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中国山水画の20世紀ブログ 第8回-私のイチオシ!10人が選ぶこの逸品(2)

特別展「中国山水画の20世紀」では、28人の画家、50件の作品が展示されています。
中国では「超」のつくほどの有名画家の代表作ばかり。
ただ、日本に住む私たちにとっては、なじみのない画家ばかりかもしれません。
そんなあなたのために、「私のイチオシ!10人が選ぶこの逸品」と題し、
当館の研究員10人に、展示作品の魅力を語ってもらいました。(前半はこちら
その後半です。

描き切らない、言い切らないのが、一番難しい
日本書跡が専門の島谷弘幸副館長は、今回の展示されている全作品を所蔵している中国美術館の胡偉副館長と、北京故宮博物院で20年前に出会って以来の友人だとか。
そんな中国との交友も深い島谷副館長はこの逸品のどこに惹かれたのでしょうか。


No.26 秋江夕照陳樹人筆 1943年 中国美術館蔵(右は部分) 

この作品にはとても日本的な美意識を感じます。
淡い色調と墨を微妙に変化させていくことで、画面に見事な遠近と詩情を表現しているよね。輪郭の墨線も色目にあわせて絶妙に変化をつけている。
しかし手前の崖の線を見て!とても力強い。こんな線はなかなか描けない。
たくさん描いて、積み上げて作品に仕上げる方法もあるけれど、この作品はそうではないよね。色も綿密に塗り固めるのではなく、その表現はあくまで簡潔。簡潔なのに、そこに空気の流れまでをも表現している。そこがすごいし、日本人の感性にもぴったりくるんです。
和歌ではなく、俳句の美意識っていったらいいかな。
日本人は中国の文化をすべて受け入れたのではなくて、自分に合うものを受け入れた。ここには日中で共通する美意識があるのかもしれない。
見れば見るほど魅力的な作品ですね。


勤勉な農村の情景に時代を感じる
浅見龍介東洋室長は彫刻が専門。来年に迫る東洋館リニューアルオープンと、特別展「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-」の担当者としていま大忙しです。
宋代絵画と甘いものが大好きという浅見室長のイチオシとは?


No.44 武漢防汛図巻 黎雄才筆 1956年 中国美術館蔵(右は部分)

ここに描かれているのは長江ですか?
水面はほとんど描かれていませんけど。木が長い列になって浮かんでいて、乗って作業している人は豆粒のように小さい。向こう岸が霞んでかすかに見える。雄大な流れですね。
堤防に立つ電線が遠ざかるにつれてスーっと消えていく。無限の奥行きが感じられますね。
人間なんてちっぽけで、せっかく造っている堤防もすぐ流されちゃうんじゃないかっていうくらい自然の大きさが感じられる。この空間の感覚は宋時代の山水画に通じるかな。
次の場面は川辺の農村の風景。穏やかな景観だけど人間はみな働いていますね。
清明上河図ではのんびりしてる人がたくさんいましたが、勤勉が求められた時代なんでしょうね。牛や鶏は餌を食べ、水鳥も水から上がった仲間をめざして泳いでいる。みな動いている。寒江独釣図などのように時間が止まっているのとは違う。そこが面白いと思います。
もちろん絵もみごとですよね。人間の描写は緊密さはないけどゆるんでいない。
ずっーと見ていると自分が絵の中に入り込んでしまいそうです。



No.44 武漢防汛図巻(部分)


俺の線をみろ!
流暢な英語を操り当館の国際交流事業を担う鬼頭智美国際交流室長。アメリカ留学の経験もある鬼頭室長は本展で一番の注目を集める、あの!作品をご指名です。
実際に会場で作品をじっくり見ると伝わってくることがあるのだとか。


No.50 逍遥遊 呉冠中筆 1998年 中国美術館蔵

作家晩年の作、というだけあって、老練な円熟味の感じられる線が画面いっぱいにひかれていますね。みなさんも感じることだと思いますが、ぱっと見た印象では、アメリカのアクション・ペインティングの筆頭、ジャクソン・ポロックの作品がなぜここに展示されているの?と思ってしまいますね。
が!ポロックの絵は、一見その色彩とドリッピングによる絵具のほとばしりが力強く見える割に、どこか不安定そうな感じを受けるのに対し、
この作品は作家が長年の間に得た「筆のチカラ」を存分に披露し、「俺の線をみろ!」とばかりに墨やサインペンで好きなように線をひいて画面を作っていく「意思の強さ」を感じます。
フィジカルというよりはメンタル、肉体的な動きというよりは、精神的な思索の強さが出た、経験豊かな画家にこそできる表現だと思います。


No.50 逍遥遊(部分)

ポップだけどどこか懐かしい駄菓子チックなピンクや、グリーンのドットが、ちょっと茶目っ気も加えているような感じがします。
線の濃淡や、運筆のリズム、全体のなんともいえない遊び心は、実際にこの絵と対面してこそ。
是非、会場で、呉先生のメンタルの強さを体感してください!



水墨画には抽象も具象もないんだよ
救仁郷秀明貸与特別観覧室長は、室町時代の水墨画を中心に、広く東アジアの水墨画を研究しています。
中国絵画の論文もたくさんある救仁郷室長に、より深く掘りさげた水墨画の魅力を聞いてみました。


No.16 朱砂冲哨口図 陸儼少筆 1979年 中国美術館蔵(右は部分)

この画面の中央を、どこでもいいから四角く切り取ってよく見てみてください(右図)。
墨の濃淡の合間、塗り残した余白は、雲という「具象」を表現してますね。
全体を見れば、山とか川とかかたちあるもの=具象を描いているのに、ふと、ある部分を切り取って見てみると、この墨の濃淡も雰囲気があるし、
ある意味、抽象画のようにも見えてきませんか?
ここが水墨画の面白いところなんですよ。わたしたちは絵を見るときにどうしても「かたち」を探してしまう。でも水墨画の魅力は、かたちの追求よりも、墨の変化といった抽象的な面白さを楽しむことにあるんじゃないかな。この作品はそこのことをよく表してるんですね。
水墨画には具象と抽象の境界はないってこと。
鬼頭さんが語っていた呉冠中の№50「逍遥遊」もこの絵と同じ水墨画。
水墨画って苦手な人が多いけど、「山水」として見るのをやめて、墨や筆のにじみや線のかすれを鑑賞してみたらどうでしょう。
きっとその無限の変化を楽しめると思うんですよ。



お久しぶりです、陸先生!
富田淳列品管理課長は、古代から近現代までカバーする中国書法のエキスパート。現在、平成館で行われている特別展「青山杉雨の眼と書」も担当です。
先の救仁郷室長のイチオシと同じ作品の前で、あっと驚くべきエピソードが飛び出しました。


No.16 朱砂冲哨口図(左) 陸儼少筆 1979年 中国美術館蔵
No.9 江上山図(右) 黄賓虹筆 1930年代 中国美術館蔵


好きな絵と言えば他にもありますが、思い入れのある絵といえばこれ。
実は1985年、中国美術学院に留学していたときに、この絵を描いた陸儼少先生にお会いしたことがあるんです。
中国美術学院は杭州市の西湖のほとりにあるんだけれど、陸儼少先生の官舎は学校のすぐ隣だっていうんでね、みんなで会いに行こうって。しかしその言葉が方言で、一緒にいた中国人ですら、ほとんど聞き取れないほど(笑)。あれにはまいりました。
お宅を訪ねた時は山水画を描いていて、背を丸めて顔を紙に近付けて、筆数多く描いていたのを覚えています。やっぱりこの雲気たなびく山水画で、まだ画面墨が乾かずしっとりと濡れていたのが印象に残ってるなぁ。
書画というと近づきがたいように思われがちだけど、私の留学した1980年代は、張大千(№11)や、こうした黄賓虹の作品(№9)が、普通の人の家にもありました。いくつか見せてもらったけど、どれもいい作品だったなぁ。
中国の人たちにとっての書画って、暮らしの一部なんだって実感しましたね。


いまそこにある作品に真摯に向き合う。
作品と真正面に対峙したとき、作品と出会うよろこびや楽しさは、10人いれば10通りのみかたがあります。
納得したり、爆笑したり、担当者でも気付かなかった作品の魅力に出会うことができて、
本当に楽しいインタビューでした。

中国山水画の20世紀―中国美術館名品展」は来週26日まで。
あなたの「イチオシ!」を見つけるのはあなた自身です!ぜひ会場に足をお運びください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 塚本麿充・土屋貴裕・高木結美(「中国山水画の20世紀展」担当) at 2012年08月17日 (金)