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江戸時代の地図

今回の特集陳列「江戸時代の地図」(~2012年3月25日(日))は大きく特別1室が日本図、特別2室が世界図という分け方で展示をしています。
 
(左)特別1室、日本図の展示 (右)特別2室、世界図の展示

無論、世界には日本も含まれているわけで、各時代の世界図の中で日本がどのように描かれているかを見ていただくと興味深いものがあります。
以降に掲載の画像は全て、2012年3月25日(日)まで展示。


日本列島は大陸から離れた島国ですから、その具体的な形はなかなかわかりませんでした。特に遠方のヨーロッパ人には「黄金の国ジパング」と名ばかり高く、実際にポルトガル人が日本に到達し(1543年)やオランダ船が日本に漂着(1600年)しても、地図上では不確かな情報をもとに怪しげな日本列島が描かれました。

重要文化財 エラスムス立像 1598年 栃木・龍光院蔵
慶長5年(1600)に日本に漂着したオランダ船デ・リーフデ号の船尾像でした。



「西洋鍼路図」2面のうち、アジアを描いた図の東北端に日本が描かれていますが、もとの図では形が変です。
 
西洋鍼路図 17世紀 (右)左画像の部分

まるで近畿以東がなくなっているように見えます。たぶんこの図が制作されて以降、同じように考えた人がいたのでしょう。後筆で東日本を書き加えており、房総半島、三浦半島、伊豆半島とそれらしい形になっています。ところが当時のヨーロッパ人は日本列島は南へ曲がっていると考えたらしく、一見、紀伊半島と見えるのは、実は東北地方のつもりらしいのです。日本列島の形が整うのは、日欧の交流の機会が増える17世紀前半以降のことでした。


日本にも西欧流の測量術が伝わり、「日本航海図」のような、私たちが見ても一目で日本と想像のつく図が制作されるようになります。

重要文化財 日本航海図 江戸時代・17世紀


その後、19世紀の伊能図の完成に至るまで、日本の形は次第に整い正確になってゆきます。

重要文化財 日本沿海輿地図(中図) 東北 伊能忠敬作 江戸時代・19世紀

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 田良島哲(書籍・歴史室長、調査研究課長) at 2012年02月17日 (金)