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1089ブログ

【1089考古ファン】和歌山の埴輪

1月から平成館考古展示室では、特集「和歌山の埴輪―岩橋千塚と紀伊の古墳文化―」(~3月4日[日])を開催中です。

考古展示室内、古墳時代のコーナーにある展示ケースで展示中

この特集は和歌山県立紀伊風土記の丘から、岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群の作品をお借りして展示しています。
この岩橋千塚古墳群とは和歌山市の紀ノ川流域に造られた大古墳群です。
4世紀末から7世紀後半にかけて作られた総数約850基の古墳が分布し、国の特別史跡に指定されています。

奥の山が岩橋千塚古墳群です


和歌山県立紀伊風土記の丘資料館

岩橋千塚古墳群のなかでも、紀ノ川流域を一望することができる、たいへん眺望の良い所に築造されたのが大日山35号墳(6世紀前半)です。
和歌山県最大の前方後円墳であり、東西の造出(つくりだし/前方後円墳のくびれ部の両側に付設された方形台状の突出部のこと)からは数多くの珍しい埴輪が出土したことが著名です。

大日山35号墳は山の上にあります


大日山35号墳の復元埴輪


大日山35号墳からみた紀ノ川流域

ここで、特集で展示をしている大日山35号墳出土の埴輪のなかから、代表的なものをご紹介します。
まず重要文化財「翼を広げた鳥形埴輪」です。

重要文化財 翼を広げた鳥形埴輪
和歌山県教育委員会蔵
画像提供:和歌山県立紀伊風土記の丘


古墳時代の鳥形埴輪は数多くみつかっていますが、このように翼を広げてた鳥形埴輪は、全国的にみても珍しいものです。
頭とくちばしの形状から、この鳥をタカとする見方があります。
もしかしたら王(首長)が行う狩猟の際に、鷹匠の腕にとまらせたタカが飛び立った姿を表現したかったのかもしません。

続いては、重要文化財「胡籙(ころく)形埴輪」です。
 
(写真左)重要文化財 胡籙形埴輪 和歌山県教育委員会蔵 画像提供:和歌山県立紀伊風土記の丘
(写真右)参考画像:埴輪 靫 群馬県桐生市相生町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵 ※現在展示していません


胡籙とは弓を入れる道具のことで、5世紀に朝鮮半島から伝来しました。
同じ矢入れ道具である靫(ゆぎ)形埴輪は多く見つかっていますが、胡籙の埴輪の事例はほぼ皆無です。
矢羽根を5本表現しており、勾玉(まがたま)や直弧文(ちょっこもん)で飾っています。

最後にご紹介するのは、重要文化財「両面人物埴輪」です。


 
重要文化財 両面人物埴輪
和歌山県教育委員会蔵
画像提供:すべて和歌山県立紀伊風土記の丘


大日山35号墳でしか見つかっていない、2つの顔をもつ不思議な人物埴輪です。
顔には矢が刺さっており、痛そうです。しかも一方の顔は口が裂けています。首から下はみつかっておらず、どのような職掌の方なのかわかりません。『日本書記』には仁徳天皇の頃に、飛騨地方で1つの胴体に2つの顔をもつ人物(両面宿儺りょうめんすくな)がいたという伝承があり、その関連が注目されますが、まだまだ謎に包まれた埴輪です。

このほか力士や馬など様々な埴輪や、朝鮮半島で作られた陶質土器、鍛冶道具も展示していますので、ぜひ展示室にてお楽しみください。

なお、当館が所蔵する和歌山県の古墳時代出土品は、現在、和歌山県立紀伊風土記の丘資料館で展示中です。

ただいま和歌山に里帰り中です

特別陳列「紀伊の古墳―東京国立博物館所蔵品から―」と冬期企画展「うつわに隠された物語~装飾付須恵器の世界~」にてご覧いただけます(いずれも~3月4日[日])。
紀伊風土記の丘は、岩橋千塚古墳群の中にあります。
和歌山在住の方や、和歌山に足を運ぶ予定のある方はぜひご観覧ください。

※今後SNS(Twitter, Facebook, Instagram)で和歌山の考古作品を紹介していきます。#1089考古ファン で検索してみてください。

カテゴリ:考古特集・特別公開

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posted by 河野正訓(考古室研究員) at 2018年02月13日 (火)

 

呉昌碩のミ・リョ・ク《続編》

このたび、15回目の節目を迎えた東京国立博物館と台東区立書道博物館連携企画「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―」(両館ともに2018年3月4日(日)まで)では、清時代の末から中華民国の初めにかけて一世を風靡した文人・呉昌碩の書・画・印や、硯・拓本を一挙に公開しています。呉昌碩の為人(ひととなり)と各世代の名品を概説した前半のブログを受けて、ここではピンポイントで呉昌碩のエピソードをご披露しましょう。

呉昌碩写真
僕の姿、全部見せます!
呉昌碩写真、中華民国10年(1921)、(呉昌碩78歳)
台東区立朝倉彫塑館蔵
展示:2018年1月4日(木)~3月4日(日)台東区立書道博物館


太平天国の乱で多くの家族を喪(うしな)い、辛うじて父と二人で生き延びた呉昌碩でしたが、25歳の時に父が逝去。その4年後に、呉昌碩は施酒(ししゅ)と結ばれるものの、安穏(あんのん)と郷里に暮らす経済力もなく、各地を転々として多くの師友と交わり、見識を広めていきました。模索時代の呉昌碩に、精神的にも技芸においても、温かい手を差し伸べた師友の一人が楊峴(ようけん)です。
楊峴もまた、太平天国の乱で次女以外の家族を喪い、捕虜となった次男の鴻煕(こうき)は行方が分からなくなる艱難(かんなん)を嘗(な)めていました。詩文書画はもちろん、鑑定にも造詣が深い楊峴を呉昌碩は師と仰ぎ、師弟の契りを結びたいと申し出ますが、楊峴は友人の関係が良いと、婉曲に断りました。楊峴は25歳年少の呉昌碩に、息子の姿を重ねていたのかも知れません。楊峴と意気投合した呉昌碩は39歳の時に家族を連れて、何と蘇州の楊峴の隣に転居、二人は創作の理念から体調不良時の漢方の処方に至るまで、ありとあらゆる事象を語り合いました。

行書缶廬潤目横披
明朗会計、この価格でお引き受けします。
行書缶廬潤目横披、楊峴筆、清時代・光緒16年(1890)、(呉昌碩47歳)
個人蔵
展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日)東京国立博物館


呉昌碩は44歳の時に、友人の資金援助を受けて上海県丞(けんじょう)の官職を買い、上海に転居します。しかし、小官の俸給だけでは生活もままならず、売芸によって糊口を凌いでいました。そんな呉昌碩を、楊峴が側面から支えた作例が行書缶廬潤目横披(ふろじゅんもくおうひ)です。潤目とは価格のことで、この価格一覧表には、例えば印は一文字6銭、極大印や極小印、質の悪い印材は受け付けない。書斎名の揮毫(きごう)は4円、ただし過大なものは受け付けない、などと書かれています。晩年、70代の呉昌碩は地位も名誉も手に入れ、何度も潤目を増訂していますが、この潤目は呉昌碩47歳、現存する最も若い作例です。書家・詩人として盛名を馳せていた楊峴が、若い呉昌碩のために揮毫した潤目は、大きな訴求力があったことでしょう。

牡丹図軸
楊峴先生の自宅で描きました。
牡丹図軸、呉昌碩筆、清時代・光緒21年(1895)、(呉昌碩52歳)
東京国立博物館蔵
展示:2018年1月30日(火)~3月4日(日)東京国立博物館

呉昌碩は56歳の時に、彼の官歴の中では最も高い地位となる安東県(江蘇省)の知事となりました。しかし、世事に疎(うと)い呉昌碩は上司や有力者への挨拶を怠ったため軋轢(あつれき)が大きくなり、わずか一ヶ月で辞職してしまいます。呉昌碩は、80日で官を辞した陶淵明(とうえんめい)の故事を踏まえて、「一月安東令」(一ヶ月だけ安東の知事を拝命した)という印や、「棄官先彭沢令五十日」(陶淵明より50日も早く辞職した)という印を書画に押して、芸苑を沸かせました。呉昌碩にとって、書画印のみで生計を立てる決意は大英断だったと思われますが、呉昌碩の書画はその後数年の間に、格段の進歩を遂げました。

「一月安東令」(『缶廬印存』より)
僕は一ヶ月で辞めました。
「一月安東令」(『缶廬印存』より)、呉昌碩刻、清時代・光緒25年(1899)、(呉昌碩56歳)
東京国立博物館蔵
展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日)東京国立博物館


張瑞図後赤壁賦識語
襟を正して書きました。
張瑞図後赤壁賦識語、呉昌碩筆、中華民国2年(1913)、(呉昌碩70歳)
台東区立書道博物館蔵
展示:2018年1月4日(木)~3月4日(日)台東区立書道博物館


70代は作品の注文が殺到し、中には凡庸な作も見受けられます。しかし歴代の書画に記した行草書の識語は、謹厳な書きぶりに玲瓏(れいろう)な響きをたたえる傑作ばかり。呉昌碩は、歴史の中の自分を見つめながら書いていたのでしょう。

今回の連携企画では、呉昌碩が渦中にあった19歳から、没年にあたる84歳まで、各世代の作品を展示しています。西欧から近代的な思想が輸入され、多くの知識人が新旧の相克に悩んでいた時、古き良き伝統の護持者となった呉昌碩。書・画・印など多分野にわたる作風の変遷を通して、激動の時代に生まれ合わせた呉昌碩が何を見つめ、筆墨に何を託そうとしたのか、清朝最期の文人と称される呉昌碩の琴線に触れてみてください。

図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―
図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―

編集・編集協力:台東区立書道博物館、東京国立博物館、台東区立朝倉彫塑館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
呉昌碩の書斎の立体見取り図など、付録も充実!
ミュージアムショップにて販売中。
※台東区立書道博物館、台東区立朝倉彫塑館でも販売しています。

 

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
トーハク、朝倉彫塑館、書道博物館の学芸員が書いています。展覧会を楽しく観るための一助として、ぜひご活用ください。

関連事業
「台東区と朝倉文夫」 2018年3月7日(水)まで。
台東区立朝倉彫塑館にて絶賛開催中!
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 富田淳(学芸企画部長) at 2018年02月02日 (金)

 

呉昌碩のミ・リョ・ク

このたび、15回目の節目を迎えた東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―」(両館とも2018年3月4日(日)まで)では、清時代の掉尾(ちょうび)を飾る文人・呉昌碩(ごしょうせき)にスポットをあて、若き模索時代から最晩年までの作品と、その関係資料を紹介しています。
展示総数は両館あわせて176点! 前期(2018年1月28日まで)と後期(2018年1月30日~3月4日)で、書、画、印、硯、拓本を一挙公開!! というスペシャル企画です。
当ブログでは、2回に分けて呉昌碩の魅力をお伝えいたします。
前半戦では、呉昌碩の人となりについて概観したいと思います。

呉昌碩像軸 任伯年筆 清時代・光緒12年(1886) 個人蔵
親友・任伯年に描いてもらった僕の姿
呉昌碩像軸 任伯年筆 清時代・光緒12年(1886) 個人蔵 (呉昌碩43歳)
[展示:2018年1月30日(火)~3月4日(日) 台東区立書道博物館]


呉昌碩は、清時代の道光24年(1844)8月1日(新暦9月12日)、湖州安吉(あんきつ)県(現在の浙江(せっこう)省湖州市安吉県)で生まれました。
初名を俊(しゅん)、のちに俊卿(しゅんけい)といい、中華民国元年(1912)、69歳の時に昌碩(しょうせき)と改めました。字(あざな)は蒼石(そうせき)・倉碩(そうせき)、号は苦鉄(くてつ)・缶廬(ふろ)・大聾(たいろう)のほか20余種を用いました。
サブタイトルにある苦鉄は41歳から用いた号で、「苦鉄」と自ら刻した印の側款(そっかん)に、「苦鉄は良鉄なり」とあります。
呉昌碩は幼少から私塾に通い勉学に精を出しますが、17歳の時に太平天国の乱が起こり、21歳まで凄惨(せいさん)な避難生活を強いられます。

斉雲館印譜 呉昌碩作 清時代・光緒2年(1876) 東京国立博物館蔵
壮絶な避難生活にもめげず、高いこころざし!
斉雲館印譜 呉昌碩作 清時代・光緒2年(1876) 東京国立博物館蔵 (呉昌碩33歳)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]

しかし苦難の中でも学問への熱意は忘れず、芸苑の名士たちと交流を持ち、古印や書跡、青銅器などを鑑賞する機会を得て少しずつ見識を広めていきました。
不屈の精神で次第に書・画・印の才能を開花させていくその姿は、まさに苦鉄は良鉄なりの言葉そのものです。

彝器款識冊 呉昌碩筆 清時代・光緒12年(1886)頃 個人蔵
楊峴(ようけん)先生と一緒に鑑賞
彝器款識冊 呉昌碩筆 清時代・光緒12年(1886)頃 個人蔵 (呉昌碩43歳頃)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 台東区立書道博物館]


56歳で安東(あんとう)県(現在の江蘇(こうそ)省漣水(れんすい)県)の知事となりますが、腐敗した官界に耐えられず僅か1ヵ月で辞職します。
その頃すでに盛名を馳せていた呉昌碩は書画篆刻(てんこく)で生計を立て、旺盛な創作を展開しました。
上海に定住してからの16年間は老練の筆致が燦然(さんぜん)と輝き、時代を画する活躍を見せます。

墨梅自寿図軸 呉昌碩筆 中華民国14年(1925) 東京国立博物館蔵
ハッピーバースデー僕 With P(Plum)
墨梅自寿図軸 呉昌碩筆 中華民国14年(1925) 東京国立博物館蔵 (呉昌碩82歳の誕生日)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]



中華民国16年11月6日(新暦11月29日)、上海北山西路吉慶里(きっけいり)の自室にて84歳の生涯を閉じました。

行書王維五言句横披 呉昌碩筆 中華民国16年(1927) 個人蔵
最期にたどり着いた、悟りの境地
行書王維五言句横披 呉昌碩筆 中華民国16年(1927) 個人蔵 (呉昌碩84歳)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]


呉昌碩は、終生にわたって紀元前5世紀ごろの古代文字である石鼓文(せっこぶん)の臨書に励み、その風韻(ふういん)を書・画・印に結実させました。
また、若い頃に鑑賞した多くの金石資料にも刺激を受けて、自分なりの作風を築き上げています。
今回の展示では、呉昌碩が石鼓文以外の金石拓本にも幅広く目を向けていたという新資料を公開し、新たな呉昌碩像をお示しします。

臨散氏盤銘軸 呉昌碩筆 清時代・19~20世紀 個人蔵
ウブな僕の金トレ時代
臨散氏盤銘軸 呉昌碩筆 清時代・19~20世紀 個人蔵
[展示:2018年1月2日(火)~1月28日(日) 台東区立書道博物館]


呉昌碩は安吉という地方出身であり、田舎特有の泥臭さが詩・書・画・印において生涯染みわたっていますが、その不器用さとスケールの大きさ、そしてそこに金石の気が加わり、剥蝕(はくしょく)の味わいをもって新しい自分を見出して突き進んでいったところが呉昌碩の良さであり、凄さなのだと思います。
呉昌碩の師である楊峴が、そういう生き方でいい、自分のやり方で伝統をつくり、それを押し通すことが大事なのだ、と後押ししてくれたことも、心の支えになったことでしょう。

かつて篆刻家の小林斗盦(とあん)は、呉昌碩を「偉大なる不器用」と評しました。
呉昌碩のたくましい生きざまと作品に見え隠れする退廃的な美は、華やかだった清朝の文化が崩れていく最期のひと花だったのかもしれません。
清朝最期の文人は、多くの人々を魅了しつづけ、今日に至っています。

 

図録 呉昌碩とその時代-苦鉄没後90年-
図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―

編集・編集協力:台東区立書道博物館、東京国立博物館、台東区立朝倉彫塑館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
ミュージアムショップにて販売
※台東区立書道博物館、台東区立朝倉彫塑館でも販売しています。

 

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
トーハク、朝倉彫塑館、書道博物館の学芸員が書いています。展覧会を楽しくみるための一助として、ぜひご活用ください。

関連事業
「呉昌碩と朝倉文夫」2018年1月5日(金)~2018年3月7日(水)
台東区立朝倉彫塑館にて絶賛開催中!


 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2018年01月10日 (水)

 

特集「博物館に初もうで 犬と迎える新年」

今年もお正月恒例の特集「博物館に初もうで」が始まりました!
平成30年の干支である戌(犬)は古くから世界中で人間に飼われていた、最も身近な友達ともいえる動物です。
今回の特集では、この犬にちなんだ東京国立博物館選りすぐりの作品をご紹介いたします。

まず、今年の目玉は何といってもこの「朝顔狗子図杉戸」です!

朝顔狗子図杉戸 円山応挙筆 江戸時代・天明4年(1784)
朝顔狗子図杉戸 円山応挙筆 江戸時代・天明4年(1784)

江戸時代を代表する巨匠・円山応挙(1733~95)の手によるこの杉戸絵、コロコロ・フワフワとした五匹の子犬が戯れる姿を愛らしく描いています。
12年前の戌年には切手趣味週間のデザインにも選ばれたこの絵は、数多くの名作を生みだした応挙の作品の中でも特に有名な逸品です。
前回みなさんの前にお目見えしたのが2015年の夏でしたから、おおよそ2年半ぶりの登場となります。

次に注目していただきたいのがこの「緑釉犬」。

緑釉犬 中国 後漢時代・2~3世紀 武吉道一氏寄贈
緑釉犬 中国 後漢時代・2~3世紀 武吉道一氏寄贈

中国の後漢時代(2~3世紀)に作られたこの犬の焼き物。先の丸まった耳と尻尾を立て、短い四肢を踏ん張って吠える姿がいじらしく、とても愛嬌ある表情をしています。
首輪と胴のベルトは、多産の象徴とされるおめでたい子安貝で飾られた凝った意匠で、飼い主から彼に注がれた愛情の深さが感じられます。
中国では古くから犬を表した工芸作品が作られましたが、これらは墓を守る番犬とも、死者を冥界へ導く犬とも言われています。
人間の最も身近な友人として、死後の世界においても犬と共にいたいと願った当時の人々の心情が偲ばれます。

さて、様々な分野の愛らしい犬たちが一堂に会するこの特集ですが、実は二つのテーマで構成されています。
一つは日本人に愛されてきたかわいらしい子犬や珍しい異国の犬の造形に注目する「いぬのかたち」。
もう一つは、常に人と共にあった犬の文化史的な意義を追う「いぬとくらす」です。
時に世俗から離れて暮らす牧歌的な理想の生活のなかに、時に都市の雑踏のなかに、あるいは美女に抱えられた犬の姿を通じて、人々の愛した犬のイメージとバラエティーに富んだ素材や表現による作品を楽しんでいただきたいと思います。

思わず顔がほころぶような可愛らしい犬たちと、そこに込められた愛情深いまなざしと共に新年をお迎えください。

特集 博物館に初もうで 犬と迎える新年
本館 特別1室・特別2室 2018年1月2日(火)~ 2018年1月28日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館に初もうで特集・特別公開

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posted by 末兼俊彦(平常展調整室) at 2018年01月04日 (木)

 

特集「やきもの、茶湯道具の伝来ものがたり」

こんにちは。研究員の横山です。
今日は、ずっと温めていた特集のご紹介です。

いつも、展示室でご覧いただいている作品たち。
ふだん、展示室に出ていないときは、どのような箱に入っているのでしょうか。どのように保管されているのでしょうか。気になりませんか?

特集「やきもの、茶湯道具の伝来ものがた ―付属品・次第とともに観る―」(平成館企画展示室、2018年1月28日(日)まで)は、作品の箱など付属品(一緒に伝わっているもの)までお見せします、という展示です。
ここでは日頃担当している陶磁器や、茶の湯関係の作品を中心に紹介しています。

この企画、実は博物館に入る前から関心のあったテーマでした。
茶道をされる方は目にすることがあるかもしれませんが、お茶の道具にはとにかく「大切に、大切に」扱われ守られ伝えられてきているものが多くあります。
たとえば、茶入にはいくつもの仕覆(しふく:茶入を包む袋)がともなって、まるで「着せ替え人形」のようなものもありますし、著名な茶人が「これは確かなものですよ」と記した箱は、それだけで価値のあるものとなります。
さらに、その箱を守るためにまた箱を新たにつくって、“マトリョーシカ”のような二重三重の箱になっていることもあります。

唐物肩衝 銘 松山
唐物肩衝 銘 松山 中国 南宋~元時代・13世紀 原田吉蔵氏寄贈
作品と付属品がずらり勢ぞろい。小さな茶入にこれだけのものが付属しています。

この茶湯道具における付属品(「次第(しだい)」ともいいます)の重要性は、先の特別展「茶の湯」にかかわっていくなかでも、あらためて実感することでした。
箱の蓋を保護するために覆う紙、小さな紙札、更紗など特別な裂であつらえられた包裂…。
その一つひとつが作品を大事に守り伝えてきた証であり、歴史を物語る大切なものばかり。
作品を展示台に並べる際も、展示を終えてもとに戻す際も、それらに触れると何ともいえない緊張に包まれました。

重要文化財 青磁輪花碗 銘 馬蝗絆
重要文化財 青磁輪花碗 銘 馬蝗絆 中国・龍泉窯 南宋時代・13世紀 三井高大氏寄贈
茶の湯展にも登場した名碗。この展示では箱と伝来記も一緒に御覧いただきます。


作品それ自体が興味深いものばかりの博物館の所蔵品ですが、その周辺に付属するものを見ていくと、前の所有者の「顔」や「思い入れ」がうかがえることがしばしばあります。これは博物館研究員の役得ですね。
学生時代から近代数寄者やコレクターについて関心のあった私にとって、博物館入職以来、ワクワクすることの連続です。
ぜひ、こういう世界も展示で楽しんでいただけたらいいな、という思いもずっと抱いてきました。

彫唐津茶碗 銘 巌
彫唐津茶碗 銘 巌 唐津 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 広田松繁氏寄贈
この特集では、東京国立博物館の陶磁器や茶の湯関係のコレクションの中核をなす、広田不孤斎と松永耳庵の二人を取り上げました。


加えて、昨年から保存修復課に属し、「どのようにして作品を後世に伝えていくか」ということを、前にも増して考えるようになりました。
作品の修理にかかわることが主な仕事ですが、作品をいかに安全に収蔵していくか、作品周縁の環境づくりも大切なミッションです。
そうしたなかで、新しい保管箱を作るなどしていくと、私自身もまたある種、作品の付属品づくりにかかわり、ものの歴史に関与していくことになります。

銹絵十体和歌短冊皿「八十一歳乾山」銹絵 銘 乾山
銹絵十体和歌短冊皿「八十一歳乾山」銹絵銘 乾山 江戸時代・寛保3年(1743)
乾山の共箱をともなう作品。箱も大切に伝えていくため、10客の皿は新たに誂えた保管箱に収蔵しています。

…そんなこんなで、いろいろな思いが重なって、今回の特集につながりました。
展示室をご覧いただくと、いつもとは少し違う雰囲気をお楽しみいただけるのではないかと思います。
なお、展示室やこのブログでお伝えしきれなかったよもやま(?)話は、1月20日の月例講演会でお話しできたらなと思っています。
合わせて足をお運びいただければ、幸いです。

特集「やきもの、茶湯道具の伝来ものがたり ―付属品・次第とともに観る―」は、2018年1月28日(日)まで展示中です。

それではみなさま、どうぞよいお年を!

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 横山梓(保存修復室) at 2017年12月18日 (月)