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呂紀「四季花鳥図」と中国花鳥画の精華

私たち博物館には、実際に足を運んでいただけなければ、わからないことがたくさんあります。
その一つが作品の大きさ。まずはこの大きさをご覧ください。

宮廷画家たちの作品が並ぶ今季の8室は、明代宮廷に迷い込んだような豪華な空間!
宮廷画家たちの作品が並ぶ今季の8室は、明代宮廷に迷い込んだような豪華な空間!

東洋館8室で4月7日まで展示中の「呂紀「四季花鳥図」と中国花鳥画の精華」から、周全「獅子図」をご紹介したいと思います。
今まで周全は漠然と明代の宮廷画家であろう、ぐらいしかわかっていませんでしたが、近年研究の発展によって、より詳細なことがわかってきました。
『明実録』という、明代宮廷の公式日誌のような膨大な記録がありますが、そのなかに、周全の死亡記事と略伝が付されています。

(左)『図絵宝鑑』巻六、(右)『明実録』
(左)『図絵宝鑑』巻六、には「画馬に工(たく)み」という一行記事のみでした。
(右)『明実録』はお隣の東京文化財研究所で閲覧することができます。

それによると周全は、安南人太監(あんなんじんたいかん:ベトナム人の宦官(かんがん))であった金英(1394-1456)の養子となり、成化16年(1480)冬10月までには都指揮僉事千戸(としきせんじせんこ)という役職にのぼったことが記されています。
「獅子図」には「直文華殿錦衣都指揮周全写(ちょくぶんかでんきんいとしきしゅうぜんしゃ)」の落款があります。
文華殿とは紫禁城の殿閣の名前で、今も北京・故宮博物院にいくと、陶磁器展示館になっており、参観することができます。
明代の宮廷画家は武階を授けられ、仁智殿、文華殿、武英殿などで働いていました。

故宮博物院の文華殿
(左)「北京・故宮博物院の文華殿。
「文華」とは文化が栄える様子。ちなみに、奈良の大和文華館の“文華”もここからきています。
(右)明治34年に購入された本作品の落款は、東博の技手であった斎藤謙によって写し取られ、「支那画家落款印譜」(明治39年(1906)刊)に所収されています。


また東京国立博物館では、平成20年から22年にかけて本格修理を行いました。
その時、獅子の肉身部全体に白色顔料による裏彩色が施されているのが確認されました。

(左)裏彩色が施された裏面、(右)表面
(左)裏彩色が施された裏面、(右)表面
詳細は、
東京国立博物館文化財修理報告XI平成21年度をご覧ください。

(左)裏彩色によるグラデーション効果、(右)画絹の間から裏彩色が透けて見える。
(左)ふんわりしたタテガミには裏彩色によるグラデーション効果が。
(右)表面からでも画絹(がけん)の間から裏彩色が透けて見えます。


(当たり前ですが)裏彩色は画の表面からでもよく観察できます。
たてがみの部分をよく見ると、途中までがグラデーションのように白くなり、ふんわりと描かれています。これが裏彩色の効果です。
しかも茶色と墨で毛を描くことで、立体感を表していることがわかります。
横2メートル近くの巨幅であり、通常は縦に使う画絹(がけん)を横にして使っていることからも、本来は軸装ではなく、壁画や衝立の一部であった可能性もあります。
今でも紫禁城にいくと「貼落(ティエ ルオ)」という画絹に描いた巨大な絵が宮殿の壁に貼ってあるのをみることができます。
となると「獅子図」もかつては壁面に貼られ、紫禁城や宦官たちの邸宅を飾っていたのかもしれません。

紫禁城内の貼落画の例
左は紫禁城内の貼落画の例
宮殿の壁に貼られて鑑賞される中国独特の形式です。


たくさんの研究者、技術者のたえまない努力のもと、文献と修復の両方によって得られた新しい情報によって、600年前の画家の具体的な姿も徐々に明らかになりつつあります。
この瞬間こそ博物館で働いている人間にとって最高に嬉しい時間でもあり、その喜びを皆様と共有できることを喜んでいます。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ展示環境・たてもの

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2013年03月06日 (水)