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1089ブログ

石板で肉を焼き、ガラス玉を想う 特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」その3


まずは台湾南部の屏東県にある屋外博物館「臺灣原住民族文化園區」を訪問したとき、お知り合いになった猫君をご覧ください。
とくに意味があるわけではないですが、猫画像を見ると幸せな何かが分泌されるそうです(あと閲覧率が上がるかもしれない)。
癒しを得てから話を進めましょう。
 
この「臺灣原住民族文化園區」の大きな特徴として、原住民族の伝統家屋が再現展示されている点が挙げられます。
現在、台湾で公認されている16の原住民族は、その使用する道具や衣服、生活様式が明確に異なり、隣接する地域に居住している民族でもくっきりと区別することができます。
たとえばプユマ族、パイワン族、ルカイ族はいずれも台湾南部に居住しますが、プユマ族は竹に茅葺き屋根の家屋に住み、一方でパイワン族・ルカイ族は石板を積み重ねた家屋が特徴です。
プユマ族一般家屋(再現)と猫君(臺灣原住民族文化園區)

阿禮社(ルカイ族)頭目家屋(臺灣原住民族文化園區)
 
掲出の画像は一般家屋と頭目家屋なので公平な比較ではありませんが、これだけでも生活そのものに対する考え方が根本的に異なることがわかるかと思います。
三地門(パイワン族集落)の街並。左側の住居の塀や門に白黒の幾何学的模様の蛇があしらわれている
 
現在のパイワン族集落は石積み家屋ではありませんが、壁の装飾画や道路の文様など、そこかしこにパイワン族が祖霊とする百歩蛇の図像が見られます。
パイワン族、ルカイ族はよく似た文化を持ち、同じく家屋に用いる平たい石板を利用して烤肉(焼き肉)を食べます。画像は石板烤肉と伊那比拉(イナピラ 芋と猪肉の腸詰)、ニンニク。
 

 

左はカットした伊那比拉で、右は吉拿富(チナブ)と阿拜(アッバイ)。どちらも猪肉と粟を月桃の葉に包んで蒸したもので、阿拜は搗(つ)いてモチ状になっており、お祭りの際に食べるそうです。ほんのり甘く、口いっぱいにほおばると香気が鼻に抜けて美味しい。
上はカットした伊那比拉で、下は吉拿富(チナブ)と阿拜(アッバイ)。どちらも猪肉と粟を月桃の葉に包んで蒸したもので、阿拜は搗(つ)いてモチ状になっており、お祭りの際に食べるそうです。ほんのり甘く、口いっぱいにほおばると香気が鼻に抜けて美味しい。

 

ガラス首飾 パイワン族 台湾南部 19世紀後半~20世紀初頭 藤江志津氏寄贈 東京国立博物館蔵

トンボ玉部分拡大

 

さて、こちらは特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―で展示中のパイワン族の首飾。橙色のガラス玉を二重に連ね、間に白や青、緑の管玉を挟んで、中央に模様のある玉(日本で言うトンボ玉)を配しています。

ガラスはもともと、天与の霊力をそなえた宝石を人工的に生み出すことのできる奇跡の素材です。自由に魔術的なシンボルを表すことのできるガラス製装身具は、色彩と輝きに満ちた理想郷と現実世界をつなぐものであり、身に着けることで強い霊力を引き寄せる護身的な役割を担っていました。パイワン族にとって、ガラス玉は結婚式において欠かせない贈り物であり、祝い事や祭礼に参加する際の必須の装飾品でもあります。
玉の色や模様には象徴性があり、たとえば白地に黄と赤で波を描く玉(本作では中央の玉から2個となりの一対)は「日光の玉」と呼ばれ、高い身分を示すものとして最も貴重視されました。緑地に目玉を描く「眼睛の玉」(本作では左右の端の一対)は災いを防ぎ、持ち主を守る意味を持ちます。富を示す橙玉を多く使用していることからも、高貴な人物が身に着けるべき組み合わせです。
 
こうした台湾のトンボ玉について、日本で早い時期から関心を示し、精力的に蒐集・分類をはじめた人物がいます。
加賀百万石の主から侯爵へと転身した、加賀前田家の16代当主・前田利為(としなり)(1885~1942)です。
利為は「蒐集」と「整理」をこよなく愛していたようで、前田家伝来の文化財にさらに光彩を加えています。
トンボ玉蒐集もその一つで、大正15年(1926)の台湾旅行中、台湾総督府の宮原敦・服部武彦からトンボ玉についての講話を聞いたことがきっかけだったようです。
その後、利為は死没する直前まで世界各地のトンボ玉の蒐集・整理を続けました。
利為のトンボ玉標本は一点ずつ糸を通して区画された箱に収め、産地などの情報とともに保存するもので、工芸資料集としての体裁が整っています。先に見た「ガラス首飾」と同じ玉もある一方、当館所蔵品にはない多彩な玉も収められており、蒐集時期も含めて重要な情報を提供しています。
同じく前田家の重宝、重要文化財「百工比照」をご覧になった方ならピンとくるかもしれませんが、江戸時代の工芸資料集である「百工比照」の几帳面な整理方法と通じるものを感じます。
 
利為の蒐集した「トンボ玉」は、本特集と同じ平成館で開催中の特別展「百万石!加賀前田家」で展示中です。
特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―をご覧になった際は、こちらにもぜひお立ち寄り下さい。 
 
パンフレット
特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」
―台湾の原住民族の資料―


編集:東京国立博物館

パンフレットでは、本展にかかる調査研究について解説しています。
フォルモサの世界を知る機会となれば幸いです。
本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。

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本特集の担当研究員によるリレーブログ

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸調査・研究

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posted by 福島修(貸与特別観覧室長) at 2026年05月15日 (金)

 

タイヤル族の織物探訪 特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」その2

「フォルモサ Formosa」という言葉を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。美しき島、麗しの島、という意味の台湾島の美称で、大交易時代のポルトガル人が形容したのがはじまりといわれています。台湾には、現在に至るまで多様な民族が暮らしています。そのなかでも、古くから住んでいたオーストロネシア系語族の人々は、現在では社会運動を通してみずからを「原住民族」と総称しています。(日本語では「先住民族」ということもありますが、字義がやや異なりますので、本特集では台湾での表記に倣っています。)

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―に関するリレーブログその1でお伝えしたように、台湾原住民族の資料をご紹介するべく、当館では少しずつ準備をしてきました。2023年と翌24年に台湾を訪れる機会を得た我々は、ざっくりとまとめた当館資料の情報を片手に、各地をめぐりました。どうしても広く浅くの調査となることは承知の上で、実際に資料が使われていた土地を訪れて風土や生活を知ること、いまを生きる原住民族の方々のお話を聞くことを念頭に出発しました。現地の皆様には深い寛容とご協力をいただき、無事に第一歩の調査としては充実したものとなり、ありがたい限りです。
当然、この旅については書ききれないほどですが、今回のブログでは、当館でこれまであまり展示する機会のなかった、タイヤル族の織物と調査の旅について記したいと思います。

遡って2021年、館内で日々の資料整理をしていたある日、中が刳(く)り抜かれた不思議な丸太のようなものを見つけました。これをよくよく調べてみると、タイヤル族の女性たちが衣服を織り出すときに用いる、織機(織器)の一部だということがわかりました(現地ではクォングー〈qo-ngu、織布箱〉といいます)。ぎっしりと密に織っているのに柔らかい、タイヤル族の苧麻(ちょま:カラムシともよばれる麻の一種)の衣服をこれでどうやって織っているのか、とても気になっていました。

織器(TK-3594)19世紀後半~20世紀初頭 台湾、新北市烏来区
 
そこで最初の調査では、台湾北部にある烏来(ウライ)という集落に向かいました。台北から1時間ほどの烏来は、山地ながら有名な観光地で、行楽のため人出の多い場所です。雨のなかでキラキラ光る、温泉の看板の誘惑に惹かれながら、まずは烏来泰雅(タイヤル)民族博物館へ。

烏来市街。あいにくの大雨。
 
博物館では、×と○を交互に表した文様の織物が、烏来の集落を表わすものとして象徴的に紹介されていました。実は同じ文様の肩掛を東博で所蔵しており、思いがけないつながりに嬉しくなりました。(いま考えれば、もとの収集地が近いので当然なのですが!)
タイヤル族の衣服は、日本の着物や洋服とは構造がかなり異なり、各部分を別に展示すると分かりにくいので、本展では思い切ってマネキンに着せつけています。悩みどころだったのはその着こなし。現代の写真では肩掛を袈裟懸けにすることが多いようなのですが、昔の写真を見ると本当にさまざま。本展会場では、古写真の一つに倣って、試みに首に懸けて前に展示しています。どちらもカッコいいのですが、いかがでしょう。
 

 
左:袈裟懸けスタイル、右:前懸けスタイル この胸掛や方衣は男性の衣服で、肩掛には細かい×○紋がある。
胸掛(TK-585)、方衣(TK-583)、袖套(TK-586)、肩掛(TK-582)19世紀後半~20世紀初頭 台湾、新北市烏来区

烏来をはじめタイヤル族ではこの数十年来、日本統治時代より高機の奨励や現代化の波により下火になっていた、伝統的な織物技術の復興運動が進んでいるそうです。いくつかの工房を訪れると、それぞれに古い織物に学んで図案を起こし、織物を織り出しており、これまで積み重ねてきた取り組みについて貴重なお話をうかがうことができました。しかし残念ながら、台風による大雨でこれ以上の見学はできず、翌年に再来を期すことになりました。 

 
達卡(タカ)工作坊の高林美鳳(Taka Tana)氏に、基本的な織り方を教わる。足の微妙な伸ばし方で経糸の張力を変えるので、普段使わない筋肉が刺激されて筋肉痛に。

満を持して翌年秋、カラッと晴れた烏来に再来できました。
前回と異なりにぎやかな商店街。マグリ(Mageli、磨格力)というタイヤル族の伝統料理が店頭にありました。説明文によれば、もち米と焼いた猪肉をマーガオ(Makauy、馬告)という香辛料と合わせて蒸したもののようです。この場では食べなかったのが悔しいところ、その後昼食で食べた鶏のスープにも、このマーガオが使われていました。台湾の山麓地帯にのみ自生する植物で、タイヤル族が大切にしてきた香辛料だそうです。レモンのような爽やかな強い香りと、若干の痺れがクセになるおいしさでした。

重要伝統工芸保存者(日本でいう人間国宝)でありタイヤル族の織物を復元しているユマ・ダル(Yuma Taru)氏と、タイヤル文化を研究している鄭光博氏による講義を博物館で拝聴したのち、午後は、さらに南の桃園市の山麓地帯である角板山(かくはんざん)に向かいました。
 
烏来の渓谷
 
店頭に並ぶ伝統料理

鶏のスープ。黒く浮かんでいる粒がマーガオ

角板山では、今年、それぞれ伝統工芸保存者にも認定された、ユリ・アバウ(Yuri Abaw、宗貞嫻)氏の工房、ウパ・タリ(Upah Tali、王碧珠)氏の工房を訪れ、織りや苧麻の糸の作り方などを見学することができました。以下に、その様子を写真で順に紹介します。

 
ユリ・アバウ氏の工房にて。これまでの研究の成果である織図の記録と、完成した織物

苧麻を刈り取る

茎から余分な葉を落とすウパ・タリ氏

 
苧麻の外皮を、竹を割った道具で剥いで繊維を取り出す(日本でいう苧引き)。剥いだばかりの中の繊維(青苧)は光沢があり美しい

 
天日で乾燥したのち、束にまとめる
 

処理した苧麻の糸に紡錘で撚りをかけていく(撮影:鄭光博氏)

整経したのちに織機にかけて織り出す。


以上、2年にわたり、現代のタイヤル族の織物について見学する機会をいただきました。それぞれの制作者による、自らの文化を守り継承するための真摯な取り組みと熱意には、胸を打たれました。当館の所蔵品を保存し、調査と公開の機会を重ねることは、台湾と日本に生きる現代の人びとにとって大事なことと、再確認する機会にもなりました。
本特集では、19世紀後半に作られたとみられるタイヤル族の衣服を、帽子や耳飾り、刀などの服飾品とともに展示しています。また、本ブログでは字数の都合で紹介できなかった他の民族の衣服と見比べてみてもきっと楽しいと思います。
特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―は5月31日(日)までの開催となっております。お近くの際には、ぜひお立ち寄りください。
 

パンフレット

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」
―台湾の原住民族の資料―


編集:東京国立博物館

パンフレットでは、本展にかかる調査研究について解説しています。
フォルモサの世界を知る機会となれば幸いです。
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カテゴリ:特集・特別公開工芸調査・研究

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posted by 廣谷妃夏(東洋室研究員) at 2026年05月13日 (水)

 

東博のスリーピング・ビューティー 東洋の民族資料 特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」その1

現在、平成館の企画展示室では、特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―(2026年3月10日(火) ~ 2026年5月31日(日))を開催中です。「東博には何度も行ってるけど、こういう展示や資料は初めて見た」という感想もいただいています。

本ブログでは、本展への想いと現地調査について、担当研究員によるリレー形式でお届けします。


特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし 台湾の原住民族の資料」の展示風景
民族ごとに器物や衣服を陳列し、それぞれの民族の居住地や住居などをパネルで紹介しています。右手のケースにはパイワン族の家屋のなかで安置する祖霊像、左手のケースにはパイワン族の首長が着用する雲豹(うんぴょう)の毛皮の服がみえます。

東博には、平素より「東洋民族」という分野の展示があります。場所は東洋館の地下の一番奥で、展示ケースはひとつきりです。そこでは台湾の原住民族の資料だけでなく、インドネシアのワヤンという人形や、クリスという短剣、南太平洋の民族資料などを代わりばんこに展示しています。

念のために申しますと、展示場所が小さいという不満を漏らしているわけではありません。展示ケースはひとつだけですが、かつては民族資料を紹介する場所さえなかった時期もありました。もともと東博の所蔵品のなかでも、民族資料は規模が小さいので、それに応じた展示場所の広さだともいえましょう。大切なのは、小さくとも展示場所があるということです。


東洋館地下にある東洋の民族資料の展示
現在は「南太平洋の生活文化」というテーマでオセアニア地域の民族資料を展示しています(東洋館13室、2026年6月21日(日)まで)
ここで台湾の民族資料を展示することもあります。過去のブログでも、パプアニューギニアでの調査タオ族の文化などについて紹介をしてきました。

パプアニューギニアでの調査 (2016年11月16日付ブログ「南太平洋の生活文化」 へ移動)
タオ族の文化 (2024年10月23日付ブログ「世代を重ねるおしゃれ タオ族の胸飾」へ移動)

東洋の民族資料については、まだまだ未整理のところがあり、きちんと調べてからでないと展示できない事情があります。ビジネス用語で「スリーピング・ビューティー(眠れる美女)」という「眠ったままになっている素晴らしい資産」を指す言葉がありますが、そういった状態の作品たちを目覚めさせるためには相応の準備が必要になります。台湾の原住民族の資料については、ここ数年ほど、日本や台湾の研究者、そして現地の方々にも教わりながら、同僚たちと一緒に調査を進めてきたのですが、その成果を生かして、いつもより大きな規模で展示したのが、このたびの特集です。

 


台湾の角板山(かくはんざん)での伝統的な工芸技術に関する調査(鄭光博氏撮影)
タイヤル族の伝統的な工芸技術の伝承者の方から苧麻(カラムシ)の繊維の採取について指導を受けました。左から伝統工芸保存者のユリ・アバウさん、一人おいて、東博の研究員 猪熊兼樹(筆者)、福島修、廣谷妃夏。


台湾東部の花蓮にある祖霊屋での調査
アミ族の祖霊を祭るカキタアンという建物のなかで、伝統的な生活様式や信仰について取材を行いました。屋内には、祖霊の姿を浮き彫りした像が安置されています。


台湾南東沖の蘭嶼(らんしょ)という島での調査
蘭嶼には海洋民族のタオ族が暮らしています。その船は両端が反り上がり、白・赤・黒で彩られる独特な形状です。船の工房で製造工程を見学したのち、実際に海上に出て、その操作法や機能性について教わりました。左から大野颯真さん(東華大学)、一人おいて、東博の研究員 廣谷妃夏。

東博の展示には、日本やアジア地域の素晴らしい美術品や考古資料が多数ならび、皆様がよくご存知の名品も少なくありません。そのようななかで東洋の民族資料の展示というのは、あるいは珍しく見えるかもしれませんが、だからこそ東博の展示に多面性を与えるように思っています。宝石を輝かせるには、カットを加えながら大小の面(ファセット)から構成される多面体を作り出して、光の反射を増幅させてゆきますが、展示についても、大小さまざまな内容があることで、来館者の皆様に多様な楽しみを提供できると考えています。これからもブリリアントな東博をお見せできるように、頭をめぐらせたいと思います。

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」
―台湾の原住民族の資料―


編集:東京国立博物館

パンフレットでは、本展にかかる調査研究について解説しています。
フォルモサの世界を知る機会となれば幸いです。
本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。

ゆりの木の花咲く季節に、ひととき、お目覚め中のフォルモサの民族資料たちに会いにいらっしゃいませんか?
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特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―は2026年5月31日(日)まで、金曜日・土曜日は20時まで(入館は19時30分まで)夜間開館を実施しています。
台湾の原住民族の多彩で豊かな生活様式を伝える資料を、ぜひ会場でご覧ください。

 

 

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸調査・研究

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posted by 猪熊 兼樹(調査研究課長) at 2026年05月07日 (木)

 

はにわ熱

東京国立博物館に就職して間もない6月のある夜、一人展示準備のため収蔵庫で埴輪を探している時であった。
すわ、収蔵庫に五月人形か。いやいや、よく見ると凛々しい武者姿の埴輪ではないか。

武人埴輪模型 吉田白嶺作 大正元年(1912年)
弓取るものが左右に一対、矛取るが左右に一対、合わせて四個一組で揃いとなる。東京国立博物館所蔵品は左手に矛取るものを欠いている。
(注)特別展「はにわ」出品予定

後日、先輩に聞いたところ明治天皇の御陵(京都府京都市 伏見桃山陵)に奉献された埴輪「御陵鎮護の神将」と同じ型で作られたものという。
某研究会の連絡誌に、この埴輪にかかる記述があったことを思い出して読み返し、関連する文献などを集めた。この埴輪の制作にあたっては東京帝室博物館(現:東京国立博物館)歴史部のスタッフが監修に携わり、当館の収蔵品の修復や模造品の制作を担った彫刻家の吉田白嶺が手掛けた。
このような縁もあって当館に伝来されたものだと知ったところで、いったんこのときの熱(好奇心)は去っていった。

それから十数年の時が過ぎ、東京国立博物館で埴輪をテーマにした特別展を開催すると聞く。再度発熱した。
特別展の担当者を捕まえ、展示する意図や意義を説明して(いや、ワガママを言って)何とか出品作品に加えてもらった。
そして保存科学課のスタッフには、展示や輸送のための応急処理(X線CT撮影や接合)もお願いした。


応急修理前のX線CT撮影
埴輪「御陵鎮護の神将」は型作りによる頭・胴部・脚部・台座というように分割成形されている。胴部と脚部の継ぎ目で外れていたため状態を確認し、今回の展示に合わせ接合、修理した。


一人現地調査と意気込んで伏見桃山陵へも足を運んだ。
木々の間に白く伸びる参道、御陵から眺める宇治の景色、そして230段にも及ぶ大階段。
時折、本来の目的を忘れてしまうほどの御陵の清々しさに気を取られながらの調査、ただただ気持ちがよかった。そして、この陵(みささぎ)の墳丘のなかに納められた埴輪と古墳時代の墳丘に樹立された埴輪との差異に一人思いを巡らせた。


玉砂利と杉並木が美しい参道


宇治の景色


230段に及ぶ大階段


上が円形で下が方形の御陵

明治天皇の大喪にかかる記録を調べるために国立公文書館に出かけ、当時の世相を知るために当時の雑誌や新聞記事をあさり、また絵葉書などの記念品を集めるために某オークションサイトにも手を出した。この頃には、またいつもの熱病にかかったのかと同僚はきっと呆れていたに違いない。


参拝記念の人形


参拝記念の絵葉書
1918年(大正7年)以降に印刷された参拝記念の絵葉書の包みにも埴輪「御陵鎮護の神将」があしらわれている。一定期間、この「埴輪」が当時の人々に関心を持たれていたことが分かる。

私は埴輪、ましてや古墳時代を専門にしているわけではない。一考古学者としてモノがどういう目的で作られ、そのモノが当時の人々にどう受け入れられ、そして後世の人がそれをどう考えるのか、ということが気になってしかたがないのだ。本展の担当者でもない一研究員でさえ「はにわ熱」にかかれば、この始末である。ましてや担当者であったならば。

この夏の暑さを上回る熱量で担当者が準備を進めている
特別展「はにわ」(2024年10月16日(水)~12月8日(日)、平成館 特別展示室)が、間もなく開幕を迎える。
ぜひ楽しみに待っていてほしい。そして一人でも多くの方々にこの「はにわ熱」を存分に味わってほしいと願っている。

カテゴリ:考古調査・研究「はにわ」

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posted by 品川欣也(学芸企画部海外展室長) at 2024年09月27日 (金)

 

はにわにも色がある!

挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」(2024年10月16日(水)~12月8日(日)、平成館 特別展示室)。
「埴輪の展覧会なんて、展示室がみんな茶色くなっちゃうんじゃないですか?」
――そんな声が聞こえてきそうです。

でも、目を凝らしてよく見てください。
何かが見えてきませんか?
この埴輪、なんだか赤みの強い部分があるような…。

埴輪 杯を捧げる女子
群馬県高崎市 上芝古墳出土 
古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵
(注)特別展「はにわ」出品予定

そう、実は色が塗られて
いた埴輪があるんです。
とはいえ、長らく古墳の上で雨風にさらされ、土の中に埋もれていた埴輪たちの表面に塗られていた顔料は落ちやすく、追究が難しいこともあって十分には検討されてきませんでした。

もともと、埴輪は赤い色が多く使われていることがわかっていました。

国宝 円筒埴輪
奈良県天理市檪本町東大寺山北高塚 東大寺山古墳出土 古墳時代・4世紀 東京国立博物館蔵
いちばん下の段は土に埋めてしまうため、赤く塗られていません
(注)特別展「はにわ」出品予定

しかし近年、栃木県下野市にある甲塚(かぶとづか)古墳から出土した埴輪が復元された際に色の検討が行われ、鮮やかに塗られていたことがわかりました。

当館でも、国宝「埴輪 挂甲の武人」の修理・調査を行いました。


国宝 
埴輪 挂甲の武人
群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵
(注)特別展「はにわ」出品予定

詳細な観察と、蛍光X線分析(どのような物質が存在するか調べる装置を用いた分析)を行い
、彩色の復元に取り組みました。
その成果がこちらです。

埴輪 挂甲の武人(彩色復元)
令和5(2023)年 原品:群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀
東京国立博物館蔵
制作:文化財活用センター
(注)特別展「はにわ」出品予定

埴輪 挂甲の武人には、白、赤、灰の3種類の顔料が使われていたと考えています。
白は白土で、白っぽい土を選別したもの。
赤はベンガラという、自然界にある鉄分に由来するもの。
灰は白土にマンガンという鉱物を混ぜたものと考えられます。

現在の埴輪に付着した黒色もマンガンで、これは埴輪が土の中に埋もれている中で表面に付着したものと考えられます。

埴輪 挂甲の武人の背面。黒く見えるのが土に埋まっている際に付着したマンガンです


埴輪 挂甲の武人が製作され、古墳に立てられた地域では土中にマンガンが多くあったらしいことがわかります。

現在では、白色と赤色はうっすらと残っているのが見て取れます。
しかし、灰色はごくわずかしか残っておらず、よほどしっかりと見ないとわかりません。
白土とマンガンはもともと相性が悪いため、はがれやすかったようです。

埴輪 挂甲の武人を解体した際の、脚(左)と沓(くつ、右)。灰色がわかるでしょうか。

当館には、他にも色を塗っていたとみられる埴輪が多くあります。
埴輪の色の研究はまだまだはじまったばかり。
これからも、埴輪の色についての調査研究を続けていきます。

埴輪 挂甲の武人の彩色復元については、三次元の模型を特別展「はにわ」で皆さまにご覧いただけます。
皆様に新しい埴輪のイメージをお届けできると幸いです。

 

カテゴリ:考古調査・研究「はにわ」

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posted by 山本亮(考古室) at 2024年05月24日 (金)