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140周年ありがとうブログ

「またとないくらい貴い」 多くの出会いと経験にありがとう

「うわーーーーー!!」
文字ではなかなか伝わりにくいですが、博物館ではこういった大きな声を発してはいけないと言われています。
地声が大きいとよく言われる私も、他館で展示を拝見し、その作品に関する感想を時には仲間とともに熱く語り合い、時には独り言を漏らす時にも、極力声量を抑えるよう心がけています。
ですがいまから10年ほど前、トーハクの展示室で冒頭にあるような大きな声をあげ、周りの皆さんの顰蹙(ひんしゅく)をかっていたのは何を隠そうこの私です。
まずはその場にいらした方々に、この場をお借りしてお詫び申し上げます。

さて、その頃の私は、当館所蔵の「天狗草紙」という鎌倉時代の絵巻を修士論文のテーマに取り上げようと決めたものの、刻々と迫る論文提出の締め切りを前に悶々とした日々を過ごしていたのでした。


重要文化財 天狗草紙 延暦寺巻 鎌倉時代・13世紀 (展示の予定はありません)

おそらくその当時、日本(世界?!)で一番「天狗草紙」という作品に恋い焦がれ、思い悩み、大いに振り回されていた青年の前に突如舞い降りた天使が、同じく当館所蔵の「遊行上人縁起絵」という絵巻でした。


重要文化財 遊行上人縁起絵 乙巻 鎌倉時代・14世紀 田中親美氏寄贈 (展示の予定はありません)

主題の上では関連を見いだせない、むしろ正反対の主張をするこの二つの絵巻なのですが、その後「遊行上人縁起絵」のいくつかの伝本を国内外の各所で調査させて頂き、「天狗草紙」と「遊行上人縁起絵」の祖本を描いた絵師が非常に近い関係にあったのではないかという結論に至ったのは、多くの魅力ある作品を「さりげなく」陳列している東京国立博物館という存在なくしては「有り難い」ことでした。

偶然とも言える多くの作品との、その日、その時、その瞬間の「有り難い」出会い。

その後、縁あってトーハクに勤務させて頂いている今、このような想いを日々感じている毎日です。
そんな中で特に印象深かった「出会い」の経験が、今年の夏に開催され、担当の一人として携わった特別展「中国山水画の20世紀」です。
中国、山水画、20世紀。いずれのキーワードもこれまでの私にとってはとても縁遠いものばかりでしたが、多くの同僚、多くの先輩とともに、未知の作品と真摯に対峙し、様々な作品の見方を共有するという、本当に「有り難い」貴重な経験を得ることができました。


「中国山水画の20世紀」展事前調査の折、北京の路地裏で象棋(将棋)を観戦

「ありがとう」を冠するこのブログ。「ありがとう」という言葉はそもそも「有り難い」、すなわち「ありそうにない・めったにない」、ひいては「またとないくらい貴い」という意味を表わしています。
そんな貴い、多くのヒトとモノとの、出会いと経験を与えてくれるトーハクに、「愛を込めて花束を」ではないけれど、心からありがとうの花束を、大げさだけど受け取って欲しいなと思っています。

カテゴリ:2012年10月

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posted by 土屋貴裕(絵画・彫刻室) at 2012年10月30日 (火)

 

歴史の楽しさを教えてくださる、たくさんの「先生」にありがとう

広報室の林素子と申します。

博物館ニュースメールマガジンなどを通じて、
トーハクの作品や展示、イベントについてご紹介する仕事をしています。
ここには140周年もの館の歴史や11万件を超える収蔵品、などたくさんの魅力があり、
それゆえに、自分の力不足やちっちゃさを感じることも多いのですが、
貴重な経験ややりがいがつまった仕事ができることに、感謝する日々です。


蘭亭図巻(万暦本) 明時代・万暦30年(1602) 東京国立博物館蔵
今、広報室でもポスターやチラシの準備を進めている特別展「書聖 王羲之」の出展作品。
記号である文字を芸術的な「書」に高めた王羲之は、世界史の教科書にも登場しますが、
1人の人物が後世に与えた影響に改めて驚かされます。開催をどうぞお楽しみに!


トーハクでの仕事に就いてから、時々思い出す恩師がいます。
歴史の成績がサイアクだった高校生2年生の時、
家庭教師にきてくれた宮下先生です(本業は大学生)。
授業内容は、過去問を問いて答えあわせ、と普通なのですが、
答えあわせの時、歴史の出来事をとても楽しそうに話してくださるので、
自分とは遠くかけ離れた国や時代、文化に思いをはせたり、
反対に歴史上の事象を現代の自分とつなげて身近に感じたり、といった、
歴史の楽しみ方に気がつくことができて、ニガテ意識を克服できるようになりました。
成績アップはさておいて(宮下先生、ごめんなさい)、
歴史に興味が沸いた私は、その後大学で史学を専攻しました。

トーハクに来た今、再び、歴史の楽しさを教えてくださる「先生」に恵まれています。
ホンモノの作品、研究員の方々に、トーハクに長年勤務する先輩職員の方々。
仕事柄そういったたくさんの先生に接し、お話を伺えるのはとっても幸せなことです。
先生方、いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。


やっぱ決め手は、赤いほっぺだほ。

カテゴリ:2012年10月

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posted by 林素子(広報室) at 2012年10月27日 (土)

 

豊かな食材にありがとう

東洋館にあるホテルオークラレストランゆりの木の調理長、吉岡治人と申します。
いつも厨房にいるので展示をゆっくり楽しんだりすることもかないませんが、みなさんに博物館での時間をより楽しんでいただけるようにお手伝いをさせていただいています。

先日9月21日(金)のトーハク140周年記念「スペシャルありがとうデー」では、特別にビアガーデンを開催。焼き鳥に枝豆、さつま揚げなど、いつもとは違うメニューを用意するなど手探り状態でしたが、予想以上に多くのお客様にお越しいただき大忙しでした。

それから、特別展にあわせて期間限定メニューをご用意しています。
現在開催中の特別展「出雲―聖地の至宝―」にちなんで考案したのは、島根県の食材を使ったメニューです。
宍道湖のシジミのスープ、島根県産の銀山赤鶏の香草焼、ノドグロやアナゴなどのてんぷらに、コンコード種のぶどうやイチヂクを使ったデザート。
どれもお勧めですが、特徴的なのは「うずめ飯」です。島根に古くから伝わる郷土料理を、ゆりの木スタイルにアレンジしました。
島根県産のシイタケと人参、それにふぐを使った雑炊です!豊かな食材に感謝です。


(左)イチオシのうずめ飯は、トーハク140周年を記念して1,400円
(右)ブドウムースの中にはプリンとイチヂクのワイン漬けが入っています。形も島根県のマークのデザインを取り入れるなどこだわっています。850円(コーヒー付)


これからもトーハクの特別展と一緒に、ゆりの木のメニューにもぜひご注目ください。

カテゴリ:2012年10月

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posted by 吉岡治人(ホテルオークラレストランゆりの木) at 2012年10月24日 (水)

 

博物館職員として育てくれて、ありがとう

こんにちは。
機構本部の総務企画課で評価を担当しております、小林と申します。
博物館の報告書等を整理して、外部の専門家に見ていただき、
評価を受けるための準備をしています。

私とトーハクとの出会いは、ちょうど20年前です。
上司から「小林君、4月からトーハクだから」と内示を受け、
○ーハトのキャラメ○コーンをイメージしてしまったのを覚えています。

パソコンに明るい事務職員としての異動だったそうで、
私がトーハクに来た当時の学芸は、ワープロ専用機が残る中、
パソコン(PC-9801)を業務に取り入れつつある状況でした。
「FAX文書」を「ふぁっくすもんじょ」と読む先生に
カルチャーショックを受けながら、展示室のキャプションや
説明札作成、図録原稿データのとりまとめ等をしておりました。

また数年前まで広報室でウェブサイトの作成や運用も担当し、
仕事を通して、博物館について学ばせていただきました。
理系畑だった私を博物館職員として育ててくださった皆様方に、ありがとう。


広報室在席中、最も取材が多かった「国宝 阿修羅展」では、
行列の取材撮影もありました。 長時間お並びいただいた皆様、
ありがとうございました。(写真は資料館の屋上から撮影)



トーハクの新スポット、平成館と本館の間に浮かぶスカイツリーです。
夕焼けに染まる時間帯がお勧めです。

カテゴリ:2012年10月

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posted by 小林徹(総務企画課) at 2012年10月21日 (日)

 

森林太郎総長、ありがとうございました

調査研究課長の田良島 哲です。

今年の初め頃だったかと思います。
私は当館の資料館地下にある収蔵庫の前室で「館史資料」を調べていました。
館史資料というのは、明治の初めから第二次大戦頃までの館の運営に関わる文書類のことで、
所蔵品が館に入ってきた由来や館の建物の沿革、
さらに、かつては当館が管理していた上野公園に関する昔のことを調べるには、不可欠の歴史的資料です。

その時は、大正6年(1917)から11年まで鴎外森林太郎が帝室博物館総長を務めた時期の文書を何十冊か、端からページをめくっていたのです。
創立140周年記念の特集陳列の一つとして、ちょうど生誕150年にもあたる鴎外をとりあげることは、前年から決めていたのですが、さまざまな資料から鴎外の姿をどのように見せたらよいかという点で、いささか考えあぐねていました。

たまたま目録に「上野公園ノ法律上ノ性質」「大正九年」というタイトルがありました。
現物を見てみると表紙には題名も何もないそっけない冊子です。

開くと当時の東京帝室博物館の用紙にペン書きでぎっしりと文章が書き込まれており、しかも何やらむずかしげな法律的議論を展開しています。
しばらく読み進めていると、ふっと頭にひっかかる文句がありました。
「多ク学者ハ簡単ニ考ヘテ…」

ふつう、学者はさまざまなことを難しく考える人種だと思われています。
「多く学者は簡単に考える」と断言する博物館の職員とは何者だろう。
すぐに鴎外の名前が頭に浮かびました。

― これは鴎外の文章にちがいない。

その後、本人の日記や書簡を調べる中で、直感が正しかったことは裏付けられ、「博物館行政に取り組む鴎外」という展示の一つの柱を作ることができました。

鴎外の知的世界が広くまた奥深いことは、エジプトの広壮な古都にたとえて「テエベス百門の大都」とよく言われます。
今回の発見は、鴎外に通じる開かれていない門がまだあることを教えてくれ、私のこれからの研究にとっても大きな課題となりました。
そのきっかけを残してくれた泉下の大先輩である森林太郎総長に、深く感謝します。


鴎外は上野公園のベンチに座って開門を待っていたそうです。
当時とは様子が違いますが、正門からすぐのベンチにて。


※「東京国立博物館140周年特集陳列 生誕150年 帝室博物館総長 森鷗外」は展示を終了しております。

カテゴリ:2012年10月

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posted by 田良島 哲(調査研究課長) at 2012年10月18日 (木)