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「クレオパトラとエジプトの王妃展」開催!

トーハクにクレオパトラがやってきます!
誰もが知っているクレオパトラ。カエサルやアントニウスといった世界史上の大物をとりこにしたという、美女のなかの美女です。
そんなクレオパトラゆかりの名品が、この夏、トーハクにやってきます。



東京国立博物館では、この夏「クレオパトラとエジプトの王妃展」(2015年7月11日(土)~9月23日(水・祝)、平成館)を開催します。
3月2日(月)には本展の報道発表会を行いました。

こちらの展覧会、魅力は何といってもそのスケール感。
世界12ヵ国、約40もの所蔵先から古代エジプトの名品が集結します。
所蔵先としては、ルーヴル美術館、大英博物館、ボストン美術館、ベルリン・エジプト博物館、ウィーン美術史美術館など、世界有数の古代エジプトのコレクションを誇る博物館・美術館が名前を連ねています。
まさに古代エジプトの粋を集めた展覧会なのです!

 
報道発表会では本展覧会の担当研究員・品川欣也より展覧会のみどころを説明しました

さて、今回の主役は古代エジプトの王妃や女王。
ファラオ(王)を支え、国を支えた彼女たちゆかりの作品をご覧いただけます。
たとえばクレオパトラ(クレオパトラ7世)。

冒頭でもご紹介したとおり、絶世の美女として語り継がれる、古代エジプト史上最も著名な女王です。
実はクレオパトラとされる作品は非常に少なく、展覧会ではそんな貴重な作品が展示されます。


クレオパトラ
プトレマイオス朝時代(前1世紀前半)
イタリア トリノ・エジプト博物館蔵
(C)Archivio Soprintendenza per i Beni Archeologici
del Piemonte e del Museo Antichità Egizie


他にも多くの王妃や女王が登場しますが、あと一人、皆様に覚えておいていただきたいのがアメンヘテプ3世の王妃ティイ。

アマルナ改革で有名な(あるいは、美女・ネフェルトイティ(ネフェルティティ)の夫として有名な)アメンヘテプ4世(後のアクエンアテン王)の母でもあります。
王族出身ではありませんが、ティイは王に寵愛され、また王母としても大きな力を発揮しました。


アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ
新王国・第18王朝時代
アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
ベルギー ブリュッセル・ベルギー王立美術歴史博物館蔵
(C)Royal Museums of Art and History, Brussels


このレリーフはウセルハトという人物の墓にあったものですが、その墓は瓦礫などで埋もれてしまい、20世紀初頭の調査以来、その正確な所在地はわかっていませんでした。
その墓が、早稲田大学の調査隊により約100年ぶりに再発見されました!
その調査隊を率いたのが、本展の監修である早稲田大学の近藤二郎教授です。
近藤先生は、日本を代表する古代エジプトの研究者。2013年末には、約3200年前のビール醸造長の墓を発見し、世界的にも注目されています。
クレオパトラやティイが本展のヒロインなら、近藤先生は本展のヒーローなのです!

 
近藤先生には、レリーフのあった墓の調査について、臨場感たっぷりにご説明いただきました

ファンの多い古代エジプト、古代エジプト史のヒロイン・クレオパトラ、
トーハクでは15年ぶりの古代エジプトの展覧会。
(2000年の「世界四大文明 エジプト文明展」以来の開催です。)
そして、本展監修・近藤先生の最新の研究成果。
いやが上にも期待が高まります!

さて、当館にも古代エジプトのコレクションがあります。
報道発表会の最後には、古代エジプトの作品を展示している東洋館3室でギャラリートークも行いました。

 
(左)セクメト女神像
エジプト テーベ出土 新王国時代・第18王朝(ティイ、アメンヘテプ3世の時代の作品です)
(右)パシェリエンプタハのミイラ
エジプト テーベ出土  第22王朝 エジプト考古庁寄贈
※どちらも東洋館3室で通年展示。本展には出品されません。


夏の開幕が待ちきれないという方は、東洋館で予習をして、今から備えておくのも良いかもしれません。

「クレオパトラとエジプトの王妃展」、どうぞお楽しみに!

カテゴリ:news2015年度の特別展

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posted by 高桑那々美(広報室) at 2015年03月03日 (火)

 

新装なった「檜図屏風」

国宝 檜図屏風が、装い新たに展示されています。
平成23年1月の「本館リニューアル記念 特別公開」で展示されて以来、4年ぶりの公開になります。
その間に1年半に及ぶ修理が行われ、それまでの8曲1隻の屏風から4曲1双の屏風に形式も改められました。


国宝 檜図屏風 狩野永徳筆 安土桃山時代・天正18年(1590) (左:修理前、右:修理後)

修理前は幹から左に伸びる大枝が屏風の中央部分で大きくズレ、繋がりの悪い印象がありました。
「檜図屏風」には、画中に襖の引手跡があり、もと襖であったことが知られています。屏風の中央部分は、襖から屏風へ改装される際に切り詰められ、そのために図が不連続になっていたのです。

今回の修理では、もとの襖の形態を考慮して改装が行われました。襖の形に直すことも検討しましたが、絵の部分の高さが170㎝で襖としては高さが低く、上下に切り詰めがあると考えられることから、そこに枠をはめこんでは、画面が小さく見えてしまうのではないかとの意見もあり、当初の大きさも不明なことから、襖のような平面での展示もし行いやすい4曲の形態に直すことになりました。

絵の中には、木瓜形と円形の2種類の引手跡があります。襖として1度改装され、引手金具が付け替えられたのです。
引き手と紙の端までの距離が円形の方が揃っていることから、当初は木瓜形の引き手がつけられ、改装の際に画面の一部が切り詰められ円形の引手がつけられたと想像されます。
引手跡から紙端まで一番残りのよい第1扇と、中央部分の第4・5扇を比べると中央部分では約7cm狭くなっています。最初の襖から少なくともそれだけの部分が無くなっているのです。

 第5扇
左:第1扇(部分、修理前)、右:第5扇(部分、修理前)
上の囲みは木瓜形の引手跡。下の囲みは円形の引手跡


ケースの中で展示作業をしていると全体のつながりが見えません。中央部分を7cm空けたところでケースの外を見ると、全体を見ている研究員が両手を頭の上に掲げて○のサイン。
今回は当初の姿を再現するように、空間を考えて展示しています。

狩野永徳が描いた樹木は、江戸時代の『本朝画史』に「舞鶴奔蛇之勢」があると語られていました。檜図の枝にこそ、大蛇にたとえられる勢いが感じられます。
色彩が鮮やかになったこと、屏風の折れがなくなって枝の動きがスムーズになって増したことにより、重厚で沈痛な趣を宿した修理前の「檜図」が、明るく伸びやかな印象に生まれ変わりました。
これが当初の「檜図」だったはずです。
これによって永徳に対するイメージも変わってくるのではないでしょうか?

展示風景
現在の展示では、中央部分を7cmほど空けて展示しています

本館2室(国宝室)にて、2015年3月15日(日)まで展示

カテゴリ:研究員のイチオシ保存と修理

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posted by 田沢裕賀(彫刻・絵画室長) at 2015年02月28日 (土)

 

みちのくの仏像・私のイチオシ みちのくのモナリザ?

謎を秘めた美しい像といえば、皆さんはダビンチのモナリザを思い浮かべるのではないでしょうか。あの謎めいた微笑は何なのか、世界中の人びとを魅了しています。

実は本展覧会に出品されている仏像のなかにも、謎を秘めた美しき像があります。
それが成島毘沙門堂の伝吉祥天立像です。


重要文化財
 伝吉祥天立像 平安時代・9世紀 
岩手・成島毘沙門堂蔵 (画像提供:東北歴史博物館)

名称に伝とあることからもわかるように、伝承では吉祥天とされていますが、本来はどのような像としてつくられたのかわかっていません。
というのも、このような姿の像は日本全国を探してもこの像だけだからです。頭の上をよくみてください。二頭の像に気づくでしょう。このことから頭が象の神さま歓喜天(インドのガネーシャ)ではないかともいわれています。


頭上をご覧ください。二頭の像がいます。

わたしは伝承のとおり吉祥天の可能性もあると思っています。吉祥天はインドではラクシュミーといい、二頭の象に水をかけられる姿でつくられることもあるからです。

 
楣(まぐさ) アンコール時代・11世紀 カンボジア・タ・セル フランス極東学院交換品
右:部分 カンボジアのレリーフに表わされた、二頭の像に水をかけられているラクシュミー(吉祥天)

ガネーシャもラクシュミーも東洋館地下・クメール彫刻のコーナーにありますので、みちのくの仏像をみた帰り、ぜひそちらもご覧ください。
 

カテゴリ:彫刻2015年度の特別展

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posted by 淺湫毅(教育講座室長) at 2015年02月27日 (金)

 

国宝「檜図屛風」修理後初公開・文化財用大型CTスキャナー記者発表会

2月16日(月)、トーハクでは2つの記者発表会が開催されました。


まず初めは、文化財用大型CTスキャナーのお披露目です。
昨年3月に導入し、約1年の試験稼動を経て、このたび、正式稼動となりました。

これまで、文化財用のCTスキャナーは、西日本の施設(九州国立博物館、九州歴史資料館、奈良文化財研究所)にしかなく、東日本でも自然科学系の施設(理化学研究所、国立科学博物館)にしかありませんでした。そのため、東日本にある文化財の調査をするためには、長距離輸送のリスクが伴いました。今回の導入により、東日本における文化財の状態調査の可能性が広がりました。

水平型の説明
水平型エックス線CTスキャナーの説明。
その大きさがおわかりいただけるのではないでしょうか。


今回導入されたのは、仏像など大型の文化財を立てたまま撮影ができる垂直型、長さ2.5mの文化財を水平に設置し断層撮影が可能な水平型、細かい部分の撮影が可能な微小部観察用の3台のCTスキャナーで構成されたCTシステムで、文化財用としては最新鋭かつ世界最大級のものです。

CTシステム
左から、垂直型、水平型、微小部観察用エックス線CTスキャナー


この日は、当館所蔵の「パシェリエンプタハのミイラ」(東洋館3室にて通年展示)の撮影結果についても紹介しました。

ミイラ画像

従来のエックス線撮影では不鮮明であった下腹部の塊が、CTによる調査の結果、ミイラ作成時の詰め物であることが鮮明に撮影されました。

今後、さまざまな文化財調査への活用と研究成果に期待が高まります。



次に、狩野永徳筆・国宝「檜図屛風」の修理後初のお披露目です(2月17日(火)~3月15日(日)、本館2室にて展示)。
バンクオブアメリカ・メリルリンチ文化財保護プロジェクトの助成を受け、18ヶ月にもおよぶ平成の大修理を行いました。

檜図屛風記者発表フォトセッション
記者発表にはバンク・オブ・アメリカ・グループ在日代表の
ティモシー・ラティモア氏にもお越しいただきました。
(右は独立行政法人国立文化財機構理事 池原充洋)


「檜図屛風」は、本来は4面の襖だったものを8曲1隻の屛風に仕立てたため、図柄のつながりに不自然なところがあったり、亀裂や糊浮き、彩色の剥離など経年による劣化によって鑑賞性が損なわれていました。
このたび、解体修理により、本来の姿を意識した4曲1双に改装し、亀裂や浮きの補修、汚れの軽減も施し、色鮮やかに甦りました。

また、修理の過程での発見もありました。
襖から屛風に改装されたときのものと思われる「一」から「八」までの数字や「山水桧」の墨書と、過去の修理で補修紙として用いられた五七桐文の文様が転写された跡です。
この五七桐文が八条宮家に縁の深いものであることがわかり、今回の修理では屛風の裏に貼る唐紙にこの文様が採用されました。

実際に使用された五七桐文の版木(宮内庁京都事務所保管)は、本館特別1室「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(2月17日(火)~3月15日(日))にて、展示されていますので、あわせてご覧ください。

五七桐文
唐紙(見本)と五七桐大紋の版木(宮内庁京都事務所蔵) 


修理の概要は、トーハクYouTubeチャンネルにて動画を公開しています。展示をご覧になる前にぜひ!




MUSEUM
東京国立博物館研究誌「MUSEUM」最新号は「国宝 檜図屛風 平成の大修理特集」
ミュージアムショップにて販売中です(税込1543円)

 

カテゴリ:news保存と修理

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2015年02月17日 (火)

 

「3.11大津波と文化財の再生」救出から再生へ

開催中の特別展「3.11大津波と文化財の再生」では、本館特別4室で「文化財再生のみちのり」と題した、文化財レスキューの進み方と今後解決を必要とする技術的課題についてのパネル展示を行っています。
今回は、パネル展示の流れに沿って、本館特別2室で展示中の「石川啄木歌碑拓本」が救出されてから本展での展示にいたるまでのみちのりをご説明します。

写真1は、被災した陸前高田市立博物館(写真2)から救出された直後の資料の様子です。
画面中央にコンテナがあり、そこにたくさんの掛軸が収納されているのがわかりますでしょうか。
 
写真1                                                      写真2

こうして救出された掛軸は津波で濡れ、泥や砂に覆われた状態でした(写真3)。このまま放置するとカビが発生し、劣化が著しく進行してしまいます。

写真3

そこで、表具を解体し、本紙1枚の状態にした後で水を使って洗浄と脱塩(塩分の除去)を繰り返します(写真4)。救出後に行なわれるこうした作業を安定化処理と呼び、これ以上劣化が進行しないような状態に留める処理内容のことです。安定化処理後の状態は本紙1枚だけですから(写真5)、このままでは展示に活用できません。
 
写真4                                                      写真5

再び表具を仕立てる本格修理を行い、ようやく現在の姿(写真6)に再生されるのです。

写真6


今回の特別展でお借りした全ての作品は、それぞれが様々なみちのりを経て当館で展示することができたものです。しかし、これで文化財の再生が完結したわけではありません。被災地が復興して、新たな博物館が完成した後に、そこで展示に活用されてようやく再生の終着を見ることができるのだと思います。

館内各所では特別展「3.11大津波と文化財の再生」のリーフレットを配布しています。
 こちらからリーフレットのダウンロードができます

文化財レスキューの進み方など現地で撮影された画像とともに詳しく説明した内容となっています。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

カテゴリ:2014年度の特別展

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posted by 和田浩(環境保存室長) at 2015年02月13日 (金)