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東博・根付コレクション大公開

展示室で確認等の作業をしていると、来館者の皆様のちょっとした声が耳に入ってくることがあります。
先日は「根付 郷コレクション」展示室で、制服を着た数人の学生さんたちから笑い声が聞こえてきました。
何がおかしいのかと思うと、どうも根付の使用法を紹介する解説パネルの絵がツボにはまったようです。


名古屋山三郎絵巻(部分) 伝宮川春水筆 江戸時代・18世紀

そうですね、たしかに変な顔をしていますね。まあ見てほしいのは顔ではなく腰のあたりなのですが、ウケてもらえたなら何よりです。
根付とは、このように帯から巾着など提げ物を吊るすための留め具です。この絵では瓢箪(ひょうたん)を根付として使っています。
現在、東京国立博物館では館蔵の根付を代表する二大コレクション、「郷コレクション」と「高円宮コレクション」を一挙同時に全件公開しています。


特集「根付 郷コレクション」
(会期:11月2日(水)~ 2023年1月22日(日))
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特集「高円宮殿下二十年式年祭記念 根付 高円宮コレクション」
(会期:11月15日(火)~ 12月25日(日))
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前者は実業家の郷誠之助氏(1865~1942)から寄贈いただいた古根付等274件を、後者は故・高円宮憲仁親王殿下(1954~2002)が蒐集された現代根付を中心とするコレクション500件をまとめて鑑賞できる稀有な機会です(両コレクションを一緒に見られるのは12月25日(日)までになりますのでご注意ください)。

郷コレクション

根付の魅力の一つとして、自由で多彩な主題選択が挙げられます。
神仙、故事伝説から、芸能、遊戯、怪異、霊獣、動物、虫、魚介、植物、器物など、ありとあらゆるものが根付の題材とされていると言ってよいでしょう。
なかには何に分類すべきか、ちょっと迷うようなものもあります。


嚔木彫根付(くしゃみもくちょうねつけ) 線刻銘「三輪」 江戸時代・18世紀

たとえば「肩肌脱いでお腹をかき、大口をあけてくしゃみをする直前のおじさん」。

眉根を寄せて片頬を上げ、おでこの皺も克明に刻み込んでいます。筋張った鎖骨周りの表現も、一瞬をとらえて見事です。
人が身に着ける商品のモチーフは、通常はそれに需要があるから売れるものですが、このどこかの知らないおじさん(当時は知られていたおじさんかもしれませんが)のくしゃみのどこに需要があったのでしょうか。
黄楊材(つげざい)でなめらかに再現された肢体に、作者の対象に対する愛着が感じられるようです。
肉眼で確認するのは大変ですが、口の中には象牙の歯が象嵌されているのもポイントです。


緊褌木彫根付(きんこんもくちょうねつけ) 線刻銘「ふ多葉」 江戸時代・19世紀

こちらは「褌(ふんどし)を締めるおじさん」。

膝のあたりの肉のたるみ具合から、老人に近い年齢に見えます。
褌を締めたことのある方ならおわかりと思いますが(いるのかな?)、前紐を結ぶために前垂れを上げておかなければいけないので、ここでは前垂れを顎と首で挟んでいます。
こんなとき、口は半開きになりますよね。よく見ると、やはり赤い口の中に歯が覗いています。

くしゃみやら褌やら、「美術」の文脈で見ると奇妙ですが、綿密な観察を経て再現された姿には奇妙な魅力があります。当時としてはありふれた「あるある」な光景だったのではないでしょうか。たとえば「モノマネ」のおもしろさは、対象を「知っている」という見る側の共通認識を前提として、その徹底した観察と再現性から生まれるのだと思いますが、こうした作品に感じる諧謔味(かいぎゃくみ)には、どこかモノマネに近いものがあるように感じます。
 

展示室で、二人連れの女性が「なんか、おっさんばっかだね」と語っていた言葉が印象に残っています。
別にいつも聞き耳をたてているわけではないのですが、そうです、その通りなのです。実際は先述のように多様な主題があるのですが、おじさん主題の作品は圧が強く、記憶に残りやすいように思います。おじさんが造形美の世界で輝く数少ない場と言うべきか。

もう一つ、輝けるおじさんの姿をご紹介しましょう。


按摩木彫根付 線刻銘「惇徳岷江(花押)」 江戸時代・19世紀

盲目の按摩さんが施術する様子は比較的好まれた主題で、「郷コレクション」には他にも数点が含まれています。
澄ました顔で男性の腕を捻っていますが、一方で施術される側の表情やいかに。


 

左右反対を向く二人の対照的な表情が、一つの作品のなかで見事にオチをつけています。
強面のおじさんが必死の表情で訴える姿は、まさに輝いていると言わざるを得ません。

高円宮コレクション

さて、幕末から明治にかけて、生活様式の変化とともに根付は徐々に実用の場を失っていきます。

一方で海外では人気が高まり、輸出向け商品として命脈を保つこととなりました。
郷氏が蒐集を始めたのも、根付が海外へ大量に流出することへの危機感が背景にあります。国内市場は縮小する一方でしたが、戦後、とくに1970年代からは根付師たちが意識的に「根付」という枠の中で現代的な感覚を反映させた造形を模索しはじめます。

古根付の技術を継承しながら、実用的な需要を失ったジャンルで、芸術性を伴う現代性を表現する。
そんな恐ろしく困難な課題に対峙して生まれたのが「現代根付」です。


幻兎 立原寛玉作 昭和46年(1971) 象牙

白うさぎを見ると、つい反射的に「かわいい!」と愛でたくなりますが、よく見るとどうも「かわいい」うさぎとは何かちがう。
これは一度うさぎの形を分解して、勾玉形に収まるように再構成したためです。根付らしく手慣れする形状にまとめつつ、対象を理知的に捉えて表現しているあたりに、現代根付作家に課せられた問題に対する一つの回答が示されているようです。

現代根付に大きな転機が訪れたのは1990年のことでした。
伝統的な根付の主要素材たる象牙の輸出入が、ワシントン条約のもと原則禁止となったためです。象牙が使いにくくなる一方で、根付素材の多様性は一気に広がりを見せました。


DNAクローンイルカはイルカⅡ 黒岩明作 平成10年(1998) エポキシ樹脂,銀,貝、金粉

伝統的な素材からの脱却は止むを得ない事情であったにせよ、合成樹脂のような新素材の利用は伝統的な技術からも距離を置くことになります。根付師としては大きな挑戦であり、「根付とはこういうもの」という既成概念との闘いでもありました。
この少し前、昭和59年(1984)に高円宮殿下がはじめて根付を購入され、ここから「高円宮コレクション」が形成されはじめます。殿下の蒐集は生きている作家を相手とするものでもあり、制作に関するディレクター的役割を持たれていた点も興味深いところです。


これでもか 針谷祐之作 平成11年(1999) 黄楊、蒔絵

こちらは限界までお腹をふくらませる蛙。やわらかいお腹の感触が、指をめり込ませることで伝わってきます。
このお腹の表現は、殿下のご指摘によって修正された部分だといいます。

「高円宮コレクション」は、現代という根付作家にとって順風満帆とは言い難い状況のなかで、ときに作家に課題を与え、助言をし、作家とともに同じ時代を進んでこられた殿下の活動を通じて形成されたものです。コレクションの全体像を一度に見わたせる機会は、今月12月25日(日)までとなります。高円宮妃殿下による作品解説が掲載された図録『続 根付 高円宮コレクション』もぜひ、この機にご高覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 福島修(特別展室) at 2022年12月09日 (金)