このあいだお正月と思ったら、1月も早や終わり。「1月は行く 2月は逃げる 3月は去る」と申しますが、特にせわしない年度末は、時間の経過がいっそう早く感じられます。さて2月3日は節分。紙のお面を付けて鬼の役をする人は、とんでくる豆にお気を付けください。(余談ですが、あのシンプルに炒っただけの大豆、くせになりますよね~)今回は節分にちなんで、鬼退治をテーマとする美術工芸品のお話をしたいと思います。
ご紹介するのは、「頼光大江山入図大花瓶(らいこうおおえやまいりずだいかびん)」。2点1セットで、高さが127センチ近い大作です。富山・高岡の鋳金工であった横山孝茂(たかしげ)・孝純(こうじゅん)親子が共同制作し、明治6年(1873)のウィーン万国博覧会に出品されました。全体を銅の鋳造で作り、金や銀、赤銅(しゃくどう・金と銅の合金)や四分一(しぶいち・銀と銅の合金)などを交え、多様なモチーフを、鋳金と彫金の技法を駆使して平面に立体に表しています。龍・蛟(みずち)・邪鬼や虎・三猿(見ざる聞かざる言わざる)・亀などの動物、松葉・紅葉・銀杏などの植物、列弁文や幾何学文など、日本の伝統的なモチーフや文様ですが、その種類は数え上げたらきりがないほど。しかも技術の精巧さと表現の豊かさ!一体どうやって作ったのか、完成に幾日を要したことか・・日本のハイレベルな金工品が、世界に驚嘆をもって迎えられたことは、想像に難くありません。
頼光大江山入図大花瓶
横山孝茂・横山孝純作 明治5年(1872) ウィーン万国博覧会事務局(本館18室にて通年展示)
まだまだ語り尽くせぬ作品の魅力。ですが今回は、胴の部分に表わされた物語に注目します。2点の花瓶の胴部表裏4箇所に描かれた物語は、作品の名称にもなっているとおり、武勇で知られた源頼光(みなもとのよりみつ・らいこう 948~1021)らが大江山で酒呑童子(しゅてんどうじ 酒天童子とも)を征伐したという、お伽(とぎ)話の中の場面なのです。このお話を描いた絵巻や絵本は、江戸時代には広く人々の目にするところとなり、近代も戦前までは、誰もが小さいころ、一度は目にし耳にした、お伽話の代表ともいわれています。お話の内容には、いくつかの系統があるようですが、ここでは一般的な筋書きにしたがって、場面を見ていきます。比較の対象として、当館の所蔵する「酒呑童子絵巻」(伝狩野孝信筆 江戸時代・江戸時代17世紀 ※現在は展示されておりません)をあげます。(なおこの絵巻では、舞台が大江山ではなく伊吹山となっています)
【第1場面】(A瓶-表)山伏姿の3名が、滝の落ちる山中に丸木を掛け渡っています。左上には老人と童子の姿がみえます。
悪鬼の酒呑童子は大江山にひそみ、子分の鬼たちに命じて、都から女性をさらっていました。帝は勇猛な武人として聞こえた源頼光(みなもとのよりみつ・らいこう)をはじめ、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいさだみつ)、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)6名に、酒呑童子討伐の命をくだし、おのおのは山伏姿に身を変えて、住吉・八幡・熊野の3神に導かれながら、難所を越え山中に踏み込みます。大花瓶では、山伏は3名、神々は2柱ですが、あとの3名1神を次の場面に分けて配したものと思われ、これは山伏の衣装の文様が6パターンあることからも明らかです。縦長な画面という制約の中で、人物など主題をできるだけ大きく見せようと配慮したのでしょう。これは裏面でも同様です。
左:頼光大江山入図大花瓶 第1場面(A瓶-表) 以下同
右:酒呑童子絵巻 伝狩野孝信筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵(現在展示されていません) 以下同
【第2場面】(B瓶-表)一行の前に川辺で衣服を洗っている十二単姿の女性がいます。右上には神の姿。左上は酒呑童子の棲家で、門前には見張役の子分の鬼たちがいます。
頼光らは途上の川辺で、泣きながら衣服を洗っている女性に出会います。わけを尋ねると、「酒呑童子たちは、都から女性をさらってきては殺し、体を食べ血を飲んでいます。私はこうして血の付いた服を洗っているのです」。女性から鬼たちの棲家を聞き出した一行は歩みを進めるのでした。
左:第2場面(A瓶-表)
右:酒呑童子絵巻
【第3場面】(A瓶-裏)十二単をまとった女性にかしづかれ、大きな酒盃を前にした総髪の大男。その前では、扇を手ににぎやかに舞い踊る山伏たち。
一行の前に現れた酒呑童子は、鬼ではなく人間の姿をしていました。一行を山伏とみて信用した酒呑童子は、彼らを酒宴に誘います。頼光たちは持参した酒を酒呑童子たちにふるまいますが、実はこの酒、神々より授かった神通力のあるもの。鬼が呑めば毒となり、しびれてしまうのでした。盃を重ねた酒呑童子はすっかり参ってしまい、奥へ引き取ります。
左:第3場面(A瓶-裏)
右:酒呑童子絵巻
【第4場面】(B瓶-裏)山伏たちは、子分の鬼たちに酒を勧めます。すでに酒呑童子の姿は見えず、酩酊して寝込む鬼の姿も見えます。
奥に下がった酒呑童子をよそに、山伏たちと鬼たちは酒盛りを続けます。不思議な酒の力で子分の鬼たちは次々と倒れ伏していきます。A・B瓶の表側では、向かって右から左へと話が展開していますが、絵巻の場面の順番に従うなら、裏側では向かって左(A瓶)から右(B瓶)へと進行していることになります。つまり表側をA→B瓶へと見て後ろに回りこみ、普通ならば裏面を右から左つまりB→A瓶と見ていくのでしょうが、そうすると絵巻とは場面の順番が異なることになります。あるいは別系統の絵手本にならったのか、そのあたりはさほど頓着しなかったのか。
左:第4場面(B瓶-裏)
右:酒呑童子絵巻
大花瓶では、お話しはここまで。こののち頼光らは、背負っていた笈(おい)から甲冑を取り出して着けると、酩酊して鬼の正体を現した酒呑童子や配下の鬼たちを次々と斬り倒し、女性たちを救い出して都へと戻るという、ドラマチックな場面が展開するのですけれど。昨年10月放映の「ぶらぶら美術・博物館」で、この大花瓶をご紹介した時も、山田五郎さん、おぎやはぎさんから、「オチないじゃん!」と突っ込まれました。(そう仰られても・・)
酒呑童子絵巻
この大作が製作された明治初期は、老若男女だれもがよく知っていたであろう、源頼光や渡辺綱の酒呑童子退治の物語。当時の人々は、大花瓶の図柄を見て「ああ、あのお話しだ。」とすぐに理解できたはず。長く親しまれてきた日本の武勇伝だからこそ、横山親子は様々なモチーフとともに、日本的なものの象徴としてこの物語を択んだのでしょう。
そして、この作品とともにぜひご覧いただきたいのが、国宝の太刀 伯耆安綱(童子切安綱)です(本館13室にて3月13日(日)まで展示中)。源頼光が酒呑童子を切った太刀の伝説に仮託されての号「童子切」。当館の誇る名刀、もはや言葉は不要。ぜひその目で確かめてください!
国宝 太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱) 平安時代・10~12世紀 東京国立博物館蔵
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 伊藤信二(広報室長) at 2016年02月02日 (火)
「立射俑」~発射準備、完了!~
閉幕までついに1ヵ月を切った特別展「始皇帝と大兵馬俑」。
もうご覧いただけたましたでしょうか?
さて、本展の展示作品をご紹介する「担当研究員オススメ」シリーズ第二弾として、今回は私のお気に入りの、立射俑(りっしゃよう)をご紹介いたします。
立射俑
秦時代・前3世紀
秦始皇帝陵博物院蔵
立射俑は、弓または弩(ど)を構えた状態でポーズをとっていると考えられる兵馬俑です。
両手に弓・弩弓をもち、矢をつがえて攻撃命令を待つ、緊迫した兵士の姿を表したものです。
無冠で軽く結い上げた髷は、歩兵俑と同様に紐で留めてあります。
少し上向きに遠くを見据える視線は、接近戦ではなく、遠くの敵へ目掛けて矢を射る兵士の独特な表情のように感じられます。
髪型や表情にもご注目ください
また、革製や鉄製の鎧を身に着けない軽装備は、刻々と変化する戦場に臨機応変に対応するために簡略化されたと考えられています。きっと陣中にあって散開、移動を繰り返しては敵に矢を射掛けていたのでしょう。
目標にまっすぐに向けた瞳と連動した、指先までピンと張り詰めたポーズは、朽ちてなくなってしまったとはいえ、弓・弩を引き絞る音が聞こえそうな空気感がよく伝わってきます。
L字状に足を交差させて踏ん張っている足とひねりを加えた腕のバランスがとても良い、見ていて飽きないポーズだと思いますが、いかがでしょうか。
こんな兵士に遠くから的にされた敵軍兵士はきっと生きた心地がしなかっただろうなぁと、心の底から思います。
さて、この立射俑、私にとっては「あるポーズ」に見えて仕方のない兵馬俑です。
私が会場で見かけたときに「このポーズは何かに似ている気がするなぁ・・・」と思った瞬間、「アチョ~!」と思わずつぶやいてしまったことをよく覚えています。
弓・弩を両手で引き絞っている動作が、その武器がなくなってしまうと、まるでカンフー映画のひとコマのように見えてしまったのです。
私にとっては、立射俑である前に、相手に見事な一撃を決めた主人公が叫ぶ雄叫びポーズだったのです。
皆さんにはどのように見えるでしょうか。
さて、最後に、本展覧会では今回ご紹介した立射俑のほかに、もう1体、弓兵もしくは弩兵と考えられる兵馬俑がいます。
跪射俑(きしゃよう)と呼ばれるその兵馬俑は、武器は一緒と考えられながらも、立射俑と異なるいでたちです。
跪射俑(左)と立射俑(右)
秦時代・前3世紀
秦始皇帝陵博物院蔵
こちらも凛々しい兵士ですが、立射俑とどこが似ていて、どこが違うか、会場で見比べるというのも、本展の楽しみ方のひとつだと思います。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2015年度の特別展
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posted by 井出浩正(考古室) at 2016年01月26日 (火)
東博&書道博の「顔真卿と唐時代の書」(東洋館8室、1月31日(日)まで)も、残すところ数日となってきました。日本国内はもちろん、海外の雑誌にもこの連携企画は取り上げられ、唐時代の書の奥深さと、人気の高さを実感しています。
3000年に及ぶ中国の書の歴史上、王羲之(おうぎし)が活躍した東晋時代と、欧陽詢(おうようじゅん)・虞世南(ぐせいなん)・褚遂良(ちょすいりょう)・顔真卿(がんしんけい)の四大家が活躍した唐時代においては、書法が最高潮に到達しました。一口に四大家と言っても、それぞれに書風は異なり、よくもまぁこれほど高いレベルで、趣の異なる書が完成したものです。
欧陽詢も虞世南も、もとは南朝の陳に生まれました。しかし、欧陽詢の代表作「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)」(632年)は、北朝の流れを汲む隋様式を受け継いで、研ぎ澄まされた造形を誇っています。隋の「美人董氏墓誌銘(びじんとうしぼしめい)」(597年)は、すでにかなり洗練されていました。欧陽詢はこれをもう一押し、更に磨きをかけたのです。では、欧陽詢はどのような観点から磨きをかけたのでしょうか?・・・答えは、文字の組み立て方。
(左)九成宮醴泉銘 欧陽詢筆 唐時代・貞観6年(632) 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
(中)九成宮醴泉銘 欧陽詢筆 唐時代・貞観6年(632) 個人蔵
東京国立博物館で1月31日(日)まで展示
(右)美人董氏墓誌銘 隋時代・開皇17年(597) 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
欧陽詢は文字を書くにあたって、どの部分を主とし、どの部分を従とするのか、どこを軽くしどこを重くするのか、全体の字姿をイメージしてから、筆をおろしました。そして、この考えを突き詰めて、36のルールに帰納させたのです。この36のルールを学べば、誰でも手っ取り早く、さしあたって美しい文字が書けるようになります。 書き方のノウハウを公式化しちゃうなんて、さすがです、欧陽詢!
これに対し虞世南の代表作 「孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)」(628~630頃)は、王羲之の7代目の孫・智永に書を学んだだけあって、一見すると穏やかな用筆でありながら、力を内にこめた表現になっています。もちろん、隋の「蘇慈墓誌銘」(そじぼしめい)」(603年)などの美しさを継承し、その上に立脚しているわけですが、虞世南の書き方のポイントは何だったのでしょうか?・・・答えは、響きです。
(左)孔子廟堂碑 虞世南筆 唐時代・628~630頃 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
(右)蘇慈墓誌銘 隋時代・仁寿3年(603) 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
東晋の王羲之は、何気ない書きぶりの中に、豊かな表情を盛り込みました。つまり、文字の形も大切ですが、実際の書を見ると、筆の勢いや墨色の諧調などが微妙にからみあい、形以上に文字がオーラを発しているのです。現代風に言うなら、写真に撮った時に失われる要素を大切にした、というところでしょうか。虞世南はこの考えを推し進め、文字の組み立て方や筆の用い方に留意するだけでなく、文字に自分の心もちを盛り込む表現をめざしたのです。見方によっては欧陽詢の上を行くスタンス、みごとです、虞世南!
唐の初代皇帝の高祖や第2代皇帝の太宗は、正当な伝統を受け継ぐ江南の文化に、いかに対峙するかが大きな問題でした。太宗が王羲之を熱愛し、蘭亭序に固執したのも、それなりの理由があったのです。太宗の善政によって貞観の治が導かれ、天下泰平の日々が続き、素晴らしい名筆がうまれました。あっぱれです、太宗皇帝!
やがて褚遂良、そして顔真卿らが活躍し、歴史に残る黄金期を形成していった唐時代の名筆の数々をお楽しみください。
(左)孟法師碑(もうほうしひ) 褚遂良筆 唐時代・貞観16年(642)、三井記念美術館蔵
東京国立博物館で1月31日(日)まで展示
(中)千福寺多宝塔碑(せんぷくじたほうとうひ) 顔真卿筆 唐時代・天宝11年(752) 東京国立博物館蔵
東京国立博物館で1月31日(日)まで展示
(右)顔氏家廟碑(がんしかびょうひ) 顔真卿筆 唐時代・建中元年(780) 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
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posted by 富田淳(学芸企画課長) at 2016年01月20日 (水)
「作品をどう見せるのか?」という視点から特別展「始皇帝と大兵馬俑」を見てみましょう。
会場入口に一歩足を踏み入れると「始皇帝」「兵馬俑」の大きな文字と兵馬俑の映像で迎えてくれます。
1室は「第Ⅰ章 秦王朝の軌跡」、 「第Ⅱ章 秦王朝の実像」のテーマで器物や考古遺物を1点1点丁寧にご覧いただけます。
中でも「4.玉胸飾り」「6.龍文透彫玉佩(りゅうもんすかしぼりぎょくはい)」「40.玉剣・金剣鞘」「28.金銀象嵌提梁壺(きんぎんぞうがんていりょうこ)」「57-61.封泥(ふうでい)」の展示は作品の細かな部分もよく鑑賞できるようさまざまな工夫が施されています。
(1) (2) (3)
(4) (5)
(1)傾斜した台に固定され首にぶら下げた状態が想像できます
(2)マウントを用いて玉を浮かせて展示しているため玉の装飾とフォルムが際立っています
(3)マウントを用いて鞘と刀を垂直に展示し、透かし彫りの様子が360度鑑賞できます
(4)有機ELパネルを用いた再審の下部照明により壺のすぼまっている部分が暗くならずに鑑賞できています
(5)なめるように照らされた光により文字が浮かび上がっています
2室では、映像展示を用いた秦国、始皇帝の世界を分かりやすく解説しています。
つづいて、3室から始まる「第Ⅲ章 始皇帝が夢見た「永遠の世界」」は、現代アートを展示するかのような真っ白な展示室が作られています。「銅車馬(複製)」の緻密に作り上げられた造形が、圧倒的な存在感を放って展示されています。
展示室全体を「白色」で構成することで空間に浮遊感が生まれ「銅車馬」が宇宙船のようにも感じられます。
最後に 4室「兵馬俑」の展示室へは1度スロープをあがります。
上がると、まるで兵馬俑坑を再現したような展示空間が広がり、上から10体の兵馬俑を眺めることができます。
さらにスロープを下るとさまざまなポーズをとった兵馬俑を360度ぐるりと見て回れます。
特に順路が決められているわけではありませんので、自分の好きな作品を何度でも見られます。
また、兵馬俑は1つの展示室の中に曼荼羅のように展示する方法を用いたため、さまざまな位置から個々の作品を比べて見ることも出きるようになっています。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」は、作品の持つ個性を最大限に引き出せるよう、それぞれに合った展示方法を用いてその世界観を提示しています。
展覧会の担当研究員や展示デザイナーをはじめ関係者の思いのこもった展覧会へ是非1度足を運んでみてはいかがでしょうか。
(展示設計・施工:東京スタデオ)
カテゴリ:研究員のイチオシ、2015年度の特別展
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posted by 矢野賀一 at 2016年01月18日 (月)
カテゴリ:news、2015年度の特別展
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posted by 高桑那々美(広報室) at 2016年01月14日 (木)