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1089ブログ

世界に羽ばたく斉白石

はじめまして、京都国立博物館(京博)の呉[くれ]と申します。
いつもは東博の方々が登場するこのブログに、なぜ京博の職員が書いているのか、不思議に思われる読者もいらっしゃるかもしれません。

現在、東洋館第8室で開催中の日中平和友好条約締結40周年記念 特別企画「中国近代絵画の巨匠 斉白石」は、12月25日までの東博での会期終了後、京博にも巡回します(平成31年1月30日から3月17日まで)。京博での前宣伝もかねて雑文をつづってみたいと思います。

この企画は昭和53年(1978)に締結された日中平和友好条約が40年を迎えたことを記念したもので、中国政府そして今回の出展作品を所蔵する北京画院の全面的な協力のもと、実現しました。

20世紀の中国の水墨画といえば斉白石(1864-1957)の名がすぐに挙がるくらい、中国では最も有名な画家の一人です。日本の近代でいえば、日本画壇を牽引した横山大観(1868-1958)の知名度に、繊細な画風で孤高を貫いた熊谷守一(1880-1977)の芸術をあわせたような存在であるのかもしれません。

白石の画は中国の伝統絵画の様式を押さえたうえで、簡潔な構図と描写で独自に創意を加えました。画家の胸中の想いをかたちにとらわれず表現する、いわゆる「写意」の文人画に新境地を拓いたのです。


借山図(第三図) 斉白石筆 中国 1910年 北京画院蔵 (展示期間:~11月25日(日))


色鮮やかな山水をたっぷりの余白で表わした「借山図」のシリーズはその代表です。日々めまぐるしく変化しつづける中国で、ゆったりとした時間の流れを感じさせる白石の絵画は現代の中国人にとっても「癒し」の芸術です。そのためでしょうか、世界的な美術オークション市場でも白石作品は近年、驚異的な高値で取引されています。

世界的に高まる斉白石への関心を受けて、白石作品の展示もさかんです。


北京の地下鉄のホームで撮影


上の写真は今年10月、斉白石展の集荷のために訪れた北京で、地下鉄の駅のホームでみかけた広告です。「斉白石、次の駅はどこでしょうか」とのコピーに「2018年、さらに多くの地、さらに多くの国で斉白石芸術の魅力を感じてください」とつづきます。2018年の展示場所として、広告の左上に「列支敦士登国家博物館」、右下隅から北京画院美術館、故宮博物院(北京)、湘潭市博物館(湖南省で斉白石の出身地)、東博、京博の名が列記されています。「列支敦士登」とは、欧州でスイスとオーストリアの間にあるリヒテンシュタイン公国のことです。

東博・京博の展示は、北京画院美術館と北京故宮につづくもの。来年も欧州での展示を計画しているようで、まさに世界に羽ばたく活躍ぶりです。


北京故宮 外看板



北京画院美術館 会場入口


それでは、今回展示の白石作品を所蔵する北京画院はさぞかし慌ただしいところかといえば、ちがっていました。画院は斉白石が晩年に初代名誉院長をつとめたことから、中国で最も多くの白石作品を所蔵する機関のひとつです。

北京市民の憩いの場である朝陽公園のすぐ近くにあり、その建物は北京の伝統的な居宅である四合院を模した趣をたたえています。


北京画院外観(左奥のビルが画院の美術館)


事務棟には四合院らしく中庭もあり、斉白石の胸像の横でオウムの「小翠(シャオツゥイ)」も飼われていました。


北京画院のオウム「小翠」


ときどき大きな声で鳴くので最初はびっくりしましたが、画院に勤務する学芸員や画家たちのアイドルとしてかわいがられていました。

近年、日本でも中国からの旅行客が増えています。隣国とはいえ、中国についてまだまだ知らないこともたくさんあります。芸術の秋、総合文化展の料金で(ということは京都の大報恩寺展、アメリカからのデュシャン展を参観したついでに)中国文化のいまにふれるのもお得かもしれません。

カテゴリ:中国の絵画・書跡特別企画

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posted by 呉孟晋(京都国立博物館列品管理室主任研究員) at 2018年11月22日 (木)

 

日中平和友好条約締結40周年記念 特別企画「中国近代絵画の巨匠 斉白石」開幕!

10月30日(火)、日中平和友好条約締結40周年記念 特別企画「中国近代絵画の巨匠 斉白石」が開幕しました。
会場は東洋館8室です。




皆様は画家である斉白石[せいはくせき]をご存知でしょうか。
日本人には馴染みが薄いかもしれませんが、
中国ではかなり知名度の高い、中国近代絵画を代表する巨匠です。

この展覧会では、中国にある北京画院が所蔵する斉白石の優品をご紹介します。

この展覧会は斉白石の絵画を花木、鳥獣、山水などの主題で6章に分けて展示し、
第7章で書と印を紹介しています。
また、画稿や日記、文具などの遺品も展示しています。

斉白石は様々な作品を手がけました。

魅力1
華やかな色づかい!


報道内覧会の様子。
左手の作品は斉白石が北京の西に住んでいるときに描いた「桃花源図」(展示期間:~11月25日(日))



斉白石は日々の生活の中で目にし、その中でふと心にとまった植物の美しさを表現に取り入れました。
華やかな彩色やみずみずしい墨面、闊達な筆線といった魅力に溢れている花木の表現にご注目ください。

魅力2
精密な描写


工虫画冊(第一図:白花と鳳蛾) 斉白石筆 中国 1949年 北京画院蔵 (展示期間:~11月25日(日))
絵具のにじみを生かして墨色豊かに仕上げた植物と、繊細に描きこんだ昆虫を組み合わせた画冊です



斉白石には簡素な描写の作品が多いと思われがちですが、触覚や脚、羽の文様など、
細かな特徴を正確に把握した精密な描写で描く作品もあります。昆虫の精密描写は、超絶技巧の極みです。
斉白石が虫の姿をよく観察していたことがうかがえます。

魅力3
語りかけるまなざし


雛鶏出籠図 斉白石筆 中国 20世紀 北京画院蔵 (展示期間:~11月25日(日))
愛くるしいヒヨコのまなざしにご注目ください



斉白石が描く鳥たちの特徴は、なんといってもこちらに語りかけてくるような鳥のまなざしです。
このような鳥たちのまなざしは、斉白石が敬愛する先人の画家が描く作品にも見られます。
先人への共感を鳥たちに込めたのかもしれません。

魅力4
独創的なデフォルメ


(右)執扇仕女図 斉白石筆 中国 20世紀 北京画院蔵 (展示期間:~11月25日(日))
(左)老当益壮図 斉白石筆 中国 20世紀 北京画院蔵 (展示期間:~11月25日(日))



斉白石は若いころ、写実的な肖像画や細密な美人画などを手がけていましたが、
後に単純な造形を好むようになりました。
愛らしく変形された身体でありながら、量感を的確にとらえている技巧には、
新鮮味を失わず、常に創造を求めている斉白石の心意気がうかがえます。

以上、斉白石の魅力を簡単にご紹介しましたが、ご紹介しきれていない魅力はまだまだあります。
この展覧会の作品はいずれも日本初公開、更には、総合文化展観覧料金でご覧いただけます。
会期は12月25日(火)まで、ぜひお見逃しなく。


※会期中展示替を行います。
前期:2018年10月30日(火)~11月25日(日)
後期:2018年11月27日(火)~12月25日(火)

カテゴリ:中国の絵画・書跡特別企画

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posted by 柳澤想(広報室) at 2018年11月02日 (金)

 

名品の名品たる所以―伝趙昌筆「竹虫図」の場合―

東洋館8室では、2018年8月28日(火)から2018年10月21日(日)まで、特集「中国書画精華-名品の魅力-」を開催しています。
毎年秋恒例の中国書画の名品展ですが、今年のテーマは名品の名品たる所以をわかりやすく紹介、ということですので、本ブログでは、伝趙昌筆「竹虫図」について、その魅力をお話してみようと思います。


重要文化財 竹虫図 伝趙昌筆 南宋時代・13世紀 (9月24日まで展示)


名品たる所以 その1 ―圧倒的な描写力―

この「竹虫図」は、今からおよそ800年前、13世紀に描かれたと考えられている作品です。大きく回転しながら竹が伸び、瓜、鶏頭が添えられ、間に、チョウやトンボ、イナゴ、スズムシ、クツワムシなどが遊びます。

日本では、10~11世紀に活躍したという有名な花鳥画家、趙昌筆として伝えられてきましたが、実際の作者の名前はわかっていません。
しかし、当時でも指折りの名人であったことは確実でしょう。

複雑に重なり交差しあう竹の細枝を見事に描ききり・・・、


「竹虫図」(部分:竹枝)

トンボの頭部の立体感、翅の文様まで細かに再現しています。


「竹虫図」(部分:トンボ) ※絹糸の織目が見えるくらいまで拡大しました。

鶏頭の花の色と質感を、様々な色の点描を重ねることで表し・・・、


「竹虫図」(部分:鶏頭)

瓜の葉の、深緑から黄緑に変わっていくグラデーションを丁寧に伝えます。


「竹虫図」(部分:瓜)


注目すべきは、金泥をごく限定的かつ効果的に使用する、洗練された感覚です。
これは12~13世紀の中国絵画特有のもので、本図では、チョウの翅の文様の一部、カゲロウの目、瓜の葉の上の小虫などに金が用いられ、控えめな輝きを放っています


「竹虫図」(部分:チョウ)


「竹虫図」(部分:カゲロウ)


「竹虫図」(部分:小虫)


名品たる所以 その2 ―他に現存例のない希少性―

草花の間に昆虫を散りばめる作品は、中国絵画史では「草虫」というジャンルに区分されます。
草虫図は10世紀ころから人気の画題となってきたようで、絵画の歴史書にも草虫図を得意にしたという画家の記述が出てきます。
ただ、このころの作品はほとんど残っておらず、比較的画面の大きい掛軸形式のものとしては、本図が現存最古の作例といえるでしょう。

14世紀以降、掛軸形式の草虫図の構図は形式化して、重要文化財「草虫図」のように、左右対称性を重視した静的なものがほとんどになっていきます。
一方、本図はモチーフを片側に寄せ、より動きのある画面を作っており、定型化する前の草虫図の表現がどのようなものであったかを私たちに教えてくれるのです。


重要文化財 草虫図(右幅) 元時代・14世紀 (9月24日まで展示)

また、白居易(772-846)が「竹の性は直」というように(「養竹記」)、基本的に竹はまっすぐであるべきだと考えられ、そのように描かれてきました。
しかし、ご覧のように、本図の竹は大きく曲がっています。これは他にあまり例がありません。


「竹虫図」(部分:竹幹)

歴史書には、10~11世紀にかけて活躍した劉夢松という花鳥画家が、曲がり竹をよく作っていたとあるので(『宣和画譜』「墨竹門」)、中国には、竹を曲げて描く伝統もあったようです。
しかし、そのような作品はほとんど残っておらず、曲がり竹の持つ意味も忘れられてしまいました。

竹の中には、実際に曲がって生える種類もあるようです。
書物には、仙人が杖を植えたところ、その場所の竹が曲がるようになり、僧侶たちがこれを杖にした、という記録(潛説友『咸淳臨安志』「安隠院」)や、「羅漢杖竹」(李衎『竹譜詳録』巻五)という種が紹介されています。


李衎『竹譜詳録』巻五「羅漢杖竹」

仙人や羅漢の杖と関連付けられることからも、曲がり竹には吉祥の意味があったと推定されます。
草虫図は基本的に、おめでたいモチーフから構成される画題であるので、本図もやはりそのような意味で曲がり竹を表したのでしょう。
竹を曲げて描く伝統を考える上で、本図は重要な手掛かりの一つとなりそうです。


名品たる所以 その3 ―大切にされてきた歴史―

本図の左上には、「雑華室印」という、室町幕府第6代将軍・足利義教(1394~1441)の所蔵印が捺されています。


「竹虫図」(部分:「雑華室印」白文方印)

その後も、足利将軍家ゆかりの宝物として大切に伝えられ、江戸時代には広島の大名・浅野家のコレクションにあったことが知られています。


「竹虫図」箱


「竹虫図」箱金具

この箱は浅野家であつらえられたものでしょうか。絵にあわせて、曲がり竹に様々な虫を配した、非常に手の込んだ作りの金具がつけられています。
真ん中のクツワムシがへこむようになっていて、ここを押さないと蓋が開けられないという凝りようです。

本図には、江戸幕府の御用絵師・狩野尚信(1607~1650)の鑑定書きが付属しています。狩野派の画家たちも熱心にこの絵の重要性を理解し、一生懸命勉強したのでしょう。
当館には、18~19世紀の狩野派の画家・笹山伊成(?~1814)の模写も残っています。


「竹虫図」狩野尚信鑑定書き


趙昌曲竹辟虫図 笹山伊成筆 江戸時代・18-19世紀 (本展では展示されません)

ここまで、伝趙昌筆「竹虫図」について、その1-圧倒的な描写力、その2-他に現存例のない希少性、その3-大切にされてきた歴史、という3つの観点から、名品の名品たる所以をご説明してきました。

特集「中国書画精華-名品の魅力-」には他にも、トーハクの誇る中国書画の名品がずらっと並んでいます。
ぜひ東洋館8室まで足を運んでいただき、それぞれの名品たる所以を考えていただければ幸いです。


本館8室 特集展示の様子

特集「中国書画精華-名品の魅力-」
東洋館 8室 2018年8月28日(火)~10月21日(日)
前期:8月28日(火)~9月24日(月)
後期:9月26日(水)~10月21日(日)
作品リストはこちらから

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室研究員) at 2018年08月29日 (水)

 

呉昌碩のミ・リョ・ク《続編》

このたび、15回目の節目を迎えた東京国立博物館と台東区立書道博物館連携企画「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―」(両館ともに2018年3月4日(日)まで)では、清時代の末から中華民国の初めにかけて一世を風靡した文人・呉昌碩の書・画・印や、硯・拓本を一挙に公開しています。呉昌碩の為人(ひととなり)と各世代の名品を概説した前半のブログを受けて、ここではピンポイントで呉昌碩のエピソードをご披露しましょう。

呉昌碩写真
僕の姿、全部見せます!
呉昌碩写真、中華民国10年(1921)、(呉昌碩78歳)
台東区立朝倉彫塑館蔵
展示:2018年1月4日(木)~3月4日(日)台東区立書道博物館


太平天国の乱で多くの家族を喪(うしな)い、辛うじて父と二人で生き延びた呉昌碩でしたが、25歳の時に父が逝去。その4年後に、呉昌碩は施酒(ししゅ)と結ばれるものの、安穏(あんのん)と郷里に暮らす経済力もなく、各地を転々として多くの師友と交わり、見識を広めていきました。模索時代の呉昌碩に、精神的にも技芸においても、温かい手を差し伸べた師友の一人が楊峴(ようけん)です。
楊峴もまた、太平天国の乱で次女以外の家族を喪い、捕虜となった次男の鴻煕(こうき)は行方が分からなくなる艱難(かんなん)を嘗(な)めていました。詩文書画はもちろん、鑑定にも造詣が深い楊峴を呉昌碩は師と仰ぎ、師弟の契りを結びたいと申し出ますが、楊峴は友人の関係が良いと、婉曲に断りました。楊峴は25歳年少の呉昌碩に、息子の姿を重ねていたのかも知れません。楊峴と意気投合した呉昌碩は39歳の時に家族を連れて、何と蘇州の楊峴の隣に転居、二人は創作の理念から体調不良時の漢方の処方に至るまで、ありとあらゆる事象を語り合いました。

行書缶廬潤目横披
明朗会計、この価格でお引き受けします。
行書缶廬潤目横披、楊峴筆、清時代・光緒16年(1890)、(呉昌碩47歳)
個人蔵
展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日)東京国立博物館


呉昌碩は44歳の時に、友人の資金援助を受けて上海県丞(けんじょう)の官職を買い、上海に転居します。しかし、小官の俸給だけでは生活もままならず、売芸によって糊口を凌いでいました。そんな呉昌碩を、楊峴が側面から支えた作例が行書缶廬潤目横披(ふろじゅんもくおうひ)です。潤目とは価格のことで、この価格一覧表には、例えば印は一文字6銭、極大印や極小印、質の悪い印材は受け付けない。書斎名の揮毫(きごう)は4円、ただし過大なものは受け付けない、などと書かれています。晩年、70代の呉昌碩は地位も名誉も手に入れ、何度も潤目を増訂していますが、この潤目は呉昌碩47歳、現存する最も若い作例です。書家・詩人として盛名を馳せていた楊峴が、若い呉昌碩のために揮毫した潤目は、大きな訴求力があったことでしょう。

牡丹図軸
楊峴先生の自宅で描きました。
牡丹図軸、呉昌碩筆、清時代・光緒21年(1895)、(呉昌碩52歳)
東京国立博物館蔵
展示:2018年1月30日(火)~3月4日(日)東京国立博物館

呉昌碩は56歳の時に、彼の官歴の中では最も高い地位となる安東県(江蘇省)の知事となりました。しかし、世事に疎(うと)い呉昌碩は上司や有力者への挨拶を怠ったため軋轢(あつれき)が大きくなり、わずか一ヶ月で辞職してしまいます。呉昌碩は、80日で官を辞した陶淵明(とうえんめい)の故事を踏まえて、「一月安東令」(一ヶ月だけ安東の知事を拝命した)という印や、「棄官先彭沢令五十日」(陶淵明より50日も早く辞職した)という印を書画に押して、芸苑を沸かせました。呉昌碩にとって、書画印のみで生計を立てる決意は大英断だったと思われますが、呉昌碩の書画はその後数年の間に、格段の進歩を遂げました。

「一月安東令」(『缶廬印存』より)
僕は一ヶ月で辞めました。
「一月安東令」(『缶廬印存』より)、呉昌碩刻、清時代・光緒25年(1899)、(呉昌碩56歳)
東京国立博物館蔵
展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日)東京国立博物館


張瑞図後赤壁賦識語
襟を正して書きました。
張瑞図後赤壁賦識語、呉昌碩筆、中華民国2年(1913)、(呉昌碩70歳)
台東区立書道博物館蔵
展示:2018年1月4日(木)~3月4日(日)台東区立書道博物館


70代は作品の注文が殺到し、中には凡庸な作も見受けられます。しかし歴代の書画に記した行草書の識語は、謹厳な書きぶりに玲瓏(れいろう)な響きをたたえる傑作ばかり。呉昌碩は、歴史の中の自分を見つめながら書いていたのでしょう。

今回の連携企画では、呉昌碩が渦中にあった19歳から、没年にあたる84歳まで、各世代の作品を展示しています。西欧から近代的な思想が輸入され、多くの知識人が新旧の相克に悩んでいた時、古き良き伝統の護持者となった呉昌碩。書・画・印など多分野にわたる作風の変遷を通して、激動の時代に生まれ合わせた呉昌碩が何を見つめ、筆墨に何を託そうとしたのか、清朝最期の文人と称される呉昌碩の琴線に触れてみてください。

図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―
図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―

編集・編集協力:台東区立書道博物館、東京国立博物館、台東区立朝倉彫塑館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
呉昌碩の書斎の立体見取り図など、付録も充実!
ミュージアムショップにて販売中。
※台東区立書道博物館、台東区立朝倉彫塑館でも販売しています。

 

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
トーハク、朝倉彫塑館、書道博物館の学芸員が書いています。展覧会を楽しく観るための一助として、ぜひご活用ください。

関連事業
「台東区と朝倉文夫」 2018年3月7日(水)まで。
台東区立朝倉彫塑館にて絶賛開催中!
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 富田淳(学芸企画部長) at 2018年02月02日 (金)

 

呉昌碩のミ・リョ・ク

このたび、15回目の節目を迎えた東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―」(両館とも2018年3月4日(日)まで)では、清時代の掉尾(ちょうび)を飾る文人・呉昌碩(ごしょうせき)にスポットをあて、若き模索時代から最晩年までの作品と、その関係資料を紹介しています。
展示総数は両館あわせて176点! 前期(2018年1月28日まで)と後期(2018年1月30日~3月4日)で、書、画、印、硯、拓本を一挙公開!! というスペシャル企画です。
当ブログでは、2回に分けて呉昌碩の魅力をお伝えいたします。
前半戦では、呉昌碩の人となりについて概観したいと思います。

呉昌碩像軸 任伯年筆 清時代・光緒12年(1886) 個人蔵
親友・任伯年に描いてもらった僕の姿
呉昌碩像軸 任伯年筆 清時代・光緒12年(1886) 個人蔵 (呉昌碩43歳)
[展示:2018年1月30日(火)~3月4日(日) 台東区立書道博物館]


呉昌碩は、清時代の道光24年(1844)8月1日(新暦9月12日)、湖州安吉(あんきつ)県(現在の浙江(せっこう)省湖州市安吉県)で生まれました。
初名を俊(しゅん)、のちに俊卿(しゅんけい)といい、中華民国元年(1912)、69歳の時に昌碩(しょうせき)と改めました。字(あざな)は蒼石(そうせき)・倉碩(そうせき)、号は苦鉄(くてつ)・缶廬(ふろ)・大聾(たいろう)のほか20余種を用いました。
サブタイトルにある苦鉄は41歳から用いた号で、「苦鉄」と自ら刻した印の側款(そっかん)に、「苦鉄は良鉄なり」とあります。
呉昌碩は幼少から私塾に通い勉学に精を出しますが、17歳の時に太平天国の乱が起こり、21歳まで凄惨(せいさん)な避難生活を強いられます。

斉雲館印譜 呉昌碩作 清時代・光緒2年(1876) 東京国立博物館蔵
壮絶な避難生活にもめげず、高いこころざし!
斉雲館印譜 呉昌碩作 清時代・光緒2年(1876) 東京国立博物館蔵 (呉昌碩33歳)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]

しかし苦難の中でも学問への熱意は忘れず、芸苑の名士たちと交流を持ち、古印や書跡、青銅器などを鑑賞する機会を得て少しずつ見識を広めていきました。
不屈の精神で次第に書・画・印の才能を開花させていくその姿は、まさに苦鉄は良鉄なりの言葉そのものです。

彝器款識冊 呉昌碩筆 清時代・光緒12年(1886)頃 個人蔵
楊峴(ようけん)先生と一緒に鑑賞
彝器款識冊 呉昌碩筆 清時代・光緒12年(1886)頃 個人蔵 (呉昌碩43歳頃)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 台東区立書道博物館]


56歳で安東(あんとう)県(現在の江蘇(こうそ)省漣水(れんすい)県)の知事となりますが、腐敗した官界に耐えられず僅か1ヵ月で辞職します。
その頃すでに盛名を馳せていた呉昌碩は書画篆刻(てんこく)で生計を立て、旺盛な創作を展開しました。
上海に定住してからの16年間は老練の筆致が燦然(さんぜん)と輝き、時代を画する活躍を見せます。

墨梅自寿図軸 呉昌碩筆 中華民国14年(1925) 東京国立博物館蔵
ハッピーバースデー僕 With P(Plum)
墨梅自寿図軸 呉昌碩筆 中華民国14年(1925) 東京国立博物館蔵 (呉昌碩82歳の誕生日)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]



中華民国16年11月6日(新暦11月29日)、上海北山西路吉慶里(きっけいり)の自室にて84歳の生涯を閉じました。

行書王維五言句横披 呉昌碩筆 中華民国16年(1927) 個人蔵
最期にたどり着いた、悟りの境地
行書王維五言句横披 呉昌碩筆 中華民国16年(1927) 個人蔵 (呉昌碩84歳)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]


呉昌碩は、終生にわたって紀元前5世紀ごろの古代文字である石鼓文(せっこぶん)の臨書に励み、その風韻(ふういん)を書・画・印に結実させました。
また、若い頃に鑑賞した多くの金石資料にも刺激を受けて、自分なりの作風を築き上げています。
今回の展示では、呉昌碩が石鼓文以外の金石拓本にも幅広く目を向けていたという新資料を公開し、新たな呉昌碩像をお示しします。

臨散氏盤銘軸 呉昌碩筆 清時代・19~20世紀 個人蔵
ウブな僕の金トレ時代
臨散氏盤銘軸 呉昌碩筆 清時代・19~20世紀 個人蔵
[展示:2018年1月2日(火)~1月28日(日) 台東区立書道博物館]


呉昌碩は安吉という地方出身であり、田舎特有の泥臭さが詩・書・画・印において生涯染みわたっていますが、その不器用さとスケールの大きさ、そしてそこに金石の気が加わり、剥蝕(はくしょく)の味わいをもって新しい自分を見出して突き進んでいったところが呉昌碩の良さであり、凄さなのだと思います。
呉昌碩の師である楊峴が、そういう生き方でいい、自分のやり方で伝統をつくり、それを押し通すことが大事なのだ、と後押ししてくれたことも、心の支えになったことでしょう。

かつて篆刻家の小林斗盦(とあん)は、呉昌碩を「偉大なる不器用」と評しました。
呉昌碩のたくましい生きざまと作品に見え隠れする退廃的な美は、華やかだった清朝の文化が崩れていく最期のひと花だったのかもしれません。
清朝最期の文人は、多くの人々を魅了しつづけ、今日に至っています。

 

図録 呉昌碩とその時代-苦鉄没後90年-
図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―

編集・編集協力:台東区立書道博物館、東京国立博物館、台東区立朝倉彫塑館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
ミュージアムショップにて販売
※台東区立書道博物館、台東区立朝倉彫塑館でも販売しています。

 

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
トーハク、朝倉彫塑館、書道博物館の学芸員が書いています。展覧会を楽しくみるための一助として、ぜひご活用ください。

関連事業
「呉昌碩と朝倉文夫」2018年1月5日(金)~2018年3月7日(水)
台東区立朝倉彫塑館にて絶賛開催中!


 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2018年01月10日 (水)