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1089ブログ

つたえる、つなぐ―博物館広報のあゆみ―

現在、平成館1階の企画展示室で、博物館の広報活動をテーマにした特集「つたえる、つなぐ-博物館広報のあゆみ-」(~11月6日(日))を行っています。



この展示では、現在、東京国立博物館の広報室で行っている広報活動がこれまでどのように行われてきたかについて、ポスターやパンフレットなどの制作物を通して流れを体感していただこうとする企画です。


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部屋に入ってすぐのケースには「博物館広報のはじまり」として、1872年湯島聖堂博覧会の際に制作された「博覧会広告」「観覧切手」(今でいう「チラシ」「観覧券」の原型)と「博覧会図式」を展示しています。広報活動の基本アイテムの原点です。


博覧会図式 宝来堂 明治5年(1872)


お隣のケースでは、「国立博物館ニュース」の創刊号をご覧いただけます。「国立博物館ニュース」は1947年、当館が「東京国立博物館」となり、「国民のための博物館」として再出発した年に創刊され、形態を変えながら今も「東京国立博物館ニュース」として発行している当館の広報誌です。


「国立博物館ニュース」創刊号 昭和22年(1947)
当初はタブロイド判の4-6ページで、当館の展覧会や、講演会あるいは列品解説の案内、また美術史や博物館界の動向なども紹介していました。さらに京都、奈良の国立博物館の展示についても一部紹介していました


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展示室奥の壁面では、戦後から現代までの展覧会ポスターの一部をご紹介しています。時代ごとのポスターデザインの変遷を辿れます。
見る人各々に思い出のポスターがあるようで、展示作業中に立ち寄った当館の職員がそれぞれ思い出のポスターをみつけてはその展覧会について様々なエピソードを語ってくれました。


間近でご覧いただけるよう、壁付ケースの前に仮設壁を取り付け、ポスターを展示しました


創立120年記念 特別展「日本と東洋の美」 平成4年(1992)
かなり斬新なデザインのポスターの一例です。ありきたりなものではない「ポスター」を作ろうと工夫した結果です。サイドの部分に英文タイトルも入っています



展示室奥には年代ごとにポスターを表示する「TNMポスター・コレクション」を設置しています。TNMポスター・コレクションは、当館ウェブサイトでもご覧いただけます。


TNMポスター・コレクション


当館の公式キャラクター「トーハクくん」「ユリノキちゃん」の紹介


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展示の後半では、昔と今のパンフレットの展示のほか、WEBサイトの歴史、羽田空港・成田空港での広告・装飾風景など、現代の取り組みもご紹介しています。


最初期のWEBサイトホームページから現在のデザインまでを紹介


また、最も新しい収蔵品「金剛力士立像」の見どころを解説した動画や150周年記念動画も公開しています。


広報制作物を通して東京国立博物館の歴史の一端を垣間見ていただける展示です。
11月6日(日)まで開催していますので、お立ち寄りいただければ幸いです。
(総合文化展料金でご覧いただけます。)




ARフレームをご用意しました。ぜひお帰りには記念撮影して、みなさまのSNSアカウントでシェアしてください!




秋らしいARフレームもあります


 

カテゴリ:特集・特別公開東京国立博物館創立150年

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posted by 鬼頭智美(広報室長) at 2022年10月15日 (土)

 

特集「中国書画精華―宋代書画とその広がり―」その2「五馬図巻」

現在、東洋館8室では、日中国交正常化50周年 東京国立博物館150周年 特集「中国書画精華―宋代書画とその広がり―」(前期:~10月16日(日)、後期:10月18日(火)~11月13日(日))が展示中です。

前回の1089ブログ(その1「アジア大発見!」)に続き、本特集後期展示の絵画でおすすめしたいのは、「五馬図巻(ごばずかん)」です。
修理に入っていたため、2019年の特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」(東京国立博物館)以来、久しぶりの公開となった本作について、以下、簡単に紹介したいと思います。










重要美術品 五馬図巻 李公麟筆 中国 北宋時代・11世紀
(展示期間:10月18日(火)~11月13日(日))



1、主題

「五馬図巻」には、名前のとおり5頭の馬が、その縄をひく人物ともに描かれています。
第1馬から第4馬までは、画の横に馬の来歴、名前、年齢、高さが書かれています。

それによると、
立派な体格と賢そうなまなざしをもつ白毛(一部に赤みを帯びた灰色の斑点あり)の第1馬は、中国北宋時代の元祐元年(1087)12月16日に于闐国(現在の新疆ウイグル自治区ホータン県あたりにあった国)から献上された、鳳頭驄(ほうとうそう、鳳凰の頭のように美しい葦毛という名)。
黄毛で鼻の大きな異民族風の装束の男にひかれています。



五馬図巻(第1馬部分)
 

やや小柄で愛嬌のある顔立ちの、うすい赤褐色の第2馬は、元祐元年(1086)4月3日に吐蕃(チベット)系の首領である董氈(とうせん)から(実際はその後継者から)献上された、錦膊驄(きんぱくそう、肩に美しい模様のある葦毛という名)。
やはり鼻のおおきな柔和な顔立ちの、異民族風のいでたちの男にひかれています。



五馬図巻(第2馬部分)


すらっとした俊敏そうな赤毛の第3馬は、元祐2年(1088)12月23日に秦州(甘粛省)の交易でもたらされた、宮廷厩舎の名馬、好頭赤(こうとうせき、美しい赤に染まった空の色のような馬という名)。
ちょうど馬を洗うところなのか、上着だけをはおった簡素な身なりに裸足で、左手にブラシを持った、異民族の男にひかれます。



五馬図巻(第3馬部分)


やや太った、完全な白毛の第4馬は、元祐3年(1089)閏12月19日、吐蕃の首領である温渓心(おんけいしん)より贈られた照夜白(しょうやはく、闇夜を照らすように白い馬という名)。
こちらは漢民族風の男にひかれています。



五馬図巻(第4馬部分)


第5馬には、現在なにも書かれていませんが、元時代、13世紀にはこれの横にも馬名等があったことが記録にのこっています。
それによれば、くびを高くもたげ、足取りにも活発な気性があらわれているこの大きな馬は、元祐3年(1088)1月14日に献上された満川花(まんせんか、川に花が満ちているような模様のある馬という名)となります。
こちらもやはり漢民族風の、鞭を持った男にひかれています。



五馬図巻(第5馬部分)

 

2、作者

「五馬図巻」には作者の落款がありませんが、北宋の著名な文人士大夫である黄庭堅(こうていけん、1045~1105)と曽紆(そうう、1073~1135)の跋文が付いており、これにより、李公麟(りこうりん、1049頃~1106)の作品として長らく伝来してきました。
現在の美術史学者たちもおおむね李公麟の真筆であることに同意しています。



五馬図巻 
黄庭堅跋



五馬図巻 曽紆跋


李公麟(字伯時、号龍眠)は、舒城(じょじょう、現在の安徽省あたり)の人。
五代十国時代の王国、南唐の君主である李氏の末裔ともいう名門に生まれ、熙寧3年(1070)に進士及第したエリート官僚です。
学問に優れ、書画や古器物を多く蒐集・研究する一方、自身も書画制作をよくし、この時代を代表する文人画家として、在世時から非常に高く評価されてきました。
北宋を代表する文人士大夫、蘇軾(そしょく、1036~1101)およびその周囲の人々が李公麟作品にささげた文学作品も多く残っており、中国文化史にその名声は燦然と輝いています。

画家李公麟が手がけた主題は、馬、道釈人物、山水など幅広いのですが、特に、最初のうちは馬を好んで描き、人気を博したことが知られています。
中国美術史において、軍事力ひいては権力の象徴であり、後に優れた人材の寓意ともなった馬は、重要な主題であり続けましたが、名馬が多くもたらされた唐時代に、特に優れた作品が生まれました。
李公麟は唐時代の馬の画の名手たちの作品をよく研究し、また自ら宮廷の厩舎に足を運んで、北宋皇帝の所有する名馬をよく観察し、対象の真に迫る、優れた馬の画を作ったと伝えられます。

残念ながら、現在、真筆と認められる李公麟の馬の画は、この「五馬図巻」以外のこっていないので、本作は非常に貴重な存在といえます。
馬の顔や体の造形・量感を確かめていくような筆の重なりの臨場感、スッと通った衣の線の美しさ、筆墨と共存する繊細な彩色の効果など、「五馬図巻」の表現を見れば、李公麟が馬の画家として卓越した名声を得た理由がよくわかるでしょう。



五馬図巻 第1馬、筆の重なり



五馬図巻 第2馬、人物の衣文線




五馬図巻 第2馬、馬の目尻の赤味

 

3、修理

「五馬図巻」は、北宋時代は文人士大夫たちの所蔵にあり、南宋時代になって宮廷コレクションに入ったと伝わります。
その後、13世紀、元時代には、書画コレクターたちの間で有名な作品になっていました。
摹本(もほん)も多く作られていたようです。
18世紀には、清朝最盛期の皇帝、乾隆帝(けんりゅうてい、1711~99)の愛蔵品となりました。
清朝滅亡後に日本に流出してからは、1928年の唐宋元明名画展覧会(東京帝室博物館、東京府美術館)に出陳されていますが、以降、2019年の「顔真卿」展まで、公開の機会に恵まれませんでした。

長らく実物が見られなかった「五馬図巻」については、今後、さまざまな場所で多くの人に鑑賞していただくことが望まれましたが、そのような定期的な公開のためには、画や書の表わされた紙や表装の損傷を抑え、状態を安定させることが必要でした。
そのため、東京国立博物館では、2019年から2か年に渡り、紙の折れなどを緩和し、表装のバランスを整えて、巻子の開け閉め回数が重なっても、これ以上損傷が進行しないような処置を行いました。
なお、修理にあたっては、もともとの絵画表現や紙の風合いに極力変化がないように努めました。

この修理の詳細、その過程でわかったことなどは、『修理調査報告 「五馬図巻」』に明らかにしています。
「五馬図巻」自体についても、より詳しく説明していますので、ご関心のある方はぜひご覧くださいませ。



『修理調査報告「五馬図巻」』
全152ページ(カラー64ページ含む)
発行:東京国立博物館
定価:3,450円(税込)
ミュージアムショップにて10月下旬より販売予定。



東京国立博物館の中国絵画コレクションに新しく加わった、「五馬図巻」。
修理を経て、今後もさまざまな展示に登場していく予定ですので、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡東京国立博物館創立150年

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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2022年10月14日 (金)

 

特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」その2「敦煌発見の裂」

前回の1089ブログ「トルファン出土裂」に続き、創立150年記念特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」(~12月4日(日))で展示中の、敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)発見の裂をご紹介します。

 

敦煌莫高窟は現在の中国の北西部、甘粛省(かんしゅくしょう)に位置する都市です。古くより、シルクロード交易における要所として発展しました。敦煌では仏教文化が花開き、4世紀から14世紀にかけて造営された石窟寺院の莫高窟からは、多くの仏教にかかわる壁画や彫刻、古文書、そして堂内を装飾していた多くの染織品の断片(裂(きれ))が見つかっています。



第3次大谷探検隊の旅程概略(作成:廣谷)

 

まずは、こちらの「垂飾 平絹綾夾纈羅裂縫い合わせ(すいしょく へいけんあやきょうけちらきれぬいあわせ)」をご覧ください。なんと、幅270cmを超える大きな垂飾です!



垂飾 平絹綾夾纈羅裂縫い合わせ
中国、敦煌莫高窟 曹氏帰義軍期敦煌・9~10世紀 大谷探検隊将来品



(同作品 右上拡大図)


よくみると、右上に小さな輪が縫い付けられていることがわかります。このような特徴から、本来は輪を使って吊り下げ、仏殿内を華やかに飾る荘厳具(しょうごんぐ)のひとつであったと考えられます。
9世紀から10世紀の仏教荘厳の様子を伝えてくれている貴重な作品です。

どのように縫い合わせて、大きな垂飾をつくっているのでしょうか。作品の裏面に注目してみましょう。

 

 
(同作品 裏面) 

 
透かして見ると、小さな裂を三角形の袋状に仕立て、重ねていることが分かります。
この垂飾には、紋織(もんおり/文様を織り出した織物)や、染めが施された裂、22種類が使用されています。
全体のかたちだけでなく、各裂の特徴など細部まで注目していただきたい作品です。ぜひ、展示室では裏面もご覧ください!

 

次に、「紺地菩薩立像描絵平絹(こんじぼさつりゅうぞうかきえへいけん)」をみてみましょう。細長い紺色の裂に、黄色の絵具で絵が描かれています。これに似た裂が、当館には数点認められます。


紺地菩薩立像描絵平絹
中国・敦煌 曹氏帰義軍期敦煌・9~10世紀 莫高窟 大谷探検隊将来品



紺地菩薩立像・唐草文描絵平絹
中国・敦煌 曹氏帰義軍期敦煌・9~10世紀 莫高窟 大谷探検隊将来品


よく見ると、裂の中央にはリボンや右足先が描かれています。
フランス・ギメ東洋美術館には近しい作品が残っており、それらから全体像を推定することができます。
ここに示したのは「紺地菩薩立像描絵平絹」につながるであろう、菩薩像の顔の復元想定図です。これらの裂は、本来は立ち姿の菩薩像が何体も縦に連なる長大な幡(ばん/寺院でかかげる旗)であったと考えられます。

 

菩薩立像頭部 想定復元図(作成:沼沢)

 

最後に、「刺繡如来立像・唐草文断片(ししゅうにょらいりゅうぞう・からくさもんだんぺん )」をご紹介します。
こちらは、すべて鎖繡(くさりぬい/チェーン・ステッチ)で表された裂です。8世紀製作の作品とは思えないほど、鮮やかな色を残しています。
左手部分を拡大してみると、輪郭や衣など部分によって細かに色糸を使い分けており、縫い目ひとつ分の大きさもそろっていることがわかります。まさに、精緻を極めた刺繡技術です。
この作品は、1915年から1916年にかけて発刊された、選りすぐりの大谷探検隊将来作品を集めた図録、『西域考古図譜』にも掲載されています。優品に位置づけられるのも納得の作品です。



刺繡如来立像・唐草文断片
中国 唐時代・8世紀 伝敦煌莫高窟あるいはムルトゥク 大谷探検隊将来品 梅原龍三郎氏寄贈


同作品 組織拡大写真(50倍)

 

2週にわたって、特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」の見どころをお伝えしました。
裂ひとつひとつは、実は多くの情報を秘めています。この展覧会を準備するにあたり、たくさんの裂を調査し、私たちも多くのことを再発見しました。
皆様独自の見方で裂をじっくり堪能していただき、昔のトルファン、敦煌の様子や、大谷探検隊の旅の風景を想像していただければ幸いです。悠久の時を刻んだ裂が、皆様をお待ちしております!

カテゴリ:特集・特別公開博物館でアジアの旅東京国立博物館創立150年

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posted by 沼沢ゆかり(保存修復室) at 2022年10月12日 (水)

 

特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」その1「トルファン出土裂」

こんにちは、登録室の廣谷です。現在東洋館5室では、創立150年記念特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」(~12月4日(日))を開催中です。「博物館でアジアの旅 アジア大発見!」にちなみ、「発見!」に関わる作品もご紹介しています。

 
20世紀前半、京都・西本願寺の大谷光瑞(おおたにこうずい)は、仏教が日本に伝わった道を明らかにすべく、中央アジアに調査団を派遣しました。この調査団を、「大谷探検隊」といいます。
本展でご紹介する裂の多くは、第3次大谷探検隊の橘瑞超(たちばなずいちょう)と吉川小一郎(よしかわしょういちろう)が、中国西北部や新疆で収集しました。
 
仏教東漸の道を遡るように、日本から海を渡り、砂漠を渡り…。かつてオアシスに栄えた都市の遺跡で、彼らが旅の途中に「発見」した裂はどのようなものだったのでしょうか。
本展では、探検隊の「発見」と当館の調査による「再発見」、探検隊の「旅」と古代裂の「旅」がリンクするように、大谷探検隊の旅路を辿りながらそれぞれの裂の魅力をご紹介しています。
 
 
第3次大谷探検隊の旅程概略(作成:廣谷)
 
 
今回は、タリム盆地北東部に位置するトルファン(現在の中国・新疆ウイグル自治区吐魯番。上記地図参照)で出土した裂に注目します。いずれも年代は6~7世紀ごろと考えられ、この頃トルファンにあった麴氏高昌国(きくしこうしょうこく)は、仏教を貴び、中国と西アジアの交易を中継して栄えていました。本展では、住民が埋葬される際に着用していた衣服や副葬品を展示しています。
まずは、こちらをご覧ください。
 
 
 
上:赤茶地幾何花文錦(部分) 中国・トルファン 麴氏高昌国時代・6世紀~7世紀前半 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品
下:上記作品の顕微鏡撮影写真
 
 
この裂は高昌国の女性が着用していました。本来は鮮やかな紅と白であったのでしょう、大胆な花文がおしゃれです。経糸と緯糸を1本ずつ互い違いにし、数色の緯糸で文様を織り出す、「平組織緯錦(ひらそしきぬきにしき)」という技法を用いていますが、同時代の中国中央の錦にはほとんど例がなく、タリム盆地周辺でつくられた現地産の錦と考えられます。
 
 
 
 
上:赤地渦輪違文入鳥獣人物文綾(部分拡大) 中国・トルファン 麴氏高昌国時代・6世紀~7世紀前半 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品
下:上記作品の、文様全体の描き起こし図(作成:沼沢)
 
 
一方こちらの裂は、中国で織られ、トルファン(高昌国)に伝わった綾です。渦の輪のなかに、中国の龍(黄色)や、西アジアの皇帝像(青色)などを織り出しており、中国南北朝時代の東西交流の影響を思わせます。この裂の調査中、表面にあじろ編みの痕がついていることが判りました。遺体を安置するござの上に敷かれていた可能性が考えられるでしょう。
 
 

赤地格子連珠花文錦 中国・トルファン 麴氏高昌国~唐西州時代・7世紀 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品

重要文化財 蜀江錦帯(法隆寺献納宝物)(部分)  飛鳥時代・7世紀
※展示予定はありません

 
 
東西交流の観点でもうひとつ。この裂は副葬品の一部と考えられ、格子の中に蓮華文を小さな珠を連ねて飾っています。じつは日本の奈良・法隆寺にも、よく似た文様をもつ錦が数点伝来しています。
軽く華麗な中国の錦は当時、交易や外交を通じてユーラシア大陸に広がりました。それぞれの旅の終点として、これらの古代裂をいま日本でみることができることには数奇な巡りあわせを感じます。
 
 
展示風景(トルファン出土品)
 
 
執筆者は展示準備をしながら、これらの裂を身に着けた人物が、何に喜び、トルファンでどのような一生を過ごしたのかについて考えていました。残念ながらこれらの裂だけではわかりえませんが、錦や綾などの貴重な染織品を纏う姿からは、周囲の人々に丁重に葬られたことがうかがえます。
みなさまもぜひ、会場でじっくりとこれらの裂をご覧になり、ご想像いただければ幸いです。
 
来週は、沼沢研究員にバトンタッチし、敦煌莫高窟で収集された裂について深掘りします!

 

カテゴリ:特集・特別公開博物館でアジアの旅東京国立博物館創立150年

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posted by 廣谷妃夏(登録室) at 2022年10月05日 (水)

 

特集「中国書画精華―宋代書画とその広がり―」その1「アジア大発見!」

現在、東洋館8室では、日中国交正常化50周年 東京国立博物館150周年 特集「中国書画精華―宋代書画とその広がり―」(前期:~10月16日(日)、後期:10月18日(火)~11月13日(日))が展示中です。

 
東洋館8室 展示風景

 

「中国書画精華」は、毎年秋恒例となった、当館所蔵および寄託の中国書跡・絵画作品の名品展ですが、前期は「博物館でアジアの旅 アジア大発見!」にちなみ、「発見!」に関わる中国書画をいくつか紹介しています。
中国絵画では、伝趙昌(ちょうしょう)筆「竹虫図軸(ちくちゅうずじく)」と伝陳容(ちんよう)筆「五龍図巻(ごりゅうずかん)」に「発見!」マークがついています。



重要文化財 竹虫図軸 
中国、伝趙昌筆 南宋時代・13世紀 10月16日(日)まで展示

 

このうち、「竹虫図軸」については、以前1089ブログ「名品の名品たる所以―伝趙昌筆「竹虫図」の場合―」で紹介しましたので、今回は「五龍図巻」にまつわる「発見!」エピソードをお話しします。

 


重要文化財 五龍図巻(部分)
中国、伝陳容筆 南宋時代・13世紀 10月16日(日)まで展示

 

作者と伝わる陳容(号所翁)は、13世紀、南宋時代末期に活躍した文人画家です。
現在の福建(ふっけん)省の出身で、特に龍を描くのを得意にしたと伝わります。

 


五龍図巻(巻頭部分)

 

龍は、雲を湧き起こして、雨を呼び、地上に水をもたらす神獣とされます。
このため中国では、決まった形をもたない雲霞と一体化させて、龍の変化の姿を表現することが重要であるとされてきました。
歴史書によれば、陳容はその変化の姿をとらえるため、酒を飲んで酔っ払い、服装にもかまわず、手に墨を塗りたくって制作にのぞんだといいます。
墨をはね散らかして雲を、口に含んだ墨を噴き出して霧を表現した、と伝わるその激しく自由な龍の図は、以後、龍を描く画家にとっての古典となりました。

 


五龍図巻(巻末部分)

 

「五龍図巻」は、龍に呼応して波立つ水面から始まり、雲や岩の間にからみあって見え隠れする5匹の龍、水量を増して激しく流れ落ちる滝を描きます。
明暗を強調した雨雲の広がり、迫力ある水の流れ、そしてそのような自然現象と一体化してうごめく龍の姿は、歴史書にいう陳容の龍の図を彷彿とさせます。

 

さて、近年の研究により、この「五龍図巻」と同じ図様を含む画巻が、アメリカのプリンストン大学美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館に所蔵されていることが「発見!」されました。

プリンストン大学美術館の作品は、合計12匹の龍を描き、8メートルを超える長大な画面を誇ります。
この8匹目から12匹目の図様が「五龍図巻」と一致しているのです。
また、メトロポリタン美術館の作品はプリンストン美術館の3匹目から4匹目、ボストン美術館の作品は4匹目から7匹目と同じ図様です。

当館所蔵の「五龍図巻」を含む、以上4つの作品の前後関係は今後の研究課題ですが、12匹の龍の図様から複数の作品が派生していったことはまちがいなさそうです。
その意味では、これらの作品は兄弟ともいえるでしょう。

 

陳容の龍の図は、東アジアで広く人気を集めました。
今後、「五龍図巻」の新たな兄弟が「発見!」される可能性もあります。楽しみに待ちたいと思います。

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡博物館でアジアの旅東京国立博物館創立150年

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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2022年09月27日 (火)