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セクメトのレジェンドを訪ねて

東洋館で開催中のイベント「博物館でアジアの旅」[9月8日(火)~10月11日(日)]も残すところ1週間を切りました。 今年のテーマは「アジアのレジェンド」です。東洋館1階インフォメーションで配布中のパスポートを片手に、関連作品を探しながら、コロナ禍で人の少ない(涙)東洋館を巡ってみてください。

この記事では、古代エジプトのセクメト女神像と、そのレジェンド(伝説)をご紹介いたします。

東洋館の2階に上がり、展示室(3室)の左奥に見えるのがセクメト像です。


(左右ともに)セクメト女神像 エジプト、テーベ出土 新王国時代(第18王朝アメンヘテプ3世治世)・前1388~前1350年頃
ライオンの頭をもった女性の姿で表現されたセクメト。


古代エジプトの神話には、セクメトは恐ろしい女神として登場します。
その昔、人間たちが、支配者である太陽神ラーに抗おうとしたとき、人間を罰するために遣わされた女神がセクメトでした。セクメトは、その強大な力をもって、人間たちを殺してまわりました。最後はラーが一計を案じ、セクメトをお酒で酔っ払わせることで、穏やかな女神に戻し、最終的に人々が救われた、という物語。今から4000年以上前にさかのぼる古い神話です。


頭にはかつらをかぶり、胸元にアクセサリーを着けています。ちなみに、目は赤く彩色されていたと考えられています。

古代エジプト人は、この強力で攻撃的な女神の一面を、雌ライオンの姿に重ねていたのでしょう。また、セクメトの力は正義と秩序を守るために行使されること、セクメトをなだめることで人々が救われたこと、この2点が物語のポイントです。つまり、セクメトをなだめることで、癒しと安定をもたらすことができると考え、古代エジプトの人々はセクメトを病気や怪我を癒す神様として信仰したのです。

セクメト像の左手を見ると、丸い持ち手のついた十字を握っています。これは生命の象徴である「アンク」で、人々の命と生命力を盛り立てる力を意味していると考えられます。セクメトは、人々を護り、病気や怪我を癒す神様でもあったのです。


セクメトが左手に握っているアンク。

さて、このセクメト像はどこから来たのでしょうか?
これらのセクメト像を作らせたのは、アメンヘテプ3世というファラオ。
有名なツタンカーメンの祖父にあたる人物で、繁栄の絶頂期にあったエジプトを40年近く統治した偉大な王でした。
強固な財政基盤を背景に、各地で神殿の建設や改修を進めたことが特筆されます。
現在のエジプト観光の目玉となっている建造物やモニュメントには、アメンヘテプ3世が手掛けたものが多く含まれます。

その一つに、「メムノンの巨像」と呼ばれる1対の石像があります。
高さが20メートル近くあるこの像は、アメンヘテプ3世の坐像で、壮大な葬祭神殿の入口に配されていたものです。


メムノンの巨像。巨像の後ろに、当時としては最大規模の神殿が広がっていました。現在、H・スルジアン博士が率いる遺跡整備プロジェクトによって、かつての神殿の様相が明らかになってきています。(写真:H・スルジアン博士提供)


アメンヘテプ3世の葬祭神殿の想定復元図。
(出典:馬場匡浩『古代エジプトを学ぶ ―通史と10のテーマから
』2017年、六一書房、図11-16「アメンヘテプ3世葬祭殿」)

「メムノンの巨像」がある第一棟門を通り、さらに第二、第三の棟門を抜けると、無数の巨大な柱がそびえる建造物がありました。
この列柱建築に数百体ものセクメト像が並べられていたと考えられています。
近年のスルジアン博士のチームの発掘調査では、神殿内部に残っていたセクメト像が出土しており、博士によればその数は280体にも及んでいるそうです。


出土したセクメト像。学術的な発掘調査は葬祭神殿のどこにセクメト像が並べられていたのかを探る手掛かりになります。(写真:H・スルジアン博士提供)

古代エジプトの最大規模の神殿であったアメンヘテプ3世の葬祭神殿は、紀元前1200年頃の地震で倒壊したと考えられています。その後、瓦礫が石材を再利用するために持ち出され、いつしか、巨像だけが取り残されました。神殿内にあったセクメト像の多くは、神殿倒壊後に、同じ地域にあるムート女神の神殿に移設されたと考えられます。19世紀に、エジプトで美術品獲得のための発掘が始まると、ムート神殿にあった多くのセクメト像が持ち出され、現在、世界各地のミュージアムで所蔵されています。

東洋館3室に並ぶ2体のセクメト像。
一見して、狛犬の類かな?と感じる方が多いのですが、実は、エジプト史のレジェンド(偉人)ともいえるアメンヘテプ3世にまつわる彫像で、もとは数百体あったうちの2体なのです。
そして、古代エジプト人にとってのセクメトは「恐怖の女神様」であり、人々の病を回復させ、世の中に安らぎをもたらす「癒しの女神様」でもありました。
それでは、アメンヘテプ3世は何のために数多くのセクメト像を作らせ、自身の神殿に祀ったのでしょうか?
当時の中近東で度々流行った疫病を鎮めるためとも、自身の健康状態を回復させるためとも言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。

東洋館にお越しの際は、ぜひ、3室のセクメト像をご鑑賞いただき、恐ろしくも親しみのあるセクメトの神話や、壮大なアメンヘテプ3世の葬祭神殿に思いを寄せてみてください。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古博物館でアジアの旅

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posted by 小野塚 拓造 at 2020年10月06日 (火)