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必見!東博が所蔵する世界の旧石器時代の石器

会期も残すところわずかとなった特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」(平成館企画展示室、8月23日(日)まで)。
本展のみどころのひとつに、世界の旧石器文化の展示があります(4章 世界の旧石器文化)。

「4章 世界の旧石器文化」の展示風景
 
東京国立博物館には、世界中の旧石器・新石器時代の石器が収蔵されており、本展で展示している石器は主にH・W・シートン=カー(1859-1938)による寄贈品です。シートン=カーはインド生まれのイギリス人で、若い頃にイギリス陸軍に所属していました。退役後は探検家・冒険家として世界各地を旅行して旅行記にまとめるかたわら、先史時代の石器蒐集に情熱を注いだ好古家でした。彼は主にインドやアフリカ北部で活動していました。現在では人類発祥の地として知られるアフリカ大陸。19世紀当時はまだ人骨も石器も発見されておらず、旧石器時代は存在しないとされていました。そんな中、シートン=カーはアフリカ東部のソマリアで集めた石器をイギリスの著名な考古学者ジョン・エヴァンス(クレタ島のクノッソス遺跡を発見し、線文字を解読したアーサー・エヴァンスの父)に送りました。何度かのやり取りの末、エヴァンスは旧石器であることを認める論文を執筆します。これによって、アフリカに旧石器時代が存在することが明らかになったのです。
 
この話、岩宿遺跡を発見した相澤忠洋氏とよく似ています。学界の常識を打ち破るのは、ひとえに情熱だということをよく示すエピソードです。
 
本展では世界の旧石器文化の大きな流れをたどるうえで、うってつけの資料を展示しています。前期旧石器時代を代表する石器のハンドアックスやクリーヴァーは、動物を解体したり、骨を打ち割って骨髄を食べたりする際に用いるなど、何にでも使っていたようです。あわせてイギリスやフランスのハンドアックスも展示しています。
 
(右3点)ハンドアックス (左)クリーヴァー
インド採集 前期旧石器時代・前150万年~前20万年 H・W・シートン=カー寄贈 
 
イギリスやフランスのハンドアックス
 
中期旧石器時代は、ルヴァロア技法による石核や剥片を展示しています。「ルヴァロア」とは、フランス・パリ郊外の地名で、この石器がまとまって発見された場所にちなんでいます。大学で考古学を学ぶと授業で必ず習うルヴァロア技法ですが、実際の資料を見たことがある人は少ないと思われます。
 
(上3点)ルヴァロア石核 (下)剝片
ソマリア採集 中期旧石器時代・前20万年~前5万年 H・W・シートン=カー寄贈
 
後期旧石器時代を代表する石刃技法を示す、石核と石刃。1つの石の塊から、たくさんの石刃(細長い長方形で、形の整った石の欠片)を打ち割ることができるようになります。この石刃をそのまま刃物として用いる場合もありますし、加工して道具に仕立てる場合もあります。効率的かつ多量に石器を作ることができるようになった点が、後期旧石器時代の大きな特徴です。
 
(右)石核 (左6点)石刃
フランス、ソンム県 ベロイ・シュル・ ソンム遺跡採集 後期旧石器時代・前1万1,000年~前1万年 H・W・シートン=カー寄贈
 
ここまで紹介してきた世界の旧石器資料ですが、H・W・シートン=カーによって、当館に寄贈されたのは明治38年(1905)。実は岩宿遺跡が発見されるよりも40年以上前に収蔵されました。岩宿遺跡の報告書には、当時最新のヨーロッパの石器研究を参照したことが書かれており、本来であれば岩宿遺跡の発掘や、その後の研究を進めるうえで格好の比較資料となったはずです。しかし、残念なことに旧石器時代を専門とする研究者がいなかったこともあり当館の所蔵品は知られていなかったようです。
展示室で、岩宿遺跡の石器と世界の旧石器時代の石器を見比べができるのも本展ならではです。
 
当館は、日本やアジアの所蔵品を中心に展示していますが、本展では、フランスやイギリス、オーストラリアなどの旧石器時代の石器もご覧いただけます。
世界の旧石器文化の流れを一覧できるまたとない機会ですので、ぜひ展示室でご覧ください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 飯田茂雄(特別展チーム主任研究員) at 2026年08月18日 (火)

 

子どものためのギャラリートーク「仁王像をみてみよう」

東京国立博物館(以下、トーハク)では、毎年7月に子ども(0歳~中学生対象)向けのイベント「トーハク・キッズデー」を開催しています。
今年は7月24日(金)と25日(土)に開催し、大勢のお客さまにご来場いただきました。今年度は毎月第4日曜日に「プチ・キッズデー」も開催しておりますので、キッズデーを見逃した方、リピートされたい方はぜひ足をお運びください。

彫刻担当の研究員であるわたしも、仏像をテーマにしたギャラリートークを行ないました。
仏像というと、子どもたちにはあまりなじみがないかもしれません。ぜひこの機会に仏像に親しんでほしい!と思って選んだのは、本館1室でお客さまをお迎えしている仁王像です。
 
本館1室に展示されている金剛力士立像(通称、仁王像)右から阿形、吽形 平安時代・12世紀 通年展示
 
最初に「仏像って知ってますか?」と聞くと、「ハイ!」と威勢よく手があがります。では、「仁王さまを見たことあるひと?」と続けると、さすがにちょっと減りますね。ただ、それなりの大きさのお寺に門があれば、そこに仁王像が安置されていることは珍しくありません。しかも、お堂のなかを拝観できるとは限りませんが、門が通れないお寺はまずありませんので、仁王像は仏像入門にうってつけです。
 
まずはじっくり見てほしいので、ポーズをマネしてもらいます。右足をちょっと前に出して、左手は振り上げて…、ちゃんとやろうと思うとなかなかたいへんです。
 
仁王像のポーズをマネしている様子
 
でも、左手のマネをしているうちに、みんな「手になにか持ってる!」と気づいてくれました。金剛杵(ヴァジュラ)と呼ばれる武器です。さらに、どんな服装でしょうか?「はだか!」「マッチョ!」と自由なコメントが飛び交います。武器を持っていて、筋骨隆々であることに注目できれば、もう仁王像のヒミツはわかったも同然です。
 
ここまでは、口を開けている阿行(あぎょう)だけ見てもらっていましたが、左側にあるもう1体の仁王にも注目しましょう。表情を見比べると、みんな「どっちも怖い」「怒ってる!」と言いつつ、「あ、口を閉じてる!」と、阿吽(あうん)の違いにも気づいてくれました。もともと仁王はブッダのボディガードだった金剛力士(ヴァジュラパーニ。金剛杵を持つ者という意味で、執金剛神【しゅこんごうじん】とも)がモデルです。インドではブッダのそばに1体あらわされていましたが、仏教が中国から日本まで伝わってくる間に、金剛力士は2体あらわされるようになり、口の開閉で区別するようになりました。阿吽の違いが出るのは獅子や狛犬も同じなので、みんなきっと神社でも見てくれるはず。
 
門に置かれた怖い顔の仁王像は、まさにお寺のボディガード、ガードマンです。持物や服装も、すべてその仁王像の役割を明らかに示している訳ですね。
 

子どもたちの真剣なまなざしを受けて、解説にも熱が入ります
 
最後に、なぜお寺の門にあるはずの仁王像が博物館にあるのでしょうか?
もともと滋賀のお寺にありましたが、台風で仁王門が倒壊し、仁王像もバラバラになってしまったところ、地域の人たちが部品をすべて大切に保管していたおかげで、立派に修理できたのです。縁あって当館へお迎えした仁王像ですが、仏像をはじめとする文化財は大切に保管し、定期的に修理しなければ維持できないことに触れて、ギャラリートークは終了です。15分では語りきれない、もりだくさんの内容ですが、何かひとつでも記憶に残ってくれたら担当者としては本望です。
 
仁王像についての詳しい説明は、こちらのリーフレットもぜひご覧ください(配布は終了しています)。貴重な修理写真も掲載しています。また、わかりやすい解説動画もあります。
 
 
仁王像は、トーハクの彫刻を代表して、いつでも本館1室でみなさまをお待ちしております。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 西木政統(子どもファースト推進チーム主任研究員) at 2026年08月12日 (水)

 

石器と蒔田鎗次郎

平成館企画展示室では現在、特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」(8月23日(日)まで)を開催しています。

本展のタイトルは「ビフォー縄文」ですが、今回本ブログで取り上げる人物は「アフター縄文」(弥生時代)の研究者である蒔田鎗次郎(まいだそうじろう)です。
本展では、蒔田ゆかりの(1)ナイフ形石器や(2)模造 石鏃(せきぞく)を展示しています。
 
ナイフ形石器の展示風景
 
模造 石鏃の展示風景
 
そもそも蒔田鎗次郎とは、明治20年~30年にかけてのたった10年弱という短い期間に活躍した在野の考古学者で、「弥生式土器」(弥生土器)を初めて論文に活字化した人物としても知られています。現在の考古学的な分析方法とも重なる視点から土器を分析し、当時の弥生土器研究を飛躍的に進めました。
そんなこともあってか、現在でも彼の研究の足跡を「推し活」する弥生時代・文化研究者が後を絶ちません。
 
(1)ナイフ形石器
ナイフ形石器(蒔田の報告では「石鎗(いしやり)」)は、明治31年(1898)7月18日に蒔田によって弥生土器とともに田端西台通遺跡の「竪穴」住居の底から一緒に発見・採集されました。この成果を根拠に蒔田は弥生時代が石器と金属器の併用された金石併用時代であると提言したのです。
ただし、現在ではこの「石鎗」は形態や石材の特徴から後期旧石器時代のものと考えられ、弥生時代の竪穴住居にナイフ形石器が紛れ込んだものと考えられています。
当時の考古学者は旧石器時代の存在こそ知っていましたが、それは世界史(欧州)のなかのこと。日本史のなかにその存在があるかどうかさえ、まだまだ考えが及んでいませんでした。本格的に日本で旧石器時代の探求や議論がはじまるのは、もう少しあとのことです。
 
ナイフ形石器(表)
東京都北区 田端西台通遺跡出土 後期旧石器時代・前3万3,000年 徳川頼貞寄贈(蒔田鎗次郎旧蔵) 東京国立博物館蔵
 
ナイフ形石器(裏)
蒔田によって採集場所や採集日が丁寧に朱書きされ、考古遺物に対する彼の誠実な人柄をうかがうことができます。
 
(2)模造 石鏃
蒔田はモノクロ写真に手作業で色付けする絵付師を仕事としていました。写真の撮影や写生にも長けていたようで、『世界風俗写真帖』や『東京家禽(かきん)雑誌』には蒔田の手による写真や写生が掲載されています。
 
さて、模造石器については、蒔田自身は何も記していないため詳細は不明です。ただ模造石器を納めているブリキの標本箱は、二条基弘(にじょうもとひろ)公爵によって設立された日本最初期の私立博物館である銅駝坊陳列館(どうだぼうちんれつかん)で使用されたものと同じということが注目されます。おそらく、二条の学術的な指南役であった坪井正五郎(つぼいしょうごろう)もしくは同館の資料収集や整理を委嘱されていた野中完一(のなかかんいち)からの依頼で蒔田が作ったものと考えられます。
彼らは東京人類学会(現、日本人類学会)の研究仲間でもあったので、蒔田の観察力の高さや手先の器用さを見込んで頼み込んだのではないかと思っています。そして、同じく研究仲間であった白井光太郎(しらいみつたろう)や佐藤傳蔵(さとうでんぞう)らの知見も盛り込まれていたでしょう。
 
これらの模造は石とガラスとで作り分けられていることからも、本来は何かしらの目的があって作り分けられたはずです。
その理由は判然としませんが、黒曜石製の模造石鏃だけを見ても石材や形態、そして製作技術を踏まえ作られたことがよくわかり、当時の石器研究の一つの到達点が表れているとも言えます。
 
模造 石鏃(ガラス製)
蒔田鎗次郎製作 明治時代・19~20世紀 徳川頼貞寄贈 東京国立博物館蔵
 
模造 石鏃(石製)
蒔田鎗次郎製作 明治時代・19~20世紀 徳川頼貞寄贈 東京国立博物館蔵
産地が異なる黒曜石を使い分けて、縄文時代早期から晩期の各種の石鏃を模造していることがわかります。
 
日本における旧石器時代発見前の石器研究の様子を知ることができる貴重な資料ですので、夏休みのこの機会にぜひご覧ください。
本展のあとは、向かい側の考古展示室にも足をお運びいただき、旧石器時代から江戸時代までの日本の考古資料をお楽しみください。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 品川欣也(展示企画グループリーダー) at 2026年07月22日 (水)

 

博物館で蓮を観る

絵画史の勉強をしていた大学院生の頃、「どこにどんな研究のヒントやきっかけが落ちているかわからない」と思い、いろいろな展覧会を見て歩き、行ったからには一通りの展示品を見ることにしていました。
お経の本文はさすがに読みませんが(『大正新修大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)』に活字化されているので)、奥書を読んでみたり、くずし字の古文書を読んでみたり、展覧会で随分と勉強しました。
当時工芸品には然程(さほど)興味がなかったのですが、ある時密教法具の金剛鈴(こんごうれい)を眺めていて、把(つか)と呼ばれる持ち手の部分に蓮の装飾が施されていることに気付きました。
「意外と細かいところまで凝った細工がしてあるのだな」と思い、それからは大して時間をかけて見ていなかった工芸品も隅々まで見るようにしました。

その甲斐あってか(?)、工芸品の担当で奈良国立博物館に採用され、東京国立博物館でも金工品を中心に展示や調査研究、教育普及を行っています。
 
そんなことがきっかけだったので、賢明な皆様は既にお気付きなのだと思いますが、「どこを見たらいいのかわからない」「そもそも何だかわからない」という方にも仏教工芸の魅力を知っていただきたく、今回、特集「仏教の花―蓮と宝相華(ほうそうげ)―」(本館4室、8月30日(日)まで)という展示を企画しました(図1)。
 
(図1)「特集 仏教の花―蓮と宝相華―」の展示風景
 
仏教が生まれたインド以来、時空を超えて仏教美術とともに歩みを進めてきた蓮の造形を、日本の工芸品の中に探してみましょう。

まずはこちら、蓮の花を斜め上から見た様子をそのままかたどっています(図2)。
 
(図2)金銅蓮華形磬(こんどうれんげかたけい)
鎌倉時代・13世紀
 
磬(けい)という仏具で、法要の合間に合図のために撥(ばち)で打って鳴らす道具です。
ちょうど真ん中の花托(かたく)の部分(仏教美術では蓮肉といいます)を叩くのでしょうか。通常は磬架(けいか)と呼ばれる架台に掛けられますが、掛け紐を通すための孔(あな)が、飛び出した蓮の蕾(つぼみ)(蓮蕾)のところに開けられています。蓮でまとめたお洒落な意匠です。
 
同じく蓮でまとめたコーディネートはこちら(図3)。
 
(図3)銅蓮華形柄香炉(どうれんげがたえごうろ)
鎌倉時代・13世紀 香取秀治郎氏寄贈
 
柄香炉(えごうろ)という仏具で、法要の際に僧侶(そうりょ)が手に執って焼香するための道具です。
手に持ちやすいように長い柄が付いているのですね。よく見ると香を焼(く)べる火炉は蓮の花(蓮華)、柄は蓮の茎(蓮茎)、火炉の脇には蓮の葉(荷葉)があしらわれています。日本では鎌倉時代以降に見られる形式で、類品から、かつては蓮肉(れんにく)をあしらった蓋が付いていたと考えられます。香は灯火、花とともに仏を供養するのに最上とされましたので、一石二鳥を狙ったのかもしれません。
 
そして私が仏教工芸に興味を持つきっかけとなった金剛鈴がこちら(図4)。
 
(図4)金銅五鈷鈴(こんどうごこれい)
平安時代・12世紀
 
先が五叉(ごまた)に分かれた五鈷鈴(ごこれい)というタイプの鈴で、祈祷の際に振り鳴らして仏を呼び覚まし、歓喜させる役割の道具とされます。
その持ち手には蓮弁飾りと呼ばれる蓮の花弁を紐で束ねたかたちの装飾が施され、よく見ると花弁の先には雌蘂(めしべ)(蓮蘂)が表されています(図5)。
 
(図5)金銅五鈷鈴の部分図
 
仏を花で供養するために、仏教と深く関わる蓮が採り入れられたのでしょう。仏教美術では「荘厳(しょうごん)」ということばが使われますが、隅々まで飾り立てることで仏を敬い、供養するのです。
 
金剛鈴の持ち手を挟んで鈴とは反対側、鋭く尖った鈷と呼ばれる部位を両端に備えたのが金剛杵(こんごうしょ)です。
人間の煩悩(ぼんのう)を打ち砕き、邪悪な存在を阻む役割の道具で、古代インドの武器を原形にしています。どうりで厳(いか)めしいかたちをしています。こちらも金剛鈴と同じように、中央の持ち手のところに蓮弁が飾られています(図6・7)。
 
(図6)金銅五鈷杵(こんどうごこしょ)
平安時代・12世紀
 
(図7)金銅五鈷杵の部分図
 
密教の法具では、ほかにも羯磨(かつま)や輪宝(りんぽう)、六器(ろっき)など多くの品に蓮の意匠が採り入れられています。
六器は器の側面に蓮弁が見えますが(図8)、台も上から見た八弁(八葉)の蓮華形なのですね(図9)。
 
(図8)金銅六器(こんどうろっき)
鎌倉時代・13世紀
 
(図9)金銅六器の台
 
器の底裏に付く高台(こうだい)を受ける立ち上がりには蓮蘂(れんずい)を表す刻みが施されていて、細部まで凝っています。本物に似せようという職人の心意気、あるいは仏のために、人の目が届きにくいところをも飾り立てようとする「荘厳」の意識が発露しているのでしょう。
 
羯磨(図10)や輪宝(図11)は、会場に拡大写真を置いたりしていますので、是非ご自身で探してみて下さい。
ヒントは、真ん中、それから両方とも金剛杵と共通するかたちの部分があるということです。
 
(図10)金銅羯磨(こんどうかつま)
鎌倉時代・13世紀
 
(図11)金銅輪宝(こんどうりんぽう)
鎌倉時代・13世紀
 
会場には、金色や黒っぽいもののほかにも、赤い紅蓮華(ぐれんげ)をかたどった品もあります。
華籠(けこ)という、法要の際に場を清めるために撒(ま)く花(大抵は紙製の蓮弁)を入れる浅い容器です(図12)。
 
(図12)紙胎漆塗彩絵華籠(したいうるしぬりさいえけこ)
鎌倉時代・13世紀
 
こちらは八弁(八葉)の蓮華を表しており、蓮肉や蓮蘂も、実物のように表されています。
しかしながらよく見ると、花弁の間に金剛杵の一種である三鈷杵(さんこしょ)がのぞいているのがわかります。ただごとではない感じですね。
これは、密教の説く世界を絵に表した両界曼荼羅(りょうかいまんだら)のうち、胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅の中心にある中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)(図13)を模したものであると考えられます。蓮弁の上に密教の中心的な八尊の仏を表した胎蔵界曼荼羅の中心部ですが、そのかたちを借りたのですね。
ほかにもまだ気付いていない、こうした秘密が隠されているかもしれません。
 
(図13)両界曼荼羅(りょうかいまんだら)のうち胎蔵界・中台八葉院(たいぞうかい ちゅうだいはちよういん)
鎌倉時代・14世紀
(注)現在は展示していません。
 
広い館内、時間も限られていますが、少し立ち止まって、目を凝らして見てみると、何か新しい気づきや発見があるかもしれません。
本特集は小さな展示ですが、国宝5件、重要文化財7件と選りすぐった構成ですので、お盆も近いことですし、涼みがてらご観覧いただければ幸いです。
 
ところで、この展示では蓮と仏教の繋がりをテーマにしていますが、何と蓮の意味はそれだけではないのですね。東洋館4階8室「中国の絵画」では「蓮―文人のこころ」という展示を行っています(7月26日(日)まで)。蓮は仏教を象徴する花であるだけではなく、東アジアでは清廉な君子(くんし)(理想の人物)の象徴でもあるのですね。
 
展示室で蓮の様々な側面にふれた後は、是非庭園の池の蓮(図14)も眺めてみて下さい。
 
(図14)本館北側庭園の池の蓮
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 清水健(東博コレクション展チーム主任研究員) at 2026年07月14日 (火)

 

とある狸の栄枯盛衰ものがたり チェスター・ビーティーの物語絵 傑作選

特別企画「アイルランド チェスター・ビーティー・コレクション 絵巻と絵本のたからばこ」(会期:7月20日(月・祝)まで)も、後期展示では狩野山の「長恨歌絵巻」は巻下に、伝岩佐又兵衛筆の「村松物語絵巻」は後半部に場面替えとなりました。


長恨歌絵巻 巻下(部分)展示風景 狩野山雪筆 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー



村松物語絵巻(部分)展示風景 伝岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵

チェスター・ビーティー卿がコレクションを形成したのは20世紀初頭のこと。この頃の日本は、江戸時代までの大名家などが多くのコレクションを手放し、今では国宝や重要文化財になってもおかしくない名品の数々が海を渡りました。ただ、この頃も16-17世紀の物語絵を積極的に収集するコレクターは少なく、ビーティーが多くの日本美術の中でもこの分野に目を付けたのはまさに慧眼だったと言えます。現在、日本の物語絵のコレクションでは、チェスター・ビーティーはヨーロッパ随一と言っていいでしょう。
 
チェスター・ビーティー卿 Images courtesy of the Trustees of the Chester Beatty Library, Dublin

今回、25点の作品をお借りして展覧会を開催することになりましたが、どれもこれもおもしろい作品ばかり。ここで全点を紹介したいところですが、そうもいきませんので、何回か本展のお話をさせていただく中で最も「ウケ」のよかった「十二類合戦絵巻」をご紹介したいと思います。
本展ではクライマックスの巻下を展示していますが、巻上、巻中のあらすじは以下のような感じです。ある時、十二支が歌合(うたあわせ)をすることになり鹿に判者を依頼します。評判も良かったのでもう一度鹿に依頼しますが、鹿は辞退。そこで狸が登場し、自分がやりますと申し出ますが、十二支から散々な目にあいます(以下、狸寄りの目線でストーリーを紹介していきます)。
 
 
ひどい仕打ちです。これでは十二支も恨まれて仕方ありません
十二類合戦絵巻 巻上(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。

怒ったは、十二支に入れてもらえない動物たち語らって、ひと戦しようと持ち掛けます。
 
 
狸軍評定(ひょうじょう)の様子。狐、熊、猫、鷲などが集結。その眼には、日頃から動物界でスポットライトのあたる十二支への怒りが見えます。画中に書かれたセリフでも、かなり辛らつに十二支を批判しています。
十二類合戦絵巻 巻上(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
狸軍は十二支軍に奇襲をかけるなど、当初善戦しますが、愛宕山(あたごやま)の城に立てこもり、十二支軍を迎え撃つことになりました。その戦口上で興味深いのが、鼠と猫が言い合いをしているところです。
画面の上部、左から3番目にいるのが鼠です
 
猫はどちらかと言うと虎に見えます
いずれも十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)本場面は現在展示中です(7月20日まで)
 
実はこの「十二類合戦絵巻」、室町時代に第一弾が作られ、本作はそれに基づき描かれたものです。室町時代のバージョンでは、犬と猫の言い合いになっています。やはり猫の相手としては鼠が相応しいと、ストーリーを若干改変したのでしょう。その後、狸軍の城の背後から、龍が空から奇襲をかけ、狸軍はあっさり敗北します。
 

龍のこの攻撃は反則ですね

十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)本場面は現在展示中です(7月20日まで)
 
悔しい狸は鬼の姿に化け、十二支たちを脅かそうとするのですが、通りがかりの野良犬にすら正体を見破られる様です。
 
水鏡に映った鬼の姿を見て満足気な狸ですが、すぐに犬に吠えかけられます
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵 
(注)こちらの場面は展示されておりません。

これ以上無茶をしても仕方ないと思った狸は妻子を捨て、出家するというお話です。
 
妻子を捨てるというイメージは、実は古い物語絵にネタ元があります
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 
江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 

お坊さんに頭を剃ってもらう狸
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
踊念仏する狸。腹鼓で拍子をとっているようです。頭頂部のみ剃髪しています
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
いっぱしの修行者になった狸。「ドヤ顔」ですね
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
人間を主人公とした物語絵でも主題となる、歌合、合戦、出家など、様々な要素を盛り込んでこれを動物に置き換えた、まさにファンタジーあふれる作品です。「真面目にふざける」面白さというものが満ち満ちています。こうした昔の絵巻は話がよく分からない、難しいと敬遠されがちですが、この面白さは制作から400年近くたった現代の私たちにも共感されるものです。
このように楽しく、面白い物語絵がこの展覧会では会場にあふれています。日本では、1988年にチェスター・ビーティー・コレクションの展覧会が開かれて実に38年ぶりの大規模な展覧会です。残り少ない会期ですが、どうぞこの貴重な機会に、日本の豊かな物語絵の世界をご堪能ください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特別企画

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posted by 土屋 貴裕(美術部門絵画班) at 2026年07月09日 (木)

 

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