目の間がはなれている獅子冠

愛染明王は恩愛を司る仏さまとして、平安時代以降広く信仰を集めてきました。

このお像を所蔵する霊泉寺は、高山市内にある真言宗泉涌寺派の寺院。
延宝5年(1677)、地元の人たちが力を合わせて堂宇、愛染堂を建立し、
愛染明王(秘仏)を安置したことから、霊泉寺は地元で「愛染」の名で親しまれます。

貴賎の別なく人を想い、人に想われた円空。
修行の旅を続ける中で、霊泉寺を訪れたとき、
この愛染明王像をのこしていったのでしょう。
地元の人々の篤い信仰心と、それに向き合う円空の暖かい心が感じられるようです。

円空のお像には通じて、心に寄り添うような近さ、親しみを覚えます。
すぐそばにいる仏さま、神さま。

あなたはこの森でどんな円空仏に出会いますか?

次回「私のイチオシ!円空仏」は小林牧広報室長に引き継がれます。どうぞお楽しみに。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻2013年度の特別展

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posted by 高木結美(特別展室) at 2013年03月23日 (土)

 

私のイチオシ! 円空仏 「柿本人麿坐像」

特別展「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-」(2013年1月12日(土)~4月7日(日)本館特別5室)は会期終了まで残すところ1ヶ月をきりました。
これまでお越しいただきました皆様、誠にありがとうございます。
100体ご覧いただきますと、心に残った円空仏があるのではないでしょうか。

このブログでは、「私のイチオシ!円空仏」と題し、円空展担当者によるイチオシの円空仏をリレー形式でご紹介します。

私のイチオシは「柿本人麿坐像(かきのもとのひとまろざぞう)」です。


柿本人麿坐像 円空作 江戸時代・17世紀 総高50.2cm 岐阜・東山神明神社蔵

この像は会場の右奥に展示しています。

展覧会に向けてプレスリリース、チラシを作成時している時からずっと気になっており、早く実物を見たいと思っていました。
いざ展示されると、会場内の雰囲気と照明によって陰影がはっきりし、さらに引き込まれました。

私がこの像を見るときは、まず正面に立ち全体を見ます。
柿本人麿は左肘を脇息にもたれた姿勢で表現されることが中世には定型となっていました。
この像も少し姿勢をくずしているせいか、見るこちら側の緊張をとり安堵感を与えてくれます。
全体を見た後は、像の視線と同じ高さになるよう少し中腰になり真正面から顔を見ます。



この柔和な表情は見れば見るほど心が穏やかになり優しい気持ちになります。
また、まるで私にほほえみかけてくれているような気持ちにさえなってしまいます。

表情も見どころですが、横からもご覧ください。



正面から見ただけでは想像できないぐらい薄く、また平たいことがわかります。
円空は木を鉈で割り仏像を彫りました。
背面はこのように割ったままのものが多く、木を大事に使ったからか、薄い材を用いていることも多いです。

衣の表現も見てください。



このように薄い材でもしっかり彫りこんでいるので見応えたっぷりです。

お越しの際は、「柿本人麿坐像」の表情とともに、造形力に満ち溢れているところもご覧いただければと思います。

円空仏を見ていると「円空はどんな人だっただろうか?どんな思いで彫っていたのだろうか?」といろいろな思いがめぐります。
円空に関わる資料がほとんどないため、まだわかっていないこともたくさんありますが、
円空仏は見るものに様々なことを想像させ、訴えかける力を持っているのだと思います。
それが円空その人自身、そして円空仏の魅力的なところでもあると思います。

皆様のイチオシはどの円空仏でしょうか?

次回は特別展室高木よりご紹介します。どうぞお楽しみに。

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻2013年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2013年03月11日 (月)