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クリーブランド美術館展 隠れた逸品―「薄図屏風」応援譜―

アメリカ・クリーブランド美術館の日本絵画コレクションの中から、選りすぐりの作品を精選し展示している「クリーブランド美術館展―名画でたどる日本の美」
どれもこれも、魅力ある作品ばかり。それは、どの作品の前でも、たくさんの方々が時間をかけ、じっくりと鑑賞されていることからも分かります。

ただ、今回の展示作品の中で、あまり人だかりのない、みなさんがさらっと通り過ぎてしまっている作品があります。「花鳥風月」のコーナーで展示している「薄図屏風」です。


薄図屏風  Photography © The Cleveland Museum of Art

図版や会場で遠目で見た際には、薄の緑色の葉っぱだけが目に映る、実に地味な屏風。
「はいはい、まあこんな作品もあるのね」
と、みなさん足早に通り過ぎてしまいます。

昨年夏、この展覧会の事前調査でクリーブランド美術館を訪れ、薄暗い収蔵庫の中でこの屏風を見た時の私も、
「えっ、こんなつまらない、もとい、地味な、草ばかりの屏風を展示するのか。。。」
といった、ちょっとがっかりな感想を誰にも言えず、一人秘めていたのでした。
こんな冷たい態度をとったことを、後に私は深く反省することになります。

今年の年明け、まだ松の内にクリーブランド美術館から展示作品が到着し、先方の学芸員と一緒に作品のコンディションチェック(作品の損傷状態などを双方の担当者で点検すること)をしました。

その際にも、緑の葉先に薄の白い穂をようやく確認し、
「なるほど、薄ね。そりゃ穂を描かないと薄じゃないよな。はいはい、次の作品の点検をしましょ」
と、まだまだ愛情のない、実に冷淡な態度を持ち続けていました。


薄図屏風 部分拡大 白い穂が描かれています

さてその後、作品が実際に展示ケースに並び終わり、改めて展示会場をまわってみました。
今回の展覧会は、「日本絵画における人と自然」をテーマにしていますので、多くの屏風作品が会場に並んでいます。
たくさんの屏風を見た後でもう一度、「薄図屏風」の前に立った時の私の感想。

「この屏風、本当はすごい作品なんじゃないか? 冷たい態度をとってごめんなさい」

なぜこんな劇的な印象の変化がおきたのか?

実はこの作品、展示する時に困ったことが一つあります。
どちらが右で、どちらが左か、よく分からないのです。
本来屏風は、右から左に季節や物語が進行するのが基本で、右隻と左隻という並べ方が、言わば描かれた段階から決定されています。落款印章などがある場合、それを左右の端に来るよう並べるのがセオリーです。
今回は、クリーブランド美術館の作品番号の順序に従って右と左に並べたのですが、これを逆に並べても何ら問題は生じません。それはこの屏風が、他の屏風のように右と左の置き位置を強いない画面であるからです。


薄図屏風 左右逆にしてみました。違いがわかりますか? Photography © The Cleveland Museum of Art

こうした、左右入れ換え可能な屏風は江戸時代の作例でも多く確認できますが、薄図屏風のように左右に描いているものがほとんど同じというのは、そう多くありません。
そもそも屏風とは、空間を飾り、荘厳する機能とともに、建築内部を仕切る建具、調度品としての機能を持っていました。今で言うアコーディオンカーテン、パーティションのようなものです。こんにち、博物館や美術館では屏風を綺麗に蛇腹状にひろげ、左右に並べて展示していますが、描かれた屏風などを見てみると、直角に並べたり、T字に並べたり、あるいは逆に折ったりと、実に自由自在に空間を仕切っています。


重要文化財 歌舞伎図屏風 菱川師宣筆  東京国立博物館蔵(部分)
第3扇から第6扇が通常とは逆に折られています。


右と左の並べ位置が決まってしまうと、屏風を自由に置きにくくなります。対して「薄図屏風」のように、右左隻の配置が曖昧なことは、どちらに置いても構わないということを意味しています。この「薄図屏風」は、屏風が持つ、建具としての機能を留める、貴重な作例だと改めて言うことができます。

さらに、この「地味な」モティーフも、「建具」としては重要な意味を持っています。
会場をぐるっともう一度一回りして屏風を見てみました。
武家好みなのか、それとも神社への神馬奉納などと関わりがあるのかなと思う「厩図屏風」。


厩図屏風 Photography © The Cleveland Museum of Art

右左隻で作者が異なり、片や鷲が雉や鷺を捕え、片や番(カップル)の鳥をたくさん描く「四季花鳥図屏風」。


四季花鳥図屏風 伝狩野松栄・伝狩野光信筆 Photography © The Cleveland Museum of Art


画面いっぱいに燕子花をこれでもかと描く渡辺始興の「燕子花図屏風」。
これも左右入れ換えても画面は成立しそうですが、落款印章があるため、置く位置は決まってしまいます。


燕子花図屏風 渡辺始興筆 Photography © The Cleveland Museum of Art


近江(今の滋賀県)の名所や、賑やかな街の様子を細密に描く「近江名所図屏風」。


近江名所図屏風 Photography © The Cleveland Museum of Art

そこで改めての感想。

「どれもこれもくどい! でもこの薄図屏風、実にすがすがしい!」

屏風が建具として、部屋の内部空間を仕切るものだったということは、当時の人びとが日常目にするものだったということです。言うなればカーテンなどのようなもの。カーテンの柄として、「薄図屏風」のような「くどくない」、「地味」なモティーフは、面白みはないけれど「飽きのこない」柄なわけです。
「四季花鳥図屏風」のように鷲が雉の首根っこ押さえ、あたりに羽が舞い散るといったカーテンを日常の空間に置くのはやはり躊躇されます。こういった屏風は、この画題を必要とする、特別な場や時に飾られた屏風であったわけです。

建具や調度品として使われた屏風は痛んだりすると捨てられてしまう「消耗品」であり、今日残る作例は多くありません。「薄図屏風」は、屏風が建具として機能していたことを教えてくれる、貴重な「証人」の一人だったのです。

そうしたことも思いいたらず、「薄図屏風」に実に冷淡な態度をとったことを今さらながら深く反省しつつ、この文章を書いています。これをご覧になった皆さんも「薄図屏風」の前でも足を止め、じっくりご鑑賞いただき、ぜひとも「薄図屏風」の応援をともにしていただければと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ2013年度の特別展

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室 研究員) at 2014年02月01日 (土)