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必見!圧倒的な数の青銅器

日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」がついに開幕しました。今回は出品作品のうち島根県出雲市荒神谷(こうじんだに)遺跡出土の青銅器を紹介しましょう。

本展では荒神谷遺跡出土の銅剣358本中168本、銅矛16本中16本すべて、銅鐸6個中5個のあわせて189点を展示しています。これだけの数の青銅器が東京でご覧いただけるのは約20年ぶりの機会です。島根県雲南市加茂岩倉(かもいわくら)遺跡出土の銅鐸とともに展示室を埋め尽くすかごとくに整然と並んだ様子は圧巻です。


国宝 銅剣(どうけん) 
島根県出雲市 荒神谷遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀 文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)



国宝 銅鐸(どうたく) 
島根県雲南市 加茂岩倉遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀 文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)

荒神谷遺跡は昭和59(1984)年に農道工事にともなって発掘調査が始まりました。その成果は「定説を覆す」、「教科書を書き換える」とまで評価されています。


荒神谷遺跡における銅剣の出土状況

荒神谷遺跡から出土した銅剣の数は358本。それまで発見された弥生時代の銅剣の数は約300本でしたので、その圧倒的な数はすぐに大きな話題となりました。荒神谷遺跡出土品はまずその数で多くの人を驚かせたのです。
銅剣発見の翌年、今度は銅鐸と銅矛が一緒に出土し、再び多くの人々の注目を集めました。しかも銅矛が一カ所からの出土した数としては最多の16本というものでした。
一般に、銅鐸は近畿から東海、銅矛は北部九州から四国南部から多く出土します。分布の中心から外れた荒神谷遺跡での発見は、弥生時代の出雲に大きな勢力が存在したことを示すとともに、当地で北部九州や近畿と深い交流が行われていたことを裏付けたのです。


荒神谷遺跡おける銅鐸と銅矛の出土状況

さて、大量に出土した銅剣はいずれも山陰を中心に分布する中細形(なかぼそがた)銅剣c類と呼ばれるもの。長さ約50㎝、重さ約500ℊと規格性の高いもので、多くは茎(基部)に×印が刻印されています。その規格性の高さと他遺跡から出土する中細形銅剣c類に×印の刻印がないことから、荒神谷遺跡の銅剣は、比較的短い期間に製作から埋納まで一括して取り扱われたものと考えられています。展示室では祭器として使うよりも埋納を前提に作られたとも考えられるこれらの銅剣の薄さにも注目ください。


荒神谷遺跡出土銅剣に刻まれた×印

一方、出土した銅鐸は菱環鈕(りょうかんちゅう)式銅鐸と外縁付鈕(がいえんつきちゅう)式銅鐸、銅矛は中細形銅矛、中広形(なかびろがた)銅矛と複数の種類からなります。銅鐸の内面はいずれも突帯(とったい)がすり減っているために、比較的に長期間振り鳴らされたものと考えられています。また同じ鋳型で作られた外縁付鈕銅鐸が京都府や淡路島などで確認されています。銅矛は、荒神谷遺跡を除き山陰での出土例はないため特異な存在とも言えます。また研ぎ分けされ、綾杉状の装飾をもつ銅矛もあることか佐賀平野など北部九州で作られたと考えられています。

なぜ、このような異なる来歴をもつ銅剣、銅鐸、銅矛が荒神谷遺跡に一括して埋納されたのか、いまだにその理由ははっきりとわかっていません。加茂岩倉遺跡とともに弥生時代を代表する遺跡として知られる荒神谷遺跡。その発見はたった30年ほど前のことです。特別展「出雲と大和」に足をお運びいただき、日本の考古学界を揺るがせた発見に是非触れてみてください!

日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」

平成館 特別展示室
2020年1月15日(水) ~ 2020年3月8日(日)

 

カテゴリ:2019年度の特別展

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posted by 品川欣也(考古室長) at 2020年01月24日 (金)