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1089ブログ

歴史を物語るちょっと“へた”な作品

5月6日(月・休)まで、本館1階16室で「イエズス会の布教と禁制下の信仰」と題して、キリシタン関係遺品の特集陳列を行なっています。

この展示は、前半が1549年のザビエル来日から17世紀はじめにキリスト教が禁止になるまで、イエズス会を中心にキリスト教が盛んに信徒を増やしていた時代の作品、後半が禁制以後、弾圧に用いられた踏絵や、カクレキリシタンがマリア観音として祈りを捧げていた中国産の白磁の子安観音像などを展示しています。後半の最初は部屋の中央、1708年屋久島に上陸した神父シドッチがローマから携えて来た親指のマリアです。

さて、この展示ではちょっと“へた”な作品がいくつかあります。ここではそれに注目し、“へた”な理由を考えてみます。

三聖人像 三聖人像(部分)
重要文化財 三聖人像(模写) 長崎奉行所旧蔵品 安土桃山~江戸時代・16~17世紀
(右)部分

まず大きな油絵三聖人像(模写)。模写と言っても16世紀末から17世紀初頭の模写です。当館には原画もあり、図様はまったく同じです。原画はヨーロッパで描かれたか、もしくは日本に来たヨーロッパの画家の作でしょう。天正11年(1583)イエズス会士で画家のニコラオが来日しています。イエズス会は日本にセミナリヨ(初等教育)、コレジオ(高等教育)という学校を作って日本人信徒を対象に、ラテン語や音楽、美術等を教えていました。この絵はニコラオのような画家の指導のもと日本人の生徒が一所懸命に模写したのでしょう。おそらく生徒の中では優秀だったのでしょうが、聖人の表情、立体感の表現など未熟な点が目立ちます。しかし、日本人が描いた最初期の油絵として貴重です。
ちなみに天正遣欧使節の少年たちがヨーロッパで、また帰国後秀吉の前で西洋の楽器をみごとに演奏したことは記録に残っていますので、イエズス会の教育は着実に効果をあげていたのです。

浮彫キリスト像
重要文化財 浮彫キリスト像 長崎奉行所旧蔵品 16~17世紀

これはアワビか夜光貝などの虹色に輝く内側部分を板にしてキリスト像を浮彫りしたものです。制作地ははっきりしませんが、ポルトガルが航海、貿易の基地とし、イエズス会も拠点としたインド西海岸のゴアか、マラッカ(マレーシア)あたりで現地の人の手で作られたのでしょう。版画の「聖三位と聖家族図」も同様だと考えられます。イエズス会はこの頃、ポルトガル国王の支援を受けて活動していたのです。

聖三位と聖家族図  福井にて発見  16~17世紀
聖三位と聖家族図  福井にて発見  16~17世紀

みなさんよくご存じのフランシスコ・ザビエルもポルトガルを出発してゴアに赴任し、マラッカを経由して来日しました。遺骸は今もゴアの教会に安置されています。

重要文化財 真鍮踏絵 キリスト像(エッケ・ホモ) 萩原祐佐作 長崎奉行所旧蔵品 江戸時代・寛文9年(1669)
重要文化財 真鍮踏絵 キリスト像(エッケ・ホモ) 萩原祐佐作 長崎奉行所旧蔵品 江戸時代・寛文9年(1669)

この踏絵は寛文9年(1669)長崎奉行所の命令で、長崎の鋳物師萩原祐佐が真鍮を用いて作ったものです。踏絵はキリシタンを捕えるために、寛永3年(1626)ころはじめて行なわれ、当初は紙や銅板に描かれた絵を踏ませました。しかしすぐ破れ、あるいは磨滅してしまうので、信徒から押収したキリストやマリアを表した大型のメダイ(メダル)を板に嵌め込んだ板踏絵がそれに代わりました。その後数が足りなくなり真鍮踏絵を作ったのです。板踏絵に嵌められたヨーロッパ製のキリスト像のメダイと比べて見てください。

重要文化財 板踏絵 キリスト像(エッケ・ホモ) 長崎奉行所旧蔵品 江戸時代・17世紀
重要文化財 板踏絵 キリスト像(エッケ・ホモ) 長崎奉行所旧蔵品 江戸時代・17世紀

大量の人に踏まれて磨滅もしたのでしょうが、もともとあまりはっきり表現していなかった可能性もあります。それは別として、真鍮踏絵のキリストはプロポーションが変です。顔があまりにも小さい。茨の冠はさざえの角のようです。もちろん正確な描写や造形の優秀さを求められていなかったのですから仕方ありません。奉行所は4種20枚(19枚現存、当館蔵)を1日で作らせたとも伝えます。

このように“へた”な理由が歴史を物語っていて貴重な作品もあるのです。

 

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posted by 浅見龍介(東洋室長) at 2013年04月15日 (月)