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1089ブログ

特別展「始皇帝と大兵馬俑」10万人達成!

特別展「始皇帝と大兵馬俑」(2015年10月27日(火)~ 2016年2月21日(日)、平成館)は、11月20日(金)に10万人目のお客様をお迎えしました。
ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。

10万人目のお客様は、千葉県市川市よりお越しの福嶋亜紀子さん。
お母様の白石美智子さんと一緒に、ご来館くださいました。

福嶋さんには、東京国立博物館 学芸研究部長 谷豊信より、記念品として特別展図録や展覧会オリジナルグッズなどを贈呈しました。


特別展「始皇帝と大兵馬俑」10万人セレモニー
左から学芸研究部長の谷豊信、福嶋亜紀子さん、白石美智子さん
11月20日(金) 平成館ラウンジにて



『キングダム』記念撮影コーナー
福嶋さんのだんな様はマンガ『キングダム』の大ファンでいらっしゃるとか。
今後はご夫婦でもご来館ください!


兵馬俑が「等身大」だなんてすごいと思います、という福嶋さん。
「特に馬丁俑(ばていよう)が気になります。兵馬俑は立っているイメージあるのに、正座しているなんて! それに像になる人は身分のある人というイメージもあったのですが、馬飼いも像になっちゃうんですね」と、展覧会への興味を語ってくださいました。

特別展「始皇帝と大兵馬俑」は2016年2月21日(日)まで。
年内は12月23日(水・祝)まで、年始は1月2日(土)から開館します。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

カテゴリ:news2015年度の特別展

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posted by 高桑那々美(広報室) at 2015年11月20日 (金)

 

考古展示室、見どころガイド(飛鳥~江戸時代)

ほほーい! ぼくトーハクくん!
今日は、リニューアルした考古展示室の、飛鳥時代から江戸時代までの見どころを教えてもらえるって聞いたんだほ。
よく来たね、トーハクくん。
あ、井出さん!
飛鳥時代から江戸時代の展示は、ぼくが担当しているんだよ。
江戸時代も考古学・・・? ぼくのイメージとちがうんだほ。
考古学っていうと、縄文時代とか古墳時代のイメージが強いかもしれないけど、そもとも、モノによって過去の人類の活動を研究する学問が考古学なんだ。だから、時代の古い・新しいは関係ないんだよ。
ほー!
ほら、ぼくが担当した展示、見ていってよ!


今回のリニューアルで、実は飛鳥時代から江戸時代の展示(下図の黄色・ピンクの部分)が一番大きく変わったんだ。


どこがどう変わったんだほ?
広報大使なのにわからないの? 残念だなぁ(ため息)。
・・・!?
今までは陶磁が展示の中心だったんだけど、実はトーハクは仏教考古の作品も充実しているんだ。
リニューアルを機に、せっかくだから館のコレクションをいかした展示にしよう! ということで、展示作品や展示方法を見直したんだよ。
ほー。
ちっともわかっていないでしょ。たとえば、瓦の展示を見てごらん。



あれ? なんだか屋根っぽい?
そうそう! 瓦の葺き方がイメージできるように展示を工夫したんだ。
しかも、この瓦みたいに平成館考古展示室で初めて展示される作品もあるよ。

蓮華文方形軒丸瓦
滋賀・南滋賀廃寺跡出土 飛鳥時代・7世紀



(左)緑釉唐草文軒平瓦 (右)緑釉単弁蓮華文軒丸瓦
京都・平安宮跡出土 平安時代・8~12世紀


初公開! それは大注目だほ!!
でしょう? 
あとは・・・平安時代の「祈りのかたち―山岳信仰と末法思想―」は、リニューアルを機に新しく設けた展示なんだ。


奈良と日光の作品がいっぱいだほ。
トーハクくんの言うとおり! この展示は、奈良県の大峯山頂遺跡出土資料と栃木県の日光男体山頂遺跡出土資料で構成されているんだよ。
どちらも、日本独自に生み出された山岳信仰の一端を示す、貴重な資料だね。
あ、このかわいい像は次世代アイドル候補! ぼくのライバルだほ。

重要美術品 押出蔵王権現像
奈良県・大峯山頂遺跡出土 平安時代・10~12世紀


いいでしょー、この宙を浮いているみたいな展示。
なんだか誇らしげだほ。
この展示方法もこだわったポイントだからね。展示台に寝かせて展示するよりも、お客様の目を引くと思うんだ。
押出蔵王権現像は愛されているんだほ。
それはもちろん、せっかくのリニューアルだし、どの作品もその良さがわかるように展示したいと思っているからね。
こっちの「中世のあの世とこの世」で展示している板碑もそうだよ。
 

これが井出さんイチオシとうわさの板碑の展示なんだほ。
そう、まさにイチオシだよ!
板碑は、こうやって垂直に立てた状態で使われたものなのに、今までは展示レイアウトの都合で、立てた状態での展示ができなかったんだ。
それにね、こんなに充実した板碑のコレクションがあるのに、お客様に見ていただけないのがもったいなくて。
これでようやく、たくさんの人に見てもらえるんだほ!

おっと、「見てもらえる」で思い出した。江戸時代の展示コーナーの後ろ側にも注目だよ。


「江戸から掘り出されたモノ」の展示コーナーの・・・


向かって左側の「慶長大判」の角を曲がると・・・


実はまだ展示があります!


徳利
東京国立博物館構内出土 江戸時代・18~19世紀


こ、こんなところにも展示があったほ?!
そうだよ。ここに展示される作品は、なんとトーハク出土品なんだ。これからもトーハクゆかりの作品を展示していく予定だよ。ぜひお見逃しなく!

どこも工夫がいっぱいで楽しかったほ。井出さん、今日はありがほーございました。
旧石器時代~弥生時代編古墳時代編(1)古墳時代編(2)とあわせて、これで旧石器時代から江戸時代まで展示室の見どころを紹介したからね、トーハクくんは広報大使としてますます励むように!
ほー!


展示担当者のさまざまなこだわりを知り、広報大使として気持ちを引き締めたトーハクくんなのでした

カテゴリ:研究員のイチオシ考古展示環境・たてもの

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posted by トーハクくん at 2015年11月19日 (木)

 

考古展示室、見どころガイド(古墳時代2)

考古展示室がリニューアルして、1ヵ月ほどたちました。
その間に多くのお客様に新しい展示室をご覧いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、前回に引き続き、私も古墳時代の展示を紹介していきます。
古墳時代の展示エリア(下図の青の部分)にも、壁付のケースのほかに、個々に独立したケースが配置されています。

これらケースは、個別テーマをとりあげたテーマ展示です。
今回はこのテーマ展示についてご紹介します。



まずは、古墳時代のスタートすぐのところに8つの覗きケースが皆様をお待ちしています。
これらケースは、1ケースで1テーマとなっています。
オープニングでは「紀年銘鏡と伝世鏡」・「舶載鏡と倭鏡」・「玉生産の展開」・「さまざまな宝器」・「古墳時代の農工具」・「武装の変革」・「古墳時代の祭祀」・「古墳時代の葬送儀礼」の8つのテーマを設けました。


なかでもおススメなのは、「玉生産の展開」にある和泉黄金塚古墳の玉(ぎょく)です。
展示している碧玉勾玉・碧玉異形管玉・水晶切子玉は日本列島最大級! の大きさで、たいへん見ごたえがあります。
このほか「紀年銘鏡と伝世鏡」もおススメです。
日本列島の古墳出土品には、中国の元号をもつ紀年銘鏡が青龍三年(235)から赤烏七年(244)の10年間に12面あります。
そのうちの5面がなんとこのケースに入っているのです!

 
(左)「玉生産の展開」の展示風景
(右)重要文化財 水晶切子玉 大阪府・和泉黄金塚古墳出土 古墳時代・4~5世紀

 
「紀年銘鏡と伝世鏡」に展示されている紀年銘鏡の一部
(左)重要文化財 画文帯同向式神獣鏡 
大阪府・和泉黄金塚古墳出土 古墳時代・4世紀〔景初三年(239)在銘〕 
(
)重要文化財 三角縁同向式神獣鏡 群馬県・蟹沢古墳出土 古墳時代・4世紀〔正始元年(240)在銘〕  五十嵐勘衛氏・根岸森三郎氏寄贈


これらテーマ展示ですが、半年ごとの展示替でケースまるごと、もしくは部分的に作品を入れ替えしています。
例えば、「武装の変革」ですと現在は鉄矛(ほこ)や鉄戟(げき)を展示して、4世紀から6世紀にかけての攻撃用武器の変遷をご覧いただけます。
来年度以降、このケースは馬具や剣など武装にかかわるテーマで展示替をおこなう予定ですので、新鮮な気持ちでご観覧いただけると思います。
 
(左)「武装の変革」の展示風景
(右)鉄戟 奈良県宇陀市榛原上井足出土 古墳時代・5世紀



次にご覧いただきたいのは、新沢千塚126号墳」の一括品を集めました展示ケースです。
金・銀製品や各種の玉は、朝鮮半島の新羅王陵との出土品と同様の高い水準で作られており、ガラス製品は西アジア起源です。
これら国際色豊かな作品は、細かなつくりをしているものが多いのが特徴です。
今回、すべてのケースでリニューアル前よりも照明を工夫し、ケースには低反射の加工をしました。
そのため新沢千塚126号墳の作品のように細かなつくりのものであっても、細部までよく観察することができるようになりました。

 
新沢千塚126号墳出土品の展示

 
(左)重要文化財 金製螺旋状耳飾(展示は右側のみ) 古墳時代・5世紀
(右)重要文化財 ガラス碗 古墳時代・5世紀



ところで、新沢千塚126号墳の作品がリニューアル前に入っていたのは、展示室奥を大きく2つに仕切る細長い弯曲したケースでした。
今回のリニューアルではこのケースを江戸時代の展示に再利用することで取り除き、展示室奥の古墳時代は大きなひとつの空間となりました。
そして、この開放的な空間にパワーアップした埴輪の展示台を新しくつくり、およそ4~5世紀の埴輪の展示台(「埴輪と古墳祭祀」)と6世紀の埴輪の展示台(「形象埴輪の展開」)とが、1ヵ所に連なることでリニューアル前よりダイナミックな展示になりました。
これまでの埴輪の展示台は、ある一定の角度からしか埴輪をご覧いただけませんでしたが、今回は360°どの角度からでも埴輪を観察することができます。

これらの埴輪も定期的に一部展示替をしています。
ある日気づいたら、埴輪がかわっていた! ということもありますので何度もお越しいただき、お気に入りの埴輪をみつけてください。
ちなみに、私が気に入っている埴輪は、愛らしい笑顔につつまれた「鍬(くわ)を担ぐ男子」です。
ギャラリートークでは解説を通じて、リニューアルした埴輪展示の魅力をご紹介する予定です。

  
リニューアルによりパワーアップした埴輪の展示

 
埴輪 鍬を担ぐ男子 群馬県伊勢崎市下触出土 古墳時代・6世紀
チャームポイントは笑顔です!



さて、今回リニューアル前と大きくかわった点として、わずか2件の作品のために特別室をあつらえたことが挙げられます。
その作品とは、熊本県・江田船山古墳出土の国宝「銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)」と福岡県・岩戸山古墳出土の重要文化財「石人(せきじん)」です。

銀象嵌銘大刀とは、文字が普及していない古墳時代当時としてはめずらしい長文の銘文をもち、その内容が5世紀の政治・社会や世界観をつたえるもので日本古代史上の第一級資料といえます。
そして、よくご覧いただくとこの大刀には水鳥や魚・馬も描かれていますので、ぜひ展示室で確かめてみてください。


国宝 銀象嵌銘大刀の銘文(部分)

 
大刀に象嵌された魚・水鳥・馬

また、石人は「リニューアル前と後とでずいぶんと変わった!」 、「良くなった!」と、とくに好評をいただいています。
今まではオモテ面しかご覧いただけませんでしたが、展示方法を工夫することで、360°どの角度からでもご覧いただけるようになりました。
実はオモテ面だけみると男の武人のようですが、ウラ面は靫(ゆき)という矢をいれる武具を表現しています。
つまり武具に男の顔と刀をつけているのです! ぜひお越しの際にはウラ面にもまわってご覧ください。

 
重要文化財 石人のオモテ面(左)とウラ面(右)


今回リニューアルして、前よりも見やすく、そしてさまざまな角度から展示をご覧いただけるようになりました。
そして定期的に展示替をおこなっていますので、何回訪れても飽きることなく、その都度新たな発見が待っています。
皆様のご来館をお待ちしています。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古展示環境・たてもの

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posted by 河野正訓(考古室研究員) at 2015年11月12日 (木)

 

考古展示室、見どころガイド(古墳時代1)

10月14日(水)にリニューアルした考古展示室
今回は、前回ご紹介した旧石器時代~弥生時代の次の時代、古墳時代の展示をご案内します。


1999年に開館した平成館1階の考古展示室は、1978年から考古資料の展示館として使用されてきた表慶館から移転してきました。
表慶館では民族資料の部屋を除く8室の展示室で、旧石器時代から中世までの考古資料が展示され、このうち4室で古墳時代の展示が行われていました。

古墳時代は農耕社会が成立した弥生時代(~3世紀頃)と律令国家が成立した奈良時代(8世紀)との間に挟まれた時代で、日本列島における古代国家の形成期に当たります。
近畿・瀬戸内地方で成立した前方後円墳を中心とする古墳文化が本州・四国・九州に拡がり、はじめて日本列島に政治的な中心地が生まれた時代です。

年代的には平安時代よりやや長い約400年間余りですが、およそ100年ごとに時代が変わったともいえるほど、急激な変化が起きたいわば激動の時代です。
ちょうど、急速に海外の影響を受けて時代が揺れ動いた明治維新後や第2次大戦後の高度経済成長期とよく似ています。


その様子は、5つの通史展示と13のテーマ展示でご覧いただきます(下図の青の部分)。



テーマ展示については、次回の1089ブログで詳しく取り挙げますので、今回は通史展示についてご紹介します。

さて、通史展示は展示室外周の一部を除いた壁部分全面に設置された、いわゆる「壁付ケース」で構成しています。
本展示室の最大の特徴でもある長大な壁付ケースは、一番長いところで43mもあります。
考古資料の展示室としては国内最大(ということは・・・日本考古展示としては世界一!?)です。

43mもある壁付ケース

この特徴を最大限に活かすために、リニューアル前と同様、引き続き通史展示で構成することになりました。
ただ、リニューアル前は途中に独立ケース群をまとめた、弯曲した特別な仕切り壁型ケースがありました。
これはこれで、大変エレガントな展示ケースでしたが、今回は江戸時代の展示エリアへ移動し、古墳時代の展示エリアは全体を見渡せるように改修しました。

しかし、彫刻や絵巻物・屏風のように大型の展示品は少ない考古資料の展示ですので、ただ展示品を並べただけでは単調な印象になりかねません。
先ほどご紹介しました「激動の時代」である時代性と、この長大な空間の特徴を活かす構成はできないか。
それには遷りゆく時間の流れを感じていただく工夫が必要でした。
そこで、全体が「絵巻物」のように起伏に富んだ構成が相応しいと考え、いくつかのキーワードを設けています。


一つ目は、もっともわかりやすい「形の変化」です。
古墳時代の文物も他のすべての時代と同様、さまざまな要素の組合せが少しずつ入れ替わり、グラデーションのように変化しています(一戸建てからマンションに変わっても畳の部屋は必需品?ですね)。

もちろん、これを“真面目に”展示すると、ゆっくりとした変化の正確な組合せはご覧いただけますが、メリハリのない展示になってしまいます。
そこで通史の各コーナーでは、時代の変化を象徴する「顔(形)」を中心に据えて展示を構成することにしました。
また、各通史の冒頭には、テーマパネルの解説と一緒に、時代を象徴する「逸品」をまず見ていただく基本構成をとっており、展示室全体を通した統一的な起伏のリズムを基調としています。


 

古墳時代の通史展示の最初、「4.政治的社会の成熟」(上の写真左)では、弥生土器から変化した土師器のツルッとした土器や日本列島でしか出土しない三角縁神獣鏡のフォルム、「5.ヤマト(倭)王権の成立」(上の写真右)では日本列島でしか出土しない三角縁神獣鏡や大型鏡を中心とした国産鏡と各種の碧玉製品の円形と貝形のフォルムで、時代の変化を表現しようと考えました。
次の「6. 巨大古墳の時代」(下の写真左)では、日本列島独自の帯金式甲冑を中心とした人形を感じさせる鉄製武具のフォルム、「7. 地方豪族の台頭」(下の写真中)では馬具と金属製装身具を中心とした馬形と大陸伝来の華やかな各種の意匠、最後のいわゆる飛鳥時代に当たる「8. 終末期の古墳」(下の写真右)では、大陸から伝わった寺院建築などの仏教文化から採り入れた各種文物のフォルムなど、といった具合です。

もちろん、すでにお気づきのように、これらの背景にはテクノロジーの発達や思想・社会の変化・交流が反映されていることはいうまでもありません。
   


二つ目は、見た目に印象的な「色彩の変化」です。
すでに説明した各コーナーの「形の変化」は、実は材質の転換・変化を伴っていて、それぞれは独特な色合いをもっています。
もちろん、長い年月を地中で過ごした考古資料は多くが劣化していますので、必ずしも完成した当時の色彩そのものではありません。それでも、印象深い色彩の変化があり、それをやや強調することにしました。

最初の茶色を基調とした土師器から始まり、3~4世紀は緑色の銅鏡(下の写真左)や碧玉製品、5世紀は錆びた焦げ茶色の鉄製品です。かわって、6世紀になると金銀色の各種馬具や金属製装身具(下の写真右)、7世紀は中国起源の鉛ガラスの透明感のある緑色などなどです。
これらは当時の人々にも目新しい印象を与えたに違いなく、新時代の到来を感じさせたことでしょう。
 


以上のふたつのキーワードとは別に、日本の古墳文化の大きな特徴として、銅鏡の重視があります。
現在、日本列島では4000面以上の出土例が知られています。
これは“本家”の中国を上回るほどの出土量で、如何に当時の人々が新来の古代中国の世界観を映し出している銅鏡に魅了されていたかがわかります。

いつの時代でも、時代の変化を感じさせるものは、新しく出現した“新来”の文物です。
そこで、通史展示各コーナーの冒頭には、必ずその時代の特徴を表わす銅鏡を併せて展示しています。
  
左から「4.政治的社会の成熟」、「6. 巨大古墳の時代」、「7. 地方豪族の台頭」の、それぞれ冒頭に展示された作品
(左)土師器 壺 大阪府・庄内遺跡出土 橋本宗太郎氏寄贈
重要文化財 斜縁二神二獣鏡 奈良県・佐味田宝塚古墳出土 
(中)眉庇付冑 山梨県・大塚古墳出土 ※11月23日(月・祝)まで
画文帯同向式神獣鏡 静岡県・奥ノ原古墳出土
(右)金銅装f字形鏡板付轡 群馬県高崎市剣崎大塚出土 高崎市臨時水道部寄贈
七鈴鏡 奈良県大和高田市西三倉堂町三倉堂古池出土


すべてのコーナーに解説も付けていますので、すでにご紹介してきた形・色の変化と、組み合わされた各種文物の象徴として(“通奏低音”のような?)各種の銅鏡も併せて、当時の人々の想いと好みの遷り変わりを感じ取っていただければ幸いです。


ところで、このような構成を展示室内でよりわかりやすく、印象的に演出することは、展示にとってもっとも大切なことの一つです。
そこで、忘れてならないのは、その実現にはパネル・展示台・展示具や照明などのトータルな空間全体のデザインが欠かせないということです。
それには各種の展示台・展示具の形状・色彩や時代毎に色分けされた天井まで届くテーマパネルなどのデザイン、メリハリの効いた照明が効果的なことを感じていただけるのではないでしょうか。



(上下ともに)古墳時代の通史展示

これらは準備段階で、当館デザイン室の研究員と議論を重ね、さまざまなアイディアが提出された結果生み出されたもので、多くの関係者の尽力で実現することができたものです。
このような点にも、是非、注目してご覧いただきたい見どころの一つです。

本展示室で、日本列島に展開した先人達が辿ってきた足跡の「物語」を、絵巻物を見るようにご覧いただければまさに本望です。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古展示環境・たてもの

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2015年11月10日 (火)

 

一遍と歩く 一遍聖絵にみる聖地と信仰

こんにちは、保存修復室主任研究員の瀬谷愛です。

10月10日(土)リニューアルオープンの遊行寺宝物館で特別展「国宝 一遍聖絵」をご覧になられた皆様、たいへんお待たせいたしました。
東博でも特集「一遍と歩く 一遍聖絵にみる聖地と信仰」(11月3日(火・祝)~12月13日(日)、本館特別1・2室)が始まりました。

展示風景

遊行寺(清浄光寺)さんの特別展は、現在、全12巻の展示(展示されるのは一部分ずつ)ですが、11月19日(木)から神奈川県立金沢文庫、21日(木)から神奈川県立歴史博物館と3館に分かれて、4巻ずつ、より長く多くの場面が展示されるようになります。

東博を含めて4館をまわると、「一遍聖絵」全12+1巻、全場面がみられるという、まさに夢の一遍祭り!なのです。

展覧会ポスター

さて。
東博の特集は、東博本「一遍聖絵」(巻第七、国宝)と天保11年(1840)に狩野晴川院養信の弟子たちが写した「一遍聖絵」模本をとおして、一遍が訪れた聖地ゆかりの美術をご覧いただくという企画です。

模本だからとあなどってはいけません。ほら。

「一遍聖絵」模本
さすが、晴川院の弟子です。

そして、今回のイチオシは、こちら!

経筒
(左)陶製外筒  和歌山県田辺市本宮町備崎 熊野本宮経塚出土 平安時代・保安2年(1121)
(右)銅製経筒  平安時代・12世紀


写真だといまひとつ実感がわかないかもしれませんが、展示室でご覧になると驚きますよ!

一遍が重要な悟りを得た和歌山県・熊野本宮(備崎)出土の経筒で、現存する日本最大の経筒+外容器です。
銘文によれば、大般若経600巻を50巻ずつ12個の容器に収めたといいます。これがあと11個あったはずなのですが、今はどうなっているのか知ることができません。

これがどのようなところに埋められていたかというと・・・

大斎原
左が、明治22年(1899)の水害まで本宮があった大斎原。右の、熊野川を挟んだ対岸が備崎です。備崎は、吉野と熊野本宮をつなぐ「大峯奥駆道」のスタート/ゴール地点。修験にとってもとても重要なポイントというわけです。


聖絵でみると、このへんです。

現地を訪れると、その理由が身体感覚として伝わってくるような気がします。ぜひ、秋の旅行に、皆様にオススメしたい聖地です。


さて、話は変わりますが、

「遊行寺(清浄光寺)と東京国立博物館と、どちらに本物の第七巻が出るのですか?」

というご質問が最近よく寄せられています。

答えは、

「どちらも「本物」です。」

もとは1巻だったのですが、これがいつしか分断され(絵巻にはよくあることです)、模写で補われつつ、2巻に仕立てられました。

東博本は、第1~4段の絵と第4段の詞書が正安元年(1299)の原本で、第1段の詞書だけが写しです(第2・3段の詞書はありません)。
遊行寺(清浄光寺)本は、第1~3段の詞書が原本で、第4段の詞書と第1~4段の絵が江戸時代の写しです。この写しもたいへんよく描かれていて、一見原本のようにみえます。

分断の明確な時期はわかっていません。
東博本は原三溪(1868~1939)旧蔵品で昭和25年(1950)に東博に入ったものですが、三溪が書きのこした記録によれば、もともと嘉永5年(1852)に京都町奉行として着任した浅野梅堂(1816~80)が所有していたものといいます。その梅堂が京都三条橋修理の参考資料として京都・歓喜光寺から巻第七を借り出し、返却せぬまま亡くなって、所有が転々としたそうです。

そのとき何が起きたのか?

いろいろな可能性が考えられます。思いつくままに列記すれば、
1)もともと巻第七だけは正副2巻あり、浅野梅堂が片方を借りた/買った。
2)浅野梅堂が借りた後、歓喜光寺に内緒で、絵師に模写させてつぎはぎの2巻にし、片方を原本に見せかけて返却した。
3)浅野梅堂が借りた後、歓喜光寺に相談の上、絵師に模写させてつぎはぎの2巻にし、片方を買った。

三溪の存命中には、梅堂が巻第七を「借りてすりかえた」という噂があったようです。たしかに、梅堂は東洋書画を愛好し、収集・鑑定をしていた記録があります。13世紀に水墨技法を駆使した「一遍聖絵」はまさに手に入れたい、お好みの絵巻だったことでしょう。

しかし、ふたつの巻第七の絵はすみずみまで同じというわけではありません。

例えば、有名な市屋での踊り念仏の場面。

一遍聖絵 巻7 原本
これは正安元年(1299)の原本です。

一遍聖絵 巻7 遊行寺(清浄光寺)本
遊行寺(清浄光寺)本では、留書が写されていません。

一遍聖絵  模本
狩野派の天保11年(1840)ではしっかりと写されています。


こんな明らかに目に付くところが違うものを、知らん顔で返すでしょうか・・・。

巻第七が当館所蔵となったとき、鷹巣豊治氏は「歓喜光寺本十二巻中の第七は詞書第一第二第三だけが原本で、他は晴川院の模写で補ってある」と記しています(「博物館新収品 重要文化財 一遍上人絵伝」『MUSEUM』6号(昭和26年・1951))。

その根拠までは明らかにされていないのですが、晴川院筆とすれば、その没年は弘化3年(1846)ですから、分断の時期もおのずと限られてきます。ただし、そのときはまだ梅堂は京都町奉行に着任していません・・・。

巻第七の分断をめぐる真相は、引き続き浅野梅堂と晴川院というふたりの重要人物をたどるのが、目下の近道のようです。



関連事業
月例講演会「一遍とたどる日本の聖地と時宗の文化財」 2015年11月7日(土) 13:30~15:00  平成館大講堂
ギャラリートーク「一遍とみる聖地と信仰」 2015年12月1日(火) 14:00~14:30  本館 特別2室

 4館共同一遍聖絵スタンプラリー「一遍と歩こう」(神奈川県立歴史博物館のウェブサイトへリンクします)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 瀬谷 愛(保存修復室主任研究員) at 2015年11月06日 (金)