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1089ブログ

新発見の木簡

この度、トーハクの資料から法隆寺献納宝物の一部と考えられる木簡(もっかん)が発見され、大きな話題となりました。しかし、「博物館から発見ってどういうこと?」と思われる方も多いのではないでしょうか。

明治時代以来、膨大なコレクションを形成してきたトーハクですが、中には分類・整理のできていない作品や、修理の出来ていない作品も多くあります。こうした作品については研究員が長年かけて地道に研究し、どういう作品か確定した上で「列品(れっぴん)」とよばれる正規のコレクションに加えられます。
この木簡もそうした例の一つで、今回晴れてお披露目となりました。現在、法隆寺宝物館6室では「染織-広東綾大幡(かんとんあやだいばん)と初公開の木簡-」(8月23日(火) ~9月19日(月・祝))と題して、法隆寺伝来の幡とともに、木簡が展示されています。

木簡
展示されている木簡

さて、この木簡ですが160点以上にのぼる木の板とともに、箱に収めて保管されてきました。特に木簡は和紙に包まれた状態でしたので、かつて仮に整理されたことがわかります。
木簡も含め、大量の板の多くは両端が斜めに切り取られた特殊な形をしています。これを見てすぐに思ったのは、これが「幡(ばん)」という細長い旗の上部に挿し込まれる「芯板(しんいた)」であるということです。
献納宝物の蜀江錦綾幡(しょっこうきんあやばん)を解体修理した時の写真をご覧下さい(写真下)。これは「幡身(ばんしん)」と呼ばれる幡の本体部分が、蜀江錦(しょっこうきん・しょっこうにしき)という貴重な織物と白地の綾によって作られた幡です。風にはためく幡ですから、蜀江錦も二つ折りにして、両面から見ても良いようになっています。その二つ折りされた蜀江錦のなかに芯板はありました。これは幡が歪まないようにあるもので、ちょうどタオルをハンガーに掛けた様子を想像していただければ、その機能がわかると思います。

蜀江錦綾幡
蜀江錦綾幡(左)と解体修理時に見つかった幡芯板(右)

芯板は幡の上部にきれいに収まるよう、両端を斜めに切り落としています。今回発見された木簡を含め、多数の板には同じ加工が見られましたので、幡の芯板とみてよいでしょう。つまり、木簡は木簡としての用途を終えた後、幡芯板として再利用されたものだったのです。

それではこの大量の幡芯板はどのように伝来したのでしょうか。その手掛かりとなったのが、木簡を包んでいた和紙です。そこには「第四 新羅墨(しらぎずみ)」という朱書きがされていました。「新羅墨」とは正倉院の所蔵品である「墨 9・10号」(中倉41)を指すため、もとは正倉院に置かれていた時期があったと判明します。では正倉院伝来のもの?となりそうですが、これだけ多くの作品が記録もなく正倉院から入り込むことは考えられません。
そこで浮かび上がってくるのが、法隆寺献納宝物の存在です。これは明治11年(1878)に奈良の法隆寺から皇室に献納された古代仏教美術の一大コレクションであり、トーハクの所蔵品となった現在は法隆寺宝物館で公開されています。
さて、この献納宝物ですが、明治11年から15年まで正倉院で保管されていました。この期間中、明治12年に記された「法隆寺献納物の塵芥櫃(じんかいびつ)」という書類があるのですが、そこには「幡木材片(ばんもくざいへん) 壱括(いっかつ)」とあります。これによって、献納宝物には「幡木材片(幡芯板のこと)」が含まれるとわかり、今回見出された大量の幡芯板が記録に該当する作品と考えられるわけです。
また、木簡に見られる朴訥とした書風や、日付を記す場合の「月生(つきたちて)」などの特殊な用語から、7世紀に遡ることがわかり、これは献納宝物の幡が7世紀の後半から8世紀の前半にかけて作られたことと時代的に一致しています。よって、木簡は法隆寺の伝来品と考えて確かでしょう。
古代の木簡というと、通常は発掘調査によって土の中から発見されます。また正倉院には8世紀の木簡が伝えられていますが、今回紹介する木簡は、一時代古い7世紀のものです。すると、土に埋もれることなく伝えられた伝世品(でんせいひん)としては最古級に位置付けられ、とても貴重な資料であることがわかります。

ではいよいよ、木簡の内容をみていきましょう。調査は奈良文化財研究所史料研究室(奈文研)とトーハクが共同で行いました。ここでは奈文研による調査レポートを参考に概要を記したいと思います。木簡は8点あるのですが、文章として読み取れるものは5点でした。ここではそのうち3点をみてみましょう。

木簡1
赤外線写真(奈文研提供)

(1)表「月生十五日売俵十一得直七秤□(布?)五秇其□(中?)」
       裏「□□(料?)塩七十尻又布一秇久皮四十買□□」


「月生」は「朔」と同じ意味で、毎月の1日を指します。日本では7世紀の史料にしか見えない言葉で、この木簡が7世紀に遡る根拠として重要です。内容は物品の売買に関係するもので、「秤」は貨幣としての銀の計量単位、「秇」は布の単位を指すと考えられ、「尻」は塩の単位を指します。
 

 

木簡2
赤外線写真(奈文研提供)

(2)表「孝当竭力忠則尽命□(臨?)」  
   裏「孝當竭力忠則尽」

両面とも「千字文(せんじもん)」というテキストの一部を習字したものです。「千字文」の冒頭から約四分の一の箇所にある言葉で、「親孝行には全力を尽くし、主君に対する忠義には命を尽くせ」という意味のことが書いてあります。7世紀の後半は日本の官僚組織が整ってくる時代ですが、そうしたなかにあって「孝」や「忠」という言葉が習字されていたのは興味深いものです。
 

 

木簡3
赤外線写真(奈文研提供)

(3)「講師善満尼 読講上法尼」

この木簡には「善満尼」「上法尼」という尼さんの名前が記されています。「講師(こうじ)」や「読講(どくこう)」という肩書きから、仏事での役割分担を記録したものといえるでしょう。法隆寺周辺の尼寺としては中宮寺(中宮尼寺)と法起寺(池後尼寺)が挙げられ、これらの寺院で使われたものである可能性が高いと思われます。
 

 

 

いずれの木簡も古代の寺院生活を考える上で貴重な資料であり、今後の研究が期待されます。みなさんもどうぞ間近にご覧になり、古代の生活に思いを馳せていただければ幸いです。

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシnews

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posted by 三田覚之(教育普及室・工芸室研究員) at 2016年08月23日 (火)

 

「古代ギリシャ」海シリーズ(3)

「古代ギリシャ」海シリーズ3回目、私が注目したのは2回目の瀬谷さんと同じく第2章のミノス文明(紀元前3200年頃~紀元前1100年頃)。ミノス文明はエーゲ海の南に浮かぶクレタ島に花開いた開放的な海洋文明です。

この章では、海を連想させるモチーフが使われている作品がたくさん展示されていますが、中でも今回注目したのは蛸(タコ)。

海洋様式の葡萄酒甕
前1450年頃(後期ミノスIB期)
クレタ島、ザクロス宮殿出土
イラクリオン考古学博物館蔵 (C)The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund



海洋様式の葡萄酒甕(部分)
見よ、このダイナミックな動き!


この甕にはタコが3匹、触手をいっぱいに広げ、うねうねとした様子で描かれています。そしてその触手の間には巻貝や海藻が描かれており、豊かな海中の様子が想像できます。このタコの動き、普段から実際によく目にしていないと、なかなかこの躍動感のある表現はできないのでは、と思います。
私事で恐縮ですが、先日海釣りに行き、タコを釣り上げました(釣ったというか勝手に釣れました)。この絵はその時の触手のにゅるっとした動きを実に上手く表現しているな、と感じました。


勝手にタコが食いついてきた! 清水港沖にて

ミノス文明に続く第3章のミュケナイ文明でもタコをモチーフにした作品は複数出てきます(下の3件)。それぞれ見ごたえのある作品ですが、タコの動きに関してはこの甕に描かれているタコの持つ勢いには勝てません。その差はミュケナイ文明が、ミノス文明と違い、海に近い場所でなくギリシャ本土で栄えた文明だからでしょうか。


 
鐙壺
後期ヘラディックIIIC期(前1200年~前1100年)
アッティカ地方、ポルト・ラフティ、ペラティの墓地出土
ブラウロン考古学博物館蔵 (C)The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund



タコ形飾り板
前16世紀後半(後期ヘラディックI期)
ミュケナイ、円形墓域A(4号墓)出土
アテネ国立考古学博物館蔵



円形飾り板
前16世紀後半(後期ヘラディックI期)
ミュケナイ、円形墓域A(3号墓)出土
アテネ国立考古学博物館蔵


この甕は葡萄酒甕とあるように、ワインを貯蔵していた甕です。同じクレタ島からは、ワインを造るための葡萄圧搾機と桶も多数出土しています。既にこの時代にはワインが沢山作られていたこということですね。アルコール好きの私としてはどんな味だったか、大変気になります。きっとタコ料理にも合うものだったに違いありません。


葡萄圧搾機と桶
後期ミノスIB期(前1450年頃)
葡萄圧搾機(上):クレタ島、ザクロス、家B出土
桶(下):クレタ島、ザクロス宮殿(台所)出土
シティア考古学博物館
同じく第2章に展示中です。


古代ギリシャ展のグッズ売り場ではこの歴史あるワイン作りの国、ギリシャのワインを販売しています。ギリシャでは現在も40種類以上の品種がワイン造りに利用されており、国際的コンクールでの受賞も多く世界的に注目されているそうです。


古代ギリシャ展グッズ売り場のワイン

古代ギリシャ展をご覧になった後は、青いエーゲ海を思い浮かべながら、ギリシャ風に調理した(?)タコなどをつまみにギリシャワインを楽しんでみるのもいいですね。

因みに先日釣れたタコは丸ごと茹でてから、刺身と酢の物と唐揚げにして、ビールと冷酒で美味しくいただきました。

古代ギリシャ展、9月19日(月・祝)の閉幕まで残り1ヶ月を切りました。この展覧会、ギリシャ本国からの作品325件中9割以上が日本初公開という質、規模ともに凄い展覧会です。まだご覧になっていない方、ぜひともお見逃しなく!
 

カテゴリ:2016年度の特別展

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posted by 武田卓(広報室) at 2016年08月19日 (金)

 

8月15日はキッズデーだったんだほー!

ほほーい! ぼく、トーハクくん。
8月15日(月)のキッズデー、とーっても楽しかったほー。
今日は、1089ブログの読者のみなさんにも「楽しかった」のおすそ分けだほ!


正門の飾りつけ
キッズデーの朝は、開館前から正門の飾りつけ。ぼくとユリノキちゃんのイラストがついた風船で、とってもラブリーなトーハクになったんだほ!


キッズデー特設インフォメーション
本館エントランスのキッズデー特設インフォメーションだほ。
ぼくもユリノキちゃんも、いっぱいお友だち来てくれるのかなー、と朝からそわそわ。

開館
でも、開館と同時に、お友だちがたくさん!

ぼくたちは、あっという間に取り囲まれて・・・

記念撮影
ほ! ほほーーー! そんなとこつかまないでほーーー

記念撮影
記念撮影につぐ記念撮影。

ほー。。。人気者はつらいほ!

子どものためのギャラリートーク
子どものためのギャラリートークでは、研究員さんも大活躍。
みんな、ユリノキちゃんみたいに勉強熱心だったほ。

トーハク劇場
縄文時代や弥生時代から昔の人がやってくるお芝居仕立てのガイドツアー「トーハク劇場へようこそ!」でも、土偶やはにわのお話をとても熱心に聞いてくれたほ。

そうそう日本の楽器のコンサートでは、ボクとユリノキちゃんも飛び入り参加。

和太鼓
どんどこどこどこ ほほほほーい! 

ぬり絵
ぬり絵のワークショップでは、みんなすごい集中力を発揮! 

できた作品はこんなふうに貼り交ぜ屛風になったんだほ。
貼り交ぜ屏風


勾玉や缶バッジのワークショップもみんな自分だけの作品に大満足。

キッズスペース
地下のキッズスペースでは、ちょっと飽きちゃった小さいお友だちがキッズマットで遊んでたほ。
ここでは、離乳食コーナーもあって、ママもパパもリラックス~

風船
なんだか、あっという間の1日。
またみんなに会えるのを楽しみにしてるほー。



追伸
たくさんの人にゆるキャラ®グランプリ2016」でないの?
って聞かれたんだほ。

え? 知らなかったのかほ?
だから、出てるんだほ!!

トーハクくんとユリノキちゃんに1票を!
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カテゴリ:news教育普及催し物

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posted by トーハクくん at 2016年08月18日 (木)

 

トーハクで建築探訪~法隆寺宝物館~

ル・コルビュジエの設計による国立西洋美術館が世界遺産に登録されたことで、上野界隈で近代建築をめぐってみようと考えている方もいるのではないでしょうか。

コルビュジエは20世紀を代表するモダニズム建築の巨匠といわれますが、トーハクでもモダニズム建築、しかも親子競演がみられるのです。

今回は、そのひとつ、法隆寺宝物館をご紹介します。


法隆寺宝物館は、1878(明治11)年に奈良・法隆寺から皇室に献納され、戦後、国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示する建物です。
初代の宝物館は、1964(昭和39)年に開館しました。しかし、作品の保存上、公開は週1日(木曜日、雨天時は閉館)に限られていました。

旧法隆寺宝物館
旧法隆寺宝物館
設置の構想は「外観は東洋的近代建築として周囲との調和をはかる」というものでした。
設計:関東地方建設局営繕部


そこで、保存機能をさらに高めるとともに作品を広く一般に公開することを目的とし、1999(平成11)年に現在の宝物館が開館しました。設計は、ニューヨーク近代美術館新館など美術館建築も数多く手がけている谷口吉生。その父は、東洋館を設計した谷口吉郎です。

谷口は法隆寺宝物館の設計に際し、「崇高な収蔵物に対する畏敬の念と、周辺の自然を十分に尊重する方針によって、今の東京には貴重な存在となってしまった静寂や、秩序や、品格のある環境を、この場所に実現することをめざした。」と述べています。

では実際に、その言葉を検証するべく、館内を巡ってみましょう。

正門を入り、左手奥に進むと、上野公園の喧騒が嘘のような静寂な空間が現われます。
思わず背筋を伸ばし、襟を正したくなるような品格ある佇まいです。

法隆寺宝物館

ステンレスのフレームにガラス張りの明るく開放的なエントランス。格子状のガラスカーテンウォールが和の趣きを感じさせます。
展示室のある建物部分の外壁はドイツ産のライムストーン(石灰石)を使用し、やわらかい色合いとなっています。

エントランス

エントランス


計算されつくした配置のアームチェアはイタリア、マリオ・ベリーニのデザイン。
アームチェア



ゆったりと読書などをして過ごせるスペースには、イームズのチェアが贅沢に並びます。
資料室



正面の水盤を眺めながらくつろげるソファはル・コルビュジエの名作デザインです。
コルビュジエ

こうした椅子などの選択にも本物へのこだわりを感じます。



第2室
第2室 金銅仏の展示室(撮影:佐藤 暉)

第3室
第3室 伎楽面の展示室(年3回公開)

金銅仏、伎楽面の展示にふさわしい静謐な空間には、まさに「崇高な収蔵物に対する畏敬の念」が現われているようです。
 

─都会の喧騒を離れ、静寂の中でゆったりと貴重な古代美術に向きあう─

いかがでしょうか?
実際に訪れていただければ、建築家の言葉どおりの環境を実感できることと思います。



法隆寺宝物館は2001(平成13)年度の建築学会賞(作品部門)を受賞しています。

そのほか、下記の賞・選定を受けています。
2000年 第41回 建築業協会賞
2001年 第34回 サインデザイン優秀賞
2007年「新日本様式」100選に選定

プレート
中2階・エレベーター前の壁面に表彰プレートがあります

 

カテゴリ:展示環境・たてもの

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2016年08月16日 (火)

 

「古代ギリシャ」海シリーズ(2)

こんにちは、保存修復室の瀬谷愛です。

古代ギリシャ展、8月5日(金)にご来場者10万人のセレモニーが行なわれました!
暑い中、上から下から照りつける上野公園を通って平成館までお越しいただき、皆様、誠にありがとうございます。

この季節、上野に通勤しながら毎日思うこと。

「海に行きたい・・・」

学生時代、スキューバダイビングサークルで毎月、海に潜っていた私には、進路を考えるときの選択肢のひとつに、「水中考古学」がありました。
海底や湖底に沈んだ遺物を探査し、状況を記録し、引き揚げ、研究する。
そんな素敵な分野を知って、感動し、早速独学を始めましたが、海中から引き揚げた資料の脱塩処理などのさまざまな化学式に直面し、あきらめました・・・。
適当な独学などせずに、その世界に飛び込んでしまえば、また違った人生があったかもしれない。
夏の日差しを浴びると、そんなこともつらつら考えたりします。

でも、その憧れの世界から!

今回のギリシャ展には、海底から引き揚げられた遺物が来ているんです。
 

青年像
前4~前3世紀
キュクラデス諸島、キュトノス島沖で発見
アテネ、水中考古学監督局蔵
ジャジャーン! 


現代のイメージでは、古代ギリシャといえば白い大理石像、ですが、
当時理想とされたのは、油を塗って日焼けした肌のように光り輝く茶色のブロンズ像。
まさにそのイメージにかなう、鍛えられた肉体美です。

このブロンズ像が引き揚げられたのは、キュトノス島沖。
500メートルの海底から、漁船が偶然発見したものです。

展覧会の事前調査の際、ギリシャ国内を案内してくださった通訳のマリアさんによれば、
地中海にはまだ多くの遺物が眠っている可能性があり、ギリシャでは自由なダイビングが禁じられているとのこと(ダイビングショップを通じればOK)。

でも、普通は500メートルも潜れませんから・・・

さて。
その事前調査で行った、テラ(サントリーニ島)。


見事なカルデラ!
3月初旬はまだ肌寒くて、あいにく空もどんよりでした。

観光シーズンは3~10月。
そのオープン直後に行ったので、町では白壁の塗り直しやいろいろなメンテナンスのため、地元の人はみんな忙しそうでした。

紀元前17世紀、この火口で大噴火が起き、島は火山灰で覆われます。
多くの人が脱出し、また多くの人が逃げ遅れ、家々は灰に埋もれました。
古代の絵画作品が現代に伝えられることは極めてまれですが、こうした自然災害で埋もれたことによって、テラのアクロティリ遺跡やナポリのポンペイ遺跡の壁画は、私たちにその文化のすばらしさを伝えてくれています。

その最たる作品が、このフレスコ画です。


漁夫のフレスコ画
前17世紀
テラ(サントリーニ島)、アクロティリの集落、「西の家」(第5室)より出土
テラ先史博物館蔵 
(C)The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
両手にたくさんの魚を持っています。頭にある黒いものは、剃り残した「毛束」であって、「タコ」ではありません!


展覧会図録には、この青年が持つ魚について「サバ類と思われる」と解説されていますが、これはスズキの仲間の「シイラ」ではないかと思われます。


撮影協力:国立科学博物館
お隣の国立科学博物館地球館で標本をみることができます。かなり大きな魚です。
頭の形、長く連続する背びれ、とがった尾びれ、そして青と黄色の体色が特徴的です。

大学1年の夏。伊東の伊豆海洋公園でダイビングのライセンスを取ったとき、インストラクターさんが「シイラを食べて食中毒になった」話をしてくださって、それが印象的で覚えた魚です。
どうやらシイラの体表には細菌がついているとかで、調理には注意が必要のようですが、刺身でも焼いても煮ても、さまざまに食すことができるようです。(私は怖くてまだ食べたことがありません)

暖かい海に生息することから、古代のサントリーニ島周辺でもよく獲れ、食用とされたのでしょう。
食中毒に苦しんだ人もいたかもしれませんね。
大きなシイラを大量に両手に抱えたこのフレスコ画は、エーゲ海の豊穣さをよく伝えています。

今回の古代ギリシャ展は、ギリシャ国内約50ヶ所から出品されています。
現地を直接訪れてみてまわることはとてもできない量ですから、上野でご覧いただいたのちに、スカッと晴れたギリシャの島々をお訪ねになることをオススメします!

カテゴリ:研究員のイチオシ2016年度の特別展

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posted by 瀬谷 愛(保存修復室主任研究員) at 2016年08月12日 (金)