このページの本文へ移動

1089ブログ

特別展「法然と極楽浄土」その2 法然寺の仏涅槃群像

開催中の特別展「法然と極楽浄土」(6月9日(日)まで)で彫刻作品の担当をしています研究員の浅見です。
私からは本展覧会で唯一写真撮影可能な作品であり、様々なグッズ化もされて大変話題の香川・法然寺所蔵の仏涅槃群像(82軀のうち26軀を展示中)について紹介します。

第4章「江戸時代の浄土宗」  仏涅槃群像 26軀(82軀のうち) 江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 会場展示風景

この群像は高松藩初代藩主松平頼重(1622-1695)の構想によるものです。
頼重は水戸徳川家の光圀の実兄です。城下の上水道整備などの工事も行いましたが、寺院の造営、造仏にも熱心でした。
法然寺だけでも十王堂に十王坐像、来迎堂に阿弥陀如来と二十五菩薩立像、三仏堂に三世仏(阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒菩薩)坐像と仏涅槃群像82軀など100体を超える像があります。いずれも京都の仏師に注文したものです。

明治9年(1876)に香川県から求められて提出した法然寺の記録に、
<涅槃之尊像・聖衆・羅漢・長者居士・天龍八部之像并五十二類之形相> とあります。
末尾の「五十二類」というのは『涅槃経』で釈迦入滅の時に集まった生き物が羅漢等を含め52種類とあることによります。
明治33年(1900)の記録では、像の名称を挙げた後、動物については一括して「鳥獣類 五十二類」とあり、動物の彫刻が52点あったようにも読めますが、現在は45点です。
そのうち、うさぎの像底には銘文があります。

仏涅槃群像 のうち うさぎ(像底部分)☆
(注)仏涅槃群像の写真のうち☆印があるものは京都国立博物館・岡田愛氏が撮影したものです。

このうさぎについては明治16年(1833)に調えた、つまり造ったということですから、現存する動物がすべて同じ時に造られたのではなく、後世加えられたものもあったのです。

また、明治33年の記録では尊像(仏)の名前を列挙していますが、現存どの尊像が誰であるか同定するのが難しいものが少なくありません。
確実なのは阿難(あなん)と阿那律(あなりつ)です。記録には「阿難臥像(あなんがぞう)」とあるので、まずこの横になっているのが阿難です。

仏涅槃群像 のうち 阿難像☆

ちなみに様々に描かれた「仏涅槃図」ではうつ伏せ、仰向けの2種類の姿が見られます。
ご紹介した法然寺の像のように右肩を露出する画像もあります。
 
左:上:仏涅槃図(部分)鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(本展覧会の会場では展示されていません)
右:下:仏涅槃図(部分)鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(本展覧会の会場では展示されていません)

そして阿那律は「立像 雲上ニアリ」と記されるので、摩耶夫人の前にいるのがその人です。

仏涅槃群像 のうち 摩耶夫人・侍者・阿那律立像(本展覧会の会場では展示されていません)

釈迦を産んで七日後に亡くなった生母・摩耶夫人は天界の忉利天(とうりてん)にいたので、釈迦の危急を知らせに行き、先導して駆け付けるところです。
天井から吊るしてそれを再現するなど非常に劇的な表現です。
そのほか記録の名称と同定できる像は以下のとおりです。
 
左:上:仏涅槃群像 のうち 阿修羅坐像☆ 右:下:仏涅槃群像 のうち 足疾鬼坐像☆

 
左:上:仏涅槃群像 のうち 韋駄天坐像☆ 右:下:仏涅槃群像 のうち 難陀龍王坐像☆

ところで、この法然寺の釈迦像はかすかに目を開けています。
 

仏涅槃群像 のうち 仏涅槃像(上:部分 下:左目部分画像を右に90度回転したもの

会場ではなかなかわからないと思いますが、玉眼(目を刳り抜いて、裏から水晶の板を当てる技法)をはめています。
こちらも涅槃図に表される姿では目を開くものと、瞑るものの両方が見られます。

仏涅槃図(部分) 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵
(本展覧会の会場では展示されていません)
こちらの作品では眼を開けています


仏涅槃図(部分) 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵
(本展覧会の会場では展示されていません)
一方、こちらの作品では眼を閉じています

このほかにも比較をすると、図像の中には法然寺の涅槃群像と似たものを見つけることができ、造像に際して参照した画像があることが想像できます。
カタツムリが登場する鎌倉時代の仏涅槃図もあります。
会場にお出ましの26軀を本展覧会でご覧になった後は、釈迦と合わせて82軀という全体像をぜひ現地でもご覧ください。
 
法然寺は高松琴平電気鉄道 高松築港駅(JR高松駅徒歩すぐ)から琴平線(通称:ことでん)に乗って17分、仏生山(ぶっしょうざん)駅で下車、のんびり歩いて15分ほどです。
境内には美味しい讃岐うどん屋さんが、また近くには温泉もあります。

(注)涅槃群像は本展覧会の巡回で今年秋に京都国立博物館(会期:2024年10月8日(火)~12月1日(日))、来年秋の九州国立博物館(会期:2025年10月7日(火)~11月30日(日))にもお出ましいただき、お寺に戻るのは2025年12月中旬頃の予定です。
 
↓ 以下、広報室編集担当より

左奥:仏涅槃群像 のうち 象 をモチーフにした「象ぬいぐるみ(税込3,300円)」他、展覧会限定グッズも会場内特設ショップで好評販売中。
是非皆様の枕元にもお迎えください。...おや、猫に...見られている..?

カテゴリ:彫刻「法然と極楽浄土」

| 記事URL |

posted by 浅見龍介(彫刻担当) at 2024年05月22日 (水)

 

伎楽面のX線CT報告を楽しもう!(後編)

幻の芸能と呼ばれる伎楽に用いられた仮面のなかで、現存最古の遺品である法隆寺献納宝物の伎楽面(ぎがくめん)。
このほど実施したX線CT調査の報告書『法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査』(以下、報告書)について、前回の1089ブログ「伎楽面のX線CT調査報告を楽しもう!(前編)」でお伝えしました。
X線CTを利用した文化財調査が少し身近に感じていただけたのではないかと思います。

出版・刊行物 PDFファイルダウンロードページで報告書、関連動画を見る

さて、報告書に掲載されるのはCT画像データだけではありません。伎楽面の新撮画像を、正面、側面、裏面など、さまざまなカットでお楽しみいただけます。
この機会にモノクロ画像しかなかった裏面も新撮し、これが初公開となります。
裏面は、つぶらな瞳(ではなく、演者が外を見るための孔ですが)がかわいいですね。


N-208 伎楽面 師子児(ししこ)(報告書10~11頁)


カラーで各カットがすべて掲載される刊行物はこれが初めてなので、CT画像に関心がない方も、カラーページだけでもぜひパラパラ見てください。
すると、「かわいい!」「この写真をぜひSNSに使いたい!」とか、(きっと)ご希望が出てくる思います(出てきてほしい)。

「でも報告書の画像は小さいし」
「勝手に載せたらダメだろうし」
「掲載にはお金がかかるんでしょ?」

そんなことはありません。
そのために、国立文化財機構にある文化財活用センターでは、みなさまに無料でお気軽にお使いいただける画像のデータベース「ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システム」を運営しております。
「出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)」など、本サイトからの引用である旨の出典を示していただいたうえ、利用規約のルールを守っていただければ、商用利用も含め自由にご活用いただけます。

「ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システム」の利用規約ページに移動

ここで、検索に「伎楽面」と入れていただいても構いませんし、すぐに目当ての画像を探すなら詳細検索で「機関管理番号」に「N-208」と入れていただければ、この報告書に使われる新撮画像はすべてご覧いただけます。


ColBase「詳細検索」画面


ColBase「N-208」の「作品画像一覧ページ」


N-208 伎楽面 師子児(左側面)

N-208 伎楽面 師子児(裏面)



報告書では伎楽面をきれいに切り抜いて掲載しているので、ここでは撮影方法がバレてしまいますが、ご自身で報告書同様切り抜いたりトリミングすることも可能なので、ぜひご活用ください。

ちなみに、伎楽面は能面等の仮面とは異なり、後頭部も覆うフルフェイスヘルメットのような形状なので、撮影するのも一苦労です。
側面の画像では、面裏から透明な支柱が斜めに出ているように見えますが、じつは垂直な支柱に乗せており、仮面自体はかなり上向きで撮影しています。
後で画像を自然な角度に調整しました。

裏面は、彩色の剥落に細心の注意を払って仮面を裏返し真上から撮影しました。
綿を薄葉紙と呼ばれる文化財用の和紙で包んだ綿布団というクッションが見えますね。
伎楽面は顔の彫りが深く、鼻の高い仮面もあるので俯瞰撮影も大変でした。

そのような撮影の苦労も感じながら、ご覧いただければ幸いです。
(貴重な伎楽面の新撮画像を載せれば、あなたのSNSもバズることまちがいなし!)

利用方法については、文化財活用センターのブログでわかりやすく解説しておりますので、こちらもぜひご参照ください。

「ColBaseを活用しよう!ColBaseの画像利用について」

今後、街なかで伎楽面グッズを見かける機会があるかもしれません。
個人的には伎楽面Tシャツをぜひ作りたいですね。

「ColBaseを活用しよう!グッズ販売編」

こちらのブログ以外にもシリーズでColBaseの活用方法が紹介されているので、ぜひご参照のうえご利用ください。
 

 

カテゴリ:彫刻調査・研究

| 記事URL |

posted by 西木政統(登録室) at 2024年05月09日 (木)

 

伎楽面のX線CT調査報告を楽しもう!(前編)


N-211 呉女 X線断層(CT) 前後方向のワンシーン
法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査 関連動画 より



X線CTといえば、「わたしもやったことある」という方も多いと思います。
これはもちろん医療用CTのことですが、物質を透過するX線の特質を利用し、外からは見えない内部を観察する目的で活用されています。
通常のX線撮影では、一方向の情報がすべて重なりますが(健康診断のレントゲン撮影と同じです)、X線断層(CT)は、対象となる物質に360度の方向から照射されたX線をコンピュータ上で計算し、3Dデータとして生成されるため、対象を立体的に把握できる利点があります。

医療用の他にも産業用CTがあり、これが文化財の撮影にも広く使われるようになって、当館でも2014年に導入しました。
その成果のひとつとして、たとえば2017年の特別展「運慶」出品作品の撮影データは、『MUSEUM』誌にまとめてご報告しております。


「特集 運慶展X線断層(CT)調査報告」
『MUSEUM』696号、2022年2月

「特集 運慶展X線断層(CT)調査報告II」
『MUSEUM』703号、2023年4月



ただし、CTデータを公開するにあたって課題なのは、データそのものが簡単には見られないことです。
比較的高スペックのPCに高額なソフトをダウンロードしなければ見られませんし、誰にでも簡単に操作できるソフトでもありません。運慶展のCT調査報告にあたり公開方法を試行錯誤するなかで、このときは、最低限の静止画像を掲載し、概要を示す解説を添えることで中間報告としました。


東京国立博物館 十二神将立像 辰神 X線断層(CT)(『MUSEUM』703号、2023年4月、80~81頁)


これをご覧いただいた方は「もっと別の角度から見たいのに」と、もどかしい思いをもたれたかもしれません。
そこで、このたび館蔵品である伎楽面(ぎがくめん)のCT調査報告『法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査』(以下、報告書)を刊行するにあたり、報告書をPDFで無料公開するとともに、データを動画形式で公開する試みを始めました。

出版・刊行物 PDFファイルダウンロードページで報告書、関連動画を見る
 


N-208 伎楽面 師子児(報告書10頁)

N-208  X線断層(CT)(報告書12頁)



そもそも伎楽面とは、飛鳥時代に大陸から伝わった芸能である伎楽に使われた仮面です。
中世には廃絶したため、今日には法隆寺や東大寺で制作された遺品しか現存しません。
このうち、飛鳥時代に遡る最古の伎楽面が含まれるのは、法隆寺に伝来し、明治天皇に献納されて今日当館に収蔵される法隆寺献納宝物です。

法隆寺献納宝物は、飛鳥時代から奈良時代にかけて制作された古代美術を中心とするコレクションであり、その重要性から、昭和54年(1979)年度から原則として毎年、館内外の研究者と共同で特別調査を実施してきました。
その調査報告が『法隆寺献納宝物特別調査概報』です。

『法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査』はその最新号ですが、なんと最初の概報は『法隆寺献納宝物特別調査概報 I 伎楽面』(1981年)でした。
さらに、この概報を増補改訂して豪華本『法隆寺献納宝物 伎楽面』(1984年)も刊行しており、これは伎楽面の研究に欠かせない基本文献となりました。

彫刻史だけでなく漆工や金工の専門家まで、館の内外から参加者が集まり、X線撮影、蛍光X線撮影といった当時最新の研究手法も取り入れた画期的な調査だったことがわかります。

「なぜまた伎楽面を対象にするのか?」と疑問に思われるかもしれません。
さすがに43年も経過すれば技術も進歩しており、当時目新しかったX線撮影に対して、いまはX線CT撮影ができるようになりました。
素材(金属等)の元素分析を行なうための蛍光X線分析や、赤外線の吸収率が高い炭素(墨等)の性質を生かした赤外線撮影も、当時より精度が上がり、なおかつ比較的手軽に行えるようになっています。

本来は、当時と同じく総合的な調査とすべきでしょう。
しかし、当時の法隆寺宝物館(旧館)は毎週木曜日だけ公開していたのに対し、現在の法隆寺宝物館は館の開館日程通り毎日公開しており、その中で伎楽面を展示する第3室は保存状態に配慮しつつ毎週金・土に開館するため、調査時間は限られます。
また、同時に複数の調査を行なうのは危険がともなうため、今回はもっとも新知見が見込まれるX線CTにしぼって調査を実施することになりました。


X線CT撮影風景

CT担当者と執筆者によるデータ検証



CTでわかることに、たとえば部材の接合箇所や木目の方向、異なる素材の使用等があります。
いずれも、基本的には素材によってX線の透過率が異なる性質を利用しており、X線を通しにくい材質ほど白く映るため、その濃淡や連続性で判断します。
これは従来のX線撮影と同じですが、立体的な把握ができる点で得られる情報量は飛躍的に増大しました。
これにより、表面観察では見分けられなかった接合箇所や、表面に露出しない金属の使用(釘頭の折損はもちろん、釘が腐朽により脱落した後でも、周辺に鉄成分が付着していることで釘穴とわかります)等が判明します。

たとえば、力士の面を見てみましょう。
X線の透過度による見え方を強から弱へ段階的にかえていくと、もっともX線を通さない材質が白く残ります。
右の画像はその中間のものですが、頭頂部に釘が残り、曲げられていることがはっきりわかります。
なお、おぼろげに表面の輪郭がわかるのは、彩色に使われた顔料が鉱物質であることによります。


N-228 伎楽面 力士(報告書127頁)

N-228 X線断層(CT)(報告書131頁)



こちらは、その垂直断面と水平断面です。
垂直断面というのは、データを左右に輪切りにしたもので、これは顔の中間あたりです。
水平断面は、上下の輪切りで、これは鼻の孔あたりです。
シマシマに木目が見える部分が木製で、表面が光っているのは鉱物質の顔料によるもの。
木製の部分に多い小穴は虫食いによるもので、取扱いに一層の注意が必要でしょう。


N-228 X線断層(CT) 垂直断面(報告書129頁)

N-228 X線断層(CT) 水平断面(報告書130頁)



垂直断面の眉のあたり、水平断面の頬のあたりにその中間程度の濃さの部分がありますが、木でも金属でもない物質(表面観察では、漆に木粉等を混ぜた木屎漆とわかります)を表面の形にあわせて盛りつけています。

CTでわかるのは、あくまで物質の内部構造であり、厳密にはその材質まで特定することはできません。
そのため、表面観察と組み合わせることで、木屎漆と推定される部分が実際にどの程度あるかわかるようになります。

ただし、紙媒体の刊行物に掲載できる挿図で示せるのは、本来の情報量のごく一部といわざるを得ません。
そこで、少しでもその情報量を増やすため、方向別にデータが見られる1分前後の短い動画を作成しました。


法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査 関連動画


垂直断面は左右方向と前後方向、水平断面は上下方向の計3種類です。
好きな部分で止められるので、スクリーンショットを撮れば、報告書に掲載されるCT画像のようにご覧いただけます。

これまで、紙媒体では報告書本文の記述をすべて挿図で示すのは難しかったのですが、十分とは言えないまでも、動画でわれわれの報告書の記述を検証することもできるでしょう。
最終的には、データそのものをご覧いただけるように整備したいと考えておりますが、動画公開はその試みの一環としてご利用ください。

しかし、報告書の見どころはCTデータだけではありません。
伎楽面の新撮画像を、正面、側面、裏面等、さまざまなカットでお楽しみいただけます。
これについては後編で詳しくご紹介したいと思いますので、ぜひ報告書をダウンロードして、動画もご覧いただければ幸いです。

 

リンクまとめ
法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査
法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査 関連動画
法隆寺献納宝物特別調査概報
法隆寺宝物館 第3室 伎楽面
MUSEUM(東京国立博物館研究誌)
 

カテゴリ:彫刻調査・研究

| 記事URL |

posted by 西木政統(登録室) at 2024年05月01日 (水)

 

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」報道発表会

2024717日(水)~98日(日)、当館平成館で創建1200年記念 特別展「神護寺空海と真言密教のはじまり」を開催します。

神護寺(じんごじ)といえば、「紅葉(もみじ)の名所」としてご存知の方もいらっしゃるでしょう。京都駅からバスと徒歩で1時間30分ほどの場所にある寺院です。


青紅葉も美しい神護寺の金堂

天長元年(824)、高雄山寺(たかおさんじ)と神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり神護寺が誕生しました。今年は神護寺創建1200年、そして神護寺とゆかりの深い、空海生誕1250年の年にあたります。本展では、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、文化財の数々をご覧いただきます。

214日(水)には本展の報道発表会を行いました。

まずは、主催者の高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照(たにうちこうしょう)氏と、当館副館長の浅見龍介がご挨拶しました。


高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照氏


当館副館長 浅見龍介

続いて、本展の見どころについて、当館の古川攝一研究員が解説しました。


研究員 古川攝一

特別展「神護寺空海と真言密教のはじまり」は5章に分かれています。
ここでは、それぞれの章の概要と作品の一部をご紹介します。
 

【第1章 神護寺と高雄曼荼羅】
唐から帰国した空海が活動の拠点とした場所が高雄山寺です。「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海が中国から請来(しょうらい)した曼荼羅が破損したため、それを手本に制作されたものです。本章では約230年ぶりに修復された「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」や、院政期の神護寺に関連する作品をご覧いただきます。


現存最古の両界曼荼羅
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)

平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示
814日~98日)、右の【胎蔵界】は前期展示717日~812日)


等身大の迫力 日本肖像画の傑作
国宝 伝源頼朝像
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(717日~812日)

 
【第2章 神護寺経と釈迦如来像―平安貴族の祈りと美意識】

「神護寺経」は神護寺に伝わった「紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)」の通称です。一方、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる「釈迦如来像」は、細く切った金箔による截金(きりかね)文様が美しい平安仏画を代表する作例です。平安貴族の美の世界をお楽しみいただきます。


鳥羽天皇発願 金泥で書かれた一切経
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(部分)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示


繊細優美な平安仏画の傑作
国宝 釈迦如来像
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)

 
【第3章 神護寺の隆盛】

僧である文覚(もんがく)による復興後、弟子によって伽藍(がらん)整備が進められ、神護寺はさらに発展していきます。本章では中世の神護寺の隆盛が伺える「神護寺絵図」や、密教空間を彩る美術工芸品の数々を展示します。


密教儀礼の場にしつらえられた屛風
国宝
 山水屛風
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)


【第4章 古典としての神護寺宝物】

幕末に活躍した絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)は数々の古画を模写しました。神護寺宝物では「山水屛風」や「伝源頼朝像」を写しています。また、「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海ゆかりの作例として、平安時代後半から曼荼羅の規範となり、仏の姿が写されました。神護寺の寺宝が古典として、江戸時代後半から明治時代に再び注目された様子をご紹介します。


国宝「山水屛風」を丁寧に写した摸本
山水屛風
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)

【第5章 神護寺の彫刻】
「薬師如来立像」は、神護寺が誕生する以前につくられており密教像ではありませんが、空海は本尊として迎えました。深い奥行きや盛り上がった大腿部、左袖の重厚な衣文(えもん)表現は重量感にあふれており、日本彫刻史上の最高傑作といえます。本章では、5体が勢揃いした「五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)」や変化にとんだ姿の「十二神将立像」などをご覧いただきます。

寺外初公開 厳しい眼差しのご本尊
国宝 薬師如来立像
平安時代・89世紀 京都・神護寺蔵 通期展示

本展は、約半世紀ぶりに開催される神護寺展となります。
空海も見つめたであろう彫刻・絵画・工芸の傑作をはじめ、密教美術の名品を展示する貴重な機会です。

今後も展覧会公式サイト当館サイトなどで最新情報をお伝えしていきます。ぜひご注目ください!

 

カテゴリ:news彫刻絵画工芸「神護寺」

| 記事URL |

posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年02月29日 (木)

 

平泉の日々

今から20数年前の夏のこと、私は1ヶ月ほど、岩手県の平泉に滞在していました。

当時、私は工芸史を専攻する大学院生で、特に蒔絵や螺鈿といった日本の漆工史についての研究に取り組んでいました。
そして夏季休暇の過ごし方として、それまで図版などでしか見たことがなかった中尊寺の金色堂や工芸品を、何日間か滞在して見学してみたい気持ちがあり、そのことを実家で話したところ、ちょうど父の長年の友人である故・荒木伸介(あらきしんすけ)先生(水中考古学の第一人者)が平泉郷土館長をされていたので相談させていただきました。
のちに荒木先生から伺ったところでは、先生が居酒屋でその話をされていたところ、そこに居合わせられた平泉町役場の関宮治良(せきみやはるよし)様が「うちに下宿させてあげよう」とご提案くださり、そのご厚意により関宮様のお宅で1カ月ほど居候させていただくことになりました。
 
金色堂の中央須弥壇
金色堂の堂内には3つの須弥壇があり、各壇に11体の仏像が安置されます。堂内は、螺鈿や蒔絵という漆工のほか、金工や木工などを駆使して、まばゆい極楽浄土が表現されています。
 
平泉での滞在中は、研究の合間に、下宿代として町の仕事をお手伝いすることとなりました。町内の発掘現場で発掘をし、中尊寺の境内にある白山神社での薪能の会場整備や案内をし、中尊寺のふもとにある駐車場で誘導をし、送り盆には奥州藤原氏や源義経を供養する束稲山(たばしねやま)での大文字送り火や北上川での燈籠流しの準備などをして、平泉の方々と一緒に汗を流しました。もちろん私に気を遣わせないご配慮でした。
 
私は東北地方に縁戚がなく、その言葉にもなじみがうすく、高齢の方の言葉などはきちんと聞き取れなかったので、町のなかで顔なじみになったおばあさんから「どさ(どこに行くのさ)」と話しかけられても、それが挨拶の言葉なのだろうと思い、笑顔で「どさ」と返していました。ある晩、関宮様の奥様が近所を訪問されるのにおともしたとき、訪問先で「おばんでがんす」とおっしゃるのを聞いて、その上品な言葉のひびきに感動しました。平泉の方々は大変に親切で、泉橋庵(せんきょうあん)という鰻屋さんがおいしいウナギをご馳走してくださったこともありました。いずれも楽しい思い出です。
 
白山神社の中尊寺能
中尊寺の境内にある白山神社の能舞台は、江戸後期に建てられました。茅葺きで、鏡板には堂々とした松が描かれた格調高い能舞台です。中尊寺では、僧侶の方々が能楽を伝承されています。
画像提供:中尊寺
 
肝心の研究については、当然ながらガラス越しではありましたが、じっくりと金色堂や讃衡蔵(さんこうぞう。中尊寺の宝物館)を見学させていただいたばかりでなく、長い滞在のうちには讃衡蔵の破石澄元(はせきちょうげん)様から金色堂や寺宝のお話を伺い、毛越寺の藤里明久(ふじさとみょうきゅう)様から庭園遺跡のお話を伺う機会もありました。空いた時間には自転車で達谷窟(たっこくのいわや)まででかけたり、当時はまだ整備されていなかった柳之御所や無量光院などの遺跡を散策したりしました。恵まれた学問の時間でした。
 
その後、幸運にも博物館で工芸史の研究員として働くことができ、20年以上が過ぎたのですが、このたび金色堂の建立900年を記念して開催される建立900年 特別展「中尊寺金色堂」の仕事に携わることとなりました。あの頃はガラス越しに眺めた金色堂の仏像や讃衡蔵の寺宝を、博物館の研究員として直(じか)に調査し、展示に携わらせていただけたことは、私にとって感慨深いものがありました。平泉からいただいた恩恵に比べるとわずかではありますが、ようやく学恩に報いることができたように思います。
 
特別展の会場風景
金色堂は奥州藤原氏の初代・清衡によって建立されました。本展では、清衡が葬られた中央の須弥壇の仏像、御遺体を納めていた金棺、美しく装飾された工芸品や経典が展示されています。
 

カテゴリ:彫刻工芸「中尊寺金色堂」

| 記事URL |

posted by 猪熊兼樹(保存修復室長) at 2024年02月22日 (木)

 

1 2 3 4 5 6 7 最後