このページの本文へ移動

140周年ありがとうブログ

森林太郎総長、ありがとうございました

調査研究課長の田良島 哲です。

今年の初め頃だったかと思います。
私は当館の資料館地下にある収蔵庫の前室で「館史資料」を調べていました。
館史資料というのは、明治の初めから第二次大戦頃までの館の運営に関わる文書類のことで、
所蔵品が館に入ってきた由来や館の建物の沿革、
さらに、かつては当館が管理していた上野公園に関する昔のことを調べるには、不可欠の歴史的資料です。

その時は、大正6年(1917)から11年まで鴎外森林太郎が帝室博物館総長を務めた時期の文書を何十冊か、端からページをめくっていたのです。
創立140周年記念の特集陳列の一つとして、ちょうど生誕150年にもあたる鴎外をとりあげることは、前年から決めていたのですが、さまざまな資料から鴎外の姿をどのように見せたらよいかという点で、いささか考えあぐねていました。

たまたま目録に「上野公園ノ法律上ノ性質」「大正九年」というタイトルがありました。
現物を見てみると表紙には題名も何もないそっけない冊子です。

開くと当時の東京帝室博物館の用紙にペン書きでぎっしりと文章が書き込まれており、しかも何やらむずかしげな法律的議論を展開しています。
しばらく読み進めていると、ふっと頭にひっかかる文句がありました。
「多ク学者ハ簡単ニ考ヘテ…」

ふつう、学者はさまざまなことを難しく考える人種だと思われています。
「多く学者は簡単に考える」と断言する博物館の職員とは何者だろう。
すぐに鴎外の名前が頭に浮かびました。

― これは鴎外の文章にちがいない。

その後、本人の日記や書簡を調べる中で、直感が正しかったことは裏付けられ、「博物館行政に取り組む鴎外」という展示の一つの柱を作ることができました。

鴎外の知的世界が広くまた奥深いことは、エジプトの広壮な古都にたとえて「テエベス百門の大都」とよく言われます。
今回の発見は、鴎外に通じる開かれていない門がまだあることを教えてくれ、私のこれからの研究にとっても大きな課題となりました。
そのきっかけを残してくれた泉下の大先輩である森林太郎総長に、深く感謝します。


鴎外は上野公園のベンチに座って開門を待っていたそうです。
当時とは様子が違いますが、正門からすぐのベンチにて。


※「東京国立博物館140周年特集陳列 生誕150年 帝室博物館総長 森鷗外」は展示を終了しております。

カテゴリ:2012年10月

| 記事URL |

posted by 田良島 哲(調査研究課長) at 2012年10月18日 (木)