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「赤」に込められた人びとの想い

考古資料相互活用促進事業の一環として行われている特集陳列「信濃の赤い土器」。
2012年2月12日(日)までと会期終了間近です。

「赤」は太古の昔より、洋の東西を問わず、血の色、火の色、太陽の色、そして復活の色として、いわば人びとの力のシンボルとして生活の中に溶け込んできました。
一方、歴史的にみると「赤」は邪悪なものを追い払い、人びとに安寧の生活をもたらす役割も果たしてきました。
実は教科書でおなじみの弥生土器にも、鮮やかな赤い色を塗ったものがあることをご存知でしょうか。
赤い土器は日本各地で発掘されていますが、その赤には重要な意味があったはずです。
そこには夭逝した子どもたちの復活、愛するものたちの復活、万物に宿る精霊たちの復活、そして子孫の繁栄、ムラの繁栄を祈るといった、さまざまな人びとの純粋な想いが込められていたに違いありません。



ベンガラ塗土器棺 長野市 篠ノ井遺跡群出土 弥生時代(後期)・1~3世紀 長野県立歴史館蔵

この写真にある3つの土器は、実は1セットで、ひとつの棺(土器棺)を構成していたものです。
発見された時には、胴部がぽっかりと開いた右の大型の土器に左の小型の土器が入れ子状に納まり、いまは修復され完全な形になっていますが、この中央の大型土器の破片がその全体を覆っていました。
そして小型の土器の中からは幼児骨や管玉・炭化物などが発見されました。
赤い土器に包まれ埋葬されていたのは、どうやら子どもだったようです。
おそらくは、大切なわが子を失った親がその子の復活を祈り、丁寧に埋葬したのでしょう。
こうした事例は、人間の営みがおよそ2千年の時を経ても変わらないことを私たちに静かに教えてくれています。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 井上洋一(学芸企画課長) at 2012年02月02日 (木)