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1089ブログ

古代エジプトの頭飾り

ようやく秋らしくなりました。

東洋館では毎年恒例のイベント「博物館でアジアの旅」(11月10日(日)まで)が開催されております。
今年のテーマは「アジアのおしゃれ」。
東洋館1階のインフォメーションで配布中の「アジたびマップ2024」を片手に、おしゃれにまつわる展示物を探しながら、館内を巡ってみてくださいね。 
 
今回のブログでは2階3室に展示中の古代エジプトの頭飾をご紹介します。
東洋館3室「西アジア・エジプトの美術」 展示風景 
 
 
婦人頭飾断片  伝エジプト、テーベ出土
新王国時代(第18王朝)・前15世紀
 
金の板を加工して作ったU字形の飾りです。ロゼット(花文様)が組み込まれ、カラフルに象嵌されています。
展示品のとおり、複数をつづってリボンのようにして用いました。
 
このタイプのアクセサリーは、トトメス3世(治世:前1479~前1425年頃)の「3人の外国出身の王妃の墓」から大量に見つかっているもので、おそらく、展示作品もその一部です。
つまり、今から3500年前の古代エジプトの王族が身に着けていた装飾品とみることができます。
 
この墓は1916年に盗掘され、出土品が古美術市場に流出しました。
それらの多くはメトロポリタン美術館の所蔵となっています。
同美術館は1930年代に、このタイプの装飾品をウィッグカバーとして復元しました。 
▼メトロポリタン美術館ウェブサイト
 
現在、この復元は全面的に支持されているわけではありませんが、それでも、このイメージにやや近い(もっと短かったとされます)頭飾であったと考えられます。
その場合、1つのピースが1.5g前後なので、全体で1kg近い重さになると推測できます。
実用品としては重すぎるので、セレモニーなどの特別な機会に着用したか、死者のための副葬用のアクセサリーであったのかもしれません。
 
墓に埋葬された3人の王妃、マヌワァイ、マンハタ、マルタはその名前から、もとはシリア方面の都市国家の王女で、若きトトメス3世に嫁いできたと考えられています。
当時のエジプトはハトシェプスト女王が実権を握っていた時代で、3人は、おそらく女王の存命中(前1474~前1457年の間)に亡くなり、一緒に埋葬されました。
疫病によって同時期に亡くなった、後宮での争いに巻き込まれて命を落とした、といった説がありますが、なぜ3人が一緒に埋葬されたのかは謎です。
 
展示室でこのカラフルな頭飾を見つけたら、ぜひ、青緑色や水色のガラスの象嵌材を探してみてください。 
 
色ガラスによる象嵌(ぞうがん)
 
風化していることもあり、美しく見えない?かもしれませんが、実はここが「おしゃれポイント」です!
当時のエジプトではガラスは最先端の素材で、このようなアクセサリーに使われ始めたばかりでした。
ちなみに、ガラス細工は王妃たちの故郷とされるシリアや北メソポタミアで発達していた技術で、3人にとっては馴染みの素材だったと想像できます。
 
この王妃たちが亡くなった後、単独の王となったトトメス3世はシリア方面へ軍事遠征を繰り返し、エジプトの版図をアジアへと拡大させていきます。
この過程でシリアのガラス生産技術がエジプトに伝わり、王室工房で高品質なガラス器が生産されるようになったとされます。
特に、エジプトで作られるコバルトによる青色ガラスは高級なアクセサリーの素材として地中海・西アジアで取引されました。
 
その一例が、同じ展示ケースに並ぶ青色ガラスのアクセサリーです。
頭飾・首飾 ギリシャ本土 後期ヘラディック時代III期・前14~13世紀頃 個人蔵
 
こちらはギリシャのミケーネ文明の王侯貴族が身に着けた「頭飾・首飾」です。材料の一部はエジプトからもたらされた青色ガラスだと目されます。
 
 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 小野塚拓造(ボランティア室長) at 2024年10月25日 (金)

 

世代を重ねるおしゃれ タオ族の胸飾(むなかざり)

ちょうどこのブログを書いていると、韓国の小説家ハン・ガン女史がノーベル文学賞を受賞されたニュースが報じられました。すでに翻訳されている本もあるらしいので、この機会に読んでみたいと思います。

ひと昔前に比べると、近年はアジアの翻訳小説を書店で見かけることが多くなったように感じます。最近に私が読んだのは台湾の翻訳小説で、ハートフルな『台湾漫遊鉄道のふたり』、ミステリーものの『炒飯狙撃手(チャーハン・スナイパー)』、歴史小説の『フォルモサに吹く風』などです。どれもそれぞれに面白く読みましたが、博物館の研究職という立場からすると、『フォルモサに吹く風』は台湾に暮らす原住民族(げんじゅうみんぞく)のありし日の生活を目の当たりにするようで、東博が所蔵する民族資料への想像力をかきたてられました。 
台湾の翻訳小説
『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著、三浦裕子訳、中央公論新社)は紀行グルメの体裁で、二人の女性の友情を描く。『炒飯狙撃手』(張國立著、玉田誠訳、ハーパーコリンズ・ジャパン)はチャーハン屋の店主が凄腕(すごうで)のスナイパーという設定で、台湾の疑獄(ぎごく)事件を描く。『フォルモサに吹く風』(陳耀昌著、大洞敦史訳、東方書店)は鄭成功(ていせいこう)が活躍した時代のフォルモサ(台湾のこと)を舞台に、原住民族、オランダ人、漢民族たちの交流や対立を描く。
 
現在の台湾の主要民族は、中国大陸から移住した漢民族ですが、漢民族が移住する前から台湾には古くから人々が暮らしていました。それらの人々は、はるか昔に海流に乗って太平洋の島々に広がった人々と関係があると考えられており、原住民族とよばれています。台湾の原住民族は現在16部族が認定されています。台湾本島から南東方向に約90キロの沖合に蘭嶼(らんしょ)という小さな島があり、そこはタオ族が暮らす土地です。春になると、蘭嶼のまわりにはトビウオの群れがやってきます。タオ族の人々はトビウオ漁をはじめとする漁業やタロイモの栽培などをして暮らしてきた海の民です。 
蘭嶼(らんしょ)の景色
青く広がる海原のなか、ゴツゴツした岩の海岸にかこまれた島のほとんどは山地ばかり。車なら島の周囲を1時間ほどで1周できる大きさで、島の全体には森林が広がっている。
 
台湾の原住民族は、話す言葉によって、大ざっぱにオーストロネシア語族にくくられていますが、細かくいえば、タオ族の言葉は台湾本島よりもフィリピンのバタン島との方が近いようで、バタン島の人たちとは通訳なしでも話せるとのことです。タオ族の人々は死や血をタブーとする信仰が強く、死者の霊(アニト)と触れ合う際には籐(とう)や魚皮(ぎょひ)で作られた甲冑を着て、刀を帯びて、槍(やり)を構える作法があります。タオ族の気質は温厚とされ、争いのときには鎧を着ますが、刀や槍などの武器は使わず、石を投げ合って血が出たらやめるというものだったそうです。東博には、そのようなタオ族の暮らしにまつわる資料が保管されています。 
「台湾の海の民 タオ族の生活文化」の展示
現在、東洋館13室にて展示中の「台湾の海の民 タオ族の生活文化」。トビウオ漁に用いる舟の模型や道具、男性が着用する籐製の甲冑、女性が着用する胸飾などを展示している。
 
ただいま「博物館でアジアの旅 アジアのおしゃれ」(東洋館、11月10日(日)まで)で展示中の胸飾(むなかざり)は、タオ族の女性が着飾ったものです。メノウやガラスのビーズを連ねて作られ、母から娘、そのまた娘へと受け継がれるアクセサリーです。もしも受け継ぐ娘に姉妹がいれば、娘たちは胸飾を分けて、さらに自分でビーズを付け足すなどして、もとの部分を残しつつ少しずつ変化させながら伝えてゆきます。 

 

タオ族の胸飾・銀製腕輪 ともに台湾、台東県蘭嶼 19世紀後半~20世紀初頭
胸飾が少しずつ変化しながら伝承されるのは、まるで人間の遺伝子がアクセサリーで表現されているようにも思われる。タオ族の男女は銀製の腕輪をはめるが、これは交易で入手した銀貨を叩き延ばして作られた。
 
現在でもタオ族の女性はこのような胸飾りを大切にしていて、お祭りなどの晴れがましい日には身に付けて美しく装います。そのおしゃれには世代を重ねた心が込められているのでした。
 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 猪熊兼樹(工芸室長) at 2024年10月23日 (水)

 

アジアのおしゃれファッション

東洋館では毎年恒例「博物館でアジアの旅」(2024年10月1日(火)~11月10日(日))を開催中です。
東洋館正面玄関
 
今年のテーマは「アジアのおしゃれ」!衣装やファッションアイテムなど、「おしゃれ」にまつわる作品をピックアップして、展示しています。衣装は身にまとっていた人々の個性を如実に反映しているものではないでしょうか。作品を見てみると、今の私たちとそう変わらないように、時代や地域を問わず、人々がおしゃれを楽しんでいたことが伝わってきます。
 
例えば、3階の5室、中国の染織に展示されている、こちらの作品。
坎肩(カンジェン) 紅透紋紗地花蝶文様 中国 清時代・19世紀
 
これは坎肩(カンジェン)とよばれる、女性のチョッキ型の衣装です。おそらくは清時代の身分の高い女性がまとっていたものと考えられます。
清は17世紀から20世紀初頭まで、中国本土からモンゴル高原にかけて、満州族が治めた中国の王朝でした。古くより満州族が乗馬を得意としていたことから、衣装の装飾性だけでなく、実用性も重要でした。
このようなベストは、まさにおしゃれだけでなく防寒用としても活躍したことでしょう。
 
細部を見てみますと…
坎肩(カンジェン) 部分1
 
絹糸をたっぷりと使った、繊細な刺繡で表現された牡丹と蝶がみえます。牡丹は段ごとに色糸を変え、見事なグラデーションを表現しています。蝶も細かく刺し方を変えることで、まるで本物のような質感を生み出しています。
牡丹は、富や高い身分を示す「富貴」の花として親しまれ、さらに蝶(dié)という漢字は70歳を示す「耄耋(ぼうてつ)」の「耋(dié)」と、中国語で同じ発音をします。つまり、蝶には長寿の願いが込められているのです。
見た目に華やかなだけでなく、吉祥文様が込められているという点も、ワンランク上のおしゃれを演出していますね。
 
また、身頃の紅色の部分 について、作品前面ではほぼ見えないのが残念なのですが…
坎肩(カンジェン) 部分2
坎肩(カンジェン) 部分3
 
実はクローズアップすると、こんな風に織られています。
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)1本ずつ交差する平織がひろがる中に、よく見ると、経糸2本がクロスするように重なり、その間に緯糸が1本はいっている箇所がみられます。
このように、経糸と緯糸が交差するような形、これを綟る(もじる)と呼びますが、この綟った隙間に緯糸1本を入れるという「紗(しゃ)」と呼ばれる組織を使うことで、一部を透けるように織り出しているのです 。使う裂(きれ)の細かな部分にまで気を配っていることが分かります。
工夫を凝らした部分が、表からあまり見えないというのは、私からするともったいない気がしますが、現代の私たちが靴下や衿元でチラ見せのおしゃれを楽しむように、「見えない部分のおしゃれ」を楽しんでいたのかもしれません。
 
次に、地下1階、13室のアジアの染織から、びっくりするような手わざで織り出された、おしゃれアイテムです。
このパトラ(経緯絣〈たてよこがすり〉)は絣(かすり)と呼ばれる技法で製作されています。4m超える長さから、おそらくサリー(インドの民族衣装)として着用されたのでしょう。
パトラ 赤紫地花文様経緯絣 インド・グジャラート 19世紀
 
パトラ 部分1
パトラ 部分2
 
小花文様が整然と展開しており、みるだけでも美しい作品です。
さて、絣(かすり)というのは織り出したい文様にあわせて、あらかじめ糸を染めます。このクローズアップ写真でわかる通り、経糸・緯糸それぞれ一列に複数の色がみえることから、1本の糸を数種類の染料を用いて染めていることが分かります。
長さ4mもある糸を複数の色に染め分けるだけでも、大変な労力を要します。これだけでも息が切れてしまいそうですが、もちろん織物にするためには、織り上げなければなりません。
染め分けた細い絹糸を何本も用意し、それらを経糸と緯糸の両方に使い、文様がかみ合うように緻密に織り上げていきます。
驚くほど巧みな技術と、想像を超える忍耐力のたまものの「おしゃれ」です。
パトラをまとった女性(イメージ)
 
サリーとして着用する際には、腰でたっぷりとひだを取ったうえで、身体に巻き付けていたのではないでしょうか。こちらはあくまでも想定図になりますが、一枚の織物がどんなふうにまとわれていたのか、展示室で想像していただけると嬉しいです。
このパトラは、音声ガイドシステムVOXX LITEの対象作品です。音声で経緯絣(たてよこがすり)の技法について、さらに詳しく説明していますので、ぜひ聞いてみてくださいね。
 
ここではご紹介しきれなかった、アジアのおしゃれアイテム、東洋館にまだまだございます。
自分だったらこれが着てみたい!このアイテム素敵!などなど、きっとお気に入りがみつかることと思います。
「博物館でアジアの旅」、みなさまもおめかしして、ぜひお楽しみください!
 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 沼沢ゆかり(文化財活用センター研究員) at 2024年10月09日 (水)

 

「博物館でアジアの旅」が始まりました!

 10月1日(火)から、毎年恒例「博物館でアジアの旅」が東洋館で始まりました。

博物館でアジアの旅 アジアのおしゃれ キービジュアル 
 
東洋館は昭和43年(1968)に開館した展示施設で、「東洋美術をめぐる旅」をコンセプトに、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示しています。 
展示は地下1階から5階までの6フロアで、全13室。一通り見てまわるだけでも1時間はゆうにかかる広さです。展示のほかにもミュージアムシアターや占い体験など、いろいろな楽しみ方ができるのもポイントです。
東洋館外観
東洋館内観
アジアの占い 体験コーナー
ミュージアムシアター
 
さて、この東洋館で開催される「博物館でアジアの旅」では、毎年テーマを決め、それにちなんださまざまな作品を館内随所に展示します。
今年のテーマは「アジアのおしゃれ」。
流行を意識して洋服を選んだり、自分に似合うようなアクセサリーを身に着けたり…と、「おしゃれ」は誰にとっても人生の楽しみのひとつではないでしょうか。
今回はアジア各地の衣装や装飾品をはじめ、ファッショナブルな仏像や、鮮やかな色彩の副葬品、絵画作品に描かれる豪奢(ごうしゃ)な衣装の人々などをご紹介します。
時代を越えて、アジア各地の「おしゃれ」を感じとってみてください。
 
それでは、今年の「アジアの旅」を楽しむための2つのポイントをご紹介します。
 
ポイント1 必見!アジたびマップ2024
東洋館インフォメーション
 
広い東洋館のどこに「アジアのおしゃれ」関連作品が展示されているか、ひと目でわかる「アジたびマップ2024」をご用意しています。
東洋館インフォメーションで配布(なくなり次第終了)しているほか、ウェブサイトでも公開しています。ぜひこのマップをたよりに会場を自由にめぐり、作品たちのおしゃれをお楽しみください。
 
ポイント2 当館初!音声ガイドシステムを導入しています
「博物館でアジアの旅」の期間中、東洋館で音声ガイドシステムVOXX LITEを導入します。
作品解説の横に配置されたQRコード
 
作品解説の隣のQRコードを発見したら、ぜひご自身のスマートフォンで読み取ってみてください。より詳しい解説を文字と音声のいずれかでお楽しみいただけます。
アプリのダウンロードは不要。音声でご利用の際は、音量をおさえるかイヤホン等でお楽しみください。
 
マップを片手に準備ができましたら、少しだけ展示室を旅していきましょう。
(注)「アジアのおしゃれ」関連作品には目印にこの札をつけています。
 
入ってすぐの吹き抜けのフロアは、金銅仏と石仏が立ち並ぶ1室「中国の仏像」です。 
こちらの大理石製の巨大な仏像は、二重に重ねた首飾りや、ペンダント状の飾りを中心にクロスするアクセサリーが、さわやかな雰囲気を作り上げています。
重要文化財 観音菩薩立像 中国河北省 隋時代・開皇5年(585) 1室で展示
 
続く3室ではインド・ガンダーラの彫刻を展示。ドレッドヘア風の垂髪と耳飾りの飛び出すライオンがなんともおしゃれです。
菩薩立像 パキスタン、ガンダーラ クシャーン朝・2世紀 3室で展示

ライオンの耳飾り
 
同じフロアには、人類最古の文明が興った地として知られる西アジア・エジプトの美術の展示も。
こちらは金製のロゼット文様の土台に色ガラスや宝石を嵌めこんだジュエリーです。ひとつずつ綴って細長い帯とし、それを髪の上から何本も垂らして身を飾りました。
婦人頭飾断片 伝エジプト、テーベ出土 新王国時代(第18王朝)・前15世紀 3室で展示

拡大図
 
ぐるりと回るように階段を上っていくと、中国の展示が続きます。3階の4室・5室は、文明のはじまりから墳墓の出土品や青銅器・陶磁、染織のフロアです。
こちらはにっこり微笑む表情と白い花の模様があらわされたスカートが愛らしい若い女性の像です。結い上げた髻(もとどり)には金の髪飾りがつけられています。
 
三彩女子 中国 唐時代・8世紀 鈴木榮一氏寄贈 5室で展示
 
4階にあがり、石刻画の展示をご覧いただいた後は、8室の中国の絵画と書のフロアです。
行商人(貸郎、かろう)が子ども相手に雑貨やおもちゃ、小動物を売っています。商人も子どもたちも色とりどりの豪奢でおしゃれな衣装をまとっています。
売貨郎図軸(部分) 筆者不詳 中国 明時代・15~16世紀 石島護雄氏寄贈 8室で展示
 
続く9室は漆工や清時代の工芸の展示です。
銅製の如意に色ガラス、真珠、エナメル絵などを嵌(は)め込んでいます。柄の中央の時計およびエナメル絵はヨーロッパ製です。清時代には、広東の港を通じて、ヨーロッパの製品が中国にもたらされ、皇帝は時計を好んで集めました。
如意形時計 中国 清時代・18~19世紀 広田松繁氏寄贈 9室で展示
 
5階の10室では、朝鮮の美術をご紹介しています。
これは古墳に葬られた婦人が着用した頸飾(くびかざり)。瑪瑙製(めのうせい)の勾玉を中心に、水晶製切子玉や金製の空玉など、異なる素材と形で構成されています。
頸飾 韓国梁山夫婦塚出土 三国時代(新羅)・6世紀初頭 10室で展示
 
地下のフロアも見逃せません。12室は東南アジア・インドの展示です。
仏像の衣にご注目ください。型押しで花模様が表わされています。
ナーガ上の仏陀坐像 タイ ラタナコーシン時代・19世紀 12室で展示
胸元の花模様
 
13室はアジアの染織、インドの細密画、アジアの民族文化の展示で構成されています。
絹糸を細かく起毛させた艶やかなヴェルヴェット地に、重厚な金属のモール糸と宝石を密に留めつけ、ペイズリーや花唐草文を表しています。真珠、ルビー、エメラルドなどがふんだんに用いられた、インドのマハラジャ(藩主)にふさわしい豪華な衣装です。
コート 濃紺ヴェルヴェット地花卉文様金銀糸刺繡 インド・ジャイプール マードー・シーン2世着用 19~20世紀 13室で展示
拡大図
 
アウラングゼーブはムガル帝国第6代君主。頭には宝石で飾ったターバンを巻き、胸元には大きなネックレス、腕にはブレスレットやアームレットを着けています。
アウラングゼーブ帝立像 ビーカーネール派 インド 18世紀後半 13室で展示
 
展示室をまわりましたら、お帰りの際はミュージアムショップにもお立ち寄りください。
「アジアの旅」に関連したオリジナルグッズも多数ご用意しています。
 
舎利容器クッション 4,840円(税込)
ブローチ如意形時計 14,850円(税込)
花蝶文様ピンバッチセット 2,750円(税込)
 
お楽しみ要素盛りだくさんの今年の「アジアの旅」。
会期は11月10日(日)まで。総合文化展料金でご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください!
 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 天野史郎(広報室) at 2024年10月03日 (木)

 

パーティーで輝く、新羅の「透彫冠帽」

東洋館で開催中の「博物館でアジアの旅」。今年は「アジアのパーティー」をテーマとした作品を展示している中から、今回は、東洋館10室で展示中の重要文化財「透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)」についてご紹介します。

東洋館10室の展示風景
東洋館10室の展示風景
 
この「透彫冠帽」は三国時代に新羅(しらぎ)の中心地である慶尚北道(キョンサンブクド)の慶州(キョンジュ)から南西に75㎞ほど離れた慶尚南道(キョンサンナムド)の昌寧(チャンニョン)で出土したと伝わり、昌寧地域の有力者の墓に副葬されました。
「冠帽」とあるように頭に着用するものです。
一見、この冠帽を頭に被るには小さすぎると思うかもしれません。
実際には内側に巾(きん)などを被った上から載せるように着用したと考えられます。
金色に縁取られた透かしの間から美しい布を覗かせ、全体に取り付けられた小さく丸い歩揺(ほよう)とよばれる装飾を揺らしながら歩く姿が想像できます。
 

重要文化財  透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)
三国時代(新羅)・6世紀 伝韓国昌寧出土 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館10室にて通年展示

「透彫冠帽」の側面

台形を2つ組み合わせた形状の冠帽の側面には両翼のような金銅板が斜めに取り付けられ、冠帽の上部には尾状の飾り板が伸びています。

冠帽を構成する金銅板は全体に格子状の透かしが施されているかと思いきや、冠帽の下部には唐草文のような曲線状の透かしが隠れています。
金属製の冠帽の場合、異なる文様を透かし入れた金銅板を複数組み合わせたものが多いのですが、このように1枚の金銅板に複数の透かし文様を施す事例は珍しく、細部へのこだわりが感じられます。
 
「透彫冠帽」の下部
 
「透彫冠帽」は古墳から出土していることもあり、パーティーというテーマには似つかわしくないのでは、と思われるかもしれません。
しかし、古墳から出土する装身具の大部分は生前に被葬者が実際に身に着けていたもので、王族や貴族、地方有力者のみが身に着けることのできる権力の象徴でした。
華やかな装身具も人々の前で身に着けてこそ意味を持つ、まさに集いの場にふさわしいアイテムであったといえます。
 
新羅における身分に基づいた冠帽制度の開始時期は定かではないものの、新羅初期には金・銀・銅の順に素材による序列が存在しており、さらに金銀は慶州地域に限定されるなど中央と地方の間に差別化が図られていました。
法興王(ほうこうおう)7年(520)には律令を発布し、衣冠制が定められました。
冠制については『日本書紀』欽明天皇5年(544)に、奈麻という官位固有の冠を着用した人物について言及した記事が見られることから、官位ごとに着用する冠が規定されていたことがわかります。
新羅には骨品(こっぴん)とよばれる出自に基づいた身分制度が存在し、新羅の社会において身分を可視化することが重要視されていたものと理解されます。
 
ちなみに、冠帽を着用した人々の姿が分かる作品もつくられていますので、いくつかご紹介します。
 
「透彫冠帽」と同じく、東洋館10室にて展示中の「騎馬人物土偶」(きばじんぶつどぐう)。
儀式に向かう途中でしょうか、冠帽を被った人物が馬に乗って駆けていく一瞬をかたどっています。
こちらの人物が被っている冠帽は頂点が丸く、周囲を太く厚い帯状のものがまわっています。
具体的な冠帽の種類は定かではありませんが、丸みを帯びた形からは布を巻いた冠帽のようにも見えます。
 
重要美術品 騎馬人物土偶(きばじんぶつどぐう)
朝鮮 三国時代(新羅)・5~6世紀 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館10室にて通年展示
 
こちらは韓国・ソウルの国立中央博物館に所蔵されている慶州金鈴塚(クムリョンチョン)で出土した「騎馬人物形土器」(きばじんぶつがたどき)です。
近年の研究により中に液体を入れる水差しであることが明らかになりました。先ほどの「騎馬人物土偶」よりも冠帽の形や装飾が細部まで表現されており、「透彫冠帽」と類似した形であることがわかります。
正面から見ると平たい形状ですが、側面から見ると三角形に近い形状です。
冠帽下部の縁には玉の装飾、あるいは鋲で止めたような表現が施され、冠帽を顎紐で固定しています。
佇まいや表情からキリっとした高貴な雰囲気が漂っています。
 
騎馬人物形土器の画像
騎馬人物形土器の一部分

騎馬人物形土器(きばじんぶつがたどき)
慶州金鈴塚 新羅 国立中央博物館所蔵

(注1)本著作物は国立中央博物館で作成され、公共ヌリ第1類型として公開された『騎馬人物形土器』を利用し、当該著作物は『国立中央博物館』(https://www.museum.go.kr)で無料ダウンロードできます。
(注2)当館では、本作品はご覧いただけません。
 
現在展示はしていませんが、こちらは当館に所蔵されている「男性土偶」です。
高さが9.4㎝と小さいのですが、新羅ではこの土偶のようにサイズが小さく、人物や様々な種類の動物をかたどった土偶が多くみられます。
顔や身体の意匠が簡潔で、狩猟・労働・性交・楽器演奏・歌唱などを行う新羅の人々の日常をありのままに表現したことが特徴です。
新羅の土偶はお墓の副葬品として確認される一方で、生命の誕生や復活を祈る信仰の対象としても位置付けられています。このような土偶でかたどられた人物の多くが冠帽を着用していました。
 
男性土偶(だんせいどぐう)
朝鮮 三国時代(新羅)・5~6世紀 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵
(注)現在、展示していません。
 
この男性土偶は衣服を着ていないようですが、きちんと冠帽を被っていることがわかります。
この人物が着用している冠帽は正面から見ると三角形に近い形状で、側面から見ると平たい形状をしており、先ほどの騎馬人物形土器とは異なった種類の冠帽であるとわかります。
これまでの発掘調査で発見されている金属製冠帽や白樺製冠帽では確認されない形状であることから、布や革でつくられた冠帽と推定されます。
 
このようにシンプルな表現を用いた土偶にも冠帽を着用させる意匠から、新羅の人々とって冠帽がいかに重要なシンボル的存在であったのかを知ることができます。
 
パーティーに行くからには1番目立ちたい! と思うかもしれませんが、身分によって着用できる冠帽が規定された新羅ではそうはいきません。
しかし、冠帽を着用することで新羅の仲間であるという帰属意識を高め、冠帽の意匠に隠されたこだわりに自らの個性を発揮していたのではないでしょうか。
 
「透彫冠帽」の展示の様子
 
是非、東洋館に足を運び、実際に「透彫冠帽」をご覧になってください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 玉城真紀子(東洋室) at 2023年10月14日 (土)

 

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