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「クレオパトラとエジプトの王妃展」スカラベを読もう!

「クレオパトラとエジプトの王妃展」は、9月23日(水・祝)までと、会期残りわずか!
そこで、今回は本展監修の近藤二郎教授に、見逃し厳禁のおすすめ作品をご紹介いただきます。



早稲田大学の近藤二郎先生
エジプト学が専門で、主にアメンヘテプ3世時代の高官や王墓の研究をされています


私のおすすめは、新王国・第18王朝時代、アメンヘテプ3世(前1388〜前1350年頃)の記念スカラベです。
スカラベとは動物の糞を球形に丸めて巣まで運ぶ俗称「フンコロガシ」と呼ばれるタマオシコガネ属の甲虫。
天空で太陽を運ぶ太陽神ケプリと同一視され、古代エジプトでは印章や装身具などのモチーフとして広く使用されました。
アメンヘテプ3世は、自分の治世に起こった重要なできごとを大型のスカラベに刻みました。これを「記念スカラベ」と呼んでいます。

これらのスカラベは、北はシリアから南はスーダンに至る非常に広い範囲の幾つかの遺跡から発見されています。
現在までに200を超える数のスカラベが知られており、世界各地の博物館や美術館に収蔵されています。
スカラベは、片麻岩や凍石に釉をかけたものなどで作られており、長さが7㎝~10㎝ほどのものが大多数を占めています。
記念スカラベには、(1)「結婚スカラベ」、(2)「野牛狩スカラベ」、(3)「ライオン狩スカラベ」、(4)「ギルケパ・スカラベ」、(5)「湖造営スカラベ」の5種類のものがあります。
今回の特別展で出品されているのは、(1)と(5)の2種類のスカラベです。
ヒエログリフを読むのにも、手ごろな教材として使うこともできます。


アメンヘテプ3世の記念スカラベ(王妃ティイとの結婚)
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
片麻岩 長さ:8.7㎝×幅:6㎝×高さ:3.4㎝
ウィーン美術史博物館
Kunsthistorisches Museum Vienna




結婚スカラベは、結婚のことを具体的に記したものではなく、アメンヘテプ3世の王名と王妃ティイの名前、ティイの両親の名前、そしてアメンヘテプ3世の支配している領域を示したものです。

特別展で展示されているスカラベは片麻岩製のもので、底面には以下のような10行のヒエログリフ(聖刻文字)が、右から左に向かって刻まれています。
1行目から4行目までは、王の5つの王名が記されています。古代エジプトの王は、(1)ホルス名、(2)二女神名(ネブティ名)、(3)黄金のホルス名、(4)即位名(上下エジプト王名)、(5)誕生名(太陽神の息子名)の名前をもっており、(4)と(5)はカルトゥーシュと呼ばれる楕円形の枠で囲まれました。
 
右:即位名(上下エジプト王名)のカルトゥーシュ
左:誕生名(太陽神の息子名)のカルトゥーシュ


4行目のアメンヘテプ3世の誕生名に続き、「偉大なる王の妻(ヘメト・ネスウト ウレト)」という称号が記されていますが、これは王の正妃(第一夫人)がもつ称号です。
そして5行目の先頭に王妃ティイの名前がカルトゥーシュに囲まれてあります。

王妃ティイのカルトゥーシュ

その後ろに、彼女の父の名前がイウイアであると記されています。
6行目の先頭には、5行目から続くイウイアの限定符(決定詞)である「座った貴人の姿」があり、続いて彼女の母の名前がチュウイアであると記されています。
最後の部分は、王妃ティイの夫であるアメンヘテプ3世の支配領域は、南はスーダンのカロイまで、北はシリア北部に位置していたミタンニ(ミッタニ)王国を表すナハリナまでと記されています。

この結婚スカラベで重要な点は、アメンヘテプ3世の正妃であるティイが、王族の出身ではなく中部エジプトのアクミームで強い勢力をもっていたイウイアと彼の妻チュウイアの娘であった事実を強調している点です。
一般に王妃ティイは、王族出身の女性ではなく庶民の出身であると強調されることがありますが、これは必ずしも正しくはなく、王族の女性よりもむしろ結婚することで王自身が有力な後ろ盾を得る可能性がある人物の娘であったと見なすことが出来ます。
また、ティイの父親の名前の「イウイア」とは、明らかにエジプト固有の名前ではなく、彼が外国に出自をもつ家系の出身者であると見られることも、興味深いことです。



アメンヘテプ3世の記念スカラベ(湖の造営)
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
滑石 長さ:10.17㎝×幅:6.6㎝×高さ:4.45㎝
大英博物館蔵
(C)The Trustees of the British Museum, all rights reserved




結婚スカラベとともに、特別展に出品されているのが湖造営スカラベです。
この大型スカラベの銘文は、横書き12行のもので、結婚スカラベと同じく、ヒエログリフ(聖刻文字)が、右から左に向かって刻まれています。

結婚スカラベと異なるのは、1行目に王の治世年と月日が刻まれている点です。
「アメンヘテプ3世の治世11年のアケト季3月1日」と記されています。
古代エジプトの数字で10は、逆さにしたU字、1は縦線で記されます。
古代エジプトの暦(民衆暦)は、1年をアケト(増水)季、ペレト(播種)季、シェムウ(収穫)季という3つの季節に分け、それぞれに30日からなる月が4つずつ配されています。
つまり1年が12ヵ月で360日になります。それに、年と年との間に5日間の祭礼の日が置かれて365日としたのでした。

2行目から5行目の前半までは、結婚スカラベと同様にアメンヘテプ3世のホルス名、二女神名、黄金のホルス名、即位名、誕生名の順で、5つの王名が記されています。
5行目の後半部分には、偉大な王の妻(正妃)ティイの名前が記されています。
6行目3文字目からが、この銘文の主文になります。「(3月1日に)、陛下は王妃ティイのために、湖を造ることを命じました。」そして、その湖の説明が続いています。
まず、場所です。ジャルカの町と記されています。
次に湖の大きさとして長さが3700キュービット、幅が700キュービットと刻まれています。
キュービット(古代エジプト語でメフ)は、古代エジプトの長さの単位で、伸ばした腕の指先から肘までの長さを指し、「腕尺」とも呼ばれています。
1キュービットは約52.5cmで、長さ3700キュービットは1.9425km、幅700キュービットは0.3675kmにもなります。
古代エジプトの数字で、1000は蓮、100は渦巻きで表現されています。
 
左:1000(蓮)、写真は3000を表す/右:100(渦巻き)、写真は700を表す

そして、この湖の完成を祝う式典がアケト季の3月16日と書かれており、湖の造営を命じた3月1日から、わずか15日後のことです。
約2週間で長さが2km、幅が0.4kmの巨大な人造湖を造営したことにも驚かされます。
この人造湖は、かつては王都テーベ(現在のルクソール)の西岸にあるアメンヘテプ3世のマルカタ王宮(古代名は「喜びの家」)に造られた人造湖のビルカト・ハブとされていました。
しかしながら、大きさがビルカト・ハブは長さが3km、幅が0.9kmと違っているのと、マルカタ王宮の造営がアメンヘテプ3世の治世29~30年頃であることなどから、別のものであり、現在ではジャルカも王妃ティイの出身地のアクミーム付近の地名とされています。

また、銘文の最後にある記述にも驚かされます。
湖のオープニングの式典でアメンヘテプ3世が乗った船が「輝くアテン」という名前をもつことです。
言うまでもなく、アメンヘテプ3世の息子で後継者であるアメンヘテプ4世(アクエンアテン)が、唯一神として崇拝した太陽神アテンの名前が、アメンヘテプ4世(アクエンアテン王)の治世が開始される20年以上も前に父王の船の名前として登場することはとても興味深いことです。

アテンを表すヒエログリフ

わずか12行ほどの短い銘文ですが、これを読み解くことで今から2360年も前の歴史的事実を知ることができるなんて、すごいことだと思いませんか?


今回、近藤先生にご紹介いただいた2件のスカラベは、会場では、銘文の読み方とともに展示しています。
王妃ティイとアメンヘテプ3世の事蹟を、ぜひご自身で読んでみてはいかがでしょう。
皆様のご来館をお待ちしております。

カテゴリ:2015年度の特別展

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posted by 近藤二郎(早稲田大学教授) at 2015年09月18日 (金)