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1089ブログ

姫君婚礼につき

皇居のお濠から30分ほどぶらぶらと西へ歩くと、緑豊かな赤坂御用地が見えてきます。江戸時代、紀州徳川家の中屋敷はこの地にありました。
天明7年(1787)11月27日、この江戸城から紀州邸にいたる道のりを一人の姫君が辿りました。紀州徳川家第10代藩主・徳川治宝(はるとみ、1771~1853)に嫁いだ種姫(たねひめ、1765~94)です。
もちろんぶらぶら歩いたわけではなく、白地に蓬萊模様(ほうらいもよう)の御輿に揺られ、盛大な行列を引き連れての道行でした(注)。すなわち婚礼に伴う「御輿入れ」の行列です。
(注)1089ブログ「大名婚礼調度の役割」

江戸時代の言葉の用法では、「姫君」とは将軍家の娘に限って使用された敬称でした。種姫は田安徳川家の生まれですが、11歳の時に10代将軍家治(いえはる)の養子となっているため、これをもって「姫君」と呼ばれる身分になっています。つまり種姫の婚礼は、紀州家としては将軍家の姫君を迎え入れる、きわめて重大な行事だったわけです。

紀州家側では、姫君の住まいとして「御守殿(ごしゅでん)」と呼ばれる御殿を用意しました。たいへんな大工事だったらしく、このときは御守殿ほか造営のため七千畳の畳を手配したとのこと(『南紀徳川史』巻168)。
その門が御守殿門で、これは丹塗りとする決まりがありました。いわゆる「赤門」です。東博には「黒門」(鳥取藩池田家江戸上屋敷の表門)がありますが、残念ながら赤門はありません。現存する御守殿門としては、東大の赤門がよく知られています。東博の正面から歩いても30分くらいですね。


御守殿門(赤門)
徳川種姫婚礼行列図(上巻)巻頭部分 山本養和筆 江戸時代・18~19世紀
(この場面は展示されておりません)


種姫以後、婚礼の儀礼は次第に縮小の方向へと進んでいきます。大規模な婚礼行列を引き連れた盛大なパフォーマンスは、財政難に苦しむ大名たちの実情から離れたものとなっていました。

さて、治宝には種姫のほかに側室があり、於さゑ(おさえ、栄恭院(えいきょういん))との間には二人の仲良し姉妹が生まれます。鍇姫(かたひめ、信恭院(しんきょういん)、1795~1827)と豊姫(とよひめ、鶴樹院(かくじゅいん)、1800~1845)です。鍇姫は文化11年(1814年)に仙台藩主伊達斉宗(なりむね、1796~1819)に嫁ぎました。一方、豊姫は文化13年(1816)に清水徳川家から婿を迎え、紀州徳川家第11代斉順(なりゆき、1801~46)の正室となりました。

現在、特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」で展示中の「竹菱葵紋散蒔絵調度」一式は、妹の豊姫の婚礼調度と伝わっています。展示室のケースにずらりと並ぶ分量が残っていますが、当初の品目が完全に伝わっているわけではありません。
たとえば、婚礼調度として重要な位置を占める貝桶や三棚(黒棚、厨子棚、書棚)がありません。それどころか、本来は100件を越す多彩な道具があったことが記録から窺えるので、現在われわれが目にすることができるのは全体のほんの一部だということになります。


豊姫婚礼調度
竹菱葵紋散蒔絵調度 江戸時代・文化13年(1816)


面白いことに、まったく同じ意匠・技法の竹菱葵紋蒔絵調度が林原美術館(岡山)に所蔵されています。豊姫の調度にはない三棚を含むため、これらは東博の竹菱葵紋蒔絵調度と一具ではないか? と考えたくなりますが、歯黒箱(はぐろばこ)や眉作箱(まゆづくりばこ)など重複する器種もあったりします。
そこで想起されるのが、お姉さんの鍇姫です。林原美術館の調度は、伊達家伝来であることから、伊達家に嫁いだ鍇姫の調度ではないかとする説が有力です。婚礼調度は使い回されることも普通でしたが、結婚の時期も近いので姉妹同じ規格で作られたのかもしれません。

豊姫は婿養子を迎えた形ですので、婚礼調度はそのまま紀州家に残ったようです。そして半世紀近く経過した文久2年12月21日、最後の藩主、第14代茂承(もちつぐ、1844~1906)と倫宮(みちのみや、徳川則子(のりこ)、1850~1874)の婚礼の際には再利用された可能性が指摘されています。本特集の最初に展示されている白無垢の打掛は、この倫宮所用のものです。この打掛を着て婚礼にのぞむ倫宮の晴れの舞台を、豊姫の調度は再度かざることとなったのでしょうか。


打掛 白地浮織幸菱模様 徳川則子所用 江戸時代・19世紀

 

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 福島 修(特別展室) at 2023年08月25日 (金)

 

大名婚礼調度の役割

こんにちは。東京国立博物館の猪熊です。
このたび平成館の企画展示室にて、特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」(2023年9月18日まで)を開催して、江戸時代の大名の婚礼調度をご覧いただいております。

特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」展示会場風景 打掛、乗物が展示されている写真
特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」展示会場 竹菱葵紋散蒔絵の道具の写真

特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」展示風景

私は、工芸品の歴史を研究しているのですが、博物館の展示をご覧になると分かりますように、工芸品にはおもに形状・技法・意匠といった見どころがあります。なので、その研究には、まずは美術史的な観点があります。
ところで、現在はケースのなかできれいに展示されている工芸品も、かつては鑑賞のためばかりでなく、実際に使用するために作られたものであったことは申すまでもありません。したがって、工芸品の研究については、生活史的な観点からも考えなければなりません。

工芸品の使用については、衣食住などでの実用的な機能ばかりでなく、時代や社会ごとの制度や常識といった枠組みのなかでの社会的な機能もあります。前近代のような階層社会では、身分ごとに使用できる服飾や調度が定まっており、逆に言えば、服飾や調度には使用者の地位を示す役割もありました。現代でもドレス・コードという取り決めがありますが、その他にも、たとえば指輪というアクセサリーはファッション・アイテムですが、これを左手の薬指に付けると、装身具としての機能に加えて、既婚であるという使用者の社会的状況を示す場合があります。そのことは特に法律などで定めているわけではなく、その常識を共有する人々だけが読み取れるコードです。日本では、婚姻は婚姻届によって法的に承認されるのですが、新郎新婦のまわりにいる人々は、結婚式や披露宴に参加して新郎新婦が紋付袴や花嫁衣裳あるいはタキシードやウェディング・ドレスを着ている姿を目撃して祝福することで、社会的に承認する心理もありうるでしょう(近年は多様な仕方があるので、いささかステレオタイプなたとえですが)。

結婚は、人類にとって最古のルールのひとつとされています。聖書のアダムとイブの物語や、中国神話の伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)の伝説のように、日本神話では世界のはじまりに続いて、イザナギ男神とイザナミ女神の結婚の物語があり、そこでは男から女に求婚する作法が説かれています。
古代日本の結婚は「妻問い(つまどい)」といって男が女の家に通う方法で行われ、その求婚は夜中に忍んで通うことではじまり、男のほうでは、まわりに気付かれないように頭にかぶった烏帽子(えぼし)を御簾(みす)にひっかけないとか、扉や襖を開けるときには軽く持ち上げて音を立てたりしないような配慮をするのがマナーでした。
やがて武家が台頭するにつれて、男の家に女を迎える嫁取婚(よめとりこん)という方法が行なわれるようになります。さらに大名の家どうしの政略結婚が行なわれるようになると、姫が輿(こし)に乗って嫁いでゆくようになり、輿入れ(こしいれ)という婚礼の作法が発達しました。


将軍家の姫の輿入れ
徳川種姫婚礼行列図(とくがわたねひめこんれいぎょうれつず)(部分)
山本養和筆 江戸時代・18~19世紀
徳川将軍家の種姫が紀州徳川家に嫁いだ際の、江戸城から赤坂にあった紀州藩邸までの輿入れの行列を描いた図。


そして輿入れが華やかに演出されるよう、化粧具・文房具・遊戯具などから構成される豪華絢爛な婚礼調度が製作されました。なかでも名高いのは、徳川将軍家の千代姫(ちよひめ)が、尾張徳川家に嫁いだ際に製作された「初音蒔絵婚礼調度」(徳川美術館所蔵)でしょう。これは『源氏物語』「初音(はつね)」巻を題材とする意匠が高度な蒔絵技法で表された調度群です。細やかな情景意匠に目を奪われて、つい見落としてしまうのは三つ葉葵(みつばあおい)の家紋です。当時の婚姻は、現行憲法が定める「両性の合意のみに基づいて成立」するような個人を重んじるものではなく、家と家との結びつきであれば、家紋こそが婚礼調度の果たす役割を象徴していたのです。

このたびの特集では、紀州徳川家の豊姫(とよひめ)が11代将軍・徳川家斉(いえなり)の七男・斉順(なりゆき)と結婚した際の婚礼調度を展示しています。この婚礼調度は『源氏物語』などの文学意匠ではなく、梨子地(なしじ)に竹菱文(たけびしもん)が均一的に表されて、三つ葉葵紋が散らされています。


豊姫婚礼調度 江戸時代・文化13年(1816)
東京国立博物館には「豊姫婚礼調度」として化粧具や遊戯具など35件が伝わりますが、分散したものもあり、本来はもっと大規模なまとまりであったと考えられます。

竹菱葵紋散蒔絵提重(たけびしあおいもんちらしまきえさげじゅう)
(豊姫婚礼調度のうち)
梨子地に竹菱文を表して、徳川家の家紋である三つ葉葵紋を配する。


「なんだ、同じ文様ばかりか」と物足りなく思われるかもしれませんが、繁殖力が強い竹には子孫繁栄の意味が込められており、当時の婚礼の真意を示す意匠といえます。
豊姫の婚礼調度を見ていると、単調な竹菱文と家紋ばかりのためか、大名の婚礼調度が単なる生活用具などではなく、また鑑賞品でもなく、家と家との結び付きと繁栄という究極の目的が良く理解されるように思われます。

 

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 猪熊兼樹(保存修復室長) at 2023年08月23日 (水)

 

特集「親と子のギャラリー 尾・しっぽ」みどころ(2) 担当室員が選ぶおすすめ作品

現在開催中の特集「親と子のギャラリー 尾・しっぽ」(平成館企画展室にて2023年6月4日まで)について、前回のブログ「特集『親と子のギャラリー 尾・しっぽ』みどころ(1) 三館園のコラボ展示! 裏側ストーリー」では、恩賜上野動物園(動物園)と国立科学博物館(科博)との連携企画のことや、そこから特別出品に至るまでの裏側ヒストリー、展示中の標本の注目ポイントについてお伝えしました。

今回は、この展示を担当する教育講座室の室員から、それぞれが選ぶおすすめ(推し)東博作品をご紹介します。
展示構成を考えるときも、室員のアイディアを出し合って作品選定にあたりました。
さて、どんな推し作品、鑑賞ポイントが飛び出すでしょうか…。

推し作品 その1:「豹の図」
うねうねとした、動きをなぞりたくなるしっぽに目が釘付けです。
この絵をみていると、豹のしっぽはこんなふうに曲がるの? 生きた豹をみて描いた? それとも毛皮や標本を参考にした? なかの骨の形が知りたい!
などと興味が尽きません。連携企画を経て、描かれたしっぽの動きや内部にまで想像が及び何度でもみてしまいます。(教育講座室事務補佐員・三野有香子)

 


(展示の様子)

(部分)

豹の図 河鍋暁斎筆 江戸時代・万延元年(1860)


推し作品 その2:「彦根更紗 白地栗鼠葡萄文様更紗」
インドの染物「更紗」にはたくさんの動物が登場しますが、この作品にはブドウとリスが、多産を示すおめでたいテーマとして組み合わされています。先日の動物園の解説員小泉さんのお話で初めて知ったこと、それは…リスのしっぽはクルンと丸まったかわいい印象がありますが、それは止まっているときだけで、走るときは必ずピン! と伸ばしているのだそうです。実際に作品をよくみると…本当にそうなっていますね!(教育講座室長・金井裕子)


(全体図)

(部分)

彦根更紗 白地栗鼠葡萄文様更紗 インド 井伊家伝来 江戸時代・19世紀


推し作品 その3:「蓑亀水滴」
科博の研究員川田さんのお話によると「水を泳ぐと尾が長くなる」傾向にあるらしいのですが、この「蓑」は藻や苔なので身体の一部ではありません。この蓑を被ることで、果たして亀は泳ぎやすくなるのか…ぜひ本人(亀)に聞いてみたいところです。牛のような耳も相まって、どこか浮世離れした体躯が個人的にツボです。(教育講座室アソシエイトフェロー・山本桃子)


(展示の様子 斜め俯瞰)

(展示の様子 横から)

蓑亀水滴 江戸時代・18〜19世紀 渡邊豊太郎氏・渡邊誠之氏寄贈


推し作品 その4:「青花魚跳龍門香炉」
鯉が、龍門と呼ばれる激流を上って龍になろうとしている一場面をあらわしたやきものです。この鯉は、すでに顔が龍になりかかっていて、ぐっと曲げて力のこもった尾からは「あと一息」の緊張感がみなぎり、見えない激しい川の流れも感じられるようです。ちょっと寸胴の体はどこかコミカルでもあり、観ると思わず笑みがこぼれ、応援したくなります。(教育講座室研究員・横山梓)


青花魚跳龍門香炉 中国・景徳鎮窯 明時代・17世紀 横河民輔氏寄贈(展示の様子)


…いかがだったでしょうか? どれか気になる一作はありましたか。

去る5月14日に、合同企画のメインイベントである「上野の山で動物めぐり 尾・しっぽ」を開催しました(注)。
室員のコメントにも出てきますが、動物園や科博の方のお話しも踏まえて、あらためて東博の展示品を観てみると、いままでとちょっと違った視点で気がつくことも多くありました。
(注)このイベントの様子は、都立動物園公式ホームページZooネットの記事、またYouTubeのオンライン配信でどなたでもご覧いただけます)
都立動物園公式ホームページZooネットへ移動する
YouTube 都立公園開園150周年記念企画 国際博物館の日記念「上野の山で動物めぐり──動物の『尾・しっぽ』」へ移動する

今回はとくに、尾(しっぽ)という、動物の後ろ側から注目するという、いつもとは逆方向からの作品へのアプローチになるところがポイントなのではないかなと思います。

展示室で、「いままで意識していなかった」「そうか、こんな見方があったんだ!」というような、新たな発見や気づきがあれば、企画冥利に尽きる限りです。
ぜひお楽しみください。

 

カテゴリ:教育普及特集・特別公開

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posted by 横山梓(教育講座室) at 2023年05月30日 (火)

 

特集「親と子のギャラリー 尾・しっぽ」みどころ(1) 三館園のコラボ展示! 裏側ストーリー

こんにちは。教育講座室の横山です。
現在、平成館企画展示室では特集展示「親と子のギャラリー 尾・しっぽ」を開催中です(2023年6月4日まで)。


平成館企画展示室入口の様子

なかを覗くと、東博の作品と一緒に、ちょっと珍しい展示品が…

え? これは何?


動物実物標本(ヤマアラシの尾、棘) 恩賜上野動物園蔵

動物実物標本(キリンの尾、キツネの尾、ヤマアラシの尾)」 恩賜上野動物園蔵


きゃ! これは誰?


骨格標本(クモザル) 国立科学博物館蔵
 


これらはいずれも、恩賜上野動物園(動物園)や国立科学博物館(科博)からの借用品で、この展示にあわせて特別に出品をしていただいたものです。

そもそものお話しになりますが、この展示は、動物園、科博との合同で開催してきた「上野の山で動物めぐり」というイベントの一環です。
毎年三館園で動物に関する共通のテーマを設定して各園館をめぐるツアーを実施し(注)、当館ではそれに関連した館蔵品をご紹介しています。

合同企画自体は2007年に始まり、今年が16回目となるロングランイベントです。
企画の誕生秘話、過去の内容など詳細については、かつての本展担当者(現デザイン室主任研究員・神辺知加)によるYouTube動画がありますので、ぜひそちらをぜひご覧ください。
 【オンライン月例講演会】6月(2021)「『上野の山で動物めぐり』の裏側をめぐる」神辺研究員(デザイン室)を見る
(注)以前はツアー形式でしたが、コロナ禍となった2021年度からはオンラインの形式となっています

さて、今回のテーマ(「尾・しっぽ」)は、昨年の夏ごろに三館園の担当者の打ち合わせで決定しました。
テーマ設定は、毎年悩ましくも肝心な、この企画の最初の重要課題です。
人気の動物、面白い動物をぜひ取り上げたいところですが、それが必ずしも当館の所蔵品とうまく折り合い、特集展示を組めるとは限りません。
上野といえばやはりパンダ! といきたいところですが、残念ながら当館の作品でパンダ特集をするのは難しい…といったことがあります。

そうした理由から、近年は特定の動物にとらわれず、「ツノ」「うごき」「翼と羽」といった、動物の部位や動作に注目するテーマとして、話題にする動物の種類も多様に、横断的に取り上げるようにしてきました。

こうしてあれこれと議論しながら新たに決まったのが、「尾・しっぽ」です。
私たち人間にはない特別な部位だからこそ、そこに注目したらきっと面白い発見があるのではないか。そんな意見でまとまりました。

テーマが決まると、話題も一気に広がります。
科博の研究者・川田伸一郎さん(動物研究部 脊椎動物研究グループ主幹)からは、こんな発言がありました。
「一般的には、しっぽの先まで骨がつながっているっていうイメージが意外と少ないんですよね。」

動物園の解説員・小泉祐里さんからは、
「しっぽの役割にも、いろいろなものがありますね。虫を払う、バランスをとる、つかむ、威嚇する…。クモザルはしっぽが『第五の手足』のような動きをします。」

これを受けて、当館も、
「龍のような空想上の動物の尾は、博物館ならではトピックスとして面白い見せ方ができるかもしれません。」

といった具合で、各専門の視点からそれぞれの見方が提示され、打ち合わせはいつしかレクチャーのような充実した時間となって、一同企画への熱がこもっていきました。

 


オンラインでの打ち合わせの様子(左から動物園・小泉さん、東博スタッフ、科博・川田さん)



オンラインでの打ち合わせの様子(上から動物園・小泉さん、東博スタッフ、科博・川田さん)



というわけで、冒頭にご紹介した標本たちは、こうした打ち合わせ内容を経て、当館に展示される運びとなりました。
東博館蔵品だけではなかなか伝わりにくい、尾(しっぽ)の機能や役割について、ぜひ注目してもらう機会にしたいと考えています。

あらためて展示室でじっくり注目すると、骨格標本からは、クモザルのしっぽは確かに先端まで小さな骨がつながっていること、さらに骨はやや平たい形で、木の枝につかまりやすくなっていることがわかります。


骨格標本(クモザル) しっぽの部分

また実物標本のほうでは、クモザルの尾の外側には毛が生えているのに内側には毛はなく、すべりどめのような機能をもっていることも見えてきます。


動物実物標本(クモザル) しっぽの先

こうした標本を間近で見比べられることはなかなかないと思います。
ぜひこの機会に、東博の展示室でご覧ください。

みどころ(2) 担当室員が選ぶおすすめ作品 に続く…)

カテゴリ:教育普及特集・特別公開

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posted by 横山梓(教育講座室) at 2023年05月23日 (火)

 

「王羲之と蘭亭序」その4 曲水の宴 パリピの系譜

永和9年(353)3月3日、王羲之が風光明媚な蘭亭に名士41人を招いて開催した曲水の宴は、北宋時代の李公麟(りこうりん)が描いた蘭亭図に基づいて、蘭亭序にまつわる諸資料を加えた蘭亭図巻が作られました。1780年、清の乾隆帝(けんりゅうてい)が明時代の拓本に拠って作らせた蘭亭図巻には、11人が2篇の詩を、15人が1篇の詩を賦し、16人は詩を賦さず、罰として大きな杯に3杯の酒を飲まされた、と注記しています。


蘭亭図巻(乾隆本)(らんていずかん けんりゅうぼん)(部分)
原跡=王羲之他筆
清時代 乾隆45年(1780) 林宗毅氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博後期展示】


王羲之の上には2篇の詩が刻されていますが、実際には6篇の詩を書いたことが、唐の『右軍書記(ゆうぐんしょき)』等の諸文献から分かります。孫綽(そんしゃく)が記した詩集の後序に拠ると、曲水の宴で作られた詩は多く、全ては詩集に載せなかったようです。酔いが回ると筆は進みますが、後で読み返すと、冷や汗が出る内容であったりするものです。

蘭亭図巻(乾隆本)。王羲之の上に2篇の詩が刻されている場面
蘭亭図巻(乾隆本)(部分)


曲水の両岸に陣取る名士たちを見ると、鼻を赤らめた后綿(こうめん)は、どうやら酩酊してぐっすり寝入っているご様子。

蘭亭図巻(乾隆本)。酩酊してぐっすり寝入っている后綿(こうめん)の場面。
蘭亭図巻(乾隆本)(部分)



一方、虞説(ぐえつ)は今し方書き終えた詩稿を手に持って、声高らかに朗読し、お隣の呂系(りょけい)は片膝を立て、耳を傾けて聞き入っています。

蘭亭図巻(乾隆本)。虞説(ぐえつ)と呂系(りょけい)が向き合う場面。
蘭亭図巻(乾隆本)(部分)


足下に飲み干した杯を置く楊模(ようも)は、気持ちよさそうに踊っています。42人のパリピが参加した曲水の宴は、後世に大きな影響を与えました。

蘭亭図巻(乾隆本)。気持ちよさそうに踊る楊模(ようも)の場面。
蘭亭図巻(乾隆本)(部分)

日本における曲水の宴は、『日本書紀(にほんしょき)』に拠ると、顕宗天皇元年(485)3月上巳を筆頭に、486年、487年、691年に開催されたと伝えますが、信憑性には疑問符が付されています。
一方、『聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)』では、推古天皇28年(620)3月上巳に、太子が奏して「今日は漢家の天子が飲を賜う日であるぞよ」とのたまい、大臣以下を召して、曲水の宴を開催。諸藩の大徳(冠位十二階の第一番目の位)ならびに漢と百済の文士たちに詩を作らせ、禄を賜りました。日中韓のにぎにぎしいパーティーは、聖徳太子絵伝にも描かれています。


国宝 聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)(部分)
秦致貞(はたのちてい)筆 平安時代・延久元年(1069)
【法隆寺宝物館の「デジタル法隆寺宝物館」で、8K高精細画像と複製を7月30日(日)まで展示】


『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、文武5年(701)から延暦6年(787)まで15回にわたって開催されたものの、延暦9年(790)に故あって停止され、寛平2年(890)3月3日に再開されました。
源高明(みなもとのたかあきら)の『西宮記(さいきゅうき)』には、曲水の宴の式次第が記されています。その内訳は、(1)天皇出御、(2)王卿が参上し、(3)紙・筆が置かれ、(4)詩題が献上され、(5)三献して、(6)音楽が流れ、(7)身分の低い者から披講し、最後に(8)禄を賜る、という流れでした。
平安時代の中期に、パリピの帝王として君臨したのが藤原道長(ふじわらのみちなが)でした。道長の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』には、曲水の宴をはじめとする数々のパーティーが記録されています。とりわけ、長保年間から寛弘年間にかけては、タガが外れたように頻繁に開催しています。王羲之が開催した曲水の宴は、時空を隔てた道長の時代にも受け継がれ、道長の部下であった藤原行成(ふじわらのゆきなり)らによって、世界に誇るべきかな表現も最高峰に到達したのでした。


重要文化財 高野切第三種(こうやぎれだいさんしゅ)(部分)
伝紀貫之筆 平安時代 11世紀 東京国立博物館蔵
【書道博で4月23日(日)まで展示】

 

連携企画20周年 王羲之と蘭亭序

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する

 

 

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 富田淳(東京国立博物館副館長) at 2023年04月18日 (火)