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1089ブログ

「古墳時代の神マツリ」のミカタ(見方・味方…) 2

前回のブログでは、古墳時代の神マツリの特色として、中心となる奉献品がおおよそ「前期:実物 → 中期:石製模造品 → 後期:土製模造品」と、次第に移り変ってゆくことをご紹介しました。
今回の展示では、古墳時代前期~後期に分けて展示した祭祀遺物を比較して、順を追ってご覧頂けるように配置してあります。

しかし、今年度相互貸借による借用品(長野県立歴史館・館山市立博物館所蔵品)を中心とした今回の展示内容だけでは、やはり資料が不足気味です。
そこで、今回の特集陳列に関わる常設の考古展示室の構成にすでに取り入れられている「テーマ展示」は、それぞれまとまりがあるために実は“温存”してあります。
今回の特集陳列と併せて、是非ご覧頂きたい部分という所以です。

 
(左)第1図 実際の展示の配置図
(右)「特集陳列(右)とテーマ展示A・B(左)」展示室の様子

これらは今回の特集陳列に合わせて、特集陳列のケースと向かい合わせに配置を変更していますので、ご確認ください(第1図)。なお、詳細は当館HPのA「古墳時代の祭祀」・B「古墳時代の葬送儀礼」で作品リストもご覧頂けます。


さて、2つのテーマ展示と今回の特集陳列の関係をお話したいと思います。
中期の祭祀遺物については、今回の借用品にはあまり含まれていないことや展示スペースの問題から、当館収蔵品の優品を中心にコンパクトに展示を構成しています。


「古墳時代中期の石製模造品」 

東京都野毛大塚古墳と京都府鏡山古墳出土品は、共に履物形石製模造品を含む代表的なものです。
大阪府カトンボ山古墳出土品は、最古の子持勾玉と各種石製模造品を大量に出土した古墳で、いずれも中期に発達する石製模造品を中心に副葬する古墳として有名です。

しかし中期には、後期に盛行する各種の土製模造品も現れはじめています。
その典型が、A「古墳時代の祭祀」で展示している奈良県桜井市の山ノ神遺跡出土品です。


「テーマA(古墳時代中期の土製模造品):右から、櫛・箕・竪杵・竪臼・案・坩(ツボ)・柄杓・高坏形」

大正7(1918)年、奈良県三輪山山麓の開墾中に、巨石と河原石の敷石周囲から多量の遺物が発見されました。須恵器・土師器をはじめ、多量の石製・土製模造品、小型素文鏡・鉄片、子持勾玉などが出土したことで有名になりました。
とくに土製模造品には、箕(ミ)・竪臼・竪杵・柄杓(ヒシャク)・坩・高坏や櫛や案(ツクエ)を象ったものがあります。
杵・臼で脱穀した米を箕でふるい、柄杓で汲んだ清水を加えて坩(ツボ)で醸す。そんな酒造りの道具を表しているという説が有力で、平安時代『延喜式』の祭祀用具の記載との類似が注目されています。

『延喜式』(巻40)酒造司 酒造雑器
        「中取案八脚、木臼一腰、杵二枚、箕廿枚、槽六隻。甕木蓋二百枚、橧(コシキ)三口、水樽十口、水麻笥廿口、
         小麻笥廿口、筌百口、匏十口〈已上供奉酒料〉、篩料絹五尺、(中略)
                右造酒料支度、及年料節料雑器、並申省請受。」

また、8世紀に成立した『日本書紀』には、河内国の大田田根子(オオタタネコ)という人物に祀らせた祟り神である三輪山の神(大物主神)が酒神として知られていた様子が窺え、『万葉集』にも謡われています。

『日本書紀』崇神天皇八年 十二月丙申朔乙卯条
        「天皇(スメラミコト)、大田田根子を以て、大神(オホミワノカミ)を祭(イハヒマツ)らしむ。(中略)
                この神酒(ミキ)は我が神酒ならず、倭為す大物主の醸(カモ)し神酒、幾久(イクヒサ)、幾久」

『万葉集』巻4、712番、丹波大女娘子
        「味酒(ウマサケ)を 三輪の祝(ハフリ)が 忌(イハフ)杉 手触れし罪か 君に遇難(逢ヒカタ)き」

これらは、8世紀に、三輪山神が酒神として有名であったことを伝えているもので、その起源が古墳時代に遡る可能性を示唆しています。
そういえば、現在でも三輪山はお酒の神様として知られており、大神(オオミワ)神社から造(ツクリ)酒屋に授けられる杉玉(酒林(サカバヤシ))は有名です。 思いのほか、古代とは身近なところでつながっている部分がありそうです。


それから、もう一つ重要なのが、古墳の副葬品にみられる石製模造品です。


「テーマB(古墳時代後期の滑石製石枕・石製模造品ほか)」

実は前期から中期の祭祀遺物は、古墳の副葬品と共通している部分が多いのです。
B「古墳時代の葬送儀礼」は、中~後期の東関東地方に集中する滑石製石枕と石製模造品のセットなどを展示していますが、後期には中小古墳にも石製模造品が副葬されることを示しています。

ひょっとして、古墳の葬送儀礼と祭祀遺跡の神マツリは同じ内容だったのでしょうか?。
古墳被葬者とカミの同一視。重要な仮説の一つで、学会でも長年論争が続けられてきましたが、決着はついていません。

2つのテーマ展示部分は、実は神マツリとは何かという、祭祀遺跡を考える上で(おそらくもっとも)重要な祭祀対象(祭神?・・・)の性格という問題を孕んでいます。
三輪山の酒の神と、地域の首長(リーダー)である古墳被葬者の性格・・・。
一生飲んで暮らしてゆけるのなら…♪、マサに“特権階級”ですので古代国家成立前夜に相応しい?? (楽しそうですが…)。

う~む。やはり、これらをまったく同一視することは、そう簡単にはゆかないような気もしますね。
今一度、最初に立ち戻って、古墳時代の神マツリの変遷から考えてみる必要がありそうです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2012年01月16日 (月)