「博物館でアジアの旅」(通称「アジ旅」)は、さながら時空を越えてアジア各地を旅するように、トーハク東洋館の各展示室を巡りながら、そこに散りばめられた様々な対象作品を探しつつご観覧いただく、という趣旨の企画です。
「空想動物」をテーマとした今年のアジ旅は、企画名称を「博物館でアジアの旅 空想動物園」(10月17日(日)まで)といたしました。近くの上野動物園に行くと、園外にも動物たちの鳴き声が聞こえてきます。大人も子供も入園前から心が躍り、普段は見られない多くの動物たちに実際に出会うと感激もひとしお。アジ旅での空想動物たちとの出会いも、ぜひ動物園のようにワクワクしながら楽しんでいただきたい、企画名称にはそのようなメッセ―ジも込められています。
企画をより楽しんでいただくために、今年はアジ旅専用の「調査ノート&シール」をご用意しました。イベントページをご参照のうえ、ぜひご利用いただけますと幸いです。
さて、前回のアジ旅ブログでは、主役級の空想動物「龍」と、龍とは異なる運命をたどった「饕餮」に注目して、それぞれの歴史的な歩みをご紹介しました。
今回は登場する残りの空想動物をできるだけ多くご紹介し、その魅力についてお伝えできればと思います。
博物館でアジアの旅 空想動物園 編集・発行:東京国立博物館 定価:550円(税込) 全24ページ(オールカラー) 1089ブログでご紹介できなかった作品を含む、全出品作品55点の画像を掲載。 東博に集まった世界各地の多彩な空想動物について、くわしく解説したガイドブックです。 |
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posted by 六人部克典(東洋室研究員) at 2021年10月06日 (水)
熱い食べ物が苦手な人やその状態を「猫舌」と言いますが、これは猫という存在を知っていることが前提であって、猫を知らない人たちには伝わらない表現といえるでしょう。漢時代に司馬遷が記した歴史書『史記』には、孔子が老子との面会をおえて、「老子は龍のようなお方であった」と弟子たちに語る場面が採録されています。『史記』ではこの龍のくだりに関して注釈や補足をしていませんので、(孔子と老子が実際に面会したかはさておき)当時の人々にとって、龍は具体的に思い浮かべることのできるものであり、かつそれは共通のすがたであったことを示唆しています。
龍は、現代の生物学的な知識のうえでは、その実在は否定されるかもしれません。ところが、古代の記録や文物には、これでもかと龍が登場します。龍だけではありません。ありとあらゆる空想動物が隠れることもなく、むしろ堂々と至るところに表されているのです。そうした空想動物に焦点を当てた「博物館でアジアの旅 空想動物園」が、9月14日から東洋館で絶賛公開中です。「博物館でアジアの旅」とは、毎年ひとつのテーマのもとで東洋館をめぐっていただく企画で、今年で8回目を迎えます。
さて、いま私たちが思い浮かべる龍の姿とは、元時代の壺にあらわされた龍(図1)のようなものですね。ではこうした龍はいつ頃生まれたのでしょうか。漢時代の鏡にあらわされた四神のうちの青龍(図2)をご覧いただきますと、体は四足獣のそれを思わせますが、ツノがあることや面長で首が細く長いさまから、龍として申し分のない姿といえそうです。さらにさかのぼり、西周時代の玉器の龍(図3)をご覧いただきますと、面長で胸が蛇腹状になっている点などから龍ともいえそうですが、これを龍とすべきかは意見が割れそうです。この問題は、あたかも平地と山とを考えたときに、どこまでが平地でどこからが山なのか明確には判じがたいことに似て、曖昧な要素を多分に含んでいるのです。
(図1)青花龍濤文壺(部分) 中国、景徳鎮窯 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵 東洋館5室にて通期展示
(図2)方格規矩四神鏡(部分) 中国 後漢時代・1世紀 横川民輔氏寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館5室にて通期展示
(図3)玉龍 中国 殷~西周時代・前13~前8世紀 東京国立博物館蔵 東洋館4室にて通期展示
龍がすがたを変えながらも古来一貫して存在し続けたのに対し、龍と同じくらい古くから存在する饕餮(とうてつ)は、それとは異なる運命をたどってきました。饕餮が青銅器などの器物に積極的にあらわされるのは今から3000年以上むかしの殷王朝(商王朝ともいいます)の頃。立派なツノ、ひときわ大きな瞳、鋭い牙をのぞかせた口が特徴で、真正面を向いた姿であらわされます(図4)。その後、西周そして春秋戦国、さらには漢へと時代がうつろいゆくなかで饕餮はしだいに影をひそめ、唐時代には絶滅したと思えるほどにその姿を確認することはできなくなります。ところが今から1000年ほど昔、唐のあとの宋の時代になって、饕餮は復活を遂げるのです。もう少し正確にいいますと、殷など古い時代の器物にあらわされたこの怪物を「饕餮」だとあらためて比定したのが、この宋時代の知識人たちだったのです。その一人、呂大臨という学者は、『呂氏春秋』という古典に記載された「周の鼎には饕餮をあらわす。頭があり身体はなく、人を食らう…」という一節に注目し、かのいにしえの青銅器にあらわされている怪物は饕餮という名前であると断定し、そのことを『考古図』という著作にのこしました。呂大臨が器物上の図像と古記録上の記載とを結びつけたことのインパクトは大きく、ここに饕餮はひとつのすがたを確立させるに至ります。それは顔だけの生き物で、口は大きく、人を食らうほど鋭い牙をもったすがたです。清時代の七宝でつくられた器物の饕餮(図5)などはまさにこうした北宋以降に形成された饕餮の概念を継承・発展させ、図像化したものといえるでしょう。現在、考古学的には青銅器にあらわされた怪物についてひとつの名前でもって示すことができず、単に獣面と呼ぶことが多く、その正体は天帝であるとか祖先神とか土地神であるとかいろいろな考えがなされています。ただわたくしは、「饕餮」というものをもう一度よくよく再検討してみてもよいのではと思っています。龍についてもしかり。このような機会に、もう一度龍についても考えを深めてみたいと思っています。
(図4)饕餮文鼎 中国 殷時代・前13~前11世紀 東京国立博物館蔵 東洋館5室にて通期展示
(図5)饕餮七宝卣 中国 清時代・19世紀 神谷伝兵衛氏寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館9室にて通期展示
さて、このブログの前半で、山と平地を引き合いに出しました。国土地理院は、「山の始まりは、どこですか?」という質問に対し、まず「国土地理院では、山の定義はしていません」と強烈な先制パンチをくりだしたあとで、「もしあなたが、山の始まりはどこ? という興味をもったなら、その山の前に立って、この辺が山の始まりかなというところを感じて探してみてください。」と名回答をしています(国土地理院ウェブサイト「国土の情報に関するQ&A」)。私も「どこからが龍ですか?」と聞かれたら、「東洋館で龍とおぼしき作品と向き合って、この辺が龍の始まりかなというところを感じて探してみてください。」とお答えしたいと思います。
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posted by 市元塁(東洋室長) at 2021年09月28日 (火)
東洋館で開催中のイベント「博物館でアジアの旅」[9月8日(火)~10月11日(日)]も残すところ1週間を切りました。 今年のテーマは「アジアのレジェンド」です。東洋館1階インフォメーションで配布中のパスポートを片手に、関連作品を探しながら、コロナ禍で人の少ない(涙)東洋館を巡ってみてください。
この記事では、古代エジプトのセクメト女神像と、そのレジェンド(伝説)をご紹介いたします。
東洋館の2階に上がり、展示室(3室)の左奥に見えるのがセクメト像です。
(左右ともに)セクメト女神像 エジプト、テーベ出土 新王国時代(第18王朝アメンヘテプ3世治世)・前1388~前1350年頃
ライオンの頭をもった女性の姿で表現されたセクメト。
古代エジプトの神話には、セクメトは恐ろしい女神として登場します。
その昔、人間たちが、支配者である太陽神ラーに抗おうとしたとき、人間を罰するために遣わされた女神がセクメトでした。セクメトは、その強大な力をもって、人間たちを殺してまわりました。最後はラーが一計を案じ、セクメトをお酒で酔っ払わせることで、穏やかな女神に戻し、最終的に人々が救われた、という物語。今から4000年以上前にさかのぼる古い神話です。
頭にはかつらをかぶり、胸元にアクセサリーを着けています。ちなみに、目は赤く彩色されていたと考えられています。
古代エジプト人は、この強力で攻撃的な女神の一面を、雌ライオンの姿に重ねていたのでしょう。また、セクメトの力は正義と秩序を守るために行使されること、セクメトをなだめることで人々が救われたこと、この2点が物語のポイントです。つまり、セクメトをなだめることで、癒しと安定をもたらすことができると考え、古代エジプトの人々はセクメトを病気や怪我を癒す神様として信仰したのです。
セクメト像の左手を見ると、丸い持ち手のついた十字を握っています。これは生命の象徴である「アンク」で、人々の命と生命力を盛り立てる力を意味していると考えられます。セクメトは、人々を護り、病気や怪我を癒す神様でもあったのです。
セクメトが左手に握っているアンク。
さて、このセクメト像はどこから来たのでしょうか?
これらのセクメト像を作らせたのは、アメンヘテプ3世というファラオ。
有名なツタンカーメンの祖父にあたる人物で、繁栄の絶頂期にあったエジプトを40年近く統治した偉大な王でした。
強固な財政基盤を背景に、各地で神殿の建設や改修を進めたことが特筆されます。
現在のエジプト観光の目玉となっている建造物やモニュメントには、アメンヘテプ3世が手掛けたものが多く含まれます。
その一つに、「メムノンの巨像」と呼ばれる1対の石像があります。
高さが20メートル近くあるこの像は、アメンヘテプ3世の坐像で、壮大な葬祭神殿の入口に配されていたものです。
メムノンの巨像。巨像の後ろに、当時としては最大規模の神殿が広がっていました。現在、H・スルジアン博士が率いる遺跡整備プロジェクトによって、かつての神殿の様相が明らかになってきています。(写真:H・スルジアン博士提供)
アメンヘテプ3世の葬祭神殿の想定復元図。
(出典:馬場匡浩『古代エジプトを学ぶ ―通史と10のテーマから―』2017年、六一書房、図11-16「アメンヘテプ3世葬祭殿」)
「メムノンの巨像」がある第一棟門を通り、さらに第二、第三の棟門を抜けると、無数の巨大な柱がそびえる建造物がありました。
この列柱建築に数百体ものセクメト像が並べられていたと考えられています。
近年のスルジアン博士のチームの発掘調査では、神殿内部に残っていたセクメト像が出土しており、博士によればその数は280体にも及んでいるそうです。
出土したセクメト像。学術的な発掘調査は葬祭神殿のどこにセクメト像が並べられていたのかを探る手掛かりになります。(写真:H・スルジアン博士提供)
古代エジプトの最大規模の神殿であったアメンヘテプ3世の葬祭神殿は、紀元前1200年頃の地震で倒壊したと考えられています。その後、瓦礫が石材を再利用するために持ち出され、いつしか、巨像だけが取り残されました。神殿内にあったセクメト像の多くは、神殿倒壊後に、同じ地域にあるムート女神の神殿に移設されたと考えられます。19世紀に、エジプトで美術品獲得のための発掘が始まると、ムート神殿にあった多くのセクメト像が持ち出され、現在、世界各地のミュージアムで所蔵されています。
東洋館3室に並ぶ2体のセクメト像。
一見して、狛犬の類かな?と感じる方が多いのですが、実は、エジプト史のレジェンド(偉人)ともいえるアメンヘテプ3世にまつわる彫像で、もとは数百体あったうちの2体なのです。
そして、古代エジプト人にとってのセクメトは「恐怖の女神様」であり、人々の病を回復させ、世の中に安らぎをもたらす「癒しの女神様」でもありました。
それでは、アメンヘテプ3世は何のために数多くのセクメト像を作らせ、自身の神殿に祀ったのでしょうか?
当時の中近東で度々流行った疫病を鎮めるためとも、自身の健康状態を回復させるためとも言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。
東洋館にお越しの際は、ぜひ、3室のセクメト像をご鑑賞いただき、恐ろしくも親しみのあるセクメトの神話や、壮大なアメンヘテプ3世の葬祭神殿に思いを寄せてみてください。
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posted by 小野塚 拓造 at 2020年10月06日 (火)
現在、東洋館では「博物館でアジアの旅 アジアのレジェンド」[9月8日(火)~10月11日(日)]を開催中です。レジェンドにまつわるアジア各地の作品を展示している本企画。館内の看板などには、インドの英雄クリシュナが登場しています。
東洋館の入口にも、クリシュナがずらり。
クリシュナはヒンドゥー教の神です。聖典にはクリシュナが無敵を誇る様子と人間臭い姿がともに描かれています。それゆえインドにおいて、クリシュナは、至高の神でありながら、人々から大変愛される英雄でもありました。
クリシュナという名は、本来、「黒い」「暗い」「濃い青の」「皆を引きつける」を意味するサンスクリット語の「クルシュナ」に由来します。またヒンドゥー教ではクリシュナを神ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)と考えてきました。そのため、クリシュナの肌の色はしばしば黒や青に塗られてきたのです。
今回のブログではクリシュナを主題として描いた細密画3点から、クリシュナの誕生から青年へと成長するまでを読み解いていきたいと思います。
東洋館13室「インドの細密画」
クリシュナが生誕した場所は、インド北部のマトゥラーという都市です。実はマトゥラーはガンダーラと並んで仏像誕生の地としても知られています。当時、マトゥラーは小国家で、ヤーダヴァという部族が統治していました。
クリシュナの父はヴァスデーヴァ、母はデーヴァキーといいました。デーヴァキーはマトゥラー国の王であったカンサの妹です。
カンサは悪行を重ねていました。それを見かねた神々は、ヴィシュヌがデーヴァキーの胎内に宿り、クリシュナとして誕生するように定めたのでした。
しかしカンサもまたデーヴァキーの子供に殺されるというお告げを聞きます。そこでカンサはデーヴァキーの子供たちを皆殺しにするように企むのでした。
クリシュナが生まれると、ヴァスデーヴァはひそかに赤ん坊のクリシュナを抱いてヤムナー川を渡り、同じ年頃の赤ん坊と交換します。こうしてクリシュナはカンサの魔の手からひとまず逃げ落ちることができました。
クリシュナは、マトゥラー近くに住んでいたナンダとその妻ヤショーダの手によって育てられました。
幼少期のクリシュナにまつわるエピソードをひとつご紹介しましょう。
クリシュナがバターを盗み食いするお話です。「バターを盗もうとするクリシュナ(バーガヴァタ・プラーナ)」という細密画を見てみましょう。
バターを盗もうとするクリシュナ(バーガヴァタ・プラーナ) カンパニー派 インド 19世紀中頃 東京国立博物館蔵 東洋館13室にて通期展示
幼少期のクリシュナは普通の子どもと同じように腕白でした。牛飼いの家を訪ねては大好物のバターを盗み食いしていたのです。この絵の中でもクリシュナは召使いを踏み台にして、天井から吊した壺の中からバターを盗み食いしようとしています。
続いては青年期のクリシュナにまつわるエピソードをご紹介しましょう。クリシュナが山を持ち上げて、牛飼いたちを雨から守るお話です。「ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ」という細密画を見てみましょう。
ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ(部分) ビーカーネール派 インド 18世紀後半 東京国立博物館蔵 東洋館13室にて通期展示
牛飼いたちがインドラの祭祀を準備していると、クリシュナが現れて替わりに家畜や山岳を祭ることを牛飼いたちに勧めます。インドラはこれに怒って大雨を降らせますが、クリシュナはゴーヴァルダナ山を持ち上げると、指1本で軽々と山を支え、牛飼いたちを雨から守りました。
そして最後に「蓮の上に坐るクリシュナ」を見てみましょう。
蓮の上に坐るクリシュナ(部分) ビーカーネール派 インド 18世紀前半 東京国立博物館蔵 東洋館13室にて通期展示
精悍な青年へと成長したクリシュナが、右手にバーンスリーと呼ばれる横笛をもって蓮の花の上に坐っています。あたかも仏陀が蓮の上で化生しているかのようです。
しかもこの蓮の花はかつてクリシュナの父ヴァスデーヴァがカンサの魔の手から赤ん坊のクリシュナを守るために抱いて渡ったヤムナー川のほとりに咲いているのです。
クリシュナの誕生の秘密は、世界の秩序を維持するヴィシュヌが化身したものでした。幼少期のクリシュナはヴィシュヌの神性が覚醒する前の段階のようで、まだまだ人間の子供と変わりません。しかし青年期に至ると、その片鱗が見えてきます。
今回「博物館でアジアの旅 アジアのレジェンド」に展示されているインドの細密画からは、クリシュナがレジェンドへ成長する前段階をうかがい知ることができるのです。
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posted by 勝木言一郎(東洋室長) at 2020年09月17日 (木)
ほほーい、ぼくトーハクくん! 今日のぼくは、ひと味ちがうんだほ。ユリノキちゃん見て見て!
本当だ、トーハクくん、今日はおめかししてるのね。
インドの細密画にたくさん描かれているヒンドゥー教の神様、クリシュナ風のコスプレだほ! そう言うユリノキちゃんも、いつもと服が違うほ?
私のはクリシュナのパートナー、ラーダーの衣装がモチーフなのよ。ところでトーハクくん、私たちがお着替えした理由、覚えてる?
も、もちろんだほ?!
もう、しっかりして! 今週開幕した「博物館でアジアの旅」[9月8日(火)~10月11日(日)] を皆様にご案内するためじゃない。
(そうだったほ!)大丈夫だほ、秋のトーハクといえば「アジアの旅」ほ! 今年で7回目になる恒例企画だほ。
そうそう、東洋の美術・工芸・考古遺物を展示している「東洋館」を舞台に、毎年違うテーマでアジア各地の名品をご紹介しているのよね。今年のテーマは「アジアのレジェンド」なの。
埴輪界のレジェンドを目指すぼくとしても、見逃せないテーマだほー。
ただ、去年までと違って、今年はご来館前に日時指定券の事前予約をお願いしているの。それに「博物館でアジアの旅」と言えば研究員が添乗員に扮して展示室をご案内する「スペシャルツアー」が定番だったけれど、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、残念ながら今年は見合わせることになったんですって。
がーん!!! ぼく一人じゃ、あの大きな東洋館をどう回ったらいいかわからないほ……。
安心してトーハクくん、館内で無料配布中の「博物館でアジアの旅 2020 PASSPORT」があるわ! ここには「アジアのレジェンド」の主な関連作品を見つけるためのヒントが載っているのよ。パスポートの答えは、同じく館内で配布しているオリジナル・シールを見ればわかるんだって。展示室を回った後にシールを受け取って、答え合わせしてみてね。
パスポートおよびオリジナル・シールは、10月11日(日)までの間、東洋館インフォメーションでお配りしています。※数に限りがございます。
それに、ガイドブックに見立てた図録では、主な関連作品について詳しく解説されているの。これを読めば「アジアのレジェンド」への理解が深まること間違いなしよ!
ガイドブックは、本館・東洋館のミュージアムショップで販売中です。
さすがユリノキちゃん! 安心したほー。それじゃあ早速この2冊をお供に、「レジェンドを探す旅」へ出発だほー!
「博物館でアジアの旅」は関連作品が館内のあちらこちらに散りばめられているから、テーマにちなんだ作品を探しつつ、各展示室をぶらぶら散策するのが楽しいよね。
うんうん。これまで気づかなかった面白い作品を発見できることもあるから、わくわくするほ!
ところでトーハクくん、「レジェンド」ってどういう意味か知ってる?
改まって聞かれると困るほ……なんかすごい人のことだほ!
ちょっと惜しいかも。「レジェンド」はもともと「伝説」を意味する言葉なの。そこから今トーハクくんが言ったような「偉人」などといった意味が派生したんですって。最近は「殿堂入り」を果たしたスポーツ選手や芸能人もレジェンドと呼ばれたりするわよね。
ほほー、なるほどー。一言で「レジェンド」と言ってもいろいろだほ。
まさにそうなの。だから今回は、そうした意味の広がりを踏まえながら、レジェンドにまつわるいろいろな作品をご紹介しているのよ。「博物館でアジアの旅」の関連作品は、そばにオレンジ色の札が付いているから、それを目印に探しましょう。
この札があるものは「博物館でアジアの旅 アジアのレジェンド」関連作品です。
あ、クリシュナがいたほ!
ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ(部分) ビーカーネール派 インド 18世紀後半 東京国立博物館蔵 東洋館13室にて通期展示
トーハクくんの衣装のモデルになった絵ね。クリシュナはインド神話の英雄で、指一本で山を持ち上げて、牛飼いたちを雨から守ったんですって。
すごい力だほー!ぼくもそんなパワーがほしいほ。
粉彩牡丹文大瓶 中国・景徳鎮窯「大清雍正年製」銘 清時代・雍正年間(1723~35) 横河民輔氏寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館5室にて通期展示
こっちは大きな瓶だほー。お花の絵がとってもきれいだほ。でも、これはどこが「レジェンド」なんだほ?
この作品は、東洋陶磁収集のレジェンドとされる、建築家の横河民輔氏が集めたコレクションのひとつなの。今回は「レジェンドが集めたもの」として、横河コレクションの優品がたくさん展示してあるのよ。
顔氏家廟碑 顔真卿筆 中国 唐時代・建中元年(780) 東京国立博物館蔵 9月22日(火・祝)まで東洋館8室にて展示
こっちも大きい作品だほ! 迫力満点だほー。
こちらは書の世界のレジェンド的存在、顔真卿(がんしんけい)の代表作と評される作品よ。こんなふうに「レジェンドが作ったもの」もご紹介しているの。でも、こちらの作品をはじめ、一部の作品は「博物館でアジアの旅」の期間途中で展示が終了するので、お目当ての作品がある方はご来館前に作品リストで展示期間をお確かめくださいね。
わ、レジェンドな作品がいっぱいあるほ! ぼくの旅はまだまだこれからだほー!
「博物館でアジアの旅 アジアのレジェンド」は10月11日(日)までです。ぜひ皆様も異国情緒たっぷりの東洋館で、「レジェンドを探す旅」をお楽しみください。
カテゴリ:考古、中国の絵画・書跡、博物館でアジアの旅、絵画、工芸
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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2020年09月10日 (木)