特集「平成30年 新指定 国宝・重要文化財」がはじまりました
新たに国宝、重要文化財に指定されることになった文化財を、広くみなさんにご覧いただけるよう、今年も新指定展が開催されています。
展示会場(本館8室)の様子
今年は、絵画、彫刻、書跡典籍、古文書の分野からあわせて5件が国宝に、絵画、彫刻、工芸品、書跡典籍、古文書、考古資料、歴史資料から53件が重要文化財に指定されました。
このうち、東京国立博物館では、本館8室と11室で50件を展示しています(8件はパネル展示)。
ここでは、本展のキービジュアルを務める国宝、紙本著色日月四季山水図を紹介しましょう。
国宝 紙本著色日月四季山水図 室町時代・15世紀 大阪・天野山金剛寺蔵
紙本著色日月四季山水図(しほんちゃくしょくじつげつしきさんすいず)は、六曲一双の屏風で、重要文化財だったものがこの度、国宝になりました。
動感あふれる構成に、大らかな加飾と鮮やかな色彩が共鳴し、独特の迫力を生み出している本作品。荒海を囲む山並みに、右から左へと四季のうつろいが表され、右隻には金の太陽が、左隻には銀の月が配されています。
やまと絵の特質が際立つ優品です。
このほか国宝には、蓮華王院本堂(通称、三十三間堂)に安置される千手観音の大群像「木造千手観音立像(蓮華王院本堂安置)」、興福寺南円堂の「木造四天王立像」(パネル展示)、世界に現存する中で最古の高麗写経の「紺紙金字大宝積経巻第三十二(高麗国金字大蔵経)」、中世村落史研究上、群を抜いて著名な史料群である「菅浦文書(千二百八十一通) /菅浦与大浦下庄堺絵図」が指定されました。
東京国立博物館からは1件、「薄黄縮緬地鷹衝立文様友禅染振袖」が重要文化財に指定されました。
重要文化財 薄黄縮緬地鷹衝立文様友禅染振袖 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
淡い黄色で染められた凹凸のある風合いの縮緬地(ちりめんじ)に、友禅染と刺繍の技法を用いた振袖で、鷹と衝立を色彩豊かに大胆な構図で表しています。また、衝立の中に表されている梅は、途切れながらも枝振りのよい一本の立木を表現しています。
文様表現と友禅染の技術の点から見ても優れている作品です。
もしかしたらみなさんの身近な地域の作品が指定を受けているかもしれません。ぜひ足をお運びください。
特集「平成30年 新指定 国宝・重要文化財」は、5月6日(日)までご覧いただけます。
カテゴリ:特集・特別公開
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posted by 宇野裕喜(広報室) at 2018年04月17日 (火)
桜が咲き始め、春らしい陽の光を感じる季節となりました。
思えばはるか昔から、日本人の生活や心のなかには季節があり、自然がありました。そしてその脅威や恵みに、神や鬼など、人ではない何かの力を感じてきたのです。そんなことを思いながら、今日ご紹介するのは、特集「日本の仮面 能狂言面の神と鬼」(本館14室、2018年4月22日(日)まで)です。
特集「日本の仮面 能狂言面の神と鬼」会場の様子
能の物語には、恵みをもたらす神や、自然の驚異を象徴する荒ぶる神、地獄の鬼、嫉妬や恨みに支配された怨霊や生霊、得体のしれない妖怪など、人間ではないものが登場します。これらを演じるのは、人間である能楽師。その役に変身するために重要なもののひとつが面です。
今回はいろいろな神や鬼の類の面を展示しました。
こんなにたくさんの役、微妙に違う様々な面を生み出してきた能の世界、それを大切にしてきた日本人の心はなんて豊かなんだろう。
しみじみと展示しました。
そんな展示作品の中から、今回イチオシの面をご紹介しましょう。展示室中央のケースに展示されている大癋見(おおべしみ)です。私がイチオシする理由はもちろん、上手だから。頬の盛り上がりや眉間の皺。その迫真の表情。これを作ったひとの力量を感じます。
能面 大癋見 「佐渡嶋/一透作/久知住」刻銘 室町時代・15世紀 文化庁蔵
この面は「ほかにない顔だち」をしています。これが注目のポイント。
実は南北朝時代から室町時代は新たな曲が次々と作られ、それに伴い面が創作された時代でした。中には宗家が本面と決め、別格の扱いをされた面もありました。
その後、江戸時代は本面をはじめとする、優れた古い面を写すようになります。つまり、現存する能面は、いずれかの古面に似た顔立ちをしていることが多いのです。大癋見もまた、能のシテ方の流派のうち、観世、金剛、宝生の宗家にも古い面が伝わり、特に観世家のものは写しが多く作られました。
にも関わらず、今回展示した大癋見はそれらとは一線を画す、独創的な顔だちをしています。比べてみると、その違いがよくわかるはずです。
(左から)今回の展示作品と、観世型の写し(東博所蔵)、宝生型の写し(文化庁所蔵)
なぜこんなに違うのか。その答えを求めて、X線CT撮影を行いました。
こちらは鼻のあたりの断面図。写真中央が鼻。その両脇の盛り上がりが頬、両端は耳です。木目まで見えるでしょうか。注目は2か所。
CT撮影による「能面 大癋見」の断面図
ひとつ目は頬の部分。
木材の彫刻の上に、漆に木の粉などを混ぜた木屎を大胆に盛っていることがわかります。こんな風に厚く盛ることはほぼありません。だって、頬を高くしたいのであれば、そのように彫刻すればよいのですから。
ふたつ目は耳の部分。
木目がつながらないどころか、別の種類の木であることがわかります。木目から、耳の材はヒノキであると考えられます。同様に冠形と呼ばれる頭頂の黒い部分もヒノキだとわかりました。おそらく耳と冠形は後補といえるでしょう。
これはどういうことなのか、ますます謎が深まってしまいました。
どの系統にも属さない、独創的な表情から、おそらくこの面は室町時代頃に作られた、古い面なのでしょう。その造形方法は非常に変わっていて、頬を木屎で盛り上げ、耳と冠形は後補。どういうことなのか、まだまだ検証不十分ですが、たとえばこんな可能性が考えられます。
この面はもともと、耳や冠形がない、口を結んだ何らかの仮面だった。その仮面をもとに、大癋見に改変した。
そう考えるに至ったきっかけは、この大癋見の面裏に刻まれた「佐渡嶋」の文字。銘文「佐渡嶋/一透作/久知住」は新潟県佐渡島の久知に住む一透が作った、とも読めます。
佐渡島正法寺には「世阿弥が雨乞いをするのに使ったという鬼の面」が伝わっています。それはまさに「耳や冠形がなく、口を結んだ」仮面なのです。室町時代、これに類する面があって、そこに木屎を盛り、耳や冠形をつけて大癋見としたならば、今回展示した大癋見のようになるのではないか。もしそうだとしたら、そこにはどんな思いや意味があるのでしょう。これからも研究を進めていきたいと思います。
能楽師は大げさな身振りや表情を削ぎ落とした動きと謡の中に、演じる役の性格や身分、感情を表わそうとします。その表現に重要なのは能面だけではありません。装束も同様です。
ぜひ、「能と歌舞伎 神と鬼の風姿」(本館9室、2018年4月22日(日)まで)とあわせてご覧ください。
能の奥深い表現に一歩、一歩近づいてみてはいかがでしょうか。
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posted by 川岸瀬里(教育普及室研究員) at 2018年03月23日 (金)
こんにちは!保存修復室の野中です。
毎年、保存修復課が中心となって準備しております特集「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(2018年3月13日(月)~4月8日(日))が今年も始まりました!
展示の様子
本特集では、絵画、陶磁、刀剣、染織、考古の分野で「本格修理」を終えた12件、民族資料、染織から「対症修理」を行った作品5件、計17件をご覧いただけます。どの作品も、見どころ満載です!
パネルの解説も充実しています
修理工程のほか、対症修理はどんなことをやっているのか?CTをどんなふうに活用しているのかなども解説パネルでご紹介しています。
特に今回は、東大寺正倉院伝来の「紫地花鳥連珠七宝繋文錦天蓋垂飾残欠」(列品:I-337-174)と「淡縹地葡萄唐草文綾天蓋垂飾残欠」(列品:I-337-175)、「赤地花卉文﨟纈平絹」(列品:I-337-37)などを安全に展示、保管できるように工夫されているマウント装の構造を、模型や図面で詳しく展示しています。
マウント装の構造解説
これらは、鑑賞の妨げにならないように工夫をされている内部の構造のため、いつもは見えない部分ですので必見です!
見えないところにかけられている時間と工夫から、文化財への研究員と技術者の愛情を感じていただければと思います。
あれ?展示室に16件しか作品がないじゃないか!?
とお思いの方。
安心してください。
外に展示していますよ!
今年は、展示室には収まりきらないスケールの作品が1件。
8年ぶりに東博の庭園内に設置された3メートルをこえる「大燈籠」(列品:G-4218)がその作品です。
大燈籠
桜の開花も間もなく!
展示室で鑑賞した後は、ぜひ庭園でお花見をしながら大燈籠のある景観を眺めてはいかがでしょうか?
(春の庭園開放:2018年3月13日(火)~5月20日(日))
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posted by 野中昭美(保存修復室アソシエイトフェロー) at 2018年03月16日 (金)
金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣
今年もおひなさまの季節がやってきましたね~。毎年この季節になると、博物館の研究員として、雛人形の展示に大忙しです。
あまり世の中では知られていないと思いますが、トーハクのお雛様展示は毎年内容が違うんです(写真1)。
一般的に博物館での雛人形展示は同じ作品を例年並べることが多い傾向にありますが、トーハクでは毎年テーマを決めて展示を行っています。
そのため、滅多に展示しない作品も多く、是非とも毎年注目して頂きたいと思います。
写真1 特集「おひなさまと日本の人形」会場の様子
今年の特集「おひなさまと日本の人形」(本館14室 2018年3月18日(日)まで)では江戸の地を中心とする関東地域で作られた雛人形と、関西を中心に作られた木彫の人形に焦点をあてました。
気づかれにくいのですが、「おひなさまと日本の人形」といういつものタイトルには、「おひなさまと、それ以外の人形の展示」という意味が込められているんです。
さてさて、雛人形の制作というと、「京都が本場!」というイメージがありませんか。それは正しいイメージです。衣裳を着せ付けた雛人形の発祥は京都ですし、日本の人形文化自体、京都が中心となって牽引してきたからです。
しかし、関東だって負けていません。むしろ、幕末から明治にかけて、江戸の町は個性的な人形を作る作家を多く輩出し、人形文化の爛熟を向かえました。
今日、多くの方々がイメージする華やかな衣裳を着た雛人形を「古今雛」と称しますが、これはそもそも大坂出身で江戸日本橋十軒店(じっけんだな:現在の中央区日本橋室町の三越前駅近く)に店を構えた初代原舟月が安永年間(1772~1781)頃に創作し、二代舟月によって寛政年間(1789~1801)に完成された形式に仕上げられたものなのです。
その他にも江戸では末吉石舟(すえよし せきしゅう)や仲秀英(なか しゅうえい)、川端玉山(かわばた ぎょくざん)など伝説的な名工が活躍していました。
では何故、いまでも京都の人形ばかりが目立っているのでしょうか。
それは圧倒的に江戸で作られた人形の現存例が少ないからなのです。
「火事と喧嘩は江戸の華」というように、江戸の町は度重なる大火に襲われました。また関東大震災や東京大空襲によって壊滅的な打撃を被り、こうした中で江戸製のお雛さまは、その多くが失われてしまいました。
雛人形を紹介する本を通覧しても、江戸で作られた人形は少しだけしか掲載されておらず、今となってはその存在自体が貴重なものとなっています。
そうした江戸製雛人形(古今雛)のなかで今回特に注目したいのが、日比谷家ご寄託のお雛様です(写真2)。
日比谷家は江戸を代表する豪農で、「日比谷区」という名の起源ともなった名家です。
写真2 古今雛 日比谷家伝来 江戸時代・安政7年(1860) 個人蔵
明治10年に発行された日本で最初の和独辞書『和獨對訳字林』は、日比谷家6代の健次郎(または健治郎、天保7年(1836)~明治19(1886))がスポンサーとなって出来上がったものですが、このお雛様は安政7年に健治郎が長女の「しん」の初節句に際して求めたものであることが、箱書き(写真3)と家系図によってわかります。
写真3 お雛様の箱
さて、このお雛様のすごいところは、江戸製であること、一人の作者による大型の人形一式が伝えられていること(現在のようなデパートのセット販売が始まる以前、江戸時代には内裏雛は誰々の作、三人官女は誰々の作というように、自由に人形の組み合わせを考えて購入するのが当たり前でした)、箱書きに「安政七年 春三月」(まさに「桜田門外の変」が起きた時です!)とあり、制作年代がわかること、誰のために誂えられたものかわかること、などです。
つまり美術的評価とともに、歴史学や文化史の上からも貴重な史料と評価することができるでしょう。
しかし、寄託された当時、このお人形はかなり傷んだ状態でした。
髪は抜け落ち、道具はバラバラで、台座の漆もバリバリと剥がれ、セロハンテープで固定されていました(写真4)。
写真4 台座の漆剥離
このため、トーハクでは昨年から約1年を掛けて修理を行いました。
修理は保存修復課の職員である野中昭美(のなか てるみ)氏を中心として進められ、その立派な成果を展示会場でご覧いただけます。
通常、ひな人形の修理というと、欠けたお顔や台座の剥がれは塗り直し、傷んだ衣裳は新調するのが当たり前に行われていますが、文化財的価値をもったお人形にそういった手法をとることはできません。
そのため、今回はあくまで「文化財としての修理」の原則であるオリジナル部分を生かした作業を進めることになりました。
女雛のお顔をご覧ください(写真5)。修理前は額が欠け落ち、髪が抜けてしまっていました。しかし、欠けた額は保存されており、接合することが可能でした。
また頭髪の再生については専門家の技術が必要であるため、古い人形の修理にも精通されている博多人形作家の中村信喬(なかむら しんきょう)氏にお願いしました。
江戸時代の雛人形は、鬢(びん:髪の左右の張り出し)が強く張った現代の人形と異なり、もっと膨らみの少ない「おっとり」とした髪型をしています。
中村氏によって、当時の雰囲気をしのばせる再現性の高い修理を行って頂きました。
写真5 女雛・修理前(左)、修理後(右)
またもう一つ再現したのは、五人囃子のかぶっている侍烏帽子(さむらいえぼし)です(写真6)。
これはもう水にぬれてクチャクチャになったような状態で、再使用は叶いませんでした。
侍烏帽子は逆さまにすると、ちょうど舟のような恰好になるので、だれか日比谷家のご先祖に水に浮かべて遊んだ方がいらしたのではないかな~と想像しています。
写真6 侍烏帽子の新調(オリジナル(左)、新補(右))
この侍烏帽子については静岡の人形師である望月勇治(もちづき ゆうじ)氏に新調をお願いしました。
残されている作品を忠実に再現したもので、これを被ったお人形には艶と張りが甦ったように見えます(写真7)。
写真7 五人囃子・修理前(左)、修理後(右)
その他、衣裳については朽ちた織物を染織修理の方法で固定し直し(写真8)、めくれてしまった漆の層は固定。
また欠損部には丁寧な充填が行われました。いずれも一般的な人形の修理では考え難い、極めて丁寧な仕事です。
写真8 山崎真紀子(やまざき まきこ)氏による染織品部分の修理
こうした「文化財」としての雛人形の大掛かりな修理はトーハクとしてほとんど初めてのことであり、おそらく国内を見渡しても初めての試みではなかったかと思います。
雛人形については文化財として扱う意識が一般に薄く、また文化財修理の優先度からいっても低いことは否めません。
そうした中にあって、今回トーハクが行った修理は「文化財として雛人形をどう修理すべきか」という模索の中で行われたものであり、その試行錯誤の中で生み出された手法は、今後の人形を文化財として修理していく中で重要な指針になるものであると考えています。
オリジナルを大切にしつつ、お雛祭りにふさわしく、美しく艶やかに甦った日比谷家のお雛様(写真9、写真10)。是非ともみなさまには会場にお越しいただき、日本が誇る人形文化の素晴らしさと、保存修復の重要性を感じて頂ければと思います。
写真9 男雛・修理前(左)、修理後(右)
写真10 女雛・修理前(左)、修理後(右)
特集 おひなさまと日本の人形 本館 14室 2018年2月27日(火)~ 2018年3月18日(日) |
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posted by 三田覚之(教育普及室) at 2018年03月02日 (金)
こんにちは。研究員の横山です。
暦の上ではもう春のようですが、まだまだ寒い2月。新たな陶磁器の特集展示が本館で始まりました。
この特集「江戸後期の京焼陶工―奥田頴川と門下生を中心に」(本館特別2室、2018年4月22日(日)まで )では、江戸時代後期(18~19世紀)の京焼陶工をご紹介しています。
京焼とは、広く「京都で焼かれた陶磁器」を意味します。
その内容は、仁清・乾山に代表される華やかな色絵陶器、中国や朝鮮半島の陶磁器から影響を受けた写し、茶湯道具にまつわるものなど、実に多様です。
都という立地により、様々なものの行き来や文化交流が盛んであった京都。そこで作られる陶磁器もまた、そうした影響を大きく受けて発展してきました。
今回の展示では、京焼のなかでも奥田頴川(おくだえいせん、1753-1811)という、京都で初めて磁器を作ることに成功した陶工を出発点とし、彼の門下の陶工たち(青木木米<あおきもくべい>、欽古堂亀祐<きんこどうきすけ>、仁阿弥道八<にんなみどうはち>)に着目しました。
彼らは京都で活躍するだけでなく、当時各地方の藩で盛んに取り組まれていた陶磁器づくりに呼ばれ、藩主主導の御庭焼などの開窯や発展に貢献しています。
重要美術品 色絵飛鳳文隅切膳 奥田頴川作 江戸時代・18~19世紀 大河内正敏氏寄贈
頴川の作品については昨年、建仁寺蔵の「三彩兕觥形香」が新たに重要文化財に指定され話題になりました。
京焼の特徴の一つとして、江戸時代前期の仁清、乾山の頃から見られる陶工(工房)の「名前」が明らかになってくることが挙げられます。
後期の京焼作品もまた、そうした「誰が」携わったかを知りつつ、各作品から個性が感じられるところが見どころの一つといえます。
煎茶具一式 青木木米他作 江戸時代・19世紀
自らを「識字陶工」とし、文人でもあった木米。この時代の煎茶の流行にも敏感であったことでしょう。
今回は久しぶりに一式を並べました。
こうした後期京焼陶工たちのかかわりのあった地方諸窯として、今回は三田(兵庫県)、瑞芝(和歌山県)、春日山(石川県)、偕楽園(和歌山県)、讃窯(香川県)を展示の後半でご紹介しています。
三田、瑞芝の青磁、春日山の赤絵、偕楽園の交趾など、代表的な特徴もありつつ、どの諸窯にもそれ以外の作風のものにも取り組んでいて、多種多様な作風を一言で表わすのはなかなか大変です。
この時代、いかに各藩が陶磁器づくりに力をいれていたかということがうかがえます。
讃窯の作品群。
開窯にかかわった仁阿弥道八の得意とする作風がよくあらわれています。
讃窯資料のうち、木印。
この大きな「讃窯」印(拡大写真)が捺された作品が、実はすぐ近くにあります。
簡単に見つかりますよ!
この時代に作られたものについては、「バラエティ豊か」という一方で「混沌」としたところもあり、陶工たちのかかわり方や各諸窯の詳細は、博物館館蔵の伝世品からだけではまだまだうかがい知れないことも多い、というのも事実です。
ともあれ、陶磁器の常設展ではなかなかお見せできない作品ばかりですので、ぜひこの機会にお楽しみいただき、何か新たな「発見」があれば幸いです。
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posted by 横山梓(保存修復室) at 2018年02月15日 (木)