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1089ブログ

チベットを旅した河口慧海(かわぐちえかい)の宝箱

まずはこの箱をご覧ください。


河口慧海請来風俗資料 19~20世紀 宮田恵美氏・上原スミ氏・水谷マサ氏寄贈

アクセサリーや、お金、数珠など、3つの箱にいろいろなものが丁寧に収められていて、まるで宝箱のようです。
それぞれに名前を書いた小札も貼られていて、この箱を整理した人は、とても几帳面だったのかなと想像されます。

その人の名は、日本人として初めてチベットの都ラサに到達した河口慧海(かわぐちえかい、1866~1945)。

幕末に大阪・堺の職人の家に生まれながら、志して僧侶となった慧海は、東アジアというフィルターを通した従来の仏教に飽き足らず、仏陀が生きた時代に近い仏教を求めて、すでに仏教が衰退していたインドではなくチベットを目指します。
ところが、当時はイギリスとロシアがユーラシア大陸で覇権を争う激動の時代であり、外国勢力を警戒したチベットは鎖国状態にあったため、世界中から探検隊が派遣される秘境として知られていました。
そこに単身乗り込んだのが、河口慧海でした。


西蔵服の河口慧海師肖像 高村真夫筆 昭和6年(1931) 宮田恵美氏・上原スミ氏・水谷マサ氏寄贈
(本館18室「近代の美術」にて9月12日から12月10日まで展示)


ただいま本館14室では、特集「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」(2023年8月22日~10月9日)を開催しており、慧海の姪である宮田恵美氏らからご寄贈いただいた慧海コレクションを一堂に公開しております。


特集「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」展示室風景

河口慧海請来風俗資料の展示ケース

 
さきほどご紹介した箱もその一つです。

百科事典や人名事典で「河口慧海」を調べると、「僧侶」「仏教学者」に続いて「探検家」と説明されることが多いのですが、鎖国状態にあったチベットへ密入国したエピソードがひろく知られているからでしょう。
とくに有名になったのは、帰国直後に新聞記者からの取材を受け、口述筆記を出版した『西蔵(チベット)旅行記』がきっかけでした。
現在もさまざまな版が刊行されていますが、初版は国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができます。
国立国会図書館デジタルコレクション『西蔵旅行記』上へ移動する
国立国会図書館デジタルコレクション『西蔵旅行記』下へ移動する


刊行は明治37年(1904)ですから、決して読みやすい文章とはいえませんが、河で溺れたり強盗に遭ったり、次々に紹介されるエピソードにハラハラドキドキが止まらず、ついページをめくってしまいます。


『西蔵旅行記』中表紙

「第二七回 氷河に溺る」挿絵

【参考画像】河口慧海著 『西蔵旅行記』上,博文館,1904. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993942 (参照 2023-09-07)
(注)本作品は展示されておりません。



もう一つ、慧海の名前を世に知らしめたのは、探検から持ち帰った様々な文物でした。

このうち、初めてのチベット探検から帰国して直後に、東京美術学校(現 東京藝術大学)で開催された展覧会には、冒頭で紹介した箱も出品されました。
このときに刊行された図録も、国立国会図書館のデジタルコレクションでご覧いただけます。
国立国会図書館デジタルコレクション『河口慧海師将来西蔵品図録』へ移動する


図書102-943(図書) 河口慧海師将来西蔵品図録 東京美術学校校友会編 明治37年(1904)

展示室でも原品をご覧いただけますが、木版画をデザインした黄色い背表紙、チベット文字と篆書体のタイトルが目をひきます。
このうち、目次にある、
45 西蔵婦人の胸掛外十四点
46 金剛手菩薩外十三点
47 古銀貨等三十五点
が、展示中の3箱に該当します。
図録に掲載される名称は、それぞれの箱の向かって右上にあるものの名前を抜粋しただけで、便宜的なもののようです。

現在、当館では「河口慧海請来風俗資料」と呼んでいますが、寄贈当時は「密教法具、儀式風俗資料その他」として登録されました。単品であれば分野ごとに名づける法則はありますが、このように混在しているものの名づけは難しく、わかりにくいのですが仕方ありません。
この宝箱、本人は何と呼んでいたのでしょうか。

名前はともかく、この図録に掲載される写真と現品を見比べてみると、いかがですか?

45 西蔵婦人の胸掛外十四点(:原品 :『河口慧海師将来西蔵品図録』)

46 金剛手菩薩外十三点(:原品 :『河口慧海師将来西蔵品図録』)

47 古銀貨等三十五点(:原品 :『河口慧海師将来西蔵品図録』)
右写真はすべて以下より。
東京美術学校校友会 編『河口慧海師将来西蔵品図録』,画報社,明37.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12683820 (参照 2023-09-07)



寄贈時点ですでに失われていたティンシャと呼ばれるシンバルを除き、当時のままであることがおわかりいただけたと思います。
もちろん、このままの状態で伝えられた訳ではなく、汚損や痛みが酷かったため、2021年に解体したうえクリーニングを施し、内装の裂も補強するなどの修理を経て、ご覧いただけるようになりました。
修理の詳細は2022年の特集展示「東京国立博物館コレクションの保存と修理」のページ内に掲載しているパンフレットをご参照ください。

完全に分類できる訳ではありませんが、図録で45に挙げている箱には、チベットやネパールの主に女性が身に着けた装飾品、46の箱には仏像やお守り、数珠といった信仰に関するもの、47の箱にはチベットやネパールの硬貨や切手、印章、鍵、筆といった実用品から、各地で採集した化石や石を収めているようです。
このたび、小札をすべて読み直し、リーフレットや展示室のパネルで紹介しておりますので、ご参照いただければ幸いです。

客員研究員で、チベットの仏教美術がご専門の田中公明先生に監修していただき、仏像の名前や地名を訂正したり補ったりしていますが、チベット文字の名称については、現在と異なっているものも多く今後の課題といえます。

この他、2回目のチベット探検からの帰国後にも展示会を開催しており、報道関係者や研究者ばかりでなく、多くの人々に驚きを与えたようです。
これらの図録はデジタル化されていませんが、『河口慧海著作集』別巻2(うしお書店、2001年)に写真が掲載されているので、ぜひ資料館でご覧ください。


菩薩立像 14~15世紀 宮田恵美氏・上原スミ氏・水谷マサ氏寄贈

釈迦三尊像 パーラ朝・9世紀 宮田恵美氏・上原スミ氏・水谷マサ氏寄贈

二臂マハーカーラ立像 19世紀 宮田恵美氏・上原スミ氏・水谷マサ氏寄贈

これらの作品は、図録のうち『美術資料』印度之部やネパール之部に掲載されています。

慧海コレクションの大半は、その没後に各地へ寄贈されました。
たとえば、仏像や仏画、法具や民俗資料など、1,500点に及ぶコレクションが、慧海の甥にあたる河口正(あきら)氏によって東北大学へ寄贈されています。
常時展示はされていませんが、主要な作品はデジタル化され、写真と解説がホームページで公開されています。
東北大学総合学術博物館 河口慧海コレクションへ移動する

また、今年はちょうど慧海が1回目のチベット探検から帰国して120年にあたるため、これを記念して出身地にある堺市博物館では企画展「河口慧海 仏教探究の旅」(2023年9月2日~10月15日)が開催されます。
当館への寄贈後もご遺族の元に残された関連資料が一挙に公開される機会で、本特集とあわせてご覧いただくことで、慧海がぐっと身近に感じられることでしょう。

慧海がどんな思いでこれらを集め、また箱に整理したのか、じっくり見ていると、慧海が隣で「これはなあ、、、」と、人々を夢中にさせた独特の語り口で、思い出まじりに解説してくれるような気がします。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 西木政統(登録室) at 2023年09月07日 (木)

 

うさぎ尽くしの書斎

新年あけましておめでとうございます。今回、特集「博物館に初もうで」を担当した工芸室主任研究員の清水と申します。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今年のテーマは、「兎(と)にも角(かく)にもうさぎ年」ということで、展示室には兎に角、たくさんのうさぎ達が集まりました。絵もあれば工芸品もあります。今回のブログでは、その中でも特に文房具に焦点を当て、ご紹介したいと思います。

文房具は、結構個人の趣味や好みが表れますよね。小学校の頃は筆箱なんか、かなり嗜好が表れていました。私は第二次ベビーブーマーなのですが、男の子だとスーパーカーとか特撮ヒーロー、女の子だとアニメなどのキャラクターのデザインが多かったような記憶があります。私はというと、ただの黒い合皮を貼っただけの四角い筆箱。上下両面開きとかも流行っていましたが、シンプルな片面開き。流行に流されず、目論見(もくろみ)通り6年間使いました。

そんな筆箱は、昔だとさしずめ硯箱(すずりばこ)でしょうか。今回展示の「豆兎蒔絵螺鈿硯箱(まめうさぎまきえらでんすずりばこ)」は、ちょっと大きな二段重ねで、硯の下に紙を入れる部屋があります。外は蒔絵と螺鈿で大豆の文様(もんよう)。派手ですがデザイン的にはシンプルですね。



豆兎蒔絵螺鈿硯箱
伝永田友治作 江戸時代・19世紀



豆好きかと思いきや、蓋を開けると、裏にうさぎがいました。 


豆兎蒔絵螺鈿硯箱 蓋裏


持ち主は密(ひそ)かにうさぎ好きのようです。家人や弟子に知られたくなかったのでしょうか。なかなか小粋な趣向です。

この硯箱に附属するものではありませんが、「織部兎文硯(おりべうさぎもんすずり)」(個人蔵)という、うさぎ形の硯もあります。うさぎの体が硯面になっていて、頭と尻尾、脚が周りに付いているのですね。ちょっと不思議な感じです。
(撮影不可の作品のため、実物は展示室にてご覧ください。)

そして、墨を擦るための水を注ぐための水滴(すいてき)。墨汁の普及した今ではあまり見掛けませんが、以前は必須アイテムでした。これもうさぎ形がたくさんあります。ふくらんだ子(図1)や振り返る子(図2)、首をかしげた子(図3)もいます。小さいものは硯箱に入れていたのでしょう。これも蓋を開けると、ひょっこり現れたことでしょうね。


兎水滴 
(図1)


 兎水滴
(図2)


 兎水滴
(図3)

図1~3 兎水滴
江戸時代・18~19世紀 渡邊豊太郎氏・渡邊誠之氏寄贈


紙と墨は今回ありませんが、筆は…。
実物はありませんが、「米庵蔵筆譜(べいあんぞうひっぷ)」という、江戸時代の文人・市河米庵(いちかわべいあん。1779~1858)の唐(中国)筆コレクションの図録には、「兎毫(とごう)」という、うさぎの毛のものがあります!


米庵蔵筆譜
米庵蔵筆譜
市河米庵編 江戸時代・天保5年(1834) 徳川宗敬氏寄贈
(赤枠内が兎毫の筆です)


硯箱を開けてうさぎとご対面、うさぎの硯にうさぎの水滴で水を注ぎ、うさぎの毛の筆でうさぎを摺りだした料紙にうさぎの和歌を書いたら…、うさぎ好きには堪(たま)らないでしょうね。墨もうさぎ膠(にかわ)で固めていたりして。そんなうさぎ尽くしの書斎は、実際にあったのか、卯年(うどし)の初夢なのか。ちょっと、そんな気分を味わいに、是非平成館企画展示室へお運び下さい。


展示風景
特集「博物館に初もうで 兎にも角にもうさぎ年」展示風景

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館に初もうで工芸

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posted by 清水健 at 2023年01月12日 (木)

 

東博・根付コレクション大公開

展示室で確認等の作業をしていると、来館者の皆様のちょっとした声が耳に入ってくることがあります。
先日は「根付 郷コレクション」展示室で、制服を着た数人の学生さんたちから笑い声が聞こえてきました。
何がおかしいのかと思うと、どうも根付の使用法を紹介する解説パネルの絵がツボにはまったようです。


名古屋山三郎絵巻(部分) 伝宮川春水筆 江戸時代・18世紀

そうですね、たしかに変な顔をしていますね。まあ見てほしいのは顔ではなく腰のあたりなのですが、ウケてもらえたなら何よりです。
根付とは、このように帯から巾着など提げ物を吊るすための留め具です。この絵では瓢箪(ひょうたん)を根付として使っています。
現在、東京国立博物館では館蔵の根付を代表する二大コレクション、「郷コレクション」と「高円宮コレクション」を一挙同時に全件公開しています。


特集「根付 郷コレクション」
(会期:11月2日(水)~ 2023年1月22日(日))
特集「根付 郷コレクション」の展示ページに移動

特集「高円宮殿下二十年式年祭記念 根付 高円宮コレクション」
(会期:11月15日(火)~ 12月25日(日))
特集「高円宮殿下二十年式年祭記念 根付 高円宮コレクション」の展示ページに移動

前者は実業家の郷誠之助氏(1865~1942)から寄贈いただいた古根付等274件を、後者は故・高円宮憲仁親王殿下(1954~2002)が蒐集された現代根付を中心とするコレクション500件をまとめて鑑賞できる稀有な機会です(両コレクションを一緒に見られるのは12月25日(日)までになりますのでご注意ください)。

郷コレクション

根付の魅力の一つとして、自由で多彩な主題選択が挙げられます。
神仙、故事伝説から、芸能、遊戯、怪異、霊獣、動物、虫、魚介、植物、器物など、ありとあらゆるものが根付の題材とされていると言ってよいでしょう。
なかには何に分類すべきか、ちょっと迷うようなものもあります。


嚔木彫根付(くしゃみもくちょうねつけ) 線刻銘「三輪」 江戸時代・18世紀

たとえば「肩肌脱いでお腹をかき、大口をあけてくしゃみをする直前のおじさん」。

眉根を寄せて片頬を上げ、おでこの皺も克明に刻み込んでいます。筋張った鎖骨周りの表現も、一瞬をとらえて見事です。
人が身に着ける商品のモチーフは、通常はそれに需要があるから売れるものですが、このどこかの知らないおじさん(当時は知られていたおじさんかもしれませんが)のくしゃみのどこに需要があったのでしょうか。
黄楊材(つげざい)でなめらかに再現された肢体に、作者の対象に対する愛着が感じられるようです。
肉眼で確認するのは大変ですが、口の中には象牙の歯が象嵌されているのもポイントです。


緊褌木彫根付(きんこんもくちょうねつけ) 線刻銘「ふ多葉」 江戸時代・19世紀

こちらは「褌(ふんどし)を締めるおじさん」。

膝のあたりの肉のたるみ具合から、老人に近い年齢に見えます。
褌を締めたことのある方ならおわかりと思いますが(いるのかな?)、前紐を結ぶために前垂れを上げておかなければいけないので、ここでは前垂れを顎と首で挟んでいます。
こんなとき、口は半開きになりますよね。よく見ると、やはり赤い口の中に歯が覗いています。

くしゃみやら褌やら、「美術」の文脈で見ると奇妙ですが、綿密な観察を経て再現された姿には奇妙な魅力があります。当時としてはありふれた「あるある」な光景だったのではないでしょうか。たとえば「モノマネ」のおもしろさは、対象を「知っている」という見る側の共通認識を前提として、その徹底した観察と再現性から生まれるのだと思いますが、こうした作品に感じる諧謔味(かいぎゃくみ)には、どこかモノマネに近いものがあるように感じます。
 

展示室で、二人連れの女性が「なんか、おっさんばっかだね」と語っていた言葉が印象に残っています。
別にいつも聞き耳をたてているわけではないのですが、そうです、その通りなのです。実際は先述のように多様な主題があるのですが、おじさん主題の作品は圧が強く、記憶に残りやすいように思います。おじさんが造形美の世界で輝く数少ない場と言うべきか。

もう一つ、輝けるおじさんの姿をご紹介しましょう。


按摩木彫根付 線刻銘「惇徳岷江(花押)」 江戸時代・19世紀

盲目の按摩さんが施術する様子は比較的好まれた主題で、「郷コレクション」には他にも数点が含まれています。
澄ました顔で男性の腕を捻っていますが、一方で施術される側の表情やいかに。


 

左右反対を向く二人の対照的な表情が、一つの作品のなかで見事にオチをつけています。
強面のおじさんが必死の表情で訴える姿は、まさに輝いていると言わざるを得ません。

高円宮コレクション

さて、幕末から明治にかけて、生活様式の変化とともに根付は徐々に実用の場を失っていきます。

一方で海外では人気が高まり、輸出向け商品として命脈を保つこととなりました。
郷氏が蒐集を始めたのも、根付が海外へ大量に流出することへの危機感が背景にあります。国内市場は縮小する一方でしたが、戦後、とくに1970年代からは根付師たちが意識的に「根付」という枠の中で現代的な感覚を反映させた造形を模索しはじめます。

古根付の技術を継承しながら、実用的な需要を失ったジャンルで、芸術性を伴う現代性を表現する。
そんな恐ろしく困難な課題に対峙して生まれたのが「現代根付」です。


幻兎 立原寛玉作 昭和46年(1971) 象牙

白うさぎを見ると、つい反射的に「かわいい!」と愛でたくなりますが、よく見るとどうも「かわいい」うさぎとは何かちがう。
これは一度うさぎの形を分解して、勾玉形に収まるように再構成したためです。根付らしく手慣れする形状にまとめつつ、対象を理知的に捉えて表現しているあたりに、現代根付作家に課せられた問題に対する一つの回答が示されているようです。

現代根付に大きな転機が訪れたのは1990年のことでした。
伝統的な根付の主要素材たる象牙の輸出入が、ワシントン条約のもと原則禁止となったためです。象牙が使いにくくなる一方で、根付素材の多様性は一気に広がりを見せました。


DNAクローンイルカはイルカⅡ 黒岩明作 平成10年(1998) エポキシ樹脂,銀,貝、金粉

伝統的な素材からの脱却は止むを得ない事情であったにせよ、合成樹脂のような新素材の利用は伝統的な技術からも距離を置くことになります。根付師としては大きな挑戦であり、「根付とはこういうもの」という既成概念との闘いでもありました。
この少し前、昭和59年(1984)に高円宮殿下がはじめて根付を購入され、ここから「高円宮コレクション」が形成されはじめます。殿下の蒐集は生きている作家を相手とするものでもあり、制作に関するディレクター的役割を持たれていた点も興味深いところです。


これでもか 針谷祐之作 平成11年(1999) 黄楊、蒔絵

こちらは限界までお腹をふくらませる蛙。やわらかいお腹の感触が、指をめり込ませることで伝わってきます。
このお腹の表現は、殿下のご指摘によって修正された部分だといいます。

「高円宮コレクション」は、現代という根付作家にとって順風満帆とは言い難い状況のなかで、ときに作家に課題を与え、助言をし、作家とともに同じ時代を進んでこられた殿下の活動を通じて形成されたものです。コレクションの全体像を一度に見わたせる機会は、今月12月25日(日)までとなります。高円宮妃殿下による作品解説が掲載された図録『続 根付 高円宮コレクション』もぜひ、この機にご高覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 福島修(特別展室) at 2022年12月09日 (金)

 

没後700年 趙孟頫とその時代—復古と伝承— その2

東洋書画担当の植松です。
特集「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」(2月27日(日)まで)の展示は、後期に入りました。
シリーズでお届けしているこのブログ、今回は、趙孟頫(ちょうもうふ)の活躍した元時代の絵画のうち、東京国立博物館の後期展示で見られる名品を紹介します。

日本では古来、宋・元時代の中国絵画が、将軍・大名のコレクションや茶道の大名物として珍重されてきました。
元についていえば、趙孟頫をはじめとする著名な文人画家の真筆はあまり日本になく、のちの中国の正統な絵画史観に照らし合わせると、傍流ともいえる作品が多い点は否めません。
例えば、これから紹介する、葛叔英(かつしゅくえい)、孫君沢(そんくんたく)といった画家は、室町将軍家の鑑賞体系を物語る『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』に名前が記され、日本では大画家としてもてはやされましたが、中国本土には作例があまりのこっていません。
しかし、日本にある元時代絵画には、当然ながら、大切に伝えられてきただけの理由があるはずです。
以下、その魅力を考えていきたいと思います。


(1)葛叔英筆「栗鼠図軸」
栗鼠図軸 画像
栗鼠図軸(りすずじく)
葛叔英筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


(1)葛叔英筆「栗鼠図軸」
栗鼠図軸 画像
栗鼠図軸(りすずじく)
葛叔英筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


栗鼠図軸 落款


栗鼠図軸 落款

葛叔英は、栗鼠図の名手「松田」として、日本で有名でした。
本図は、落款から、彼の91歳の時の作とわかります。
かわいた墨線で、栗鼠のややかたい毛並みが細かに表現されています。
見つめ合う二匹の目元、やわらかそうな鼻先や口元の愛らしさも見所です。
また、栗鼠の毛描きとは対照的に、葉を落とした木の輪郭には、かすれのある、あらあらしい筆づかいが目立ち、幹のごわごわした質感が伝えられます。
木の輪郭の外側には淡い墨面がはかれていて、幹の内側の白さが引き立てられています。
この白さは、あるいはうっすらと雪が積もっていることを示しているのかもしれません。


栗鼠図軸 狩野常信箱書 ※本特集では展示しません。


枯木栗鼠図軸(こぼくりすずじく)
牧野理春模 江戸時代・享保11年(1726) 東京国立博物館蔵 ※本特集では展示しません。


栗鼠図軸 狩野常信箱書 ※本特集では展示しません。


枯木栗鼠図軸(こぼくりすずじく)
牧野理春模 江戸時代・享保11年(1726) 東京国立博物館蔵 ※本特集では展示しません。

「栗鼠図軸」には、江戸時代の狩野常信(かのうつねのぶ、1636~1713)の箱書、外題が付属しており、享保11年(1726)の狩野派絵師による模本も現存しています。
武蔵国忍藩主である阿部正喬(あべまさたか、1672~1750)の所蔵を経て、のちに十二代将軍徳川家慶(とくがわいえよし、1793~1853)に献上されたものと考えられています。


(2)孫君沢筆「雪景山水図軸」

重要美術品 雪景山水図軸(せっけいさんすいずじく)
孫君沢筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


(2)孫君沢筆「雪景山水図軸」

重要美術品 雪景山水図軸(せっけいさんすいずじく)
孫君沢筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】

孫君沢は元代の杭州(浙江省)にあって、すでに滅びた南宋の宮廷山水画風を慕い、それをよりわかりやすいものに昇華させていった画家です。
本図は、雪景色をながめやる書斎の高士を詩情豊かに描きます。


雪景山水図軸 部分(旅人)


雪景山水図軸 部分(山石)


雪景山水図軸 部分(柳、梅、椿)


雪景山水図軸 部分(花瓶)

書斎の高士の視線の先には、広い川面、そして笠をかぶって橋をわたっていく騎馬の旅人の姿が小さく見えます。
雪の積もった山石に施される皴(山石の質感を表わす筆線)は、かたく直線的で、ひんやりとした空気感を伝えます。
葉を落とした柳にも雪がうっすらと積もり、梅や椿(山茶花)の花が白一色の世界にわずかな色彩を点じています。
書斎の中にも瓶に活けられた梅花が見えます。
細かなところまでよく行き届いた描写が魅力です。


(3)伝禅月筆「羅漢図軸」

重要美術品 羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


(3)伝禅月筆「羅漢図軸」

重要美術品 羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


羅漢図軸 部分(顔)

禅月大師貫休(ぜんげつたいしかんきゅう)は五代十国時代(907~960)の蜀の僧侶です。
怪奇な風貌と豪放な衣文が特徴の羅漢図を描いたとされ、その画風は南宋~元時代に引き継がれました。
日本には、元時代に作られたと考えられる、禅月風の水墨羅漢図がいくつものこっていますが、本図は、なかでも肉厚で生生しい目鼻や耳の描写に優れています。
元時代の道教・仏教絵画では、常人とは異なる迫力ある風貌を、現実感を伴って描く、このような表現が好まれたようです。


羅漢図軸 部分(香炉)

背景の香炉や靴も、簡略な描写ではあるものの、形がしっかりとらえられているので、立体感を失っていません。

展示場では、となりに別の禅月様羅漢図も並んでいます。
市河米庵(いちかわべいあん、1779~1858)旧蔵のこちらの「羅漢図軸」は、最初のものに比べると、描写があっさりしており、あるいは迫力不足な感じがするかもしれません。
似たような作品を見比べて、違いを探してみるのも絵画鑑賞の楽しみの一つでしょう。


羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元~明時代・14~15世紀 市河三兼氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元~明時代・14~15世紀 市河三兼氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博後期展示】

 

没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室) at 2022年02月02日 (水)

 

没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承― その1

トーハク(会場:東洋館8室)と台東区立書道博物館の連携企画は、現在開催中の「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」(前期:~1月30日(日)、後期:2月1日(火)~2月27日(日))で19回目を数えます。
今年は、元時代(1279~1368)を代表する文人の趙孟頫(ちょうもうふ、1254~1322)、そして同時代の書画に焦点を当てました。
両館あわせて6つのテーマ(【1】趙孟頫前夜 【2】趙孟頫と元時代の書 【3】趙孟頫の学書 【4】元時代の絵画 【5】明清時代における受容 【6】日本における受容 〈注〉【3・6】:書博のみ、【4】:後期はトーハクのみ)を設け、前後の時代や日本の書画にも目を向けながら、趙孟頫をはじめとする元時代の書画の魅力と後世の受容についてご紹介する企画です。
今回のブログでは、トーハクで展示のオススメの書跡を、テーマに沿ってお伝えします。


トーハク東洋館8室の展示風景


台東区立書道博物館の展示風景

南宋時代(1127~1279)の末期に、宋王朝の皇族として生まれた趙孟頫。
祖国を滅ぼしたモンゴル人の元王朝に仕えて高官に至り、ときに非難も受けました。
一方、異民族王朝のもと、書画をはじめとする祖国の伝統文化を護持し、中国書画史に偉大な業績を残したことは高く評価されています。


「趙孟頫前夜」
趙孟頫が活躍する前夜、宋時代には、正統的な王羲之(おうぎし)・王献之(おうけんし)の書が尊重されました。
宋人は高度な技法に基づく書の美しさよりも、自己の精神を筆墨に託した自由な表現を追求しました。
特に「宋の四大家」と称される北宋の能書、蔡襄(さいじょう)・蘇軾(そしょく)・黄庭堅(こうていけん)・米芾(べいふつ)の書には、創意に富む個性的な表現が窺えます。


行書虹県詩巻(ぎょうしょこうけんしかん)(部分)
米芾筆 北宋時代・崇寧5年(1106)頃 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

「行書虹県詩巻」は、虹県(安徽省泗県)を訪れた際に作った詩を大字の行書で書いた1巻。米芾(1051~1107)、最晩年の書です。
壮年期は「集古字」と評されるほど、王羲之ら古人の書法を徹底的に学び、晩年はその技法に拘泥されない、豪放で変化に富んだ作風に至りました。
本作は筆勢が豊かで、ニジミとカスレ、線の太細、傾きがよく調和し、一紙のなかに筆墨の様々な表情がみてとれます。


行書虹県詩巻跋(ぎょうしょこうけんしかんばつ)(部分)
劉仲游、元好問筆 金時代・大定13年(1173)、モンゴル帝国・憲宗5年(1255) 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

米芾の「行書虹県詩巻」は、のちに金の田瑴(でんかく)、劉仲游(りゅうちゅうゆう)らが所蔵し、巻末には劉仲游や詩人として名高い元好問(げんこうもん、1190~1257)らの跋がみられます。
南宋に対峙した華北の金では、世宗・章宗の頃に漢民族文化の摂取が積極的に行われました。
書においては、蘇軾や米芾などの北宋文人の作が重んじられました。


「趙孟頫と元時代の書」
趙孟頫は、王羲之を主とする晋唐の書法に習熟し、それを規範とする復古主義を唱導しました。
古典の筆法や形を尊重した趙孟頫の理念と典雅な作風は一世を風靡し、宋時代以来の書の流れを大きく転換させました。
一方、元時代も後半期になると、古法をふまえながらも、趙孟頫とは異なる野趣に富む峻厳な表現が現れました。




独孤本定武蘭亭序並蘭亭十三跋(どっこぼんていぶらんていじょならびにらんていじゅうさんばつ)(部分)
趙孟頫筆、原跡:王羲之筆 元時代・至大3年(1310)、原跡:東晋時代・永和9年(353)  高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博通期展示、頁替えあり】

「独孤本定武蘭亭序並蘭亭十三跋」は、趙孟頫が57歳の時に、僧の独孤淳朋(どっこじゅんぽう)から譲り受けた宋拓本の「定武蘭亭序」に、13の跋と蘭亭序の臨書を認めた1帖。
悠然とした筆使いで、どこを切り取っても王羲之ら晋唐の書を彷彿とさせる、格調高い書法です。
「右軍(王羲之)の人品は甚だ高し。故に書は神品に入る。」などと述べる跋や、その字姿には、王羲之に対する尊崇の念が表れます。




楷書玄妙観重脩三門記巻(かいしょげんみょうかんじゅうしゅうさんもんきかん)(部分)
趙孟頫筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博通期展示、場面替えあり】

蘇州(江蘇省)の道教寺院、玄妙観は、元時代に改名されて額を賜った際、三清殿と三門を改修し、二つの記念碑が建てられました。
この「楷書玄妙観重脩三門記巻」は後者の碑文の原稿で、篆書の題額と行楷書の本文はともに趙孟頫49~50歳頃の書とみられます。
題額は謹厳な筆使い。本文は唐の李邕(りよう)の書法を素地としたとみられ、重厚かつ流麗な筆致。墨色の美しい端整な字姿は、各種の書体に優れた趙孟頫の技量の高さを伝えています。


行書趙孟頫竹石図跋(ぎょうしょちょうもうふちくせきずばつ)(写真右は部分)
銭良右筆 元時代・泰定4年(1327)  高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

「行書趙孟頫竹石図跋」は、竹石図と唐の陸亀蒙(りくきもう)・杜甫(とほ)の詩を揮毫した趙孟頫49歳時の書画巻(欠失)に添えられた跋文。趙孟頫の没後5年、銭良右(せんりょうゆう、1278~1344)50歳時の書です。
銭良右は趙孟頫の逝去を悔やみ、書画の風格や韻致はこの1巻から今もなお想像できると称えています。
文意と趙孟頫に近似する温雅な字姿には、敬慕の念と影響の大きさが窺えます。


張氏通波阡表巻(ちょうしつうはせんぴょうかん)(部分)
楊維楨筆 元時代・至正25年(1365)  青山杉雨氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博通期展示】

「張氏通波阡表巻」は、元末明初の詩人として著名な楊維楨(よういてい、1296~1370)が、張麒(ちょうき)のために、松江(上海市)の通波塘に建てる墓碑(阡表)の文章を書いた1巻。松江に居した70歳時の書です。
隷書の筆意が残る章草など、草行楷の各体の筆法を混用、調和させながら、険しく鋭い筆致で書写されます。
楊維楨は趙孟頫の復古の流れを受け、章草などの古法を調和させた、野趣に富む新奇な表現に至ったものとみられます。


「明清時代における受容」
明時代の中期と後期の書画壇で最も影響力のあった文徴明(ぶんちょうめい)と董其昌(とうきしょう)。文徴明は趙孟頫を崇拝、董其昌は痛烈に非難し、その評価は実に対照的でした。
清の乾隆帝(けんりゅうてい)は趙孟頫の書法を重んじ、当時、宮廷を中心に趙孟頫風の書が流行しました。
明から清時代中期まで趙孟頫の評価は揺れながらも、多くの者が趙孟頫の書を介して伝統的な書法を学びました。
清時代も後期になると、伝統書法そのものが変容を迫られました。




行書陶淵明帰去来図画賛軸(ぎょうしょとうえんめいききょらいずがさんじく)(写真下は部分)
詹仲和筆 明時代・正徳7年(1512) 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

「行書陶淵明帰去来図画賛軸」は、寧波・杭州(浙江省)で活躍した明の書画家、詹仲和(せんちゅうか)が、陶淵明の像と代表作「帰去来辞」を揮毫した一幅です。
絵画には繊細な線描、書には王羲之や趙孟頫の行書を祖述する気品ある字姿がみられます。
詹仲和は王羲之、趙孟頫の書法を学び、また墨竹や白描(線描主体の絵画)などの絵画に優れました。


行書格物篇軸(ぎょうしょかくぶつへんじく)(写真右は部分)
乾隆帝筆 清時代・乾隆43年(1778) 東京国立博物館蔵【東博後期展示】

「行書格物篇軸」は、雲間に飛びかう蝙蝠の吉祥紋様を金泥で描いた薄桃色の蠟箋に、「格物」と題する詩を書写した1幅。乾隆帝(1711~99)68歳時の書です。
草書をまじえた流麗な筆使いによる行書は、端整な書きぶりです。
太細の変化の少ない線条は乾隆帝独特のものですが、温雅な字姿は愛好した趙孟頫の書を想起させます。

トーハクと台東区立書道博物館、両館の展示作品を通して、現代まで受け継がれてきた中国伝統の書画文化に親しんでいただけますと幸いです。


没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
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カテゴリ:研究員のイチオシ書跡特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(東洋室) at 2022年01月21日 (金)