国際交流室の李京林(イ・ギョンリム)です。館内のあっちこっちでご覧いただける韓国語の翻訳を担当しています。主に、作品の題箋や解説、そして各サインなどの翻訳業務がメインとなります。
また、海外の博物館等との人的交流のサポートもしており、研究員の海外訪問・招聘において通訳やアレンジを担当します。皆様の目には直接触れない部分もありますが、こういった交流とそこから得た両国間の理解はいずれ展示にも反映される、と考えております。
なかでも今日ご紹介するのは皆様が展示室で目にされるであろう、作品情報(作品タイトル等や解説)の翻訳の仕事です。作品情報の翻訳にあたっては、美術の専門用語はもちろん、キャプションという限られた紙面と基本的には立ち読みする博物館の状況など、実はいろいろな制約や状況を想定します。ですから、「簡潔ながらもわかりやすい」翻訳にするには、場合によってはなかなか苦戦することもあるのです。
たとえば「浮世絵」。版画は世界中にあるものですが、浮世絵はその独特な表現により、日本国外の観客の注目を集めるジャンルの一つでもあります。ですが、日本ならではの風俗を表すものや、比喩、含蓄、言葉遊びなどが多く、直訳ではその意味が充分に伝わらないことも多いのです。
見立黄石公張良 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀
(2018年8月28日~9月24日 まで本館10室にて展示)
황석공과 장량의 은유 스즈키 하루노부 필 에도시대・18세기
(2018년 8월 28일~9월 24일까지 본관 10실에서 전시)
8月28日(火)より本館10室にて公開中の春信の錦絵です。「黄石公」と「張良」は古代中国の人物。黄石公が靴を川に落とし、それを張良に拾わせてから彼に兵法を教えたという故事がこの絵の元になっています。しかし、二人は江戸の若い男女に、そして、靴は扇に、その姿を変えています。一見、優雅な美人画に見えるのですが、中国の故事を知っている人にはそれを連想させます。これが「見立」であり、日本の芸術、とりわけ浮世絵では欠かせない手法なのです。
さて、以上を踏まえて作品タイトルの韓国語訳をするのですが、まったく同じ概念は韓国美術では見つからなく、だからといって毎回長い説明を付けるわけにもいきません。なので、訳語においては少し言葉の並びを変え、「황석공과 장량의 은유(黄石公と張良の隠喩)」のようにしました。「隠喩」という言葉には何かを「暗示」するというニュアンスが含まれており、芸術の手法としても知られている言葉のため、最も近い概念として採用しました。
今回この作品には解説はついていませんが、場合によっては30字の簡単な4言語解説がつきます。その場合は、タイトルとは別に、解説の中で補足説明をしたりもします。
これは同じく見立の手法を使用した「見立草刈り山路」という作品とその解説です。
見立草刈り山路 石川豊信筆 江戸時代・18世紀
※ 現在展示しておりません
설화 ‘풀베는 산로’의 은유 이시카와 도요노부 필 에도시대・18세기
※현재는 전시하고 있지 않습니다
「見立草刈り山路」の3言語解説
解説に書かれている韓国語の文章は「元となったのは山路と名乗る草刈りに身をやつした親王の話。その主人公を同時代の若衆に置き換えて描いた作品。」という意味です。少しはわかりやすくなったでしょうか?
30字という短い文章で詳しい知識や背景までをお伝えすることはとても難しいのですが、これについてはお客様自身が調べる楽しみとして残しておく、という側面もあります。
また、より広い紙面を使わせていただけるトーハクのウェブサイトや出版物を通して補足させていただくこともあります。というのも…
東京国立博物館ハンドブック(韓国語改正版)の表紙と中身。9月1日より発行予定。
国際交流室では出版物の翻訳も行っており、このたび約13年ぶりに韓国語版の改正版を出すことになりました。トーハクを十分に楽しみたい韓国の方はもちろん、トーハクを韓国語ではどのように紹介しているのかな、と気になる韓国語学習者の方にもおすすめします。ぜひ手にとってご覧ください!
| 記事URL |
posted by 李京林(国際交流室アソシエイトフェロー) at 2018年08月31日 (金)
東洋館8室では、2018年8月28日(火)から2018年10月21日(日)まで、特集「中国書画精華-名品の魅力-」を開催しています。
毎年秋恒例の中国書画の名品展ですが、今年のテーマは名品の名品たる所以をわかりやすく紹介、ということですので、本ブログでは、伝趙昌筆「竹虫図」について、その魅力をお話してみようと思います。
重要文化財 竹虫図 伝趙昌筆 南宋時代・13世紀 (9月24日まで展示)
名品たる所以 その1 ―圧倒的な描写力―
この「竹虫図」は、今からおよそ800年前、13世紀に描かれたと考えられている作品です。大きく回転しながら竹が伸び、瓜、鶏頭が添えられ、間に、チョウやトンボ、イナゴ、スズムシ、クツワムシなどが遊びます。
日本では、10~11世紀に活躍したという有名な花鳥画家、趙昌筆として伝えられてきましたが、実際の作者の名前はわかっていません。
しかし、当時でも指折りの名人であったことは確実でしょう。
複雑に重なり交差しあう竹の細枝を見事に描ききり・・・、
「竹虫図」(部分:竹枝)
トンボの頭部の立体感、翅の文様まで細かに再現しています。
「竹虫図」(部分:トンボ) ※絹糸の織目が見えるくらいまで拡大しました。
鶏頭の花の色と質感を、様々な色の点描を重ねることで表し・・・、
「竹虫図」(部分:鶏頭)
瓜の葉の、深緑から黄緑に変わっていくグラデーションを丁寧に伝えます。
「竹虫図」(部分:瓜)
注目すべきは、金泥をごく限定的かつ効果的に使用する、洗練された感覚です。
これは12~13世紀の中国絵画特有のもので、本図では、チョウの翅の文様の一部、カゲロウの目、瓜の葉の上の小虫などに金が用いられ、控えめな輝きを放っています
「竹虫図」(部分:チョウ)
「竹虫図」(部分:カゲロウ)
「竹虫図」(部分:小虫)
名品たる所以 その2 ―他に現存例のない希少性―
草花の間に昆虫を散りばめる作品は、中国絵画史では「草虫」というジャンルに区分されます。
草虫図は10世紀ころから人気の画題となってきたようで、絵画の歴史書にも草虫図を得意にしたという画家の記述が出てきます。
ただ、このころの作品はほとんど残っておらず、比較的画面の大きい掛軸形式のものとしては、本図が現存最古の作例といえるでしょう。
14世紀以降、掛軸形式の草虫図の構図は形式化して、重要文化財「草虫図」のように、左右対称性を重視した静的なものがほとんどになっていきます。
一方、本図はモチーフを片側に寄せ、より動きのある画面を作っており、定型化する前の草虫図の表現がどのようなものであったかを私たちに教えてくれるのです。
重要文化財 草虫図(右幅) 元時代・14世紀 (9月24日まで展示)
また、白居易(772-846)が「竹の性は直」というように(「養竹記」)、基本的に竹はまっすぐであるべきだと考えられ、そのように描かれてきました。
しかし、ご覧のように、本図の竹は大きく曲がっています。これは他にあまり例がありません。
「竹虫図」(部分:竹幹)
歴史書には、10~11世紀にかけて活躍した劉夢松という花鳥画家が、曲がり竹をよく作っていたとあるので(『宣和画譜』「墨竹門」)、中国には、竹を曲げて描く伝統もあったようです。
しかし、そのような作品はほとんど残っておらず、曲がり竹の持つ意味も忘れられてしまいました。
竹の中には、実際に曲がって生える種類もあるようです。
書物には、仙人が杖を植えたところ、その場所の竹が曲がるようになり、僧侶たちがこれを杖にした、という記録(潛説友『咸淳臨安志』「安隠院」)や、「羅漢杖竹」(李衎『竹譜詳録』巻五)という種が紹介されています。
李衎『竹譜詳録』巻五「羅漢杖竹」
仙人や羅漢の杖と関連付けられることからも、曲がり竹には吉祥の意味があったと推定されます。
草虫図は基本的に、おめでたいモチーフから構成される画題であるので、本図もやはりそのような意味で曲がり竹を表したのでしょう。
竹を曲げて描く伝統を考える上で、本図は重要な手掛かりの一つとなりそうです。
名品たる所以 その3 ―大切にされてきた歴史―
本図の左上には、「雑華室印」という、室町幕府第6代将軍・足利義教(1394~1441)の所蔵印が捺されています。
「竹虫図」(部分:「雑華室印」白文方印)
その後も、足利将軍家ゆかりの宝物として大切に伝えられ、江戸時代には広島の大名・浅野家のコレクションにあったことが知られています。
「竹虫図」箱
「竹虫図」箱金具
この箱は浅野家であつらえられたものでしょうか。絵にあわせて、曲がり竹に様々な虫を配した、非常に手の込んだ作りの金具がつけられています。
真ん中のクツワムシがへこむようになっていて、ここを押さないと蓋が開けられないという凝りようです。
本図には、江戸幕府の御用絵師・狩野尚信(1607~1650)の鑑定書きが付属しています。狩野派の画家たちも熱心にこの絵の重要性を理解し、一生懸命勉強したのでしょう。
当館には、18~19世紀の狩野派の画家・笹山伊成(?~1814)の模写も残っています。
「竹虫図」狩野尚信鑑定書き
趙昌曲竹辟虫図 笹山伊成筆 江戸時代・18-19世紀 (本展では展示されません)
ここまで、伝趙昌筆「竹虫図」について、その1-圧倒的な描写力、その2-他に現存例のない希少性、その3-大切にされてきた歴史、という3つの観点から、名品の名品たる所以をご説明してきました。
特集「中国書画精華-名品の魅力-」には他にも、トーハクの誇る中国書画の名品がずらっと並んでいます。
ぜひ東洋館8室まで足を運んでいただき、それぞれの名品たる所以を考えていただければ幸いです。
本館8室 特集展示の様子
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
| 記事URL |
posted by 植松瑞希(出版企画室研究員) at 2018年08月29日 (水)
10月2日開幕の特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」に向けて、現在準備を進めております。この展覧会には、米国・フィラデルフィア美術館の著名なデュシャン・コレクションが数多く出品されますが、どうしても持ってこられない作品の一つが、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》、通称《大ガラス》です。
《大ガラス》の複製は、1961年に制作されたストックホルム近代美術館の「ストックホルム版」、1966年に制作されたテート・ギャラリーの「ロンドン版」がデュシャンの在命中に制作されましたが、デュシャンの死後、1980年に制作された3番目の複製が、現在東京大学駒場博物館にある「東京版」です。
東京版は、デュシャンと親交のあった美術評論家で詩人の瀧口修造、当時多摩美術大学教授であった東野芳明両氏の監修で制作されたもので、他の複製と違い展覧会に際して展示目的で制作されたのでなく、研究用としてデュシャンが作成した当時の技術をできるだけ忠実に使って制作されました。現在フィラデルフィア美術館にあるオリジナルの《大ガラス》は1926年に破損してデュシャンが修復したものですが、東京版は破損する前の「オリジナル」の姿を再現しようとつくられています。
《大ガラス》は、デュシャンの最も重要な作品の一つで、今回トーハクでの展覧会開催にあたり、特別にお願いしてお借りすることになりました。駒場博物館以外での展覧会に出品するのは、2004-2005年に国立国際美術館と横浜美術館で開催した「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展以来のことで、今回フィラデルフィア美術館による国際巡回先のソウル、シドニーには作品の安全上輸送ができないため、トーハクのみご出品いただきます。
当時の技術で制作された「ガラス絵」なので、大変脆弱でトーハクへの輸送には事前に確認することが多くあります。
輸送に向けて、先月末に駒場博物館にて勉強会を開いていただきました。
当館研究員だけでなく、実際に輸送にあたる日本通運のご担当とガラスの取り扱いをされるご担当の皆さんも参加しました
概要の資料を元に、駒場博物館の学芸員である折茂先生、そして、当時実際に「東京版」の制作にあたった有福先生が、《大ガラス》の各パーツの説明、取り外す箇所、取扱についての注意点をご説明くださいました。
当時、直接制作にかかわった有福先生が、作品の構造、各部分に使われている技法などについて、解説してくださいました
実際に作品を詳細に検分します
前回の移送の際撮影したビデオも確認します。写っている作業員の方は今回も関わっていただきます
各部分の採寸は、準備をする上で大変重要です
いよいよ特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」まであとほぼ1カ月。
《大ガラス》がトーハクへの旅を無事に終えられるよう、輸送当日まで準備を重ねます!
カテゴリ:2018年度の特別展
| 記事URL |
posted by 鬼頭智美(広報室長) at 2018年08月28日 (火)
スラマッパギ(おはようございます)。調査研究課の今井です。
恒例となった「博物館でアジアの旅」、5回目の今年のテーマはインドネシア、「海の道 ジャランジャラン」(9月4日~30日)です。
ジャランジャランはインドネシア語で散歩といった意味です。
バティックのインドネシア地図
突然ですが、皆さんは東洋館地下の展示室に足を運んだことはございますか?
東洋館13室の展示風景
自分と向き合うにはうってつけのスペースです。
静かです。
とにかく静かです。
・・・まったく静か過ぎます。
かつて、東洋館地下には特別展用の会場がありました。
平成25年(2013)1月に東洋館をリニューアルオープンするにあたり、地下の展示室も東洋館の展示体系に組み込むことになりました。
東洋館は1階の吹き抜けに中国の大型の石像彫刻、2階からはガンダーラ、西アジアからいわゆるシルクロードに沿って、西から順に東に向かう構成となっています。
しかしながら、アジアにおいて文化が行き交った道は陸路のシルクロードばかりではありません。
そう、もう一つ「海の道」があるのです。
そこで、東南アジア地域の美術、工芸、考古を地下に展示することになりました。
インドネシアは東南アジア海域の中核に位置します。赤道にまたがる13,000以上の島々からなり、東西5,000キロ以上、人口は2億6,000万人以上、300もの民族からなります。
世界最大のムスリム人口を擁する国ですが、そのほかプロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教なども信仰されています。
そのため、「多様性の中の統一」が国是となっています。
この海域では、古来、人とモノの活発な往来があり、各地に起源をもつ文化と土着の文化とが融合して、活力に満ちた独自の文化を形作ってきました。文化の坩堝(るつぼ)というより、「大鍋」といったイメージかもしれません。
世界遺産に登録されている中部ジャワのボロブドゥルは仏教遺跡、プランバナンはヒンドゥー教の遺跡です。
また、クリス(短剣)、ワヤン人形劇、バティック(ろうけつ染め)は、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。
今年は1958年に日本との国交を樹立してから60周年を迎えます。
近年経済的な結びつきがとみに強まっている両国ですが、文化の面での理解と友好をいっそう深めるために、インドネシアで生み出されたさまざまな文化財のほか、この海域を行き交った交易品としての中国陶磁、ベトナム陶磁などをご紹介します。
この機会に、東洋館地下の展示室にもどうぞご注目ください。
それでは、サンパイジュンパラギ(またお会いしましょう)。
| 記事URL |
posted by 今井敦(調査研究課長) at 2018年08月27日 (月)
「遺跡へゴー! ~遺跡で楽しむ縄文~その1」に引き続き、特別展「縄文―1万年の美の鼓動」展示作品が出土した遺跡を、いくつかご紹介します。
井戸尻(いどじり)遺跡群
長野県と山梨県の県境にほど近い富士見町には、縄文時代の遺跡が数多く眠っています。
特に中期の遺跡がたくさんあり、井戸尻遺跡群とも呼ばれる遺跡密集地帯からは、造形的に優れた作品が多く発見されています。
本展覧会でも中期を代表する特色ある作品が出品されています。
No.33 深鉢形土器 長野県富士見町 藤内遺跡出土
No.162 重要文化財 深鉢形土器 長野県富士見町 藤内遺跡出土
No.163 深鉢形土器 長野県富士見町 曽利遺跡出土
いずれも縄文時代(中期)・前3000~前2000年/長野・井戸尻考古館蔵
富士見町内から出土した作品の多くは、井戸尻考古館に収蔵されています。
博物館は井戸尻遺跡に隣接しており、復元された竪穴住居など、史跡が整備されています。
周囲は井戸尻の名の由来となったともいわれるように、豊富な湧水に恵まれ、日当たりがよく見晴らしの良い風景は、縄文人がこの地を好んで利用していたことが頷けます。
さらに、遺跡の目の前に連なる山々の間から、富士山の8合目付近から山頂付近がはっきりと見えます。
はっきり見えるのは空気が澄んだ秋から春にかけてですが、私が行った6月でも、残雪が残る山頂を見ることができました。
一際存在感ある富士山を見つめながら縄文人も暮らしていたのでしょうね。
井戸尻遺跡からみた富士山(2018年6月)
北沢石棒
最後にご紹介するのは長野県佐久市月夜平遺跡出土の石棒です。
この作品は昭和8年に道路改修工事の際に偶然土中から発見されました。
その後近くに鎮座する大宮諏訪神社へ奉納され、以来、ご神宝として通常は社殿に納められています。
何度か神社へうかがいましたが、いずれも氏子代表の皆さんが立ち会ってくださり、神社でご神宝が大切に守られていると感じました。
月夜平遺跡は、昭和初期の文献に写真入りで紹介されるなど、佐久地方では有名な遺跡です。現在もその頃と大きく変わらない景観で、遺跡が眠っています。
今回の展覧会では特別にご許可を得て、作品をケースに入れず、石棒が直立した状態で展示しています。これまでの発掘事例によれば、一般的に石棒は寝かせられた状態や、人為的に破壊された状態で出土することが多いといえます。ただし、住居跡や土坑から頭部の破片が直立した状態で発見されることもあり、本来石棒は立たせて儀礼などに使われたとする考え方もあります。また、月夜平遺跡周辺では石棒がたくさん発見されていますが、月夜平遺跡からそれほど遠くない佐久穂町北沢には、高さ2メートルを超える大きな石棒が現在も田んぼの畔に直立した状態でたたずんでいます。この石棒はもともと地表からわずかに立った状態で現在の場所に置かれていたものが、昭和40年代に掘り起こされ、補強されて現在のように立っているそうです。重厚感がありながらも端正な姿形が周囲の風景にごく自然に溶け込んでいるのがとても印象的です。農作物の収穫を終えた晩秋から春先に訪れてはいかがでしょうか。北沢の石棒は、月夜平遺跡出土の石棒の展示を考えるうえでとても参考になりました。
中央で直立する石棒(作品№146)
社殿の石棒撮影のようす(カメラを構えているのは当館の藤瀬カメラマンです)(2018年4月筆者撮影)
佐久穂町北沢の石棒(2018年4月筆者撮影)
【さあ、遺跡へゴー!】
本展覧会に関する取材を受けるとき、私がよくお話しすることがあります。それは、もし本展覧会で展示されている作品をご覧になったら、今度はぜひ、その作品が発見された場所(遺跡)にお出かけくださいとお話しています。なぜならば、作品が発見された遺跡は、その作品が生み出され(あるいは持ち込まれ)、使われ、役目を終えて長い年月眠っていた場所です。いわば作品の故郷のような場所。その故郷に実際に出かけ、その場に立ってみることをお勧めしたいですね。たとえ景観が少し変わっていたとしても、当時の風景や当時暮らしていた縄文人の気分に近づくことができるんじゃないかな、と考えています。
遺跡で縄文人の気分を味わうことができたら、次に、普段その作品が所蔵・展示されている博物館を見学してみませんか。地域の博物館には、その作品と同じ遺跡から発見された出土品や、近くの遺跡から発見された出土品など、その地域ならではの作品がたくさん展示されています。その中には、美しいもの、かっこいいもの、きれいなもの、かわいいものなど、皆さんの心をつかむ、お気に入りの作品が見つかると思います。もしかしたら未来のスーパースターとなる作品と出会えるかもしれませんね。
私が学生時代、先輩から考古学は「歩けオロジーだ!」とよく言われました。考古学の英訳であるArchaeology(アーケオロジー)をおもしろおかしく語呂を合わせて「歩けオロジー」などといつの頃からか言われるようになったものだと思います。おそらく「考古学は現場(現地)が大切で、足で稼いで(実際に遺跡を訪れたり、出土品の調査に各地の所蔵先を訪ねて)学問をするものだ」という意味合いなのではないかと私は理解しています。
この夏、トーハクで縄文展をご覧になられたら、各地の縄文の美を求めて、皆さんも「歩けオロジー」してみませんか?新しい出会いがきっとあるはずです。ぜひ遺跡や博物館での出会いを楽しみつつ、縄文時代や縄文文化をさらに身近に感じてみてください。
国宝「土偶縄文のビーナス」」が発見された棚畑遺跡にて(2018年7月筆者)
※翌日の国宝土偶縄文のビーナス拝借を前に、遺跡に「ご挨拶」
カテゴリ:研究員のイチオシ、考古、2018年度の特別展
| 記事URL |
posted by 井出浩正(特別展室主任研究員) at 2018年08月24日 (金)