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三国志の時代の武器

特別展「三国志」では、三国志の時代(後漢時代末から三国時代)の武器も多数展示しています。
では、三国志の時代の英雄豪傑達は、どのような武器を使ったのでしょうか。


三国故事図(さんごくこじず)より、馬超(ばちょう)は渭水(いすい)にて曹操を追撃、許褚(きょちょ)が馬の鞍で矢を防ぐ様子を描いた場面
絹本着色 清時代・18~19世紀
天津博物館蔵


三国時代が終わって間もなく書かれた歴史書である『三国志』には、武器に関しては、拍子抜けするくらいわずかな記述しかありません。
『三国志』からわかるのは、弓や弩(ど)が多用されたことと、城攻めの特殊な兵器が工夫された(実態は不明)ことくらいです。
有名な武将が愛用したのは刀なのか、矛なのか、弓なのか、そうしたことは全くと言っていいほど記録されていません。
関羽が日本の薙刀のような形の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を使ったとか、張飛が刃が曲がりくねった蛇矛(じゃぼう)なるものを用いたとか言う話は、当時の歴史書にはなく、のちの時代の創作です。
この時代の武器は考古資料から探るほかありません。


古代中国の武器、厳密には武器の刃先は、青銅製から鉄製へと進化しました。
青銅は硬いのですが折れやすいという欠点がありました。
そのため青銅製の武器は、剣のようにまっすぐに突き刺すようにして敵を攻撃します。
一方、鉄は折れにくいが柔らかいのが特徴ですが、技術の発達によって硬く折れにくい鋼鉄が作れるようになると鉄製の武器が普及していきました。
大体、前漢時代、前2世紀から前1世紀のころには、鉄剣が銅剣にとってかわります。
後漢時代の1世紀から2世紀ころになると、一点だけを攻撃する剣に代って、振り回すことによって広い範囲を効率よく攻撃することができる刀が普及しました。
三国志の時代はすでに長い鉄刀が一般化していました。
鉄刀のなかには金象嵌を施した装飾的なものもあり、鉄刀は身分の象徴でもあったようです。
一定以上の地位にある武人が、鉄刀を愛用していたことはたしかでしょう。


環頭大刀(かんとうたち)
鉄製 後漢~三国時代(蜀)・3世紀
1990年、四川省綿陽市何家山出土
綿陽市博物館蔵


三国志の時代に特徴的な武器に、鉤鑲(こうじょう)があります。
鉄製の小型の盾から鉄の棒が突き出すちょっと変わったものです。


鉤鑲
鉄製 後漢~三国時代(蜀)・3世紀
1998年、四川省綿陽市白虎嘴崖墓出土
綿陽市博物館蔵

当時の墓の石壁には、右手に刀、左手に鉤鑲をもつ姿が刻まれたものがあり、左手の鉤鑲で相手の刃を受け止め、その隙に右手の刀で攻撃したものと思われます。
鉤鑲が流行したのは短期間でしたがその理由はよくわかりません。
想像ですが、初期の鉄刀は比較的軽量で片手で扱うことができ、そのために片手でもった鉤鑲でも受け止めることができたが、殺傷力を増すため刀が重くなると刀は両手で扱わなければならなくなって鉤鑲は廃れたのかもしれないと思います。
皆様も実物を見て考えてみると面白いと思います。


三国志の時代の武器の花形といえば、弩ということになるでしょう。


一級文物 弩
[弩機]青銅製 [木臂]木製
三国時代(呉)・黄武元年(222)
1972年、湖北省荊州市紀南城出土
湖北省博物館蔵

最近はクロスボウなどというようですが、私(60代ですが)の前後の世代の方なら「ウィリアムテルの弓」というほうが通りがよいのではないかと思います。
木製の腕の先に弓を水平に取り付け、引き絞った弦は青銅製の発射装置(弩機といいます)に引っかけておき、狙いを定めて引き金を引くと矢が飛び出します。
弩は、腕だけでなく、両足まで利用して全身の力で弦を引きます。
腕力だけで引いた弓とは比べものにならないほど強い矢を、正確に発射することができるわけです。
しかし矢継ぎ早に射ることはできず、また馬上での操作も困難という欠点があります。

『三国志』には弩についてはやや多くの記述があります。
平地での戦いでは、使いかた次第で効果を発揮したり不首尾に終わったりしたようです。
弩が威力を発揮したのは水上戦や攻城戦のように、弩を持つ兵士がさほど走り回らなくてもよい状況であったようです。
『三国志』の時代に弩が多用されたのは、水上戦や攻城戦が多かったという事情があったためでもあるのでしょう。
弩もほどなく廃れました。騎馬隊が戦いの主力となるなどの戦法の変化があったためと考えられています。

 


水上戦をイメージした展示空間の中に展示される弩


『三国志』には、城の攻防戦には特別な機械が導入され、曹操や諸葛亮なども工夫をした話が記録されています。
しかし残念ながら具体的な形状などは記録がありません。
近年の考古学調査で、その一端が見え始めました。
呉が攻めた魏の合肥新城(ごうひしんじょう)の遺跡では、漬け物石ほどの大きさの丸い石が発見されています。
丁寧に加工されているところをみると、専用の投石機で狙いを定めて投げ込んだものと思われます。


石球
石製 三国時代(魏)・3世紀
2004年、安徽省合肥市合肥新城遺跡出土
合肥盧陽董鋪湿地公園管理処蔵


考古学的調査の進展により、三国志の時代の武器も少しずつ確かな姿を現わしつつあります。

特別展「三国志」チラシ

 

日中文化交流協定締結40周年記念
特別展「三国志」

2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)
平成館 特別展示室

 

特別展「三国志」チラシ

日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」
2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)
平成館 特別展示室
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2019年度の特別展

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posted by 谷 豊信(特任研究員) at 2019年07月25日 (木)

 

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