特別展「キトラ古墳壁画」(4月22日(火)~5月18日(日) 本館特別5室)は、
5月2日(金)午後に5万人目のお客様をお迎えしました。
開幕から約10日間での5万人達成、おかげさまで人気の高い展覧会としてご注目いただいています。
多くのお客様にご来場いただきましたこと、心より御礼申し上げます。
5万人目のお客様は、東京都港区よりお越しの吉永美由紀さんです。
本日はご夫婦お2人でご来館くださいました。
吉永さんには、東京国立博物館長 銭谷眞美より、記念品として特別展図録とトートバッグを贈呈しました。
「キトラ古墳壁画」5万人セレモニー
館長の銭谷眞美(左)と吉永美由紀さん(中央)、ご主人の実さん(右)
5月2日(金)東京国立博物館 本館エントランスにて
結婚後しばらくして、お2人で京都・奈良をご旅行された時のこと。
高松塚古墳など明日香を自転車で回られたそうですが、
キトラ古墳は少し離れたところにあるため、訪れるのを断念されたとか。
見逃してしまったキトラ古墳が、しかも本物の壁画が東京で見られるとあって、展覧会にお越しくださったそうです。
「この機会を逃したらいつ見られるかわからないと思って、今日は来ました。
本物が見られて、しかも5万人目の来場者にもなれて、ゴールデンウィークの楽しい思い出になりました」
と、お話いただきました。
明日香村外では初めての壁画公開となる特別展「キトラ古墳壁画」は、
東京で壁画の実物をご覧いただける、大変貴重な展覧会です。
この機会にぜひ会場へお越しください!
カテゴリ:news、2014年度の特別展
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posted by 高桑那々美(広報室) at 2014年05月02日 (金)
六道珍皇寺は建仁寺の南東、歩いて5分とかからない位置にある建仁寺の塔頭です。
創建は奈良時代、弘法大師が中興したと伝えますが、詳細はわかりません。しかし南北朝時代までは真言宗に属し、珎光寺(ちんこうじ)と称していました。
永正6年(1509)建仁寺塔頭の大昌院が東寺から珎光寺の権利を買いました。明治7年には大昌院に吸収合併され寺の名前が消えましたが、明治26年珍皇寺の名前を復活しました。
小野篁像 院達作 江戸時代・17世紀 京都・六道珍皇寺蔵
「六道」は珍皇寺のある場所が、「六道の辻」と呼ばれることによります。寺の東は傾斜地で、東大路を渡るとやがて丘になります。このあたり一帯は鳥辺野と言う古くからの葬送の地でした。亡くなった人を鳥辺野に埋葬する前に最後のお別れをしたのが珍皇寺だったのです。
この世と冥界の境、ということで二つの世界を往来したとされる小野篁の伝説と結び付けられたのでしょう。境内には篁が閻魔大王のもとへ行くときに通ったと言う井戸があります。
小野篁が死後ではなく、貴族として宮廷に出入りしていた時から閻魔大王の裁判の補佐をしていたという伝説は『今昔物語』にすでに載っています。しかし珍皇寺と結び付けられたのがいつかはわかりません。
今回「栄西と建仁寺」で展示している小野篁像は、展覧会の事前調査で首を抜いたところ、像内に墨で願文が書かれており、経巻3巻、制作の経緯を書いた木の札が納められていることがわかりました。
小野篁像内の願文(左)と木札(右)
そこから小野篁像は元禄2年(1689)、当時の六道珍皇寺住職、大昌院塔主(たっす 塔頭の主)で建仁寺首座( しゅそ 修行僧の筆頭)である石梯龍艮(せきていりょうこん)が仏師院達に注文して造らせたものであることがわかりました。篁・冥官・獄卒の3躯ともなかなか優れた出来栄えで、一見鎌倉時代の作のようにも見えます。院達は江戸時代屈指の巧匠と言えます。
(左)獄卒像、(右)冥官像 院達作 江戸時代・17世紀 京都・六道珍皇寺蔵
カテゴリ:研究員のイチオシ、彫刻、2014年度の特別展
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posted by 浅見龍介(京都国立博物館学芸部列品管理室長) at 2014年05月02日 (金)
特別展「キトラ古墳壁画」(2014年5月18日(日)まで、本館特別5室)は、おかげさまで初日以来、多くのお客様にお出でいただいております。どうもありがとうございます。
今回はこの展示の壁画以外のみどころや周辺のみどころをご紹介いたします。
キトラ古墳というと、どうしても壁画ばかりが注目されますが、副葬品や棺関係資料等の出土品にもみるべきものがあります。例えば、鉄地銀張金象嵌帯執金具(てつじぎんばりきんぞうがんおびとりかなぐ)。難しい名称ですが、大刀(たち)を腰に下げるための金具と考えられています。金線による連続したS字状の象嵌は、所々微妙に太さを違え、変化のある繊細な出来ばえです。
出土品や推定復元された黒漆塗銀装大刀の展示
本展覧会では、壁画・出土品の実物資料にくわえて、壁画の取り外し作業で用いた道具、複製陶板、高松塚古墳壁画の模写等が展示されています。いずれも文化財の保存や記録に関わるもので、本展覧会ではこの側面も皆さまにご覧いただきたいと思っています。
壁画の取り外し作業で用いた道具
複製陶板は、壁画取り外し前の高精細デジタル画像(フォトマップ)等の画像データ等にもとづくもので、漆喰の質感や、剥落しかけて浮き上がった漆喰の表現、下書きの際についた刻線等図像の細かな表現や色調が、実物さながらにうつされたものです。
壁画複製陶板
高松塚古墳の模写は、1972年の壁画発見から間もなく国により実施されたもので、前田青邨画伯監修の元、当時、第一線で活躍していた日本画家7名(平山郁夫、守屋多々志、月岡栄貴、近藤千尋、今井珠泉、蓮尾辰雄、若林卓の各氏)が分担し、制作されたものです。
また、本展覧会に関連して、館内の2か所で高精細デジタル画像等を利用したコンテンツをご紹介しています。東洋館地下のVRシアターでは、高精細デジタル画像やVR(ヴァーチャルリアリティ)を用いたVR作品「キトラ古墳」が上映されています。表慶館では、「飛鳥-キトラ2016-」が行われており、キトラ古墳に限らず飛鳥地域の歴史・文化の魅力等が分かりやすく紹介されています。「2016」とは、キトラ古墳周辺地区が国営公園として開園する予定の年度を指しています。この中の「キトラに触れる!」コーナーでは、肉眼ではみられない壁画の世界をサイエンスでみる工夫が凝らされています。
現在、皆さまに長い待ち時間をいただいている本展覧会ですが、私が思う理想的な見学の順序は、(1)VR作品「キトラ古墳」 → (2)特別展「キトラ古墳壁画」 → (3)「飛鳥-キトラ2016-」です。館内各所で繰り広げられる、様々な角度からのキトラ古墳・壁画の魅力を、ぜひご堪能ください!
カテゴリ:研究員のイチオシ、2014年度の特別展
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posted by 建石 徹(文化庁古墳壁画対策調査官) at 2014年05月01日 (木)
ご好評いただいている特別展「栄西と建仁寺」も、会期半ばを過ぎ、4月22日(火)から後期に入りました。サッカーにたとえるならば前半終了、出場選手もかなり入れ替わりました。読者の皆さまはすでに、脆弱な文化財を守り後世に伝えるため、展示期間に制限を設けていることをご承知のことと思います。作品の中には、かなり高齢の選手もおりますので。
それはともかく、とくに大きく変化した「第3章 近世の建仁寺」から、建仁寺本坊の大方丈の障壁画を公開している展示室について、話題にしましょう。
建仁寺大方丈6室のうち仏間を除く5室は、海北友松の障壁画(襖絵、壁貼付画)によって囲まれていました。ところが、昭和9年(1934)の室戸台風で方丈が倒壊したため、これら襖絵や壁貼付画は、50幅の掛軸に改装され、以降、京都国立博物館に保管されるようになったのでした。現在、方丈にはその高精細デジタル複製画がはめ込まれていますが、本展に出品されているのは、もちろんオリジナルの方で、すべて重要文化財です。
本坊方丈襖絵(高精細デジタル複製画)
大方丈障壁画は、中央の部屋の「竹林七賢図」、北西の部屋の「琴棋書画図」、南西の部屋の「山水図」、北東の部屋の「花鳥図」、南東の部屋の「雲龍図」で構成されます。これらについて、前後期おおよそ半分ずつ選手交代し、ご覧いただいているわけです。部屋の雰囲気もずいぶん変わりました。
これらの作品は、彼の代表作であるばかりでなく、日本の水墨画の名作としても知られています。なかでも有名な場面が、比類ない雄渾さをしめす水墨の「雲龍図」8幅(元襖8面)でしょう。
重要文化財 雲龍図 海北友松筆 安土桃山時代・慶長4年(1599) 京都・建仁寺蔵
[展示期間 8幅のうち 左4幅(上):3月25日(火)~5月6日(火・休) 右4幅(下):4月22日(火)~5月18日(日)]
前期には、口を閉じた龍4幅(元西側4面)が展示されていましたが、展示替えで口を開いた龍4幅(元北側4面)が登場し、二龍が向き合いました。二龍ですが、画は一流です!!縦2メートル近く、横は4面で5~8メートルずつ。迫力満点の大画面です。5月6日まで全8幅を展示、この期間、向き合って視線をぶつけあう二龍の姿をご覧いただけます(5月8日以降は、口を開いた龍4面のみを展示)。
海北友松(1533~1615)は、琵琶湖の東岸で、浅井氏の家臣、つまり武家の子として生まれ、戦国の動乱期、幼くして京都・東福寺に入り禅林で過ごしました。40代で還俗して武道に励み、50~60代から画家として本格的活動に入ります。「剣」を「筆」に持ち替えた人と言ったらよいでしょうか。その画の迫力には、どうも武人のDNAが関係しているように思えてなりません。友松が描いた龍の画が朝鮮国にわたり、彼の地の人々にも鑑賞され、その名が伝わっていたという事実も知られています。それにしても50~60代から83歳で没するまでの画業、高齢社会の今日、希望と勇気を与えてくれる画家ですね。じつは建仁寺大方丈の障壁画制作は、慶長4年(1599)67歳のときで若描き(!?)なのです。
海北友松は、日本美術史の教科書では、狩野永徳・狩野山楽・長谷川等伯・雲谷等顔とならぶ桃山絵画の巨匠と記されます。しかし永徳や等伯と比べると、知名度はまだ高くなく「かいほくともまつ??」などと読まれてしまいそうですが、この機会にぜひ「かいほうゆうしょう」という読み方とともに、その切れ味満点の水墨の魅力を知っていただきたいと思います。
ところで、ふつう日本の絵は、画面を寝かせて描くのですが、この「雲龍図」は、立てかけて描かれたようです。あちこちに水気の多い墨が縦方向に流れているのが分かります。
それから「画龍点睛」も。龍に命を吹き込む瞳は、丸い点「●」ではなく、力をこめ二画ではねた「∨」で表されています。
雲龍図(部分)
龍の画のなかで、この龍がいちばん引き締まった表情をしていてカッコいい、と私は思うのですが、その理由のひとつはこの眼にあるでしょう。丸い瞳では、可愛くなってしまうでしょうし。龍が巻き起こす大気の描写もすばらしい。とても力強く、龍が現れた瞬間を劇的に演出しています。ともかく墨の色が深く、濃淡の諧調が美しいのです。ぜひ実作品の前に立って、これらのことを確かめてみてください。
カテゴリ:news、2014年度の特別展
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posted by 山下善也(当館絵画・彫刻室主任研究員) at 2014年04月27日 (日)
特別展「栄西と建仁寺」(3月25日(火)~5月18日(日) 平成館特別展示室)は、4月24日(木)午前に10万人目のお客様をお迎えしました。
多くのお客様にご来場いただき、心より御礼申し上げます。
10万人目のお客様は、練馬区よりお越しの船橋知子さんと船橋純一郎さんのご夫婦です。
船橋さんご夫妻には、東京国立博物館長 銭谷眞美より、記念品として本展の図録と、展覧会グッズ等を贈呈いたしました。
特別展「栄西と建仁寺」10万人セレモニー
船橋知子さん(中央)・船橋純一郎さん(左)と館長の銭谷眞美(右)
4月24日(木)東京国立博物館 平成館エントランスにて
ご自身も日本画を学んでいらっしゃるという船橋さん。
「すこし前に、京都の建仁寺にお伺いした際、風神雷神図や障壁画のレプリカを拝見しているので、本物を見るのが楽しみです。」とお話いただきました。
特別展「栄西と建仁寺」も、会期後半に突入!
4月22日(火)~5月6日(火・休)は本展における目玉のひとつ、海北友松筆「雲龍図」の全8幅が揃い踏みします。
阿吽の二龍が対峙する迫力の展示をどうぞお見逃しなく!
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posted by 田村淳朗(広報室) at 2014年04月24日 (木)