ほほーい! ぼくトーハクくん。今日は、市元研究員が見どころを紹介してくれるっていうから、特別展「三国志」の会場に遊びにきたほ!
市元さんよろしくだほ!
特別展「三国志」会場。奥に見えるのは関羽像(新郷市博物館蔵)です
よろしく。ところでトーハクくん、三国志に出てくる魏・蜀・呉って聞いたことあるかい?
ぎ・しょく・ご?
そう、どんなところだったかって知ってる?
うーん、三国志ってだいたい戦ってばかりいる感じで、それぞれの国のことまではイメージ沸かないほ。
そっか(笑)。今回の特別展「三国志」では、魏・蜀・呉がどのような国だったのかを知ることができる出土品を、色々見ることができるんだよ。
ほほ!
今日は、俑(よう)というお墓の副葬品として作られた人形や動物の模型を見て、実際に魏・蜀・呉を感じてみよう。
なんだかワクワクだほ!
儀仗俑(ぎじょうよう)
青銅製 後漢時代・2~3世紀
1969年、甘粛省武威市雷台墓出土
甘粛省博物館蔵
はじめに三国時代の前にあたる、漢時代の俑を見てみよう。
これは儀仗俑といって馬車と牛車の隊列を矛(ほこ)や戟(げき)で武装した騎兵が警護する様子を表した俑だよ。
本物そっくりだほ!
俑などの副葬品は生前の生活が死後も続くようにと作られるんだけど、漢時代のものは写実的なのが特徴。しかも、バランスよく作られていて、ちょっとやそっとじゃ倒れないんだよ。
体は立体的ですが、腕は平べったいです
この歩いている人の腕は本物っぽくないほ。
ちょっとおもしろいよね。腕だけを平べったく作ることに何か意味があったのかもしれないね。
うん。それでこれが三国時代になるとどうなるほ?
はいはい、それじゃあ、三国のうち、まずは呉を見ていこう。
武士俑(ぶしよう)
土製 三国時代(呉)・3世紀
1999年、湖北省赤壁市蘆林畈1号墓出土
赤壁市博物館蔵
これは、武士俑って言うよ。武士だから頭に冑(かぶと)をかぶってる。
ほー、ぼくにちょっと似てる! 市元さん、俑とぼく(埴輪)ってどう違うほ?
俑も埴輪もお墓の副葬品として作られたものだけど、埴輪はお墓の上や周りに並べるのに対して、俑はお墓の中に並べるんだよ。
ほほー。お家の中と外の違いかほ。
お家の模型もお墓のなかにいれるから、まあ考え方の違いなんだろうね。
他にも、こんなに色々な俑があるんだ。役割を細かく分けて仕事をしていたことが分かるね。
俑(よう)
青磁 三国時代(呉)・3世紀
2001年、湖北省武漢市黄陂区蔡塘角1号墓出土
武漢博物館蔵
ほー、なんか、心なしかみんな真面目な顔してるほ。
呉は経済的に発展していた国だったけれど、この俑たちのように真面目な人々が支えていたんだろうね。
トーハクくんも働くなら呉がいいと思うよ。
ぼくはトーハクで十分だほ。
一級文物 牛車(ぎっしゃ)
青磁 三国時代(呉)・3世紀
2006年、江蘇省南京市江寧区上坊1号墓出土
南京市博物総館蔵
一方でこの牛車の模型は、一見シンプルだけど牛の顔から車輪まで特徴をよくとらえて丁寧につくられていることが分かる。
シンプルだけど手を抜かない。これも呉の特徴だね。
うん。牛の足の形とかもく見るとしっかりしてるほ。
そうでしょ。さて、次は蜀を見ていこう。
説唱俑(せっしょうよう)
土製 後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀
重慶市忠県花灯墳墓群11号墓出土
重慶中国三峡博物館蔵
調理俑(ちょうりよう)
土製 後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀
重慶市三峡庫区出土
重慶中国三峡博物館蔵
舞踏俑(ぶとうよう)(右)
石製 後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀 重慶市出土 四川博物院蔵
舞踏俑(左)
石製 後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀 重慶市出土 重慶中国三峡博物館蔵
みんなニコニコ、なんかポーズも決まってるほ。
ホントいい笑顔だよね。蜀の人々の穏やかな気風が伝わってくるでしょ。
蜀は動物の模型もぜひ見てほしいな。
一級文物 犬
土製 後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀
1957年、四川省成都市天迴山3号墓出土
四川博物院蔵
今にも動きだしそうだほ! ちょっと怖いほ~。
躍動感があって生き生きとしているね。呉は見たものの特徴をそのまま再現するけど、蜀はそれに加えてアーティスティックでクリエイティブな表現をする。
ほほー。アーティスティックでクリエイティブ!(
ちょっと何言ってるかわからないほ)。
実在しない架空のものでも、生き生きとしているんだ。
揺銭樹台座(ようせんじゅだいざ)
後漢~三国時代(蜀)・3世紀
2012年、重慶市豊都県林口墓地2号墓出土
重慶市文化遺産研究院蔵
これは揺銭樹台座といって金のなる木を取り付ける台座だよ。この怪獣の顔とかユーモアがあって、なかなかいいよね。
怪獣のほかにも、鳥とか龍とかいろいろあるほ。
もう、アーティスティックでクリエイティブで、さらにファンタジックだね!
うんうん。あーでこーで、さらにファンタジックだほ!
トーハクくん、ちょっと馬鹿にしてるよね。
やだなー、そんなことないほー。
気を取り直して、それでは最後の魏を見ていこう。
侍俑(じよう)
土製 後漢~三国時代(魏)・3世紀
2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土
河南省文物考古研究院蔵
この侍俑は魏の王、曹操(そうそう)のお墓、曹操高陵(そうそうこうりょう)から出土したものだよ。ちなみに女性だよ。
……なんていったらいいかわからないほ。
トーハクくんの気持ち、わかるよ。シンプルなうえ、呉と違って作りが雑なんだよね。前後の合わせ型で作ったものなんだけど、合わせ目のバリがそのままのこっててちょっと粗雑。
鼻もぺたんこだほ。
ぺたんこだね(笑)。
こっちにある曹操の息子の曹植(そうしょく)のお墓から出土した動物の模型を見てみて。水鳥、鶏、そして犬。
水鳥、鶏、犬(みずどり、にわとり、いぬ)
土製 三国時代(魏)・3世紀
1951年、山東省聊城市東阿県曹植墓出土
東阿県文物管理所蔵
……シュールだほ。ある意味、芸術的……。
同感、シュールで芸術的。侍俑のような雑さはないけど。
どうして魏の副葬品はこんなにシンプルなんだほ?
曹操の残した遺言が影響しているんだ。
どういうことだほ?
曹操は質素倹約を重んじていて、「自分の葬儀は手厚くするな」と遺言をのこしたんだ。
えー! すっごく偉い人なのに! なぜだほ!?
曹操はおそらく、それまでの漢王朝の秩序をかえて、新しい国の体制を築こうとしたんだと思う。手厚い葬儀にするとそれだけ手間がかかる、その手間を新しい国をつくっていくことに使いたかったんじゃないかと。
え、ちょっといい話だほ。なんだか曹操、ステキだほー!
どうだい、トーハクくん。こんな具合に、小説や歴史書だけじゃわからないことが、実際の出土品から読み解くことができるんだ。
まさに「リアル三国志」の世界だね。
うん、最高の世界なんだほ。ぼく、広報大使やっててよかったほ。
特別展「三国志」は9月16日(月・祝)までです。ぜひ足をお運びください!(来てほー!)
日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」
2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)
平成館 特別展示室
カテゴリ:考古、2019年度の特別展
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posted by 市元塁(東洋室) at 2019年08月26日 (月)
親と子のギャラリー「日本のよろい!」(9月23日(月・祝)まで)は、もうご覧になりましたか?
江戸時代以前に作られたよろいと、現代につくられたよろいの製作見本を展示し、よろいを形作る「材料」「技術」「美意識」について紹介しています。
親と子のギャラリー「日本のよろい!」展示風景
親と子のギャラリーを見た後は、日本文化体験「日本のよろい!」(9月1日(日)まで)も併せてご覧ください。
よろいにさわれるハンズオン体験で、よろいのひみつに迫ったり、よろいをつけた武士を描いた屏風のレプリカを見て、その使われ方やデザイン性について学ぶことができます。
ハンズオン体験のコーナー
会期中の金曜・土曜には、「よろい着用体験」ができます。
どんな風に着るのでしょうか?
それでは、よろいの着方について簡単にご紹介します。
現代につくられた、サイズの異なる4種類のよろいがあります。そのなかから、身長にあったサイズの甲冑を服のうえから着ていきます。
今回は、徳川家康の側近である榊原康政所用「黒糸威二枚胴具足」(重要文化財。当館蔵)をモデルにしたよろい(下画像 一番左)を着ていきます。
上からよろいを着るので、こんな感じのパンツスタイルがおすすめです。(貸出用のジャージも用意しています。)
(※よろいを着る順番は色々な方法があります。)
1、籠手(こて)
左手、右手の順につけます。これだけでなんだかちょっと強くなった気分です。
2、佩楯(はいだて)
大腿部から膝までを守ります。布地に小札(こざね。鉄や革でできた縦長のカードのような部品)などが取り付けられていて、エプロンのような感じで腰につけます。強度と可動性を両立させたデザインです。
3、脛当(すねあて)
文字どおり、脛を守ります。実はこれ、右足用と左足用と決まっているんです。
内側にだけ革が張ってあります。これは馬に乗るときに、自分の足をかける鐙(あぶみ)や、馬のお腹を傷つけないようにするため。
優しい! 強さとは、優しさのことですね!
画像だとわかりづらいのですが、よく見ると内側にだけ革が張ってあります。
4、胴(どう)
胴の脇を開き、身につけます。重みがグッと肩にかかります。
胴の脇がパカッと開く構造になっています。
重みが一気に体に来ました!笑っちゃいます。
表情もなんとなくりりしくなりますね。
ちなみに、胴の背中には味方の旗を差すためのパーツがついています。戦場で敵味方を識別するための目印として差したのだそうです。細かい仕事がなされています。
5、兜(かぶと)
この兜、1枚の鉄板を曲げているわけではなく、複数枚でひとつの兜を形成しています。兜に筋がついていますが、バラバラのパーツがその筋ごとに繋ぎ合わさっているのだそう。とても高い技術が結集しているのです。
前立(まえたて)のデザインは、不動明王が持っている三鈷柄剣(さんこづかけん)がモチーフになっています。これは、「不動明王の力が自分に宿るように」という思いが込められているとのこと。
これで完成です!
このよろいの総重量は10kgほど。ずっしり感じます。これを着て戦いに挑んだかと思うと、結構しんどいです。が、今で言う「勝負服」だけあって、気分があがるというか、やる気が湧き上がってくるような感覚になりました。
小道具として、軍配、采配、太刀などをご用意していますので、これでサムライスイッチONです!
ここでは写真撮影が可能ですので、ぜひ記念にどうぞ!
※通常はトーハクくんはいません
実施日 8月31日(土)までの金曜・土曜
時 間 11:00~16:30(受付10:50~16:00)
定 員 各日22名(1人につき1回1種類のみ。着用時間:約10分)
参加費 1,000円(高校生を除く18歳以上70歳未満の方は、別途観覧料が必要です)
※当日受付。事前申込はできません。
※先着順。定員に達した場合、16:00前でも受付を終了します。人気なので、受付はどうぞお早めに。
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posted by 小島佳(広報室) at 2019年08月21日 (水)
こんにちは。1089ミステリーハンターの高橋です。
今回は、特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」(~9月23日(月・祝))の会場でふしぎハッケン!
連日多くの仏像ファンたちでにぎわう特別企画の会場。
一番奥のスペースには、室生寺の十一面観音菩薩像・地蔵菩薩像・十二神将像が居並びます。
さてさっそくですが、ここでクエスチョンです。
下の展示風景のなかで、ちょっと不自然なところがあります。それはいったい何でしょう?
(ちなみに会場の造作やキャプションは関係ありません ←不備があるわけではありません)
手前: 重要文化財 十二神将立像(酉神・巳神)鎌倉時代・13世紀 室生寺
奥左: 重要文化財 地蔵菩薩立像 平安時代・10世紀 室生寺
奥右: 国宝 十一面観音菩薩立像 平安時代・9~10世紀 室生寺
ヒントとして、もう少しお像に近づいてみましょう。とくに地蔵菩薩像の頭の周辺に注目です。
おわかりになったでしょうか?(自信のある方はぜひ「スーパー〇とし君」をどうぞ 笑)
というわけで正解は、「地蔵菩薩像と後ろの光背(こうはい)の大きさが合っていない」でした。
写真を見ると、地蔵の頭から発せられる頭光(ずこう)の位置が、頭より上になっていることがわかります。
つまり、現在付けられている光背は、元々はこのお像のものではなかったのです。
じつはこの光背、元来は室生寺の近隣・三本松に安置されている地蔵菩薩像に付けられていたものでした。
三本松の像は、光背とともに室生寺金堂に安置されていましたが、いつしか本体のみが三本松に移されました。
現在の地蔵菩薩像(現在展示中のお像)は、いつの頃か他のお堂から金堂へと移されたと考えられています。
仏像は時として、このように当初の安置場所から移動している例が少なからずあるのです。
さて、ここでさらに注目したいのが、この光背に描かれる様々な絵画表現です。
そもそも光背とは、仏の体から発せられる光をかたちにしたもの。
一般的には光背の周りの部分に文様を彫り出したり、小さな仏を取り付けたりします。
一方でこの「板光背(いたこうはい)」は、平らな木の板で作られた光背に、絵具や墨などで尊像や文様を描き表しています。
板光背は、平安時代前期(9~10世紀)に作られたものが多く、特に奈良県の寺院に集中して伝わっています。
室生寺金堂の真ん中に安置されている薬師如来像(今回の企画では展示されません)の板光背も、地蔵菩薩像の光背と同じ作風を示しており、同時期に制作されたと考えられます。
国宝 薬師如来立像(伝釈迦如来立像)平安時代・9~10世紀 室生寺
(この像は、現在お寺では釈迦如来として信仰されていますが、光背に7体の薬師如来が描かれていることや、薬師如来に付き従う存在の十二神将像があることから、もともとは薬師如来であったと考えられています。)
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特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」 本館 11室 2019年6月18日(火)~ 2019年9月23日(月) |
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posted by 高橋真作(絵画・彫刻室) at 2019年08月16日 (金)
展示されている三国志の時代の農具 左:犂(からすき)右:鋤(すき)
私は横山光輝(よこやまみつてる)さんの漫画『三国志』を読んで育った世代で、実家には全60巻ありました。
もちろんコーエーテクモゲームスの「三國志シリーズ」も、楽しませていただきました。
そのため今回の特別展「三国志」に少しでも関われたのを光栄に思っています。
今、縁あって日本列島の古墳時代を当館では担当していますが、その古墳時代のはじめに併行する時代が、中国大陸の三国志の時代です。
私が学生の頃より専門に研究を続けてきたのが、古墳時代の鉄で作られた農具です。
そのこともあり、本展の図録で執筆を担当したのが、鉄製の農具でした。
一見すると農具は鉄の塊にしかみえない、他の作品と見比べてみると見栄えもしない面白みのない遺物です。
しかし、私が農具の研究を続けてきたのは、古墳時代の日本列島において重要な遺物であると思っていたからです。
今回執筆することになり調べてみると、三国志の時代の農具についても日本列島と同様に、当時の社会を考えるうえで重要な遺物だと知りました。
なぜならば鉄製の農具は、これまでの石製や青銅製の農具と比べて、各段に使い勝手がよく、鋤(すき)なら良く掘ることができるからです。
また、鎌であればよく切れるので効率よく収穫することができます。
当時の権力者は、この便利な道具をいかに管理して生産に活かすか、ひいては社会や政治にどのような影響力を及ぼしうるかを考えていました。
現在ホームセンターで買えるような鋤や鎌とは、全く社会的な位置づけが異なっていたのです。
鋤
鉄製 後漢時代・1~3世紀 2004年、河北省涿州市家園工地出土 涿州市博物館蔵
鋤は長い木柄をソケットに装着して、主に雑草を除去し、田の畔切り(あぜきり)などに使われました
実際、中国大陸では前漢の時代まで鉄製の農具は、民間の大きな製鉄業者や、鉄の専売制で中央集権化を図る国家によって管理されていました。
それが後漢の時代にはいると、その厳密な管理体制が崩れ、一般村落レベルでも鉄製の農具が自給できるようになります。
その結果、国家の社会に対する支配は大きく後退することになり、在地の有力者が台頭するきっかけをつくったのです。
三国志の時代のように混沌とする時代が生まれたひとつの背景には、鉄製農具など鉄の管理体制の変化があったと考えられます。
犁
鉄製 後漢時代・1~3世紀 2001年、河北省涿州市燕趙工地出土 涿州市博物館蔵
後漢末になると牛の力を利用して土を耕しました。その土に接するところに、犂をはめました
三国志の時代で群雄割拠する武将達のうち、農業を大切に考えていた武将が曹操(そうそう)でした。
曹操が大きな力を得た背景のひとつに、当時としては画期的な屯田制(とんでんせい)の導入が挙げられます。
農民に荒れた土地を与え開墾させ、税収を得て経済的な基盤を整えることに、曹操は成功しました。
その屯田制にも使われたであろう犁(からすき)も、今回の特別展「三国志」では展示していますので、どうぞご覧ください。
犂の利用方法。牛2頭の力で耕します。赤丸が犂です ※パネル展示のみ
出典:中国画像石全集編集委員会編『中国画像石全集5 陜西、山西漢画像石』(2000年、山東美術出版社)
日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」
2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)
平成館 特別展示室
カテゴリ:研究員のイチオシ、2019年度の特別展
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posted by 河野正訓 (考古室) at 2019年08月15日 (木)
特別展「三国志」の出品作品のなかで、私のおすすめの一つは「羊尊(ようそん)」です。
一級文物 羊尊
青磁 三国時代(呉)・甘露元年(265) 1958年、江蘇省南京市草場門外墓出土 南京市博物総館蔵
この作品は、紀年の明らかな呉の青磁の代表作として知られてきた知る人ぞ知る名品。
呉は、積極的な海上交易と肥沃な土地を礎に、長江下流域から南は現在のベトナム北部のほうまで広く勢力を拡大しました。この呉で量産されたのが、青磁です。
武器だけじゃない、呉の人々の暮らしがこの展覧会を通してリアルに見えてきます。
呉の青磁、いったいどこがすごいのか?といえば、とにかくこの羊の「胸」と「おしり」を見ればわかります。
この羊、胸と臀部(でんぶ)を別々につくり、お腹の部分と前後で接合しています。
頭と脚はその後でくっつけたものでしょう。
臀部を見ると、焼成時に置いた痕跡が残っており、窯のなかで頭を上に、臀部を下にして焼いた様子がわかります。
羊尊の「おしり」に残る目跡
秀逸なのは、豊満なその胸とおしりのかたち。
いまから2000年近くも昔に無名の陶工がつくったものですが、これだけのびやかでたくましい造形力をそなえた作例はさすが中国とはいえ、唯一無二です。
圧倒的な存在感を放っています。
しかし、この作品を初めてご覧になった方は「え?これも青磁?」と不思議に思われたのではないでしょうか?
やきものの表面を覆っているはずのガラスの釉はとても薄く、草緑色をしています。
もっと薄いところは、灰茶色の胎土の色とほとんど変わらないように見えます。素朴な印象で、「青磁」とは程遠く感じられるのではないでしょうか。
三国時代の青磁はいわば、初期的な姿です。
羊尊もよく見ると、頭に孔が開いていて、お腹には羽のようなものが刻まれています。
何のためにつくられたものなのか、実際のところよくわかっていません。
ほかにも、壺の上に楼閣が立ち、犬や鳥、亀などの動物が配された不思議な「神亭壺(しんていこ)」と呼ばれるものもあります。
一級文物 神亭壺
青磁 三国時代(呉)・鳳凰元年(272) 1993年、江西省南京市江寧区上坊墓出土 南京市博物総館蔵
こうしたうつわは、みな墓に納められた「明器」と考えられています。
身近な家畜や、龍や鳳凰、さらに羽の生えた羊など空想上の動物がモチーフになったのは、当時の呉の人々の死生観や宗教観に基づくためでしょう。
そもそも、やきものは高価な金銀やガラス、玉などの器の代用品として主に墓に埋納されるためのものでした。
今日のように、清潔で軽くて丈夫な磁器が日用の飲食の器として広く人々の手に届くようになるのは、唐時代以降、ずっと後のことです。
それでも呉の青磁、じーっと見ているとなかなかしっとりと味わい深いもの。
日本では、ちょっと紛らわしいですが「越(えつ)」という地名にちなみ、唐・宋時代の越窯青磁と区別して「古越磁」、「古越州」と呼び、中国陶磁が世界的に注目を集めた20世紀初頭以来、こうした古様の青磁にも親しんできました。
トーハクの中国陶磁コレクションにも「古越磁」の一級品が揃っています。
青磁槅(せいじかく)
三国時代(呉)~西晋時代・3世紀 横河民輔氏寄贈 東京国立博物館蔵
こちらはトーハク所蔵の槅。特別展「三国志」の出品作品(作品No.115「槅」)のように、重ねて使用することもあったようです
※展示予定はございません
青磁虎子(せいじこし)
西晋~東晋時代・3~4世紀 東京国立博物館蔵
こちらは晋の頃に焼かれたと考えられる作品。具体的な用途はわかりませんが、やはり動物をかたどった不思議なかたちが目をひきます
※展示予定はございません
私は、いまから10年ほど前、呉の青磁の産地である浙江省紹興市上虞の窯跡を訪ねたことがあります。
小さな湖や小川が多く、田んぼには水牛が歩いていました。
いまは亡き祖父母が暮らしていた日本の田舎を思い出すような、親しみのある景色でした。
秋深い時期でしたが湿潤で、日が暮れる頃や朝早く街を深く覆う靄(もや)を肌で感じた時、「ああ、この空気があの古越磁を生み出したのか」と胸にストンと落ちた気がしました。
上虞にて(筆者撮影)
8月に入り猛暑が続きますが、特別展「三国志」の「羊」をご覧になって、緑深い「呉」の空気を感じてみませんか。
日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」
2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)
平成館 特別展示室
カテゴリ:研究員のイチオシ、2019年度の特別展
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posted by 三笠景子(特別展室) at 2019年08月09日 (金)