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1089ブログ

博物館でお花見を(刀装に咲く桜)

こんにちは。
花見の時期、毎年上野公園では多くの方々で賑わいます。
花見は江戸時代には行楽として定着したといい、江戸時代の前期には、博物館のある上野や京都の醍醐などが名所として知られていたといいます。

さて、今回ご紹介する合口はまさにこうした花見の季節にぴったりな作品です。

銀包桜樹文合口(ぎんづつみおうじゅもんのあいくち) 後藤一乗 江戸時代・19世紀(~2012年5月6日(日)まで本館5室に展示)

鞘は銀の板で包み、満開に咲き誇る桜の木を片切彫(かたきりぼり)であらわしています。
また、目貫(めぬき)と目釘(めくぎ)、それに笄(こうがい)と小柄(こづか)にも桜がみられますが、こちらは金を用いています。
金と銀を巧みに使い分けることでみやびな春の世界が広がっています。

ところで、この金具を制作したのは幕末の京都で活躍した後藤一乗という人物です。
後藤家は室町時代から続く刀装具の一家で、本家はおもに江戸で栄えましたが、京都にも分家があり、一乗はこの末流の人です。

この作品には、そうした京都で活躍した職人らしい表現と思われる箇所があります。
それは梢の綱にわたされた「鈴」です。

銀包桜樹文合口の部分拡大

先ほど記したように、京都の桜の名所は醍醐が有名です。
醍醐寺では、安土桃山時代、豊臣秀吉による大規模な花見(醍醐の花見)が行われました。
『太閤記』によれば、この花見には桜を散らせてしまう鳥を追い払うため、木に鈴をつけたといいます。
この鈴を護花鈴(ごかれい)といいます。
醍醐の花見を描いた絵画には、今村紫紅の「護花鈴」(霊友会妙一記念館)や安田靫彦の「花の酔」(宮城県美術館)のように、桜に縄をわたして鈴がつけられています。
制作された時期は少し異なりますが、どうやら醍醐の花見と鈴には、密接な関係があるようです。

あくまで推測の域を出ませんが、京都人であった一乗は、この作品を制作する際、醍醐の花見で鈴をつけたことが知られていたため、この桜を思い描きながら鈴をあらわしたのかもしれません。
もしそうだとすれば、この春、博物館では上野の桜と醍醐の桜が一度に楽しめることになります。
是非ご覧いただければ幸いです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でお花見を

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posted by 酒井元樹(平常展調整室) at 2012年03月31日 (土)

 

書を楽しむ 第11回「さだのぶ」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第11回です。


今回は、「砂子切(兼輔集)(すなごぎれ(かねすけしゅう))」から、お話を始めます。

「砂子切(兼輔集)」は、本館3室「宮廷の美術」で展示中です。
さっそく、エンピツで写しました。

 
(左)砂子切(兼輔集) 藤原定信筆 平安時代・12世紀(~2012年4月22日(日)展示)
(右)エンピツの画像


料紙に、金銀の砂子が散らされているため、「砂子切」と呼ばれますが、
地味な作品だな~と思われるかもしれません。

でも!
注目したいのは、その筆者、藤原定信(ふじわらのさだのぶ、1088~1154‐?)です!

定信は、
藤原行成(ふじわらのこうぜい、972~1027)を祖とする能書の家系、
世尊寺家(せそんじけ)の第五代目です。

「書を楽しむ」シリーズブログ第9回で紹介した、国宝「白氏詩巻(はくししかん)」を書いたのが、藤原行成。
さらに、第5回で紹介した、国宝「古今和歌集(元永本)」を書いたのが、
定信のお父さん、藤原定実(ふじわらのさだざね、?‐1077~1119‐?)です。
すごい家系だというのを、頭の片隅で覚えておいてくださいね。

定信の作品は、国宝「本願寺本三十六人家集」の「順集(したごうしゅう)」ほか、たくさん残されています。
「本願寺本三十六人家集」の時は、父の定実も書いています。
だから、定信の若い頃の筆跡とわかります。
「砂子切」も、「本願寺本三十六人家集」と同じ頃の作品です。

定信は、行成の国宝「白氏詩巻」に跋語(ばつご)を書いていて、面白いです。


国宝 白氏詩巻(部分) 藤原行成筆 平安時代・寛仁2年(1018)
(左半分が、定信の跋語。展示予定は未定)


これによると、定信は、物売りの女から、二巻購入しました。
値段は黒く消してありますが、買ったのは、この「白氏詩巻」と「屏風土代(びょうぶどだい)」。
「屏風土代」は、小野道風の筆跡で、現在は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵しています。

定信の写経を見てみましょう。
右肩上がりで、とてもスピーディに見えます。

 
法華経巻第四 断簡(戸隠切) 藤原定信筆 平安時代・12世紀
(2012年11月20日(火)~12月24日(月)、本館3室「仏教の美術」にて展示予定)


有名なのは、定信が、一切経約5000巻をひとりで全部写したことです!
42歳から始めて23年間で書き終えました。
一筆一切経といいますが、それができたのは、定信ともう一人しかいません。

スピーディに書けたからできたのか、それとも
一切経を書いたからスピーディな書風になったのか。

一筆一切経を成し遂げた人物として、定信の書風がもてはやされました。
右肩上がりの書風は、「定信様」(さだのぶよう)と呼ばれ、
よく似た書が、「平家納経」(国宝、厳島神社所蔵)などに見られます。


さだのぶ。
今年度はほかにも展示する予定です。
探してみてください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年03月30日 (金)

 

『至宝とボストンと私』 #1 蕭白

東洋美術の殿堂、ボストン美術館の史上最大規模の日本美術展がついに開幕しました。≪世界初公開≫の作品や、≪幻の国宝≫の里帰りなど、見どころが盛りだくさん。

これから9回にわたり、研究員に見どころについて聞いていきます。題して『至宝とボストンと私』。研究員は一体どんなところに注目しているのでしょうか?それぞれ担当した作品の前でインタビュー。第1回は本展覧会担当研究員のチーフ、絵画・彫刻室長の田沢裕賀さんと、巷で話題沸騰の「奇才 曽我蕭白」のコーナーを見てみましょう。


『深まる謎 ~雲龍図~』

雲龍図
雲龍図(うんりゅうず)
曽我蕭白筆 江戸時代・宝暦13年(1763)


広報(以下K):曽我蕭白「雲龍図」の前にやってきました。

田沢さんは東京国立博物館ニュース4・5月号の「ボストン美術館」展特集ページで、『(雲龍図と)対面したらどんな気分になるだろうか』と書かれていましたが、実際に対面してみていかがですか?

田沢(以下T):うーん…(しばらく沈黙。。)
こうやって全体を並べて見たのは初めてなんだけど、なんか繋がりが悪いんだよね。

K:えっ、たとえばどういうところですか?

T:龍の顔の向きやしっぽの位置などを見ると、体の動きに違和感がある。
この作品は元々寺院の襖に描かれていたと考えられているから、本来はこういうふうには並んでいなかったわけだけど。

K:どこにあったのですか?

T:おそらくは播州(現在の兵庫県)か伊勢あたりの寺院だったと思うけれど、はっきりとは分かっていない。
寺院にあったときには、顔の面としっぽの面とが向き合うように堂内に設置され、部屋の中をぐるっと龍が取り囲むような配置だったのではと考えています。
が、そういう配置だと仮定した場合、一番右側の襖に引手があってしかるべきなんです。が、引手の跡が無かったことが今回の修復で判明してしまった…。ますます疑問がわいてきたね。

雲龍図 一番右の襖部分

「このあたりに引手の跡があると思ってたんだけどなあ」(田沢さん)

K:雲龍をめぐるミステリーはまだまだ続きそうですね。
これだけ迫力のある龍をお寺で見た人はさぞ驚いたことでしょうね。

T:うん。このダイナミックさが蕭白の魅力だね。しっぽのあたりの波線とか、本当に気持ちよく描いているよ。しかし、ヘンな顔してるよね。


『雲龍図。だけじゃない!!』

T:あのね、アナタたち(広報担当)が雲龍図ばっかり主役に仕立てるから、雑誌でもなんでもこの作品ばかり注目してるけど、蕭白には他にも良い作品がたくさん来てるんだよ!

K:すみません、おっしゃるとおりです…

T:これなんか名品だね!

商山四皓図屏風

商山四皓図屏風(しょうざんしこうずびょうぶ)
曽我蕭白筆 江戸時代・18世紀後半

この作品は、中国・秦の始皇帝による圧政を避けて、商山に隠居した4人の白髪の老人を描いています。
この4人の在り方が中国の儒者にとって称賛の対象だったから、この画題で多くの作品が描かれました。
雲龍図に比べると小さいけれどスケールが大きいね。筆は乱暴だけど、勢いが良い!

K:たしかに着物の線など、ズバッとひといきに描いているように見えます。

T:そうでしょ。あと、作品の状態もすごく良いんだよね。
紙が焼けてしまうとどうしても貧相に見えてしまうけれど、これはとても綺麗に残っている。改めてこの作品の良さが確認出来たよ。


楼閣山水図屏風
楼閣山水図屏風(ろうかくさんすいずびょうぶ)
曽我蕭白筆 江戸時代・18世紀後半


T:この山水を描いた屏風は蕭白の代表作と言われる作品なんだけど、全体を見たときに、僕はなんだか違和感を感じる。
画面いっぱいにみっちり描きこむ、この蕭白のスタイルを踏襲して、左隻と右隻を別の人が描いたんじゃないかと思ったりもする。
実際には判断しがたいんだけど。

K:えっ!どういうことですか?

T:ごつごつした山が手前から奥に向かってのび、右隻から左隻へと道が続いているんだけど、連続した山水図としてはいまひとつまとまりがない。

K:私にはそんな風には見えないのですが…

T:右隻の左端と、左隻の右端を見てみてください。

楼閣山水図屏風 右隻部分    

楼閣山水図屏風 左隻部分       同右隻部分

山に描かれた点々が、どうも違うように見える。
左隻は、2点1組の点々が山の立体感を引き出すように、効果的に打たれているのに対して、
右隻の点々は大ざっぱで雑な印象。左隻ほどリズミカルではないし、集中力が感じられない。

K:点の集中力…。そう言われてみると、確かに右隻の点々はのっぺりと見えるような。

T:他にも、描写や線の質に違いがある。たとえば…(ここには書ききれないので、くわしい内容は図録182ページ掲載のコラム「ボストン美術館の二つの山水図屏風」をご覧ください。)

K:すごいです!普通の人だったら見逃してしまうような小さなサインを、そんな風に読み取るのですね!
田沢さんのお話には、いつも新鮮な驚きがあって楽しいです。
大きな視点で全体のバランスを見たり、作品の細かいところまで丁寧に比較してみたり。
私も改めて、じっくり見てみようと思いました。
田沢さん、どうも有難うございました!

田沢研究員

専門:近世絵画 所属部署:絵画・彫刻室長
 

次回のテーマは「染織」です。どうぞおたのしみに。


All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年03月29日 (木)

 

博物館でお花見を(工芸の名品)

ようやく、春を実感できるようになりましたね。
この冬は近年に珍しく、長く、寒さの厳しい冬でした。
桜の開花も、例年になく遅れており、この分だと上野の桜の盛りは、4月に入ってからになりそうです。
実際の桜と描かれた桜を同時にご覧いただけるのが、トーハクならではのお花見
もう何年も続けている事業の一つですが、まだの方は、是非一度お試し下さい。

例えば…ということで、ここでは、日本美術の流れ「暮らしの調度」コーナー(本館2階8室)の桜やお花見に関連する作品について、いくつかご紹介しましょう。
(画像は全て~2012年6月24日(日)展示)


 
枝垂桜蒔絵笛筒 江戸時代・18世紀 山井惟光氏寄贈 (右)左画像の部分拡大

雅楽に用いられる横笛、龍笛(りゅうてき)をしまう筒です。表面には透漆(すきうるし)を塗って木目を見せ、平蒔絵(ひらまきえ)と螺鈿(らでん)で枝垂桜(しだれざくら)を表わしています。笛の銘(愛称)「若桜」に因んで、桜の文様を描いているのでしょう。江戸時代、由緒の古い楽器や音の良い楽器には精緻な漆芸技法で装飾した筒や箱を誂(あつら)え、丁重に保管しました。



梅桜蒔絵短冊箱 江戸時代・18世紀

書は人がらを表わすものとされ、時にはその人物に対する尊敬の念を込め、大事にしまわれていました。掛軸や巻子(かんす)などの書物を収納する箱は、現代では桐の素木(しらき)で作ったものがほとんどですが、江戸時代以前には漆を塗り、蒔絵などの技法で装飾した軸物箱も多く用いられたようです。この箱は形式からすると、和歌や俳諧などを書きつけた短冊を収めていたと考えられます。


 
吉野宮蒔絵書棚 江戸時代・18世紀 個人蔵 (右)左画像の部分拡大

書棚は巻子や冊子などの書物を飾る棚です。蒔絵の他に珊瑚象嵌(さんごぞうがん)や彫金金具を嵌(は)め込(こ)むなど様々な技法を交え、桜が満開の山水や舎殿、庭園を表わし、豪華に飾っています。画中に歌文字を散らしており、持統天皇が吉野へ行幸した際、柿本人麻呂が詠んだ歌を主題にしたものとわかります。図版では小さくてよく見えないですが、棚の下段、扉の部分に描かれた庭園の図には、秋・津・野・邊・耳の文字が散らされています。是非実物で、文字を見つけて下さい。



葵紋蒔絵野弁当 江戸時代・19世紀

野弁当は、大名のピクニックセット。花見や観楓などの行楽や、道中のための飲食器一揃です。酒器や重箱、飯椀・汁椀から、多くは茶を点てる道具までを含むため、茶弁当とも言います。箱側面の上部につけた金具に棒を通し、肩に担いで持ち運べるようになっているのです。といっても、お酒やお料理が入っていなくても、結構な重さなんですよ、これが。いつの世も、お仕えする人の苦労がしのばれます…


 
瓢形酒入 船田一琴作 江戸時代・天保14年(1843)

装剣金工の精巧な彫金技術で作られた、贅沢な酒入。肩には雲間の月を銀象嵌で表わし、胴に鍍金の桜花を散らしています。とくれば、テーマは「夜桜」でしょうか。個人的には、夜桜見物にお酒は欠かせないと考えます。こんなお銚子には、きりっとして、それでいてどっしりとしたお酒を、入れてみたいです。お酒を注ぐ器には、朱塗の蒔絵盃、なんていかがでしょう。博物館にはちょうど良い文様の盃がなくて、展示でも試せずにいるのですが…
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でお花見を

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posted by 竹内奈美子(工芸室長) at 2012年03月27日 (火)

 

博物館でお花見を(陶磁の名品)

日本人が愛してやまない桜。
桜の魅力は盛りが短いことにあるのかもしれません。
毎年毎年満開の桜に心をときめかせ、散りゆく風情を惜しみながら楽しみます。
陶磁器の上にあらわされた桜にも、われわれ日本人の心情が投影されたさまざまな趣向が凝らされています。



色絵桜樹図透鉢 仁阿弥道八作 江戸時代・19世紀
(~2012年5月6日(日)展示)


こちらは仁阿弥道八(1783~1855)の作品。白泥と赤彩の点描で満開の桜が描かれています。ちょっと印象派っぽいですね。鉢の内外に描かれた桜が重なり合うことによって奥行きを生み出し、たくみに配された透かしを通して遠景が見え、桜でいっぱいの空間が生み出されています。
展示場では器を動かすことはできないので、立ち位置を変えながらお楽しみください。



色絵桜川文徳利 伊万里 江戸時代・17世紀 広田松繁氏寄贈
(~2012年5月6日(日)展示)


こちらは伊万里焼の徳利です。江戸時代の初頭に朝鮮半島から渡来した陶工によって磁器焼成の技術が伝えられ、17世紀半ばには中国から色絵の技術が導入されました。
器面を曲線で帯状に分割し、毘沙門亀甲や唐草などのいわゆる祥瑞文様と水面に散る桜の花とを交互に描いています。
文様構成は中国で明時代末に焼かれた祥瑞と呼ばれる磁器に倣っているわけですが、ここではさらに、流れるような捻文に流水のイメージが重ねられています。



色絵桜樹図皿 鍋島 江戸時代・18世紀
(~2012年5月6日(日)展示)


領内に有田という日本随一の磁器の産地をもつ鍋島藩は、藩窯を置いて将軍家への献上品や大名などへの贈答品を焼きました。技術、意匠のあらゆる面で洗練をきわめ、大きさや形は厳格に規格が守られました。文様装飾に染付と色絵とを組み合わせたものは色鍋島と呼ばれます。
これは色鍋島の七寸皿です。桜の花の赤い線は、淡い染付の線の上に描かれています。絢爛豪華な色彩美を追い求めるのではなく、あえて色数を限定し、格調高い意匠に仕上げている点が色鍋島の大きな特色です。



色絵花筏図皿 鍋島 江戸時代・18世紀
(2012年3月27日(火)~6月24日(日)展示)


こちらも色鍋島です。花筏とは、本来散った桜の花びらが水面に流れつづくさまを筏に見立てていう語で、花筏の言葉のままに、水面に桜の花と筏の図を大胆に組み合わせて意匠化しています。鍋島焼ならではの洗練された感覚で、散りゆく桜の風情が表現されています。



色絵唐花文皿 鍋島 江戸時代・17~18世紀
(~2012年5月6日(日)展示)


外周には中国の空想上の花である唐花が描かれています。このように中央をあえて白抜きにする意匠は鍋島焼が得意としたところです。
お皿に盛られた、春を感じさせる料理やお菓子を食べ終えて、空いたお皿にふと目をやると、真ん中に桜の花が浮かび上がるという、おしゃれな趣向です。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でお花見を

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posted by 今井敦(博物館教育課長) at 2012年03月25日 (日)